3.

 

 

 

 商店街の外れに位置する小さな喫茶店には、早朝だと言うのに数人の客が入っていた。ロゴハウスを模した店内は、落ち着いたと言うよりはくたびれた雰囲気。やや手狭な感は否めないが、それがかえってゆっくりとした空間を形成しているようだ。

 窓際の机に向かい合って座り、二人がそろってコートを脱いで息をつく。店員が水とおしぼりを持って注文を取りにやってきた。

凛はメニューをぱっと見て、

「ダージリンを一つ」

「あ、じゃあそれを二つ。あと、チュコレートムースをお願いします」

 桜が言葉を続けた。

店員が奥へ引っ込むのを見届けてから、凛はジト目で呟いた。

「……朝からよくそんなの食べれるわよねえ……」

「別腹ですっ」

 えへんと胸を張って言ってくる桜。

「……そこは威張る所じゃないと思う。まあいいけど……」

ふう、と息をついて目頭を押さえる。

「……ん?」

 視線を感じて凛は顔を上げる。

 桜がなぜかにこにこと笑いながら、見つめていた。

「……何よ」

 妙に居心地が悪そうに口を曲げて凛は尋ねた。桜はいえ、と断りながら、

「でもやっぱり、姉さん綺麗になったなあって」

「……う」

 頬がむずがゆそうに引きつらせ、凛はこほんと咳払い。

「ま、まあ、姉さんって呼んでくれるのは嬉しいけどね」

「はいっ」

 満面の笑顔を浮かべて頷いてくる桜。

「……で。わたしが帰ってきてること、言ってないでしょうね」

 顔を近づけて慎重に尋ねると、桜はきょとんとして聞き返してくる。

「あ、はい。……でもなんでダメなんですか?」

「……なんでもよ。色々と、ね──」

 ふう、と嘆息。

「はあ」

 ぼんやりと頷く桜を眺めつつ、尋ねた。

「詮索してこないのね」

「はい。だって──ちゃんと後で話してくれるんですよね?」

 言って、にこりと微笑んでくる。

「……う。わかってるわよ、全く……」

 そこまで言い切ったところで店員が紅茶とケーキセットをトレイに乗せて運んでくる。桜はカップに少し口をつけた後、

「……そういえば、そっちの荷物って──」

 桜がトランクケースを指して聞いてくる。

「そう、例のものよ」

「……はい」

 ごくり、と唾を飲み込んでいる。どうやら緊張しているらしい。

「……あれ。じゃあ私物ってそれだけなんですか?」

 と、今度はボストンバックを指さして。

「ん? 服とかは元々ある程度こっちにも置いてあるしね。どうせ士郎のトコに入り浸るつもりだからそんなに必要なものってないかなあ、って」

「ああ、そうなんですか──」

 また、途切れた。

 途端、隙間を埋めるにはやや大きな音量で店内に音楽が響いた。

「あ、すいません、ちょっと」

 断りを入れて、桜がわたわたと鞄の中から携帯を取り出した。髪をかきあげながら画面を見て、数秒で閉じる。

 凛は半眼になりながら呻いた。

「……ちょっと。電話、出なくていいの? そんな見るだけって……」

「あ、はい。メールでしたから」

 涼しげに言ってくる。

 ――メール。

 その単語にひくりと頬を引きつらせ、しかしあくまでも笑顔は崩さないまま、凛は静かに尋ねた。

「え、今のって歌……よね?」

 指の隙間から覗き込むようにして、恐る恐る、尋ねる。

「あ、はい。着うたですよ」

「…………………………ふうん?」

 完全にわかっていない(・・・・・・・)表情で、それでも笑顔を浮かべて凛は頷く。

「って、桜アンタ携帯なんて持ってたの?」

「あ、はい。この前先輩に買ってもらって。勿論月の支払いは自分持ちなんですけど」

 えへへ、とやたら幸せそうな笑顔を浮かべている。

「ふう、ん――?」

 ぴしり、とひび割れたような、ひどく含みのある笑顔。静かにカップを置き、凛は手を伸ばした。

「……ちょっと貸して?」

 やや強めに言っている。

「な、なんでですかっ!?」

 慌てて携帯を抱きしめて、桜が鋭く叫ぶ。凛は負けじとさらに手を突き出して、

「いいじゃない。あ、そうそう。ちょっとイリヤの声聞きたいし」

「今確実にそうそうって言いましたよね!?」

「気のせいだって。――ほらほら」

 なおも強引に迫るが、桜は首を縦に振ろうとしない。

「そんなの普通に聞けばいいじゃないですか!」

「いいじゃない」

 全く引こうとしない凛に、桜はぶつぶつと呟きながら手の中で携帯を弄ぶ。

「で、でもこれからだと履歴が……」

「そんな機能ないじゃない士郎の家の電話」

とどめとばかりに告げた。

場が硬直した。

「……………」

「……………」

「わ、わかりましたけど――」

先に折れたのは桜だった。

しぶしぶ手渡そうとして――それからふいに凛の顔を見たかと思うと、きゅっと唇を噛んでいきなり携帯を操作し始めた。しばらくしてから、もう一回携帯を差し出してくる。

「はい。これで、あとはこのボタン押せばつながりますから」

 他は押さないで下さいね? とやや得意げに念を押してくる。

「……ちっ」

 舌打ちをしてから、凛はしぶしぶボタンを押して耳に当てる。

コールが響く。一回、二回、三回……

 ――五回目でコールが途切れた。

『はいもしもしー?』

「もしもし、藤村先生ですか? ごぶさたしています」

『え、あれ、ひょっとして遠坂さん?』

 声の主──藤村大河は、受話器の向こうで息を呑んだようだった。凛は声のトーンをやや上げつつ、ひどく丁寧な口調で続ける。

「ええ、はい。朝早くから申し訳ありません。ところでイリヤちゃんはいますか?」

『うん、いるよー。ちょっと待っててね、今かわるから』

「はい」

 ふう、と息を吐いて首を回す。イリヤちゃーん、と受話器の奥から小さく声が聞こえてきていた。

「……あの。こっちいるのって秘密なんじゃあ」

 控え目に尋ねてくる桜に肩をすくめて、

「何もいわなかったらロンドンからだって思うでしょ。だから声出しちゃ駄目だからね」

「って、ね、姉さん──」

ふと呼ばれて凛は顔を上げた。

桜はぎょっとしたように目を見開きながら、窓の外を凝視していた。よほど動揺しているのか、顔を引きつらせている。

「ん? なによ」

 凛がつられて振り向いた先には──

「……え」

 呟きが零れる。

 そこにいたのは、上下ジャージ姿の綾子だった。ジョギングでもしていたのだろうか、首からはタオルをかけている。

「……げ」

 呆然としたかすれ声は呻き声に変わった。

『もしもし、リン?』

 一方、電話の方ではイリヤが出たようだった。甲高い声が耳に飛び込んでくる。

「あ、イ、イリヤ?」

 動揺で声が震えているのを自覚しながら、それでも応対する。視線は綾子と桜を往復。

 綾子はぽかんと凛たちの様子を見ているようだった。

――そして一瞬後、鬼のような形相に変わると、すぐさま店の入り口へと全速力で走り、店内に飛び込んできた。

きょろきょろと店内を見渡し、凛と目が合うや否や口を尖らしてくる――

「と、遠坂、あんたいつこっちに――」

「ごめんイリヤ、ってちょっと待って、待ちなさい……っ!」

 慌てて携帯に手をかぶせて、叫ぶ。

目で必死に桜で合図をしながら、凛は逃げるように席を立った。ああもう、と舌打ちしつつ店内を見渡す。

「ちょっと遠さむがっ!?」

 一直線に凛へと向かう綾子の口を、横から桜が無理矢理押さえこんだ。

「むー!」

 しかしそんなことはお構いなしに、綾子は手を振り回しながら凛へと向かう。凛はますます顔を引きつらせる。

「え、あ、ちょっと待ちなさい! ってそうか!」

 ぱっと顔を輝かせると同時、凛は携帯を持った手を振りかぶった。その隙間からイリヤの喚くような声が響いているのだが。

「これで──っ!」

叫んで凛は、迷わず携帯を床に叩きつけた。

 

 がしゃんっ。

 

 携帯が地面に打ち付けられ、跳ねて、ころころと転がり――桜の足にこつんとぶつかる。

『…………………………。』

 静寂。桜と綾子の二人は何が起こったのか理解出来ないのか、呆然としている。

「……ふう。はじめからこうすればよかったのよね」

 あはは、と笑って凛はすがすがしく汗を拭う。

「……ええと……いや、遠坂? あんた一体何を……」

 呆然としたまま、のろのろと遠慮がちに手を伸ばして綾子は聞いた。

「………………姉、さん…………?」

 ゆらり――

 腰をかがめ、携帯をゆっくりと拾い上げ、凍えるような眼差しで見据えてくる桜に、凛は慌てて手をぶんぶんと振った。

「だ、だって止め方わからないからしょうがないじゃないっ! 不可抗力よ不可抗力っ!」 

「……………………ふふ」

 暗い声で低く笑い始める桜。

 その様子を見て、凛は顔を引きつらせる。

「そ、そうだ遠坂、あんたいつこっちに帰ってきたのさ!」

 唾を飛ばして綾子は迫る。

「ふふふふふふふふふふふふふ――」

 ひたすら暗く笑いながら、じっと迫りくる桜。

「……ええと――」

 そして凛は、どこからどうしたもんだか――と頭を抱えていた。

 

 

 

 

 

 

5.

 

 

 

「……疲れた。」

 げっそりと肩を落として、背中を丸めてぼそりと呻いた。

 新都から深山へと続く道を二人、歩いている。

 がらがらがら、とトランクケースを運ぶ音が響いている。

 道には昨日の雪が未だ残っていた。

「そうですね、お疲れ様です」

 小さく笑いながら、桜が凛の顔を覗きこんでいた。

「……でも、それ重くないんですか?」

 トランクケースを指し示す桜に、凛は渋面を作った。

「……まあ軽量化かけてるから別に大したことはないけど。でも、普通にもっていったら結構しんどいでしょうね」

「あ、やっぱりかけてるんですか」

「そりゃそうよ」

 凛も苦笑を返す。軽く肩を竦めて。

「それなら、空港便で送っちゃえばよかったのに──」

「……駄目よ。万が一にでも何かあったら困るもの」

 ばばっ、と手で大仰に隠してみる。桜は苦笑した。

「……あの。何がはいってるんですか? わたし、詳しいこと教えてもらってない──」

「駄目よ、秘密。イリヤと一緒に驚きなさい? まあ、おみやげって言えばおみやげだけど、まあ桜にはあんまり関係ないものだからなあ……。あ、ちゃんとアンタ用のもあるからね。ポテトチップのフィッシュアンドチップス味。うん、我ながら訳わかんないの買ってきたもんだ」

「は、はあ……」

 さらに苦笑。

 凛はぴっと指を立てて、

「あ、でも無事って言えば携帯も無事でよかったわよねー」

「そうですね」

 桜はくすりと笑った。

「無事じゃなかったら、今頃どうにかしないといけませんでしたから」

 にこにこと笑ったまま、さらりと告げた。

「…………………ははは」

 とりあえず空笑いを浮かべてから凛は、ああ──と大袈裟に頭を抱えて唸った。

「にしても、まさか綾子に見つかるなんてねえ……なんであんなに早起きなのよ」

「あはは……そうですね」

 苦笑しながら同意する。

「でも、なんでイリヤちゃんにこっちに帰ってきてること教えたらだめなんですか?」

「……それも秘密」

 肩をすくめて、ごまかしておく。

 周囲はいつのまにか住宅街へと変わっていた。

 ようやく住民も起きだしたのか、周囲からはわずかに喧騒が聞こえてきている。未だ冷えている道路にまでそれらが伸びてくるまでに、そう時間はかからないだろう。

それら全てを含めて懐かしいというように目を細めながら──、凛は呟いた。

「そんなに、変わってないわよね──」

「そうですか?」

 こくんと首をかしげた桜は、少し苦笑したようだった。

「でも……やっぱり、色々少しずつ変わってますよ」

 それが自嘲なのか誇りなのかは凛には区別がつかなかったが。

 前を見据えながら、桜は静かに続ける。

「変わらないものなんて……ないですから」

「……ん、そうね」

 同意する。

「──あ、姉さん」

 いつの間にか漂い始めていた、湿っぽい空気を払拭するかのように笑って、桜は顔を覗きこんできた。

「ん?」

 聞き返す凛に、桜は口調を弾ませて、

「うちにきませんか?」

「……また唐突ね」

 呆れたように呟く。

「そうですね、でも昨日からずっと考えていたんです。折角ですしそこまで無碍に断る理由はありませんよね?」

 一息にそう言ってみせる桜は、到底反省しているような声色ではないわけだが。

 凛は嘆息まじりに尋ねた。

「で、何でまた一体そんな気になったのかしら」

「わかりませんか?」

 笑みをたたえながら動じない桜に、口元を引きつらせる。

「……桜あんた、手ごわくなったわね」

「はいっ。鍛えられましたから」

 胸を張っている桜。

「あ、それで──」

 期待を込めた瞳から目を逸らし、凛はそっけなく告げた。

「……パスよ」

 眉をしかめて、唸る。

「む」

 桜もまた同じような顔になった。

「ああもう、そんな顔するんじゃないの。第一ほら――家のひととかいるでしょうに」

 語尾は少し曖昧に、濁すように。

「いえ、それが」

 心配なのか、顔を暗く染めて自分の肩を抱いて──、桜はこっそりと呟く。

「最近は全然いないんですよ」

「ふうん」

 いまいち状況がつかめないためか、凛の返答はそれだけだった。

「そうね」

 呟く。さりげない動作で時計を確認する。こっそりと口の中で嘆息してから、彼女は半分諦めたように桜へと向き直った。

「じゃあ、お茶だけ。それだけいただくことにするわ」

 片目を閉じてそう告げる。

「はいっ」

 言って頷いた桜の顔は──、心底嬉しそうだった。










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