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第2章
 In the rain




 

T

 

 

 

 雨音に起こされた。まだ頭は半分以上が機能していない。流れるような静かな滝のような。どうにも眠りを誘う音だ。

 視界に映ったのは古びて埃の付いている天井。そう言えばシーツも少し湿気ている。まあそれでも、眠れるベッドがあっただけましか、と思い、再び瞼を閉じる。

「死、か──」

 呟いて、腕を顔の上に乗せる。

 ……昨日は色々なことがありすぎた。

 衛宮士郎の発見。

 彼の変貌。

 遠坂凛の死──

 ──死。遠坂凛が死んだと、あの男は確かに告げた。

 それが本当なのかどうかはわからないが……

(いや──恐らくは……)

 勘でしかないが、と内心言い含める。嘘をつく理由もない。ましてやそれが露見してすぐにばれるようなものならば尚更だ。だとすればやはり彼の言った言葉は事実ということになるのだろう。

──ぼんやりと天井を見上げる。

 ──その単語に身に覚えがないと言えば、嘘になる。

 数年前。これ以上ないと言う程の死に直面した。否、以前から周囲(セカイ)は死に満ち溢れていた。自分を取り巻く環境は常にソレに満ちていた。

「だからと言って……、慣れるわけではないんだ……」

 呟く。

 のそのそと身を起こし、部屋を見渡す。宿屋の真似事とはよく言ったもので、部屋には安物のベッドがあるだけだった。飾り気も何もない、ただ寝るためだけの部屋。まあ村に来客がいること自体滅多にないからなのだろうが。

 手早く着替えを済ませ、髪を整えようとして、鏡すらないことに気づく。仕方ないので窓ガラスに薄く映る自分の姿を参考に適当に身だしなみを整える。あとは洗面所でやればいいだろう。家族兼用とのことなのでいささか気が引けるが。

「しかし、どうしたものだか……」

 受けた依頼は、衛宮士郎と遠坂凛を連れ戻すというものだ。

 しかし士郎は変貌し、日本には帰らないと言う。

凛はそもそもこの世にすらいない。

 今の状態の士郎だけを無理やり日本に連れ戻したところで、どうなると言うのか。──考えるまでもない。そんなものは何も生まない。桜たちの戸惑う顔が目に浮かんで、慌ててかぶりを振る。

「──ああ、そうか。なんとなくわかってきた。つまり、私のやるべきことは」

 きゅ──

 黒の革手袋を義手にはめ、すっと息を吸い込む。

「──やるだけやってみよう。でなければこんな結末、あんまりだ……」

 悲壮な表情を浮かべ、彼女は部屋の扉を押した。

 窓の外は相変わらず雨が降り続いていた。

 

 

 

U

 

 

 

「昔はあんなんじゃなかったんだよ」

 本の上に積もった埃を払いながら、ザットは嘆息交じりにそう呟いた。

 朝食を食べ終え、さてどうしようと考えたところで、そう言えばこの天気だと言うのに傘がなかったことに気づいたのだった。車まで戻れば折りたたみ傘があるが、どうせならちゃんとしたものを買っておこうと思い直し、バゼットはここまで足を伸ばしていた。

「しかし何というか……すごいですね。一体何屋なんですか?」

 店の前に陳列された品々を眺めて、思わず呟く。おおよそ品物には統一性というものがない──服の隣に缶詰が置かれていたりする。

「まあ、手に入ったものを売るところだから基本的になんでも売るのさ。──ああ、傘なら確かこの辺りに……」

 言って、おもむろに商品の山を漁りだす。

「遠坂の嬢ちゃんといた時は、本当にねえ。あんな堅苦しい口調じゃなかったし、本当村のために色々してくれて……ああいや、勿論今だってやってくれてるよ? でもなあ、あれじゃあどうしたって反発は買っちまう。一方的に力任せにやっちまうのは──」

「……そう言えば口調が変わった、と言ってましたね。ひょっとして以前は“俺”と言っていませんでしたか」

「ああ、そうそう。なんでもありゃあ余所いきの口調とか言ってたかな」

 ようやく見つかった傘を放り投げ、ザットは首をかしげながら呟いた。

「……余所いき? よくわかりませんが……とにかく、あの人格は本来の士郎君のものではない──かもしれない、と」

 ふむ、と唸るバゼットに、ザットは大きくうなずいた。両手を広げ、大袈裟に振ってみせる。

「当たりめえだ。士郎は本当はもっとこう……気さくな、いい奴なんだ。だからアンタ、アンタも勘違いするんじゃねえぞ。今のあいつは遠坂の嬢ちゃんが死んで、少しまいってるだけなんだ。本当はよ、あんなんじゃねえんだ……」

 がくりと項垂れるザットに、バゼットは詰め寄った。声に僅かに緊張を含ませて。

「それだ。凛さんが死んだと言うのは本当なんですか? 彼女は相当な実力者だと聞いていたのですが。こうもあっさり死んでしまうなんて私には信じられない──」

「……俺だって実際に現場を見たわけじゃねえがな。大体一か月くらい前だったか……二人でどっかに行ったんだよ。いや、どこかまではわからねえけどな。で、夜くらいに帰ってきて……ああ、そうだ。そういやあの日もこんな雨の日だったな。士郎がよ、こう、嬢ちゃんを抱えてとぼとぼ戻ってきてたんだ。で、俺がどうした、って聞いたら」

 そこまで一気にまくし立ててから、彼は声を落とした。当時のことを思い出しているのか、苦虫を噛み潰したように顔をしかめて、続ける。

「……消えた、ってよ。それだけ言って、家にこもっちまった」

「抱えてきたのは確かに凛さんなんで…すか?」
なおもしぶとく食い下がると、ザットは首をかしげた。

「あ? ああ──いや、どうだったかな。俺もそんなにじっくり見たわけじゃねえしな。二人ともどろどろに汚れてたし、雨だったしよ。でも多分嬢ちゃんに間違いはないと思うがなあ……」

「なるほど。……では、ひょっとしたら、凛さんではないかもしれない。そう言うことですね?」

「そりゃそうかもしれねえが……でもな、アンタ。そういう希望はあんまり持たないほうがいい。死ぬってのはそう言うもんだ(・・・・・・・)。だろ?」

 ふっ、と。苦笑にも似た響きを感じ、バゼットは居住まいを正した。

「……そう、ですね」

 嘆息し、気まずそうにして頭をかく。

(何をやっているんだか、私は……。こんな一般人に諭されるなんて、どうかしている……)

 少しばかり自己嫌悪におちいっていると、声がかけられた。

「──なあ、アンタ」

「何か?」

「アンタは衛宮をどうするんだ?」

 やけに落ち着いた響きのあるザットの言葉に、バゼットもまた攣られて間を取った。

「……そうですね」

 呟きながら、考える。顎に手を当て、ゆっくりと言葉を吐き出す。

「初めは連れ戻すつもりでした。そもそも本来の依頼はそう言った内容ですので。ですが、今は少しばかり考えを改めましてね。私としてはやはり力づくで連れ戻すよりは、全部納得づくで日本に帰ってもらいたいんですよ」

「……そうか。あいつ、ちゃんと帰る場所があるんだな」

 ほっとしたようなザットの言葉に、バゼットは顔をほころばせた。

「ええ。とても……温かい場所です」

「そうか。そいつは、よかった……」

 うんうんと頷いて、照れ隠しなのか商品をいじっている。

 バゼットはくすりと小さく笑うと、手を広げて見せた。

「ザットさん。私からこう言うのも変な気がしますが──ありがとう。きっと貴方のような人がいるから、彼も救われていたのだと思います」

「へっ。そう言ってもらえると嬉しいねえ」

 苦笑して、鼻の頭をかいている。

 バゼットは傘を手の中でくるりと回すと、ボタンを外して広げた。歩き出しつつ、小さく笑みを浮かべ背後に言葉を投げかける。

「これから、しばらく士郎君の傍で観察してみようと思います。何か私にも出来ることがあるはずだ──」

「そうだな。俺からも頼む。あいつは……あいつらは、幸せにならなきゃいけないんだ……」

 切実なその言葉にしっかりと頷きつつ、バゼットは進んでいく。

「ええ。確かにそうだ──本当に、その通りです……」

 雨の中、顔を上げる。

 その視線の先には、衛宮士郎の屋敷があった。






V

 

 

 

 静かに降り続ける雨の中、村は静まり返っている。まるでゴーストタウンだ、と嘆息しながらバゼットはくるりと傘を一回転させた。黒の味気ないものだが、長さがあるため濡れにくい。いい買い物をした、と一人口元を綻ばせながら足を進める。

 衛宮士郎の屋敷は村同様、しんと静まっているようだ。大きさはごく普通の一軒家程度。昨日は暗くてよくはわからなかったが、相当に寂れているようだ──築十年は建っているようにも見える。だとすると、そんなに前から彼らがいたわけではないだろうから、借家ということか。

 窓にはカーテンがかかっており、中を見ることはできなかった。少なくとも屋内に電気は点いていないようだ。隙間から何か覗けるかと思い、気配を殺して窓へと近づいていく──

 屋敷は手入れが行き届いているとはお世辞にも言えない状態だ。庭と言う概念はないようだが、それにしても雑草が周囲を無尽蔵に覆っている。

僅かに手を握りしめてそっと部屋の中を伺った。

中はひどく暗い。他の窓のカーテンも全て閉め切っているためだろう。見える範囲で推測するに、どうやらここは寝室のようだった。ベッドがあり、机があり、大量の書物があちらこちらに散乱している。人の姿はない。取り立てて何も特徴のない、ごく普通の汚い部屋だ。

「……ふむ」

 小さく首をかしげて、さらに他の窓へと移動する──が、こちらはぴたりとカーテンが閉まっており、中の様子はわからなかった。少なくとも中から人の気配は感じられなかったが。

 ぐるりと家の周りを一周してみるが、窓は合計で三つしかなく、中を伺えたのは初めの一つだけだった。

 顎に手を当て、黙考する。

 ちらり、と背後を伺う。

 依然として人の気配はない。村外れにあることと、今日が雨であることが重なったためなのだろうか。ともあれ──

「……チャンス、ですね」

 呟き、今度は玄関へと向かう。ざくざくと草を踏みしめて進んでいくと、地面から突き出した棒が目にとまった。確か昨日も見た気がする──棒はちょうど膝くらいの高さであり、先端はささくれだっている。何かが刺さっていたが、それが半ばから折れたと考えるのが妥当だろう。扉の斜め前に設置してることからして、看板か何かがあったのかもしれない。

 それが今は、もうない。その意味を推測しかけ、そして止める。出たのは嘆息だけだった。

 足を止め、目の前に聳える扉を見上げる。木製の薄い木の板は下半分が雨に濡れていた。首をかしげてさらに上を見上げるとひさしが設置してあった。ふむ、と呟いて傘を閉じる。

 短く息を吸い込んでから、右手を軽く扉に当てた。

一回、二回、三回。

 ──返事はない。

「……士郎君?」

 そっと小さく、囁く。

 やはり返事はない。

「……よし」

 僅かに頬に緊張の色を滲ませ、バゼットはドアノブを握りしめた。そっと音がたたないように静かに回し、引いていく──が、当然のように扉は開かなかった。留守ならば当然だろうが。

 口の中で、小さく呪文を唱える。発動させる現象は“開錠(アンロック)”──ごくごく基礎的な魔術。

 かちり、と音がしてあっさりと鍵は外れた。

 もう一度ノブを回すと、今度は何も抵抗もなく、扉は開いた。

 そっと、足を踏み入れる──

「……邪魔しますね、士郎君」

 僅かな罪悪感と背徳感。それを頭の後ろに感じつつ、部屋へと侵入した。

 目を閉じる。強く。五までを数えてからゆっくりと瞼を持ち上げる。

 暗闇の中、ぼんやりと物が浮かび上がる錯覚に陥る。夜目もある程度ならば効くように訓練してある。わざわざ危険を犯して明かりを点けることもないだろう。

 ざっと見渡す──大体十畳ほどの部屋。ここは居間のようだが、やはり散らかっている。掃除という概念がないのか、と思わず勘ぐってしまうほどに物が散乱していた。衣服に食器に雑貨類。だが、やはり一番物量を占めるのは本のようだった。

適当にそばに落ちていたものを一冊取り上げてみる──基礎魔術理論。時計塔で一番初めに使用する教科書だ。その隣には、宝石学。いきなり専門分野に移っている。他にもざっと見渡しているが、大体ほとんどが魔術関連のもののようだった。最も、一般人に秘匿されるべき情報がこうも無造作に部屋に散らばっているのはどうかと思うが。

 奥へと続く扉は3つ。内ひとつは先ほど見えた寝室だとすれば、もう一つはバスルームか。構造から推測するに、残りの一つも寝室なのだろう。まあどうでもいい──バゼットは足を寝室へと向けた。

 ゆっくりと扉を押す。部屋は薄暗く、埃っぽい。ろくに掃除もしていないのか、空気が淀んでいる。男くさい、とでも言うのだろうか。だとすればこちらは士郎の部屋なのだろう。思わず換気をしたい衝動に駆られるが、自制した。ここもやはり本だらけであり、唯一その被害を免れているのがベッドだった。

「……私が言うのもなんですが……、これはさすがに……」

 目頭を押さえ、ふうと呻く。圧迫感すら覚えてしまう。

 机に近寄った。伏せられた写真立てが目にとまり、無造作にそれを持ち上げる。

 中には色あせ始めた一枚の写真が納まっていた。士郎、桜、凛、イリヤスフィール。大河もいる。もう随分前のものなのだろう──皆が皆若く、そして笑っていた。

 思わず口元がほころんでいるのに気づき、はっと顔を引き締めて写真を倒す。と、手がその際何かに触れた。

机の上に置きっぱなしになっている一冊の本。広げたままということは、最近読んでいたものということだろう。何か情報が得られるかもしれない──そう考え、手に取り目を通す。

「……? これは……?」

 目を細め、記憶を辿る。中身は英語では書かれていなかった。もっと別の──そうだ、これに似た文法を昔読んだ覚えがある。曖昧になっているために全てを解読することはできないが、所々ならば読み取れる──

「………………何だ、これは。いや、そんなまさか──」

 顔をしかめつつ、バゼットはページを捲っていく。読み進めるにつれて、眉間の皺が深まっていくのが自覚していたが。

「駄目だ、これは……駄目でしょう…………」

 首を振り、彼女は居間へと戻ろうとした。刹那。

「──────動くな。動けば即座に頸動脈を切る」

 その首筋に、一本のナイフが押し付けられた。

  

 目だけを動かして、なんとか横を見る──がそんなことをするまでもない。いくら熱中していたとはいえ、自分が気配を感知出来ない相手がそうそういるはずもなかった。

「随分、早いお帰りですね……?」

 はは、と笑いつつ、息を吸い込む。衛宮士郎(この男)から放たれているのは、間違いなく殺気──下手を打てば、殺される。

「結界が反応したからな」

 男の回答は低く、シンプルだった。

「……なるほど」

 その可能性があったことを失念していた。この男は正義の味方である前に魔術師──いや、魔術使いだった。

「本を置け」

「動いたら切られるのでしょう?」

「置け」

 男の声は揺るがない。

 身も蓋もない──嘆息しつつ、バゼットはそっと本を机の上に置いた。

「……隣の部屋には行ったのか?」

 ずず、と士郎の殺気が膨れ上がる。

 意に介さず、バゼットは軽く肩をすくめた。

「いえ。まだ行っていませんが──」

「信用出来ないな────」

 その呟きと同時──

 

 ひゅぱ──っ!

 

 ナイフが、大気を切り裂いた。

 大気のみである。バゼットはそれが降り抜かれる瞬間、迷わず斜め前へと身を投げ出していた。

「どうやら……話し合いは通じなさそうですね……」

 ベッドの上で態勢を立て直しながら、頬から湧き出ていた冷汗を拭い、バゼットは口を歪めた。

「ふん。不法侵入しておいてよく言う」

 じわりと滲み出る殺気を隠そうともせずに、士郎が一歩前へと出る。

投影(トレース)、」

 囁かれる呪文。

 それと同時、彼の周囲で光が瞬き始める。

 生み出されようとしているのは、刃。

 十数本のナイフが、暗闇の中銀の光を纏い、その先端をバゼットへと向け、生み出されていく──

開始(オン)

 ひゅばあ────っ!

 空気が鳴いた。

 出現したナイフ、そのすべてが一斉にバゼットへと高速で飛びかかり──

「ふん」

 彼女の口元に浮かんでいたのは、冷笑。そして。

「──はあっ!」

 

 だ・ずんっ!

 

 狭い部屋に響いたのは、鋭い破裂音と、鈍い打撃音。

 部屋が衝撃で揺れ、埃が舞い上がる。

 そして──その中で、二つの影は重なり合っていた。

拳を繰り出し、鋭く前を見据えるバゼットと、

腹部を撃ち抜かれ、驚愕に目を見開く士郎。

 一瞬。一秒にも満たないその間、彼女は士郎へと踏み込み、同時正面から飛来するナイフの中から自分に当たる物のみを打ち落とし、さらに反対の手で彼の腹へと拳を叩きこんでいた。

「か……はっ……!?」

 士郎の口から呼気が漏れる。流石に全力で打ち抜いてはいないものの、それでも欝憤を晴らす程度には威力を込めてある。

「……っこの──!」

 士郎が拳を握り、叩きつけてくる──が、遅い。大きく振りかぶるモーションは、避けてくれと言っているようなもの。まるでなっていないな──軽い失望すら抱きつつ、彼女はめり込ませていた拳を僅かに引き戻し、広げて──

 ずだんっ!

 と言う音を残して、士郎の体が吹っ飛んだ。盛大な音を立てて壁に激突する。本棚の本が崩れ落ち、物が散乱した。部屋の隅にあった宝箱が転がり、蓋を半分ほど開けて横に転がった。中身が床に数点散らばったようだった。

踏み込みを軸足の体重移動のみで行うことにより、零距離でも爆発的な威力を生む技である。手を掲げたまま、彼女は冷淡に告げた。

「やめておきなさい。この距離で私から逃げられると思わないことだ」

 沈黙。士郎は俯いたまま、せき込んでいる。さらに一歩踏み出しつつ、鼻を鳴らして告げてやる。

「……顔をあげろ。質問に答えるくらいの気力くらい残っているでしょう」

「質問、だと? 今更何が聞きたいんだ……言ったろう、凛はもう消えていないと──」

 ぎり、と奥歯を噛みしめつつ、あくまで視線を床に向けて囁く士郎の言葉は無視し、バゼットはさっと手を振った。

「それについて質問がありましてね。士郎君、昨日貴方は凛さんは死んだと言った。ですが、村人の証言によると、貴方は凛さんが死んだとされる日の後も、凛さんらしき人物と会話をしている様相があったと──」

「……誰が、死んだだと……?」

 士郎は途端、血相を変えてこちらを睨みつけてきた。変化に戸惑いを覚えつつ、手を振り続ける。

「……? で、ですから凛さんが──」

「死んでなど──いない」

「………………………………は?」

 それは、聞き返したと言うよりは思わず零れ落ちていたものだったのだが。

「凛は……消えただけだ。死んでなんか……ない」

 士郎は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、そう繰り返して見せた。

 その言葉を理解するのに、数瞬を要した。

 死んでいない──つまり、生きている。

 生きている。遠坂凛は死んではいない。

「な──あ、ああ、そうなんですか?! なんだそうか、死んではいないのか……」

 安堵の嘆息をつく。自分でも表情が緩んでいるのがわかるが、そうなるのも無理はないはずだ──何しろ彼女の死は大前提だった。それがいきなり崩れたのだ。一番の大問題が片付いたのだ、そうなるのも無理はないはずだ──

 が、士郎の表情は晴れないままだった。違うんだ、とかぶりを振り、のろのろと身を起こした。

「……どうやら本当に隣の部屋には行っていないようだな。なら、来い。見せてやる」

 言い捨て、足を引きずるようにしながらゆっくりと部屋を出て行った。ついてこいということなのだろうか──迷ったのは一瞬。すぐにその後に続く。

 今の騒ぎでさらに散らかった部屋を後にし、居間を通り、隣の部屋へとはいって行った。

 その部屋は、先ほどいた士郎の部屋とほぼ同じつくりだった。家具の配置はほとんど対称になっているようだった。こちらが凛の部屋なのだろう。隣の部屋に比べ、驚くほどに片付いている──と思ったのは初めだけだった。よくよく見れば部屋の隅に無理やり押し込められているだけだ。物の大半を占めているのはやはり本。だが、フラスコやらビーカーや、その他の道具も目につく。部屋の隅には宝箱が設置してあった。

 士郎はベッドへと近づくと、身をかがめ、そっと囁いた。

「リン。少しいいか?」

「……え?」

 思わず、呟きが漏れていた。

 士郎は優しい瞳を浮かべたまま続ける。

「……すまないな。眠っていたのか。起こしてしまったな」

 言いつつ、椅子を引き寄せ座った。

「なんだ? ……こら、やめないか」

 くすぐったそうに頬を緩めている。

 士郎は僅かに困ったように眉を寄せた。

「駄目だろう、大人しくしていないと。また倒れてしまうぞ?」

「…………」

 動けない。バゼットは動けないまま、じっとしている──まるで何か言葉を発すれば、それが崩れてしまうとでも言うように。

 士郎はやおらこちらへと顔を向けると、自嘲するように目を伏せて見せた。

「……この通りだ。リンは……会話が出来ない。私のことも……覚えていない。記憶が全てない。赤ん坊のような状態なんだ」

 ぽつりと、呟く。声が空虚に響き渡る。

「彼女との思いでも、何もなくなった。……私の知っている遠坂凛は消えた。それだけが事実だ──」

「いえ、そう……ではなくて……その──」

 なんとか──言葉を絞りだそうとするが、うまくいかない。

 言いたいことは山ほどあった。

 だが、何をどう言えばいいのかが──わからない。

士郎はそこにいる誰かと会話をしていたのだ──それは、なんとか理解した。

そしてその会話は士郎にとっては全く疑いもないようにごく当然のものだった。

だが──

(誰が……いるんです、か? そこに……)

 背中に薄ら寒いものを感じつつ、バゼットは絶句する。

 そこには──、誰も、いない。

 ベッドの上には、誰の姿もない。

 ただ、くしゃくしゃになったシーツがあるだけだ。

 そこには、遠坂凛の姿はどう見ても存在しない──。

(士郎君、貴方は一体誰と会話しているのですか……?)

 思わずその言葉を口にしかけ──慌てて自制する。

 考えられるのは……そう、一番ありそうなことは──────衛宮士郎は、もう、とっくに、壊れている。

 ザットの言葉を思い出す──

“あいつには、見えてるんだよ。……なんだろうな、嬢ちゃんの幽霊でもいるのかね……”

(そういう、ことか──!)

 ぎり、と歯を噛みしめる。──事態は思った以上に深刻だった。聞いていた性格との不一致。死んだ恋人の幻覚。どう考えてもまともではない。

 激昂はしなかった。先程士郎の部屋で目にとまった本の内容を思い出す──

「……成程。記憶の復活について読み漁っていたのはそういう了見ですか」

「……ふん、しっかり理解しているじゃないか」

「すみません。ですが──ええと」

 はあ──

 嘆息を隠そうともせず、バゼットは頭を振った。いいですか、と続ける。

「士郎君。私が受けた依頼は君を連れ戻すことだ──ですが」

 ぎし……

 踏み出した際に床が軋んだ。

 未だ俯いたままの士郎を見下ろしつつ、あくまでも冷酷に、告げてやる。

「ですがもし──もし衛宮士郎が取り返しのつかない事態(・・・・・・・・・・・)になっていた場合は始末しろ、とも言われています。貴方には、そうなる可能性があると。だが……いや、それ以前の問題だ! 貴方は一体誰と会話をしているんだ! そこには──そこには……っ!」

「……そこには、何だね」

「っそこには、誰もいないです! 凛さんはいません!」

「……………………………………」

 士郎は、返答はしなかった。代わりにゆっくりと立ち上がり、机の上に置いてあった短剣を握りしめつつ、

「……すまない。よく聞こえなかった。もう一度……言ってくれないか?」

「何度でもいいましょう。そこには遠坂凛はいない。誰もいな──」

「黙・れ──────」

 ゆらり……

 士郎が顔をゆっくりと持ち上げる──殺意にまみれた、その表情を。

「……っ!?」

 危険を感知。バゼットはすぐさま大きく体をそらした。その一瞬後、いつの間に生み出していたのか、一本の剣が目の前すれすれを飛行し、頬をかすめ、壁に突き刺さった。

「……ほう。つまり、私とやり合うと」

 頬に浮き出た血を指ですくい、体制を立て直し、拳を握りしめる。

「いいでしょう。いい加減頭に来ていた所だ──その実力、確かめさせてもらいましょうか」

 士郎もまた立ち上がる。ぎらぎらと鈍く輝く瞳を向け、口を開く。

投影(トレース)()──」

「──ふっ」

 呪文が終わる前に、再び間合いに飛び込んだ。同時、折り畳んでいた腕をひねりながら伸ばしていく。何の変哲もない、だがそれ故に強力なストレート。それが士郎の鳩尾目掛けて伸びていく。

 避けようがないと判断したのか、士郎は呪文詠唱を中断。致命傷だけは避けようと体を捩る。だが──

 ぼきりと言う鈍い音。拳がアバラを叩き割った。苦痛に歪む士郎の顔を視界の端に捉えつつ、さらに反対の腕を勢いを付けて振り上げ・叩きつける──折れた骨がさらに細かく破砕したようだ。もうこれで勝負はほとんどついたようなものだ──なんだ、こんなものか。嘆息まじりに士郎の頭をつかみ上げる。思い切り力任せに振り下ろすと同時、膝を脳天目掛けて突き刺した。衝撃で大きく体が跳ねる士郎、それめがけて──

「はぁっ!」

 飛び上り、体を捻り、足を打ちつける──!

 ずがぁっ!

 飛び蹴りを喰らい、冗談のように士郎の体が吹っ飛んだ。狭い部屋の中、本棚へと叩きつけられ、がくりと倒れる。衝撃でどさどさと本が落ちてきた。

「う……ぐ……っ」

 意識はまだあるらしい。最も、戦闘を続行するのは無理だろう。

 口から出たのは嘆息だった。

 冷淡に士郎を見据え、呆れた口調を隠そうともせずに呟いた。

「──なんだ。こんなものですか」

「……っ!?」

 途端、刺すような視線が返ってくるが、無視して続けた。

「反応速度、魔術の構築速度、判断力、体術。全てが駄目だ。貴方の目指した正義の味方はこの程度だったのですか」

「なん、だと──!?」

 ふらつく体でそれでもなんとか立ち上がろうとする士郎、それ目掛けて鼻を鳴らし、さらに言葉を続ける。

「おこがましい、と言っているんだ。どうせ凛さんが死んでから研究に没頭して何の鍛錬もしていないのでしょう」

「…………凛は、死んでなどは──」

 その言葉は無視してさらに続ける。

「……目を覚まして下さい、士郎君。死んだ人は還ってきません。いつまでも過去の幻想になどすがっていないで下さい。今の貴方は、もう、正義の味方ですらない……ただの魔術使いだ──現実を直視すらできない、ただの……弱い男じゃないですか……」

「……………………………」

 腕を抱えたまま、じっと俯く士郎。

「今の貴方の姿を見たら──凛さんは、きっと悲しみますよ」

 言い捨て、士郎の横を通り過ぎて扉へと向かう。と。

「……私に……、どうしろと言うんだ……?」

 背後からの呻き声に、バゼットはぴたりと足を止めた。

「…………」

「……答えろ。私に、どうしろと──」

「──甘ったれるな。」

 焦れたように効いてくる士郎に、きっぱりと言い捨ててやる。

「な……」

 絶句する士郎には目を向けず、低く、歯の間から唸る。

「そのくらい、自分で考えたらどうなんだ」

低くそう言い捨て、後はもう言うことなどないと肩で告げ、歩き出した。物をかき分け扉を押す。

最後にもう一度、士郎へ振り返る。

男は茫然としているのか、身じろぎ一つしていない。

嘆息をつくことだけはなんとか耐えた。

視線を前へと戻せば、雨はまだ降り続いていた。

 目を僅かに細め、空を見上げる。

 ────灰色の、空。

「…………っ」

 歯噛みし、傘を握りしめる。背後は振り返らないまま、彼女は歩き出した。握った傘をささずに、ゆっくりと。

 ──雨が少し強くなり始めてきていた。






 

W

 

 

 

さあああああああ……

開けっ放しの扉から雨音が聞こえてくる。ひどく喧しく耳に響いているようだ──脳の奥で苛立たしい思いを抱いていることに気づく。気に入らない──何もかも。やかましい雨音も、重苦しい部屋の空気も、胸を締め付けるような体の痛みも残酷なまでに単調な時計の音も何もかも全て。

舌打ちを一つ残してのろのろと身を起こし、椅子へと腰掛け──天井を見上げる。古びた木製の天井には、幾筋もの亀裂を覆い隠すかのように埃が纏わりついている。そう言えば最後に掃除をしたのはいつのことだったか──ぼんやりと何とはなしに思い浮かべつつ、男は視線をベッドの上へと落とした。

ぽつりと、呟く。

「……考えたさ、勿論」

 平坦な顔で、男はうめく。もう誰もいないその奥へと語りかけるように。

「考えた──、けど──でも、私は……っ」

 唇を噛みしめ、俯いた。シーツをぎゅっと握りしめていた。指が、頭が痛い。失われたからだ、と何とはなしに思っている。何が、とは思わない。考えるまでもない。全てだ。

「凛……」

 その言葉を、唇へと乗せる。空気が音へと変わる、それに意味は果たしてあるのかどうかと考え、無意味だと思いなおす。

「凛────」

 瞳が揺れる。

 机の上に目を向ければ、そこには読みかけの本。

 本棚の辺りは先ほどの戦闘の影響で滅茶苦茶になっている。ざっと見るに大凡4割ほどか、本が零れて床に散乱していた。これを片づけるのには相当の労力が必要だろう。だが最早それをする気力もない──、士郎はぼんやりと散らかった部屋を眺めている。

「……何で、誰にも見えないんだろうな」

 呟きが漏れた。

「なあ、リン。なんで……誰にも、見えないんだろうな……」

 声が、震える。

「何で、こんな──」

 呻き声が漏れる。

「……わかっていたさ……」

──そうだ、何が正義の味方だ。

ひとりでも多くのひとを救うために生きてきた。

それが、この結果だ。

このざまだ。

より多くの人間を救おうとした正義の味方は。

一番大切なひとすら守れず、

掲げた力もあっさりとへし折られた。

挙句、自分は正義の味方ですらないと断言された。

じゃあ、私には何がある?

何が残っているんだ?

「……………………………………………………そうだな。確かに、もう、なにも、ない……」

からっぽだった。

がらんどうだった──。

「……はは」

 口から自然と笑い声が零れ落ちていた。掌へと視線を落とす。幾筋もの傷の残った掌。幾人もの血にまみれた掌。何より、大切な人を救うことの出来なかった掌──

 ──何も意味もない、拳。

「はは、はははは……」

 自虐と絶望にまみれた哄笑──

「──っはははははははははははっ!?」

ああ────もう本当に、何もかもがどうでもいい。

こんな自分。

こんな世界。

そうだ。こんなにも苦しいのなら、いっそのこと、全部、何もかもなくなってしまえばいい──

「────っ!」

 唐突に。

 男は笑うのをやめると、自分の手の中に一本のナイフを生み出した。激情としかいいようがない感情に任せ、それを自らの喉元へと突き刺そうとして──

 

 ひゅっ────……

 

 ──気づけば、その手は止まっていた。

 刃は、首筋に触れるか否かと言う所で静止していた。

「は──はっ……」

 瞳孔を見開いたまま、ただ息だけを荒らげる。

 あえぐように空気を吸い込む。

 刃の切っ先が呼吸の度に皮膚へと触れる。痛みとまではいかない、刺激がやけに心地よい。このまま身を任せるのもいいかもしれない──ふとそんなことを思いつき、だがそれでも手は動かない。

 時間が過ぎる……5秒、10秒、20秒……

おおよそ一分も経った頃に、衝動的な感情はようやく波が引いたのか、衛宮士郎はむせるように息を吸い込み、吐き出した。

 

 カラン……

 

 ナイフが、手からこぼれおちた。

 だらりと腕が力なく垂れ下った。

「私は……っ!」

 握りしめたシーツの皺が、さらに強くなる。ぎり、と歯を噛みしめる──強く、強く。

「……凛……凛……っ!」

 がばっ──

 やおら士郎は立ち上がると、ベッドへと手を伸ばした。が、腹部に激痛がはしり、そのまま崩れるように床へと倒れた。

「うぐ……」

 ゆっくりと顔を上げる。痛みでようやく自分の傷を思い出した。そういえば全身がひどく重い。どうやら手加減は一切なかったようだ──いや、殺されなかっただけましだったのか。もう自嘲しか思い浮かんでこない──惨敗だった。言い訳の使用もないくらいに実力差は歴然だった。こんなにあっさりと負けるなんて、本当、何が正義の味方なんだか──視界が歪みそうになるのを必死に無視して、壁に背をつけ無理矢理立ち上がる。

 ──と。

 視界の端で、何かが光った。

 顔を上げる。

ふと、壁に見慣れないが刺さっていることに気がついた。

 ひと振りの剣。それが壁に無造作に刺さっている。

「……これは……?」

 それは、奇妙な剣だった。刃も、柄も。全てが同じ素材で出来ている。恐ろしく反射度が高く、今も士郎の顔を鮮明に映し出している。鏡を剣の形にくり抜いたと言えばぴったり来るだろう。刃渡りは10センチほど。剣と言うよりはナイフに近い。

 一瞬あの女が置いて行ったものかと思案してから──すぐに違う、と気がつく。そうだ、机の上に置いてあって、先ほどのやり取りの最中で思わず投げつけたものだった。そう言えば剣には見覚えがある。いや、見覚えどころの話ではない。この剣は────。

 剣には、血のようなものがこびりついていた。乾ききった、黒ずんだ血──凛の血(・・・)だ。

「……これ、は────」

 ぎり、と士郎は歯を噛みしめた。

「この剣だ……」

 呻く。剣を握る手に力がこもる。

 

ぴ・ちゃんっ……

 

──手に付着していた血液が柄を伝い、刃へと滴り落ちていく。

「この剣の、せいで──」

 そのまま固まったかのように、士郎は剣を握りしめたまま動かない。

 ぎり、と歯を噛みしめようとして──すとん、と膝から崩れ落ちた。

「あ、れ……」

 力が入らない。

 激痛。痛みが今になってひどくなってくる。

 全身を襲う疲労感と痛み。それがじわじわと、体の自由を奪っていく……

「う…………」

 痛みの中で、剣を握りしめている右手に違和感。見ると、転倒した際に切りつけたのか、指から血が滲んでいる。

「………………り、ん…………」

 呟く。

 意識が薄れていく……

 ──落ちていく瞼の隙間から見えたもの。

 ──淡い光を発し始めている、鏡剣──

「なん、だ…………?」

 その呻き声と共に──男は意識を失った。

 ただ、雨だけが静かに降り続けていた。

 




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