11.すぽーん
「…………覚えてなさいよあんた」
ぼそりと呟いた凛の声には気づかない振りをして、アーチャーは朗らかに笑う。
「さて、ではいくとしようか」
言ってアーチャーはしゃがみ、すっと凛の手前に手を差し出した。
「ん」
頷き、用心深く凛はその上に足を乗せ――そしてバランスを失った。体勢を大きく崩し、後頭部から地面に向かって倒れていく――
「あ――――」
呆けたような、凛の声。
それを見たアーチャーの判断は素早かった。咄嗟に手を動かし、凛の足を掴み、一気に引き上げた。
「って、きゃああああっ!?」
絶叫を残して、凛の体が宙に舞う。
「……ふう。危ないところだったな。君はもう少し慎重に、だ、ね……?」
アーチャーの言葉は尻すぼみに消えていった。
ぱさっ。
地面に一枚の布が舞い落ちた。
凛が身に纏っていた布だった。
「へ……?」
間の抜けた声を上げて、ようやく凛が事態を把握する――
……引きずり出された凛は、服を着ていなかった。
アーチャーが彼女を引き上げる際に、結び目が解け、落ちてしまったからだった。
要するに――彼女は一糸纏わぬ姿だった。
全裸だった。
素っ裸だった。
すっぽんぽん、だった。
『……………………………………』
先ほどのものとは比較にならないほどの、重い沈黙が広がった――
12.KILL YOU
静かだった。
アーチャーに両腕を掴まれ、宙ぶらりんの状態でいる凛も。
彼女を持ち上げた姿勢のまま視線すら動かすことなく硬直しているアーチャーも。
二人とも、文字通り微動だにしていなかった。
『………………』
やがて――アーチャーは沈黙したまま、のろのろと身をかがめた。
そして、無表情のままに膝をつき、そっと凛の体をスカートの中に押し込め始めた。
それからアーチャーはやけに不自然な動作で、ごほん、と咳払いをしてあさってのほうを向いた。地下室の入り口を振り向いて、わざとらしく声を張り上げる。
「そ、そうだ。ええと、ああ、そうだ。そうだったな。そう言えば鍋の火がつけっ放しで――」
「……ねえ、アーチャー?」
アーチャーのセリフを遮り――低い声が地下室に響き渡った。
一般人ならその声を聞いただけで失神しかねないほどに――殺意に満ちた声だった。
恐る恐るアーチャーが振り向くと、そこにはスカートの一部を身に纏いながら、ゆらりと立ち上がった凛がいた。
その身に――ドス黒い、圧倒的な殺意を揺らがせて。
それを見てアーチャーは驚愕したように身を硬直させた。
「な、なななな何かなっ?!」
動揺して問い返すアーチャーに、
「――うん、死んで?」
凛はにっこりと笑って、そう告げたのだった。
13.等価交換?
「わ、悪かった凛。反省してる」
地下室の床に土下座して、アーチャーはひたすらに恐縮していた。
その前には、千切った黒い布――凛のスカートの切れ端だ――を身にまとった凛が仁王立ちをしていた。
「……へえ?」
薄笑いを浮かべながら、凛は底冷えする目でアーチャーの頭を見ている。
「態度で示してほしいわね、アーチャー」
「い、いやだからこうして頭を下げているわけで……」
へらっと笑いながら、アーチャーは恐る恐る顔を上げる。
が、凛はジト目のまま、静かに口をゆがめて見せた。
「…………ふうん? わたしの裸ってアーチャーの土下座と同価値なんだ?」
「う……」
顔にびっしりと汗を浮かべ、アーチャーは押し黙る。
凛は半眼のまま、瞬き一つすることなくアーチャーを見下ろしている。
……沈黙。
そしてとうとうアーチャーは耐えられなくなったのか、『がばっ!』と顔を上げた。服に手をかけながら絶叫する。
「で、では私も脱ぐということで――」
「見たくないってのよそんなもん――――!」
その顔面に、凛のぶん投げたブローチがぶち当たった。
14.力押し
「じゃあどうしてほしいのだね、凛!」
エプロンを脱ぎ捨て、右肩をむき出しにした状態のままアーチャーはやけになりながら叫んだ。
「逆ギレ……?」
こっそりと凛は半眼で呻いた。が、まあいいわ、と呟くと、
「んーと、そうね。まあとりあえず――」
凛は口に手を当てて少し考えたあと、
「……とりあえず、これ以外の服出しましょう?」
にっこり笑いながら嘆息するという器用な芸当をしつつ、目の前に置いてあるメイド服を指差した。
が――アーチャーは静かに首を横に振った。
「いや、それは無理だ」
「え?」
凛はきょとんと聞き返した。が、その言葉の意味するところが理解出来たのか――彼女は途端に顔を引きつらせた。言うのをためらうかのように口ごもってから、恐る恐るアーチャーを見上げる。
「これしか、ないの……?」
「いや、そういうわけではないのだが」
「は?」
あっさりと否定するアーチャーに、凛はわけがわからないと言うように顔をしかめた。
「凛」
アーチャーは、開いた間を埋めるかのように、ずいっと顔を近づけた。
「ちょっ……」
慌てて凛が手でけん制しようとする――が、それには構わず彼はそっと凛の髪に指で触れた。囁く。
「私が、君のメイド姿をみたい。それでは駄目かね」
「え、えええ? いや、えっと、ちょっとアーチャー?」
混乱しているのか、顔を真っ赤にして凛はうめく。
「サイズも問題ない。機能性もだ。デザインにも問題はない。そうではないのかね?」
「え、えと、それは――そうかも、しれない、け、ど……」
ぱくぱくと口を動かし、なんとかそう呟く凛。
その言葉に、アーチャーは途端に顔を綻ばせた。
「そうかね。ではこれを。ああ、ヘッドドレスも忘れずにな」
「う、うん」
大人しく凛は服を受け取り――
「……あれ?」
そして、半眼で首をかしげた。
15.マスター命令
「何か……腑に落ちないんだけど……」
ヘッドドレスの位置を指で引っ張って調整しながら、凛は低い声で唸った。
結局。何だかんだ言いながらも、彼女はしっかりメイド服を着ているのだった。
服はおおよそメイド服とはいえないようなものだった――短い黒のフリルスカートに、それよりさらに小さな白のエプロン。上着はノースリーブであり、さらには鎖骨と鎖骨の間には生地自体がなく、紐で結ばれているだけだった。靴は茶色(これもアーチャーが持っていた)であり、素足がむきだしになっている。髪はいつものツインテールではなく、下ろしているが、白いヘッドドレスがアクセントになっている。
うんざりとしたようなしかめっ面の凛に対し、アーチャーはどこまでも朗らかに笑っていた。気のせいか、やけにつやつやとした肌になってもいるようである。
「なに、気のせいだろうさ。――ああ、そうだな。君は疲れているんだろう」
「むー……」
しれっと言うアーチャーの言葉に呻く凛。
「さあ、それではそろそろ行くとしようか」
言ってアーチャーは、一階へと続く扉を指差した。
「あ、待ってアーチャー」
凛は静かに呼び止めた。にやりと、まるで獲物を捕捉する肉食獣のような眼差しで、不敵に続ける。
「まだ――やることが残ってるわ」
「む……? 何かあったかね?」
首をかしげてみせる。
「ええ、とっても大事なこと」
言って凛はくすりと意地悪く笑った。暗く、目を底光らせて。
「アーチャー、あなたさっき私の裸見たの忘れてないわよねえ……?」
「し、しかしあれはその服で帳消しだろう!?」
アーチャーは必死に弁明した。
「あら」
何言ってるの、と凛は肩をすくめてみせてから、服を摘まんでみせた。
「この服は、貴方が『お願い』したから着たのよね?」
『…………』
一瞬、静寂に包まれる――
「ああああっ?! しまったー!?」
「ってわけで、アーチャー」
絶叫するアーチャーを他所に、凛はにっこりと笑って、
「とりあえず――脱いで?」
そう、有無を言わさない口調で告げたのだった。
16.事態悪化
「ま、まちたまえ凛! それは屁理屈だろう?!」
じりじりと後ずさりながらも、アーチャーは必死に叫んだ。
「何でよ」
あっさりと凛が聞き返す。
「な、何でといわれてもだね……」
しどろもどろになりながらもごもごと呻くアーチャーを見て、凛はふうと息を吐いた。粗相をしたペットの不出来さを笑って許すような、そんな表情だった。
「……まあいいわ」
と、どこか寛大な笑みを浮かべつつ、彼女は両手を広げて大げさに聞き返した。
「要するに、アーチャーは裸になるのがいやなのよね?」
「ま、まあそうだな。それはそうだろう?」
こくこくと頷いて、アーチャー。
「じゃあそうね、これだけ残してあげる」
言って凛はとことこと前に進むと、アーチャーの付けていたフリルエプロンを掴んだ。
「…………は?」
思わずアーチャーは聞き返した。
つまりね、と凛はあくまでもにっこり笑ったまま続ける――
「裸エプロンね、ってこと」
「…………………………」
17.なんてこった、アーチャーが
「……」
数十秒ほど沈黙してから――
「……はだか……エプロン?」
アーチャーはようやく、口を開いた。上ずった声で、のろのろと聞き返す。
「ええ、そうよ」
凛は朗らかに邪気を撒き散らしながら、鷹揚に頷いた。
アーチャーは顔面に汗をびっしりと浮かべ――再度尋ね返した。
「……私がかね?」
「勿論」
即座に凛は頷いた。
「君がやるのではないのかね?」
「あんた殺されたいの?」
「あれは、その――女性がやるものだろう?」
それもそれでどうなのよ、と呟きながら、それでも凛は笑って言い返す。
「最近はね、男のひともやるの」
呪いの言葉のようなものを呟きながら、アーチャーはそれでもくじけずに諭すように続けた。
「……………いいかね、凛。あれは可愛い子がやってこそ萌えられるというものだろう。それを私がやったところで」
「萌えとか、燃えとか、そんなのどうでもいいから――」
凛はにっこりと笑いながらアーチャーの言葉を遮った。あくまでも笑顔のままで――ただし信じられないような力でもって――、アーチャーの服を掴み、
「さっさと脱げっつってんのよー!」
容赦なく服を剥ぎ取る!
「な、なにをするんだね凛、いやっ、そこはまずい――」
必死に抵抗するアーチャーに、凛は容赦なく襲い掛かった。小さい体のどこにそんな力があるのか、全力で脱出しようと試みるアーチャーを完全に押さえ込んでいる。
「うるさいわね、ほらほら減るもんじゃないでしょ!」
「へ、減るっ! ひととして大切なものとかそういうのがだねっ、って聞いてるのか君は――」
絶叫するアーチャーに、凛は静かに、そして不敵に笑って答えた。
「安心しなさい、アーチャー」
「は……? あん――しん……?」
呆然としたまま、間の抜けた声で聞き返す。
凛はその隙を着いて、ぎらりと目を光らせると一気に再び襲い掛かる――!
「あんたもう人じゃないんだからそんなもんどうだっていいってこと!」
「ああああああああああっ!? このひとでなしー!」
今にも泣きそうなアーチャーの絶叫が、狭い地下室に響き渡った――
18.凛さん、絶好調
「はあ……はあ……」
荒い吐息が、薄暗い部屋に響いていた。
吐息。
わずかに震えてもいるその息は、アーチャーのものである。
「はぁ――」
「吐息の延長で嘆息をつき、男はわずかに唇をかみ締めるようにして舌を這わせた。筋肉質の浅黒い肌は、普段よりもほんのりと赤く染まっているようである。頬もやはり紅潮している。涙とまではいかないまでも、目が潤んでいるのははっきりと見て取れた。伏せた睫がわずかに濡れていて、妙に色っぽい。情事の後だからか、体にはまだ火照りが残っているようだ。男の燻った悩ましげな瞳には一体何が映って――」
「いや。君は一体何を言っているんだ凛」
と、真っ青な顔になりながらもアーチャーはすんでのところで、至極真面目な顔でマイクを握って解説する凛の口をふさいだ。
むが、とその手を振り払いつつ凛はなおもしぶとく続けた。
「そう言いつつ男の手が自らの下腹部へとー!」
「進んでたまるかっ!?」
べちっ、とようやくマイクを取り上げ、アーチャーはうんざりした視線でマイクに視線を送ってから――もう一度嘆息した。
「…………凛」
呟いた。ひどく疲れた声で。
「これは……どうにか、ならないのか」
「ならない。」
一寸の迷いもなく凛は言い切った。
「…………………………………」
アーチャーはもはや反論する気すら起こらないのか、ただ黙って頭をがっくりと垂れた。ぺちゃりと、床にひざをつく。力なく。
彼はいつのも格好ではなく、ついでに言えば普通の格好でもなかった。もっとはっきり言えば――尋常ならざる出で立ちだった。
まず始めに目に飛び込んでくるのは、白の、やたらレースが付いたエプロンだった。あまつさえ中央部分には赤いハートマークが刺繍されている。言うまでもなく、欠片も似合っていない。次に、赤いパンツ。言うまでもなくビキニパンツである。ぱっつんぱっつんであり、明らかにサイズがあっていない。股間はエプロンで絶妙に隠されているが、めくれたとしたら――恐らく大惨事になることは間違いないだろう。元々トランクスだったものを、凛がわざわざ用意させ、はかせたのだった。
無論、嫌がらせ以外の何物でもない。
そして――それが全てだった。
アーチャーは他のものは身に着けていなかった。
靴下すらもがない。素足である。
つまり――
「どう? アーチャー。裸エプロンやってみた感想は」
――裸エプロン。
それが現在のアーチャーを最も端的に現す言葉であり、
「……………死にたい。」
どす黒い顔でうな垂れたアーチャーの瞳には、生気はもはや感じられなかった。
19.駄目押し
ぎりぎりだった。
確かに色々な意味でぎりぎりだった。
「……うわ」
凛はアーチャーのその様子を見上げて、口に手を当てて呻く。
ぴくり、とアーチャーの体が揺れた。
構わず凛は口を開く――
「ねえ、アーチャー」
「な……何かな?」
ぎりぎり笑顔に見えなくもない表情で、アーチャーはぎこちなく聞き返した。
凛は半笑いになりながら、口元に手を当てて、
「貴方、恥ずかしくないの?」
「君がやれと言ったんだろうっ!?」
『ばんっ!』と床を叩きながらアーチャーは抗議した。
「えー。だって本当にやるなんて思わないじゃない?」
あっさりと言う凛。
「なんなんだねそれはー!?」
思わず絶叫するアーチャー。苦々しい表情を浮かべながら、ぼそりと呻く。
「くっ……しかし裸になるよりもはずかしいぞ、これは……」
「うん、じゃあアーチャー」
凛はにっこりと笑って、
「貴方、今日一日その格好ね?」
「うあああああああああああああああああっ!?」
とうとうアーチャーは、頭を抱えて絶叫した――
20.ごめんなさい
「はあ……はあ……」
叫びつかれたのか、アーチャーは肩で息をしていた。
「ええと……」
卒倒寸前でぎりぎり踏みとどまり、なんとか声を絞り出すアーチャー。
「……凛? 少しいいかね」
「なに?」
「じ……冗談、だろう?」
「本気よ?」
寸断挟まず、きっぱりと言ってくる。
「…………」
ふらり、とアーチャーの頭が揺れる――
が、それに構わず彼女は続けた。
「あ、それとも――」
いかにもいいことを思いついたと言うように、ぴっと指を一本立てて、
「令呪でやったほうがいい?」
「私が……私が悪かった……!」
とうとう土下座をしながら、アーチャーは涙ながらに謝った。