121.夕暮れ
「はあ」
口から吐息が零れ落ちる。
凛は遠くを見据えながら、ぽつりと呟いた。
「まあ、あれよね。ずっとうじうじしてたってしょうがないし。元に戻れないわけじゃないし。考えるだけ損するだけよね、うん」
自分に言い聞かせるように続ける凛を眩しそうに眺めながら、士郎は破顔した。
「─―よかった。いつもの遠坂だ」
「な、なによそれ」
身を引き、途惑ったように口ごもる。頬が赤いのは光のせいか、それとも──。
「あーいや、なんでもないって」
ぱたぱたと手を振る士郎を苦笑混じりに凛は眺めていたが、やがて大きく伸びをすると、
「よし、じゃあもどりますかっ」
そう言って、勢いよく立ち上がった。
「そうだな」
頷いて、士郎もまた腰を持ち上げる。
二つの影が立ち上げリ、ゆっくりと動き出す──
日が傾き、空は夕暮れへと変化していた。
122.ふっかつ
居間へと戻り、凛ははきはきと告げた。
「お待たせ。そっちのほうは―─って、うわ」
言葉が途切れる。
視線の先には、ずたぼろになったアーチャーの姿があった。
「ああ、シロウ。それにリンも。戻りましたか」
「え、あ。うん……。」
やや体を引き君にしながら、こそこそと凛は傍にいた桜に尋ねた。
「で。こいつ、なんでこんなことになってるの?」
「いえ、どうしても自分で行くと言ってきかないものですから、セイバーさんがおしおきを」
「ふ……っふふ……」
と。ぼろぼろになりつつもなんとか身を起こし、アーチャーはのろのろと手を凛へと伸ばした。その手の中には──、さきほどのスクール水着。
「………り……凛。これ、を――」
「死・ね?」
123.ふろ
「…………あああ、あ………」
ぱらぱらと。
灰と化し、風に舞って消えていく元スクール水着を眺めながらアーチャーは呆然と呻いていた。
「ふうっ」
勢いよく息を吐く凛の表情は、どこかさっぱりとしたものだった。
「――ふむ。その様子だと、大丈夫なようですね」
ほっと表情を緩め、セイバー。
「まあ、開き直ったとも言うんだろうけどね」
苦笑してから、凛はくるりと背後の士郎へと振り返ると、
「さあ、ってわけで士郎御飯! 早くしてよね」
「ああ、はいはい。今作るからな」
現金だよなー、と呟きながらキッチンへ向かう士郎の後に、桜が続く。
「先輩、わたしも手伝いますっ」
「うん、頼む桜」
士郎と凛を眺めながら、凛はこきこきと肩を鳴らすと、
「さて、と。じゃあわたしはお風呂でも入ってくるかなあ……」
「そうですね。それがいい。今日は色々とあって大変だったでしょう。早めに疲れを洗い流すべきだ」
「ん、そうね」
せんべいをかじりながら提言してくるセイバーに頷き、凛は大きく腕を伸ばした。
「じゃあ先に入ってくるわねー」
「ええ」
風呂場へと向かう凛。それを見送るセイバー。
そして。
「………………風呂、場──だと……?」
そう呻き──ぼろぼろになっていたはずのアーチャーの目が『きゅぴーん』と妖しく輝いた。
124. のぞき
「ふうっ」
ちゃぷっ──
洗面器で作った即席の湯船につかり、凛は静かに目を閉じ息を吐いた。
「あー、ようやくのんびりできるわ」
ぱしゃぱしゃと足で水をかきまぜながら、一人笑う。
「まあでも、こんな入り方になるなんて思ってもなかったけど──そりゃそうよねえ……」
ぐるりと風呂場を見渡す。一般の家庭に比べると恐ろしいほどの容器がずらりと並んでいるのだが、これは女性陣が各自で持ち込んだものだった。最も今の凛では両手でとびつかないと中身を出すことはできないわけだが──。
「しかしまあ、こんな体験もめったに出来ないものだし? 楽しめば案外そんなに悪いものじゃないのか──」
言葉は、途中で途切れた。
凛は何かの気配を感じたのか、ジト目で風呂場の窓を凝視している。が、やがて静かに指をつきつけると、
「えいっ」
斜めに打ち上げるようにしてガンドを発射する。それはやがて弧を描いて地面へと向かい──
「………っ!?」
……壁の向こうで、何かの気配が蠢いた。
凛は半眼のまま、やや口調を張り上げて、
「さーて。そろそろ出ようかなー。」
言って、そのまま湯船に身を沈めて待つ。
やがて──窓の下からそろそろと、頬かむりをしたアーチァーの顔がせりあがってきて──
「さて、アーチャー」
その様子を眺めながら、凛はあくまでも静かな口調で。
「何、しようとしてたのかしら?」
その両手に特大のガンドを湛えたまま──尋ねた。
125.吸
「ええと、その」
頬かむりをしたまま、アーチャーは顔面にびっしりと汗をかきながら言い訳をした。
「そう、たまたま散歩で通りかかってだね」
「ふうん?」
「そ、それからその――」
わたわたと両手を動かして説明しようとするアーチャー。その手に何か棒状のものが握られている。
「で」
震える声を押し殺し、凛は尋ねた。
「その、ストローは何……………!?」
「いやっ、これは――」
ぎょっとしてアーチャーがさらに何かを言いかけるよりも早く──
「死んで、しまええええええええええええええっ!」
特大の閃光が風呂場で瞬いた──
126.食材
「はあっ──、はあっ──」
肩で息をする凛。薄いタオル一枚を体に巻きつけ──最もそれでも丈があまるため、ずるずるとひきずることになっているのだが──、彼女は据わった眼差しを浮かべる。
アーチャーは今の攻撃で吹き飛び、庭の木に引っかかっていた。ぐたりとしていてぴくりとも動こうとしないのだが。
「リン、どうしましたか!?」
慌てて風呂場にかけこんできたのはセイバーだった。続いて士郎、桜がやってくる。そして。
『うわあ。』
皆が一斉に呻いた。
凛はあくまでもにこりと笑ったまま、びっと親指で木にぶらさがったアーチャーを指すと、
「あれ、今日のご飯の材料にしちゃいましょう?」
「あああああああああああああっ!?」
127.ダウン
「で、これで全部なの?」
パジャマに着替え、腕を組む凛の前には様々な道具が並んでいた。カメラ。ストロー。タッパー。ピンセット。ハンディカム。ボイスレコーダー。紙とペン……
「よくもまあ、ここまで……あー頭いた」
頭を振りながら凛は嘆息する。
嘆息──するしかない。
「……はあ」
「………くっ」
ぼろぼろになりつつも正座して、アーチャーはうな垂れる。それを睨みつけ、セイバーは静かな怒りをたたえたまま口を開いた。
「全く。何をしているのです」
「ぐ……」
口ごもるアーチャー。と。
「あ、あれっ……」
──声の主はアーチャーではなく、士郎の横に立っている凛だった。見ると、蒼白な顔つきになっている。
「……リン? 大丈夫ですか? 顔色が悪いようですが……」
心配そうな表情でセイバーが尋ねると、彼女は手をぱたぱたと振ってみせながら、
「う、うん平気平気。ちょっとのぼせただけだと、思う……」
言いつつ、ふらりと体が揺れる。
士郎が慌てて身をかがめて凛の体を抱きとめる──よりも早く。
「…………っ」
声にならない声を最後に──凛は意識を失い、床に倒れ伏した。
128.笑顔の結論
「桜」
ノックと共に寝室の扉の隙間から顔を出したのは士郎だった。その下からは、イリヤの顔がのぞいている。
彼は心配そうに顔を曇らせながら、部屋の中を覗き込んだ。
「遠坂の具合は?」
ガーゼに水を染み込ませたものをそっと凛の額に置き、桜は振り返った。
「えっーと、あ、大丈夫です。ただのぼせただけみたいですし。何だかんだ言って疲れていたんじゃないでしょうか」
「……アイツ顔真っ青だったぞ。のぼせたなら赤くならないか?」
「いえ、そうとも限りませんから」
あっさりと言い切り、桜はにこりと笑う。
「……そうか。まあ大丈夫ならいいんだけどな」
言って、士郎はふうと息を吐いた。
「で、アイツはどうしようかな」
居間の方を見やる。そこには現在アーチャーがふんじばられているわけだが──
「そうですね……」
桜はしばらく考えた後、
「ミンチでどうでしょうか?」
129.きっとつかの間の平穏
居間──
「そ、それで」
そろそろと口を開いたのは、捕縛されているアーチャーだった。
「そろそろ開放してほしいのだがな」
「というかアンタはもうずっとそこだ」
「くっ……、凛はともかく貴様にどうこういわれる筋合いはないぞ!」
「ええと、アーチャーさん」
静かに口を挟む桜。
「むう、なんだね」
「いいから黙ってそこにいてくださいね?」
「はい」
大人しく頷くアーチャー。
その様子を眺めながら士郎はやれやれと肩を竦めた。
「……それじゃあ遠坂もおちついたみたいだし、こっちもなんとか収まった──ってことでいいんだよな? それならそろそろ夕飯の準備に取り掛かろうと思うんだけど、大丈夫か?」
「そうですね。しばらくはこれで大丈夫かと思います」
頷くセイバーに、士郎はそうか、と笑った。
「それなら早速取り掛かろう。桜、手伝ってくれ」
「はいっ」
キッチンへ向かう士郎と桜──それを見送ってから、ふいにイリヤが立ち上がった。
「? どうしたのです、イリヤスフィール」
「トイレ」
あっさりと言って。居間を抜け出し廊下へと出る。
襖を閉めてから彼女は凛のいる部屋へと向かった。
そっと襖を開け、中へと入り、座り込んで凛の様子を観察する──
「…………。」
眠ったままの凛をひとしきり見てから──
「………全く、なにやってるんだか」
言って、イリヤはふうと嘆息した。
130.現在の状況
「……まいったわね、これは……」
うんざりとイリヤは顔をしかめた。
「…………いり、や……?」
声が聞こえて、イリヤははっとした。
見ると、凛が薄く目を開いてぼんやりとイリヤを眺めていた。
「リン、起きたの?」
わずかに体をずらし、髪をおさえながら──、静かに尋ねる。
「……ええ。あれ、でもわたしなんで──」
むくりと体を起こしつつ、凛はいぶかしげに眉を潜めている。彼女は顔を手で覆い、なにやら考えているようだったが──ようやく記憶が繋がったのか、ああもう、と唸った。
「……そうだ。あのバカが覗いてたんだっけ」
何やってんだか、と嘆息する。
イリヤは静かに頷きつつ、口を開いた。
「そうね。まあそれはいいんだけど──」
「よくないって。」
半眼で呻く凛の言葉を目だけで押さえ、イリヤは冷静に尋ねた。
「──それより、体の調子はどうなの?」
凛は少しばかり考え込んでから、
「え? うん、そうね。まだちょっとだるいけど、でもこのくらいならもう起きれるでしょ」
言って、ぐっと拳を握ってみせる。
嘆息。イリヤはひどく冷めた表情で告げる。
「そう。でもあんまり無茶はしないほうがいいわよ」
「わかってるわよ」
笑いつつ、凛は布団を跳ね除け立ち上がる。と。
「遠坂はいるぞー……って、あれ、イリヤ」
襖が開き、士郎が部屋に入ってきた。
「お兄ちゃん?」
士郎は軽く右手を挙げると、イリヤの隣にしゃがみこんだ。
「起きたのか、遠坂」
「ええ、おかげさまでね。──ああもう、のぼせて倒れるなんてなあ」
「まあ、大事にならなくてよかったよ」
笑いながら言って、士郎がそうだと声をあげる。
「遠坂ご飯食べれるのかどうか聞きに来たんだ。食べれそうか?」
「全然問題ないわよ。……ちなみにメニューは?」
苦笑しながら士郎は両手をあげて、
「手っ取り早くうどんにしようと思うんだけど」
「いいんじゃない?」
「無理だと思うわよ」
──さらりと告げたのはイリヤだった。
「……なんでさ」
きょとんとして尋ねる士郎に。
「なんでだと思う?」
イリヤはそう尋ね返しつつ、凛の体を掴み上げた。
「え、ちょっとなにす──」
そこまで呟き、言葉がふいに途切れる。かくんと凛の首が傾き、体から力が抜けた。だらりと垂れ下がった手が、ぷらぷらと揺れている。
「……え?」
事態についていけないのか、士郎はうめき声をあげている。
イリヤは軽く肩を竦めると、何てことないと言うようにさらりと告げた。
「……眠らせたわ。逆に言うと、今の状態のリンはこの程度の魔術にもろくに抵抗できないってこと」
が、士郎は状況が飲み込めていないようだった。
「……悪いイリヤ。状況がいまいちわからないんだが」
「つまり、聖杯戦争の時のセイバーと同じってこと。まあ、ご飯は食べさせたほうがよかったかもしれないけど、でも無駄な活動はしないに限るのよ」
さらりと言って、イリヤは立ち上がった。
「ちょうどいいわ。シロウはリンをそのまま居間に運んで」
言い捨て、少女は廊下へと歩き出した。
「……今の状況を、説明するわ」