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18.

 

 

 

かち、かち、かち、かち……

 無機質な音が、静まり返った部屋に響いていた。

「…………イリヤのやつ、遅いな」

 そう呟いてちらりと時計を見るが、二人が出て行ってからまだ五分と経ってはいない。

「桜、なんだったんだろうなあ」

 誰に聞くとでもなく呟いて、士郎は緑茶の入った湯のみを口にした。

「ふう」

 かたんッ――

湯のみを机に置く音が、やけに大きく響く。

 そっと窓の外を見ると、雪はまだ降り続けているようだった。

「……やっぱり遅いよな」

 自分に言い聞かせるようにして、呟く。

 もう一度湯のみを傾け――そして、中身が空だと気づき、しかめっ面で机に置きなおす。顎に手をかけ、擦り始めた。とん、とんと机をもう片方の指で小突いている。視線が落ち着きなくあちこちを彷徨い始めた。何かを言おうとして口を開き――そして息を飲み込んで、言葉を止める。そうしてから、士郎はがっくりとうなだれた。

「……はぁ」

 ち、かち、かち、かち……

 ぼんやりと、時計を見上げる。

「……………………………………」

 そして。

 唐突に、電話が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

19.

 

 

 

 ざっ、ざ、ざっ、ざ……

 規則正しく不規則に、足音が夜道を進んでいく。

屋敷から出てから二人は一言も発することなく、ただ黙々と足を進めていた。

(催眠……じゃない、洗脳? よりによって厄介な……)

 強制的に解くことは出来る。だが、母体である桜自身に全く後遺症を残さず──と言うのは、正直今の体調では難しいだろう。

「やるしか、ないか……」

 呟く。

 公園には、案外すぐについていた。

「……ふう」

 入り口でイリヤはぴたりと足を止めた。しかしそれも一瞬。少女は迷う様子も見せず、敷地内へと一歩、足を踏み入れた。刹那――

「……ふむ」

 ――声が、響いた。

 重くのしかかる様な……それでいて、全く感情の存在しないような、空虚な響き。

 声は……広場から聞こえてきていた。

 夜の黒と。

 光の白と。

 雪の、しろ。

 降り続ける雪に光が反射し、光のシャワーと化していた。

 夜の闇の中にあってなお、それは幻想的な光景だった――

 そして、その光が届かない……広場の端。

 そこに――声の主はいた。

黒く塗りつぶされた闇の中にぽつんと、一人の老人が佇んでいた。小柄な老人だった。雪の中だと言うのに傘もささずに、広場にずっと立っている。彼の見据える先には公園の入り口――そして、二人の少女。

「…………来たか」

 老人は眉ひとつ動かすことなく、ただ呟く。

 ――影が揺れる。光を侵していく黒。闇が、揺らぐ。

「……ふうん?」

 少女は髪をかきあげ、嘲るように挑戦的に笑う。

 ――光が瞬く。髪に付着していた雪が白い光となり、夜空に散った。

深夜、加えて雪が降っているために、視界は悪い。しかし、その中でなお、銀の少女(イリヤスフィール)黒の老人(ゾウゲン)は黙したまま見詰め合っている――。

頃合と見たのか、ふいに臓硯がゆっくりと口を開く――

「ふむ。こうしてきちんと向かい合うのは初めてじゃったな。アインツベルンの娘」

 老人は声を闇の向こうへ投げかける。

「そうね。出来たらもう二度と会いたくもなかったのだけれど」

 少女は面倒くさそうに目を閉じ、息を吐く。

「……つれないことを言う」

 かつッ――

杖を付き、間桐臓硯が笑う。

「…………あれ……?」

 ぼんやりとした声が聞こえて振り返ると、そこには辺りをきょろきょろと見渡している桜の姿があった。

 間桐臓硯が術を解いたらしい。これから行われる事に、余分な力は割いていられないと言うことなのだろうが──

「……あら、随分余裕がないのね?」

 ばっ――

髪をかきあげ、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは口を歪める。

「それはそちらも同じことじゃろうて……」

(見抜かれてる……)

 舌打ちは隠さなかった。

 雪が降る。

 ――公園に、白い雪が舞い散っていく。

「ふむ。まあ、老い先短い年寄りの我が侭の一つ聞いてくれたところで、ばちは当たるまいて」

「生憎年寄りの戯言に付き合ってあげるほど暇じゃないの」

「かかかっ――結構結構。元気があってよいよい」

 イリヤは会話それ自体が不愉快だというようにさっと手を振ると、顔をしかめて続けた。

「――それから。人間でもないものに気遣うほど優しくはないのだけれど?」

 それで終いだと言わんばかりに――イリヤはぴしゃりと言い切る、

「……ふむ……」

 声のトーンを落とし、臓硯は呟く。どこか値踏みするように――慎重に。

「……あの小僧も連れてくるものだと思っていたが。お主ひとりのようじゃな」

 ――唐突に老人は話題を変えてきた。

「……そうね」

 少女は動じることなくあっさりと頷く。眼を閉じ、流れるように続ける。自らに言い含めるように。

「シロウは……来ないわ」

「それは、つまり」

 からかうような――声。

「ワシのものになると言うことかの?」

「……まさか」

 イリヤはそれをぴしゃりと否定した。きっと目の前の闇を見据え、自分の胸に手を当て、誇らしげに続ける。

「わたしは負けない。もし貴方が私やシロウに害を成すというのなら、全力をもって潰してあげる」

 一拍。イリヤスフィールは、尚の事鋭さを増していく。

「――アインツベルンの名にかけて、ね」

 ふむ、と闇が嘲笑(わら)う。

 少女は不敵な眼差しでもって、黒い影と相対する――

「しかし解せんな。それではお主があの小僧に助けを求めん理由がわからん」

「……下らないことにこだわるのね、貴方」

 呆れた、と言うように肩を落とし、少女は呻いた。臓硯は動じることなく、あくまでもゆっくりとした口調で質問した。

「そうじゃな。もしよかったら、この爺に教えてくれんかね?」

「……貴方には関係のないことよ」

 イリヤは静かに言葉を紡ぐ。真っ直ぐな眼差しに、僅かな自嘲を含ませて。

 ふうっ……

 大きく息を吐き、白い少女(イリヤ)は背後に立ち尽くしていた桜へと振り返った。瞳を翳らせ、頬を緩め、ただ純粋に笑う。

「――貴女に頼むなんて、どうかしていると思うけど。でも、後はお願いね、さくら」

「イリヤちゃん……」

 桜は胸の前で両手を握り締め、それだけを呟いた。

 暫くの沈黙。雪が舞い散る。桜はそれきり何も言うことが出来ずに、ただ俯いていたが――やがて噛み締めていた唇を開くと、意を決して闇へと向き合う。

「おじいさま――」

「――情にでもほだされたか、桜」

 その声は、どこまでも冷徹で、突き放したものだった。一切の発言を認めない響きに、桜はびくりと身を震わせ、顔をこわばらせる。

「下がっておれ。お前の出る幕ではないぞ」

「……………は、はい、おじいさま」

 桜はそれきり何も言おうとせず、俯いて押し黙り、そのままとぼとぼと公園の出口へと向かい始めた。

 完全に公園の外へ出たのを横目で確認しながら、こっそりとイリヤは嘆息した。

 ――夜の公園は、二人だけ。

 ――雪の降り続ける中、イリヤと臓硯は無言で対峙している。

 ――白い少女と、

 ――黒い老人と。

 ぶわぁっ……

 ――風が大きく揺らぎ、二人の間を駆け抜けた。

 ――白い光が、ゆっくりと舞い上がる…… 

「……最後に聞くが。その身体、ワシのために譲る気はないかの」

 老人の言葉は飄々と。

「そうね――」

 少女は笑う。挑戦的に。そして自嘲するように。

「代わりでも用意してくれるのなら、いくらでも?」

「ふむ。それはちと難しい注文じゃな」

 影は苦笑し、そして空を見上げた。黒く染まった空。月など出ているはずもない。

「今すぐに、というわけにはいくまいて」

「そう。残念ね」

 目を伏せる。

 ──風が流れる。

 ――ゆるゆると光が舞い上がり、そして落ちていく。

 ――揺れていた少女の髪が額に落ち、そして付着していた雪の幾つかが剥がれて消えた。

「……雪が強まってきたのう」

 ざむっ……

 間を埋めるような呟きと共に――影が闇から、ゆっくりと姿を現した。

 現れたのは、一人の老人。

 小さな身体に、底知れぬ闇を抱いた独りの老人だった。

「そうね」

 少女は頷き、前に進む。臆した様子もなく、静かに足を進める。

「年寄りにはこの寒さは堪える……」

 杖をつきながら、臓硯は苦笑した。

「そう。それこそ笑い話にもならないわね」

 嘆息。銀髪の少女はにこりともせずに目を細める。瞳から、じわりと殺気が零れていく……

 そして。

「さあ、マキリゾウゲン――」

 じゃりっ……

 壮絶な笑みを浮かべ、イリヤはさらに一歩踏み出した。

「――行くわよ」

 吐き捨てるように宣言し、少女は瞳を細め、雪の降り積もった地面を蹴り飛ばす――

 ――雪が舞い散る中。

 戦いは、始まった――

 

 

 

 

 

 

20.

 

 

 

「あー、くそ!」

 がらっ――!

 破れかぶれのような叫び声と共に玄関が勢いよく開くと同時、士郎が焦ったような表情で靴を突っかけながら飛び出してきた。

門の外まで走ってから、靴を履きなおし、とんとんと地面に打ち付けてから、周囲をきょろきょろと見渡す。

 が──二人の姿はどこにもない。

「……くそ」

 焦燥。士郎は歯噛みしながら、それでも諦めきれずに辺りを見渡す。

「あ、これって」

 士郎が身をかがめ、地面に向かって目を凝らす。

そこには――二人分の足跡が雪道の中、点々と続いていた。

 

 

 

 

 

 

21.

 

 

 

 闇の黒が舞い上がり、白い雪を飲み込んで。

 一つの雪が震え、刹那砕け散り――その背後から漆黒の光がイリヤ目掛けて突き進む!

「……ふん」

 鼻息を一つ。白の少女はつまらなそうな表情のまま、首だけを動かしてその攻撃を避ける。

 みぎぃっ――!

 軋むような破壊音。光は少女の背後にあった木に突き刺さり、幹にぽっかりと大きな穴を開けた。

――これだけの破壊力があれば、人間の体などひとたまりもなく穴が開くだろう。

「まあ、当たらなければいいだけよね」

 冷静に呟く少女。そこに、闇の向こうからさらに追撃が迫る――。

 光は三つ。頭、胴、足。とてもではないが目で追いきれる速度ではないが、それでもイリヤはいともたやすく攻撃を最小限の動作で回避していく。流れるような体捌き。体を横に向けると同時、右足を浮かす。最後に首を軽く傾け、全ての攻撃を避けきると同時、

「く――!?」

 唐突に顔を引きつらせた。

 闇の中、タイミングをずらしてさらに一条、黒い光が迫ってきている――!

「この……っ!」

 舌打ち。同時、イリヤは素早く右手を繰り出し、

 ぎぃんっ――!

一閃。

少女の放った裏拳は、光を叩き落していた(・・・・・・・)

「なるほどね……」

 油断なく周囲に気を配りながら、少女は一人ごちる。――その身に、淡い光を纏わせて。

 純白の光を放つ、銀の少女――

 夜の闇の中にあって、その姿は神々しくすらあった。

「こういうこと……」

 地面を見下ろし、呟いた。

 ……白い雪の上には、黒い醜悪な形をした虫が一匹転がっていた。

 ぴくりと眉を跳ね上げ、少女が呟く。

「お世辞にも、いい趣味とは言えないみたいだけど?」

「それはこっちの台詞じゃな。まさか真正面から迎撃されるとは思うてなんだ」

 闇の奥から、深い声が響く。

 イリヤは構わず地面に転がったままの虫を踏み潰すと、平然と続けた。

「まさか、これでもう品切れなのかしら?」

「それこそ、まさかじゃな。お主相手にそんな愚かなことはせんよ」

 ……にたり

 深くはりつくように、臓硯が笑みを浮かべる。闇に隠れて見えないはずのその顔が、はっきりと見て取れる。

 イリヤは口の中で小さく呪文を唱えながら、周囲に視線を送った。広場は大体10メートル四方。奥には遊具もあるが、この際それは関係ないだろう。雪のせいで足場は悪いが、このくらいの積雪ならば大したことはない――

「……次は当然、こっちの番よね?」

 冷たい笑みを浮かべ、少女は告げる。

「いやいや。もう少し寂しい老人の遊びに付き合ってくれてもいいだろうて」

 軽い口調とは裏腹に、暗闇の中から雪を砕き。

 ぶんっ……!

一匹の蟲がイリヤへと飛び掛る――!

 全長30センチ程もあるその蟲は、一直線に銀髪の少女の頭蓋へと狙いを定めて飛び掛り――

「ふっ――」

 ――銀髪が舞い乱れる。イリヤは瞬時に身をかがめると同時、迷わず掌底を虫めがけて繰り出した。刹那、頑強そうに黒光りする甲羅が砕け散り、中身を地面にぶちまける。ゲル状の液体が腕――正確には、腕に纏わりついている光――に張り付くが、ぱっと一振りするとそれもすぐに地面に落ち、雪を溶かして消滅した。

「ならば――」

 静かなる殺意。休ませる暇を与えずに臓硯は虫を三匹飛ばした。先ほどのものと同じ種類の虫が二体、宙から――そして後一匹は地面を這い、巨大な(あぎと)を開き、イリヤを噛み砕かんと突き進む!

 しかし少女は慌てることなく、冷静に。そして舞うように体を翻らせる。地面を這う虫をその視線で固め、すかさず踏み潰す――同時に拳撃を二発放ち、宙の二匹を塵へと還す──!

「その程度の攻撃。わたしに効くとでも思っているのかしら」

 ざっ――

 一歩前へと踏み出しながら、少女は銀の髪をなびかせ――嘲る。

 ──ちらちらと。雪が二人の上から降り注いでいる──

「いやいや。なかなかやりおる。何、今のはほんの小手調べ。これからじゃよ――」

 老人の形をしたソレは卑しく口を歪めると、地面にとん、と杖を突いた。そして。

 ……ずっ、

 辺りに、何かがずれるような奇妙な音が響いた。

「……?」

 イリヤは構えを解かないまま、眉を潜めた。刹那、

ざあああああぁっ――!

 ――辺りの木と言う木から、闇が膨れ上がった。否、それは闇ではなく、膨大な数の虫だった。小さいものは数センチ、大きいものは1メートル近くまでが在る。一体何匹いるのか見当もつかないその群れが、一斉にイリヤへと襲い掛かる――!

「このっ――!」

 叫ぶと同時、イリヤは咄嗟に右方向に向かって魔力弾を打ち出す!

 じゅばあッ!

 1メートルほどもある巨大な光の玉が、虫の一部を蒸発させた。刹那、イリヤは隙間が出来たその方向へと駆け出した。

「多ければいいってもんでも、」

 ――公園を駆け抜けながら、魔力弾を放つ。一発、二発、三発。そのたびに虫が飲み込まれ、数を着実に減らしていくが、如何せん絶対量が多すぎてどこまで効果があるのかもわからない。

「ないでしょうにッ!」

 ずだんっ――!

 足を踏みしめ、呼吸を一つ。次の瞬間――少女の全身から、眩い光が放たれる!

 ―――――っ!

 音にならない音が、公園を包み込んだ。自身を中心に全方位に放たれたその攻撃は、光の柱と化してかなりの量の虫を飲み込んでいた。が――それでもまだ無尽蔵に虫は湧き出て、少女へと飛び掛る。光が消えると同時、カブトムシとトンボを足して2で割ったような虫の群れが一斉にイリヤへと飛び掛る!

「――Schlag!」

 かっ――!

 一閃。腕を振るうと同時に放たれた光は刃と化し、虫を悉く飲み込み、消し去り――、その背後にあった木々をも切り倒す!

 同時──

 ぎゅるっ!

 イリヤの背後から伸びた黒い触手が、右腕に絡みつく!

「なっ──」

 眼を見開き、愕然としながら後ろを振り返るイリヤを他所に、触手は次々に伸び、絡まり――

「くっ……!」

イリヤの行動を、完膚なきまでに封じ込めた――

 

 

 

 

 

22.

 

 

 

ざんっ──

 雪が踏み固められ、そして跳ねる。

(まず)い……拙い……!」

 額に汗を浮かべながら、士郎は走っていた。

 ――雪はその強さをますます増していた。

 ――吹き荒れるその中を走るために、体力の消耗は激しい。

 ――が、それよりも更に深刻なのが、降りしきる雪のせいで二人の足跡が見え辛くなってきていることだった。唯一の手がかりであるそれが消えれば、洒落にならないのだから。

「何にもないでいてくれよ……!」

すがるように呟きながら、士郎は夜の道を走り続ける。

 

 

 

 

 

 

23.

 

 

 

「くっ……!」

イリヤの悲鳴を他所に、ゆっくりと。

少女の影の中から、ソレは地面から出現する──

 体長は2メートルほど。そのありえないほどの大きさを覗けば、ぱっと見る限りではクワガタのような形状をした生物だった。ただし、脚のある場所から伸びているのは、てらてらと光る無数の触手である。直径10センチほどの触手は全部で17本。その全てがイリヤの体にまとわり付き、締め上げ、動きを封じ込めている――!

「何事もな、あらかじめ用意するのが肝心というわけじゃ」

 あざけるように笑う老人に、イリヤは歯噛みする。

「くっ……げほっ……」

 首も絞められているために、思ったように声が出せないのか、イリヤは苦しそうに顔を歪めている。さすがに首の骨をそのままへし折るほどの力はないようだが、抜け出せるほどにやわでもない。何より不安なのが──

(なんで左腕、痛くないんだか(・・・・・・・)──!)

 青くなるまで締め付けられているはずの、左腕。口の中で舌打ちをして、イリヤは魔力回路を開いていく。言葉(呪文)を――紡いでいく。

 ……ぶち、り

「この、程度で……」

 ぶちっ、ぶちちっ――

 千切れていく。

 少女の細い腕が動くたびに、醜悪な触手がはじけ飛び、勢いよく体液を撒き散らしながらだらりと力を失っていく。肉片が地面に落下し、雪を溶かしながら自身もまたどろりと融けて消えていく……

「止まってなんか――、いられないのよ……っ!」

 叫ぶと同時、

 ぶちぶちぶちぶちちっ!

 全ての触手が力任せに引きちぎられ――、

 ギォォォォォォォォォォォっ!?

同時に蟲が耳障りな絶叫をたてて、のた打ち回った。中途半端に千切れた触手が行き場を求めるように宙を舞う。その度に体液が周囲に降り注ぎ、雪を侵食していく。

 白の少女は軽やかに地面に降り立つと、ばっと髪を翻し、頬についた体液を拭おうともせずに虫に向かって歩み寄る。

 ――そこにいるのは、光のような髪を湛えた少女ではなく。

 ――狂戦士(バーサーカー)をも難なく操る、最強のマスター。

 ――口元に浮かぶは、冷たい微笑み。

「……子供騙しもいいところね」

 ――哂う。

 そして同時、少女の右手がこれ以上なく輝いていく……

白の少女(イリヤスフィール)にたり(・・・)と笑い、なんとか立ち上がろうとしている蟲の腹に軽く手を触れた。そして。

「消えなさい」

 冷徹なる宣告と共に、光が膨れ上がり――、

 ――――――――――――っ!

 その圧倒的な力を以って、悲鳴もろとも蟲を飲み込んだ――

 

 

 

 

 

 

24.

 

 

 

「はあ――っ、はぁ――」

 荒い息が口から漏れる。

 衛宮士郎は、路上に付いた足跡を頼りに夜の道を走っていた。

 火照る体に、雪が舞い散る。

「……はあ」

 一際大きな息と共に、足を止める。

「くそ、雪が……」

 士郎は歯噛みするように唸った。

 ――地面に付いた二人分の足跡は、降り積もる雪のせいで、大分見えづらくなってきている。

「まずいな、このままじゃ……」

 刹那。白い光が、少し離れた場所から膨れ上がった。夜の闇を白い閃光が一瞬切り裂く。それはほんの数秒にも満たない時間だったが――

「あっちか……!」

 吐き捨てるように叫ぶと、士郎が大地を蹴り上げる。

 ――雪はなお一層、強く降りつつあった。

 

 

 

 

 

 

25.

 

 

 

 ギ……ギィ……

 弱々しい虚ろな声が、夜の公園に響いていた。

 声の主である蟲は、地面に中身を撒き散らし、倒れている。

 それを、ひとりの少女が無言のまま見下ろしていた。大した感慨もなく、文字通り虫ケラを見るような目つきで。

――イリヤの放った光は、蟲の巨大な体躯の中心をほとんど抉り取っていた。ぼたりぼたりと千切れた内臓と体液が地面を蹂躙していく。再生能力でもあるのか、残った肉体が盛り上がり、なんとか傷をふさごうとしているようだった。が……それですら追いつかないのか、それとも再生するだけの体力も残っていないのか――地面の上でびくびくと蠢いていた蟲は、数秒もすると完全に動かなくなり、そしてどろどろと輪郭が崩れて消えていく……

「……さあ」

 ――雪の舞う中。白い少女はふてぶてしく笑いながら、髪をかきあげ、振り返る――

「そろそろ、打ち止めかしら……?」

 壮絶な笑みを浮かべ、雪の中少女は臓硯を睨みつける。

「いやいや」

 闇の奥から声。心底楽しそうに笑う。

「まだ……とっておきが、残っておるわい」

 その口元には冷笑。口の片方だけが吊りあがった、歪な笑み。

 刹那。

 ひゅんっ――

 一陣の風が、イリヤのすぐ傍を駆け抜けた。

 「……?」

 風圧で髪が舞い上がる中、イリヤはきょとんとしている。そして。

 ―――――――――ドサッ。

 一気に臓硯に詰め寄ろうとした、その寸前。

「──え……」

 呟きがひとつ、こぼれ出た。

 ──思考が一瞬停止する。

 音は、重たいものだった。何かが雪の上に落ちた。何か。見覚えのあるものだった。よく知っている。そうだ、知っている。だって、そんなの当たり前。毎日見ていたものなのだから。混乱。おかしい。ありえない。ソレは、そこではなくて。わたしの、ここに──

 だから。つまり。──ないのだ。

──先ほどの残像は。

すっぱりと、腕を(・・)切り落としていた(・・・・・・・・)

「あっ──ああああああああっ!?」

 激痛はその直後に来た。視界が歪む。悲鳴が沸きあがる。涙がどうしようもないほどに溢れ出した。血もそれと同じくらいの勢いで吹き出ているようだった。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い──!

(なんだ──ちゃんと、痛みだって感じる──)

 膨大な痛覚の奔流の中、頭の隅でぼんやりとそんなことを考えて。

 それでもなんとか背後を振り返ると、そこには一匹の虫が羽を動かし、無言のままたたずんでいた。羽を羽ばたかせる音すらない。蜂という生物を2メートルほどに巨大化させ、そこに蟷螂(かまきり)の前足をつけたらこのような形になるのではないだろうか。尻尾の針は醜悪な形に捻じれており、毒々しい色を放っていた。血。右手の鎌にはべったりと赤い血が付着し、ぽたりぽたりと地面に赤い水溜りを作っている……

「なに……よ、それ……」

 激痛と、急激に薄れゆく意識にさいなまれながらも、イリヤはなんとかそう呻く。

(まずい――)

 朦朧とした意識の中のまともな部分を必死でかき集めながら、少女は踏みとどまった。崩れ落ちそうになる足を必死に支え、歯を噛みしめる。気を失うわけにはいかない――。

「う……」

 倒れかける体を支え、口早に呪文を唱える。切断面に手をかざし、応急処置を施した。さすがにこの状態では、切り離された腕を元通りに復元することは出来ない。出血を止めることが先決だった。

「ふむ、左腕で済んだか」

 ――闇の中から、くつくつと嗜虐の色を含んだ声が響く――

「とは言え、次はそうもいかんぞ……」

 その老人の言葉と同時――

「く――ッ!?」

 顔を引きつらせながら、痛みはひとまず無視して、なりふりかまわずイリヤは身を前方に躍らせた。

 どしゃあっ!

 受身もろくに取れず、少女の体が地面に転がる。そして。

 ――――ぉおんっ!

 ほぼ同時、一瞬前までイリヤがいた空間を黒い影が駆け抜ける――!

「何よ、それ……」

 強化をかけた状態ですら、回避するのが精一杯な高速移動。通常の状態であれば、何が起こったのかも気づく前に命を落としているだろう。

「つっ……」

 雪と泥にまみれながらも、少女は必死に立ち上がった。転んでいる暇はない。痛がっている余裕もない。顔をしかめながらイリヤはよろよろとおぼつかない足取りで数歩進み、

「――っ!?」

 ――ザシュッ!

 横手から現れた蟲の攻撃を咄嗟に回避しようとするが、完全に避けきれずに、右肩を浅く切られた。――体が衝撃で跳ね、血が舞いあがる。それでも少女は足を踏みしめ、倒れることは全身で拒否をする。

「く……」

 痛みに顔をしかめながらも、口の中で呪文を呟き、魔力弾を解き放つ――!

 ――が、蟲はその攻撃をあっさりと避け、再び闇の中へと身を潜めていく……

(ヒット・アンド・アウェイってわけ……単純だけど効果的ね……)

 口の中で舌打ちをして、用心深く周囲を観察する。

「切り札は最後までとっておくものじゃよ、アインツベルンの娘」

 闇の奥から、嘲るような声が。

「ワシの勝ち、じゃな」

「ふざけ、ないで……」

 足をひきずるようにしながらも、少女は移動していく。

「まだ……終わったわけじゃ、ない――」

呟きながら、イリヤは魔力回路に魔力を通して――

―――――――ギ、チッ。

「―――っ!?」

 予想外の反動に、イリヤは飛び出そうになった悲鳴を慌てて飲み込んだ。

(体が……)

 ――――ド、クン

 鼓動が、やけに大きく跳ねた。ぎちぎちと全身が悲鳴をあげる。動かない。意思に逆らうかのように、体が言うことを聞かなかった。足の先から頭まで、全てが生ぬるい液体で満たされたような感覚。セカイノスベテが、やけに緩やかに流れていく――

(なんで……よりによって、こんなときに……っ)

もどかしく思いながらも、焦燥する――ほとんど棒立ちに近い状態では、あの蟲の攻撃を回避することも出来ない。まずい――まずいまずいまずい……!

――少女の思いとは裏腹に、時は流れる――

――闇が、蠢いた。

――木々の隙間から、鎌を振りかざし、蟲が飛び出してくる――

――しゅおうっ……

――大気が切り裂かれる音が、やけに大きく響く――

――雪が割れ、蟲は一直線に突進する。

――体はまだ動かない。

――突風で、雪と髪が舞い上がる。

――蟲が――その手を振りかざし――

――鋭利に光るその鎌には、自分の引きつった顔が映っていて――

……唐突に。

これ以上ないタイミングで、突如として身体機能が復活する――

「…………っ!?」

 悲鳴をあげる(いとま)もなく、イリヤは体を地面に叩き付けるようにして転がした。

 ひゅぉん――っ!

 一閃。

 ほとんど同時と言っていいくらいの直後に、鎌が何もなくなったその空間を薙ぎ払った。

「はっ……は……っ!」

 目を見開いて、肺から息を搾り出す。心臓が弾けそうなほどに大きく響いている。首の後ろにはじっとりと汗。

――あと一瞬体の機能が復活するのが遅れていたら、完全に殺されていただろう。

(この……程度の……相手に……っ!)

気を失いそうな激痛に耐えながらも、歯噛みする。短時間に魔力を使いすぎたせいか、それとも本当にタイムリミットなのか――少女の肉体は、もうほとんど限界に近いようだった。このままでは――夜明けを待たずにこの肉体は――

(まずい……もう一度さっきみたいなことがあったら、もう……)

 いくら膨大な魔力があろうとも。それを行使するだけの体力がなければ意味はない――

 ひゅ――ザシュッ!

 跳んできた蟲を皮一枚を残してかわし、イリヤはぼそぼそと口の中で呪文を唱えていく。

(嬲り殺し……本当、いい趣味してるわ……)

 深く、深く。魔力回路にパスを通していく。朦朧とする意識をぎりぎり保ち、限界以上に魔力を注ぎ込む――

――ザシュンッ!

 蟲が足を切り裂いた。血飛沫が跳ね上がり、かくんと右足が折れる。痛みはない。もうその程度の痛みなど、とうに麻痺して感じない――

(もう……逃げる……こと、も……)

 ぼんやりとしながら、考えている。

 ――しゅいんッ!

 銀の光が、舞い上がった。

 長い銀髪が、夜の雪の中に広がっていく。

(わたしの……髪――)

 ――気にしている暇も余裕もなかった。すりつぶされるような感覚。全身の血液が沸騰し、弾け、内蔵を喰らい尽くして神経という神経を念入りにすり潰し皮膚を無理矢理剥がして毛穴から異物を流し込まれるような。魂全てを貪り喰い尽くされるような――

(まだ……倒れるわけ、には……)

 限界に近い体に、限界以上の魔力を流し込み。それでもなおかつ少女の瞳は輝きを失ってはいない。ぼろぼろの体に爛々とその紅い瞳を輝かせ、白の少女(イリヤスフィール)は。

 ひゅ――――

 ……音が。

 ほんの小さな、空気が擦り合う音。

 薄れてぼやけた意識の中、反射的にイリヤはそちらに向けて手を突き出し――

「……あ」

 ぽつり、と小さく……口を開く。

 そして。

 

 ――ずんっ……!

 

 今までとは違う、重く鈍い音が夜の公園に木霊した。

 ぼたっ。ぼたたっ……

 血が。真紅の血が少女の足元に次々とこぼれ、雪を染め上げる。

「あ……?」

 呆けたような声は、イリヤのもの。

 何が起こったのかわかっていないのか、虚ろな眼で立ち尽くしている。

 ぼた……びちゃっ……ばしゃあっ!

 一際大きな血の塊が、雪の上に花を広げる。

 ――蟲の放ったその一撃は。

 ――イリヤスフィールの体を、串刺しにしていた。

 少女は目を見開くことすらなく、ぼんやりと不思議そうに、自分の胴体を見下ろしている。

「……ああ」

 ようやく現状を把握したのか、イリヤは口を開いた。

 そして……()()った。

 ずりゅ……

 血のこびりついた蟲の鎌を――自らの手で、握り締めて。

「つか……まえ……た……」

 その一言で、闇の奥にいる臓硯が顔色を変える――

「いかん、逃げ――」

「――――あ、

 そして。

 イリヤスフィールの瞳が爛々と輝き――

 魔力(ちから)が――

「あああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 咆哮――

 それは、呪文でもなんでもない、ただの絶叫だった。

 吼えるような、絶叫だった。

 声が雪を吹き飛ばし――

 膨れ上がり――

 蟲を光へと還す――

 夜の闇をも飲み込んで――

 ――――――――――――――――――っ!

 全てを、消し去った。








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