26.

 

 

 

「はあっ――はあっ――」

 脇腹の痛みを堪えながら、士郎は雪の中、走り続けていた。

「イリヤ……」

 呟く。

 ――降りしきる雪は、足跡をかき消していく。

 ――二人の足跡は、もうほとんど確認出来くなっていた。

「……イリヤ……」

 もう一度、名前を呟いた。

 焦燥感を(あらわ)にしながら、士郎は周囲を見渡した。とは言え街頭の少ない夜の道では、大して視界が利くわけでもない。薄ぼんやりとしか確認出来ない――

 と。

「……あれ、桜、か……?」

 道をとぼとぼと歩く人影を見つけ、士郎は目を凝らした。遠いために、顔までははっきりとはわからないが、背格好は桜に似ているようだ。相手はまだこちらに気づいていないようだが……

「おい、さく――」

 刹那。

 ――――――――――――――――――っ!

音にならない音が炸裂し、公園から光の柱が立ち上った。

「まさか――」

 桜と、公園と。

 二つを見比べて、一瞬考えた後――

士郎は公園に向けて走り出した。

 

 

 

 

 

 

27.

 

 

 

 ――小さな

 ――耳を澄まさなければ聞き逃すくらいに小さな言葉が、微かに開いた唇から零れ落ちた。

「……ら、ないと……」

 ぼたりぼたりと零れ落ちる血を拭おうともせず、少女はゆっくりと足を進める。

「はやく──かえら、ない──と……」

 ──言葉がただ、零れ落ちていた。

 右足をひきずるようにしながら、傷だらけの少女は殊更ゆっくりと臓硯の元へと進んでいく。

 ――満身創痍と言う言葉がまさに相応しい有様だった。左腕は半ばから切り落ち、右足には深い傷。銀の髪は半ばからざっくりと切り落とされ、腹部には大きな穴が開いている。細かい傷は、上げればきりがないほど。

「シロウ、が──」

 白い少女は、そこまでゆっくりと呻き上げると、そっと足を止めた。

 その、すぐ前には老人が。

 ――間桐臓硯が、逃げるわけでもなく、ただ静かに立ち尽くしている――

「……ふむ」

 呟き、ゾウゲンがとんと杖を突くと背中から蟲が一匹飛び出し、少女へと突進した。イリヤは俯いたまま、素早く言葉(じゅもん)を囁く。刹那、まるで風船が割れるかのように唐突に、蟲が弾け飛んだ。

 はじめから、そこには何もなかったとでも言うかのように。跡形もなく、塵一つ残さずに。

「…………」

 イリヤは手を前へかざしたまま、老人を見下ろしていた。

「……ふむ……」

 驚くわけでもなく。焦るわけでもなく。老人はただ沈黙を貫き通している。

 ――雪がただ。静かに降り注いでいる――

 雪の中、隻腕の少女は静かな表情で目の前の老人を見下ろしていた。

「……シロウが。心配するのよ。だからわたし、もう帰ることにするわ」

 一言一言、区切るようにイリヤは告げた。

「……でも、マキリゾウゲン」

 冷え切った眼差しで、イリヤは宣告する。

「貴方は、殺すわ」

 ――少女は目を閉じ、静かに告げる。

「……そうかね」

 老人は恐れるでもなく、むしろどこか余裕のある表情で少女を見返している。

 ざあぁっ………

──風が、雪を揺らした。白い、どこまでも白い世界の中、白の中にほんの少しの赤が混ざった少女は囁く。嘲るように――歌うように。

「貴女の敗因はね……マキリゾウゲン」

 言葉を紡ぎながら、少女はゆっくりと右手をかざして──

イリヤスフィール・フォン・アインツベルン(このわたし)に喧嘩を売ったことよ」

 そして。

 その台詞と同時に、老人のカタチをしたソレの中から、膨大な数の虫が出現し、イリヤを飲み込まんとし──

 さらに同時、白い少女が。

「──さよなら(エンデ)

 囁いて。

 瞬間、虫の全てを押し返さんばかりに、膨大な光が周囲を覆い尽くし──

 ──雪も、風も、何もかも。

全てを巻き込んで、炸裂した。

 

 

 

 

 

 

28.

 

 

 

……雪が、舞っていた。

上から降り注ぐものと。渦巻く大気に舞い上げられるものと。

二つの風が絡まりあって。

──全てが、白に染まって。 

それは、時間にすればほんの数秒の出来事だった。イリヤの放った横殴りの衝撃は次第に薄れ、弱まり、やがて空から降るものだけになっていく……

ざあぁ…………っ

 その、直前。

風が。雪が。塵を運び、舞い上げる──

「──ふう」

 イリヤは小さく嘆息して、雪が吸い込まれていった空を見上げた。白い雪が降り続ける、灰色の空。グレイの空──

「はあ──」

 もう一度息をついた。今度は先ほどよりも少し大きく。

「終わった――か」

 呟いてイリヤは、大きく伸びをしようとした。が、そこで左腕がもうないことに気づいたのか、ぴたりと固まった。きょろきょろと周囲を見渡し、自分の左腕を見つけると、そこまでとてとてと歩いていき、それを無造作に拾い上げる。

「よい、しょっと」

 拾い上げた腕を、切断面にくっつけてみる。当然それで修復されるわけでもなく、それはただそれだけのことだった。

「……いたっ」

 顔をしかめた。人形のように整った顔は、今や傷と血で、どろどろになっている。

「く、ないや。あはは……」

 イリヤは苦笑してから、素早く呪文を囁いた。すると、切断されていた腕がすっと元に戻った。ちらりと切断面を確認してから、肩だけを上下に動かし、感覚を確かめる。

「動かないし、感覚なんてないけど。まあ、応急処置、かな」

 ふわっ……

 一欠けらの雪が、イリヤの鼻の頭に舞い降りた。それに気づいた少女は、ちょんと右手の指でそれをつつく。指についた白い結晶。それは数秒もしないうちに溶け、無色透明の水と化す。

 ──空を、見上げた。

 ──白い光が、舞っていた。

 ──ザッ

 視界にノイズが走った。

 ――――ザザッ

 イリヤの見ている世界から、色が唐突に抜け落ちた。

 「色が……なくなった、か……」

 ぼんやりと、呟いていた。

 障害は目にまで及び、少女の瞳から、色を取り除いていた。一面が白と黒でのみで表される世界──

 一瞬、能面のような無表情を浮かべる少女。

「……行かなきゃ」

 その雪を見て、思い出したのか。

 イリヤは透明な眼差しで空を見上げながら、呟いた。

 それは、本当に小さな独り言だった。

「こんな姿、シロウには見せられないもんね」

 自嘲の混じった──ただの独り言だった。

「早く、どこかに消えて──」

 ざくり、ざくり。

 ゆっくりと少女は歩き出す。入ってきた公園の入り口ではなく、その反対方向にある道路へと。

「──うん、きっと、さくらが上手く言い訳してくれる」

 ざくり、ざくり。

 白い少女は歩みを止めず、ゆっくりとした足取りで、ただひたすらに前へと進んで行く。

「だからもう、大丈夫」

 ざくり、ざくり。

 小さく笑った。

 安心と、安堵と、そしてほんの少しの自嘲の混じった微笑み。

「大、丈夫だよ」

 ざくり、ざくり。

 顔を蒼白にしながら。ぽたぽたと血を落としながら。足をひきずりながら、それでも少女はのろのろと歩き続ける。

「でも……最後に、もう一度」

 ざくり、ざくり、ざくっ──……。

 唐突に、少女はその歩みを止める。

 そして、少女は振り返る。

 今入ってきた入り口を。

 ――本来帰るべき、その道を。

「もう一度だけ……会いたかったなあ」

 そして、その視線の先には。

「イリヤ……?」

 今まさに、荒い息をつきながら、信じられないものを見たというように目を見開く、衛宮士郎の姿が飛び込んできて──

「お兄、ちゃん……?」

 呆然とイリヤは呟き、立ち尽くす。──目が潤んだ。唇をきゅっと噛み締める。迷っているのか、悩んでいるのか、その瞳が不安定に揺れていた。

「――イリヤあああああっ!」

 叫んで、士郎はイリヤの元へ駆け出した――

 

 

 

 

 

 

29.

 

 

 

「イリヤ――」

「……来ちゃったんだね、お兄ちゃん」

 対するイリヤの声は、ひどく冷静なものだった。

「イリヤ……」

 士郎は戸惑っているようにおろおろとしながら──それでもなんとか言葉を見つけ、尋ねた。

「……何が、あったんだ?」

「ただの──害虫退治よ」

目を逸らして、苦笑(わら)う。そこまで言うと同時、ふらりと少女の体が傾いた。

慌てて士郎が手を伸ばす──そこでようやく、彼は目の前の少女の異変に気づいたようだった。

 ――少女の小さな体は、血と傷と土にまみれてぼろぼろで。左腕には横一直線に切り傷がはしっている。

「──シロウ」

 静かな、だが有無を言わさない口調でイリヤが呼びかけた。

え? と間の抜けた表情で見返す士郎――そんな弟の様子を、少女はまっすぐに見据えて、

「シロウは……」

 そこまで呟いてから、少女はゆっくりと首を左右に振った。

「シロウは、やっぱり……正義の、味方なんだね……」

 そして。

 それと同時、力を失い──士郎の胸の中に崩れ落ちた。

「イリヤ!?」

「だい、じょうぶ……」

 ゆっくりと身を起こし、イリヤは笑う。

「大丈夫だよ、シロウ」

「イリヤ、何があったんだ」

 雪の上に膝を付いて。イリヤの両肩を掴みながら、その顔を見上げて。士郎は焦ったように尋ねた。

「ええと」

 髪をかきあげながら、イリヤは慎重に言葉を選んでいった。しょうがないんだよ、と笑いながら、

「さっき、迎えがきて。──うん、あのね。わたし、家に帰るの」

「え……」

 シロウはその言葉に絶句した──が、それでもなんとか言葉を続けた。

「帰る、って……? え? 嘘だろ……?」

「嘘なんかじゃない」

 静かに、しかし力強く少女は否定する。――まるで、そうしなければ嘘になるからと言うように。

「嘘なんかつかないよ、こんなこと……」

「で、でも……」

 士郎は何を言えばいいのかわからないのか、ただうろたえているだけだった。

「な、なあイリヤ」

「……何?」

 のろのろと……少女は聞き返す。

「なんとか――ならないのか?」

 そう尋ねる士郎の瞳は、あまりにも真っ直ぐなもので。

「……ならないよ、お兄ちゃん……」

 たまらずイリヤは視線を逸らしてしまう。

「…………」

 士郎は絶句して少女の顔を見つめていたが、

「……いつ、なんだ?」

 やがて、震える声でそう尋ねた。

「今日――かな」

 ぼんやりとした眼差しで、イリヤ。

「今日!?」

「うん……いますぐにでも。もう、迎えが来ているはずだから……」

 ふう……

 イリヤは身を起こすと、士郎へと向き直った。

「ごめんね、お兄ちゃん」

「ごめんって――」

 士郎はそこまで呟いてから、言葉に詰まったようだった。視線を落とし、首を横に振りながら、呻く。

「……そんな。ごめんなんて、言うなよ……」

「……うん。そうだね」

 ごめん、とイリヤはまた呟く。

 ――雪が、二人を包み込んでいる。

「どうしても――」

 俯いたまま、士郎は呟く。

「どうしても、今日じゃないと、だめなのか?」

 彼は顔を上げると、イリヤの両肩を掴んだ。痛みのためか、一瞬イリヤが顔をしかめるが、士郎は気づいていないようだった。一気に捲くし立てる。

「そうだよ、別に今日じゃなくてもいいじゃんか。もう少し遅くてもさ――」

「駄目よ」

 少女の言葉に迷いはなく。

 あまりにもはっきりとしたその口調に、士郎は今度こそ絶句した。

 ううん、と静かに首を横に振ってから、少女は言い直した。

「家にね、帰らなきゃならないから。だから──だから、もうこっちには、来ない」

 最後の言葉は、消え入るように薄く低く。そして呟かれた後には、少女は唇を噛み締めていた。

「……その怪我も、関係あるのか?」

「──ああ、うん。あると言えばあるのかな」

 苦笑。

 ふう、と息を吐いた。

 白い息が、雪の中に舞い上がる。

 しょうがないんだよ、とイリヤは眉を下げて、士郎の耳元に向かって──囁いた。

「――さよならだよ、シロウ」

「……」

 士郎は無言でその言葉をただじっと聞いていたが──ふいに顔を上げると、

「なあ、イリヤ」

 精一杯な目でイリヤを見上げながら、士郎は続けた。

「今じゃないと駄目なのか」

 ……その言葉に、イリヤの目が驚いたように見開かれる──

 士郎の目はどこまでも真っ直ぐに、少女の赤い瞳を貫いていた。

「イリヤのことは、俺が守るからさ――」

「──シロウは。お兄ちゃんでしょ?」

 それを、ゆっくりと遮って、イリヤは諭すように囁いた。ね? と優しく──母親が自分の子供に向かって言うように、続ける。

「だから、我侭言わないの」

「莫迦、そんなので、納得できるか。──大体イリヤはそれでいいのか?」

「いいのよ」

 少女は即断した。

 

──イリヤスフィールというモノは、道具なのだから。

──だから、痛いなんて思うこともない。

──悲しいなんて思うこともない。

――涙なんて、出るはずも、ない。

 

そして……少女は微笑む。

「だから。ね?」

「────駄目だ。やっぱり納得できない」

 士郎は頑なに首を横に振り、言い切った。

「……シロウ、困らせないで」

腕を伸ばし、少女は自分よりも低い位置にある士郎の頭をそっとなでた。

そして同時──士郎の瞳を覗き込んで、金縛りをかけた。

「──っ!?」

 士郎が異変に気づき、慌てて体を動かそうとする──が、びくともしないのか、体は全くと言っていいほどぴくりともしない。首から上だけは動くのか、ぶんぶんと髪を振り回しながら、士郎は動かない体をなんとかしようとして――

「大丈夫。そんなに長くはないから。追って来られないように、ね?」

「なんでだよ。こんなの──イリヤっ!」

 士郎が叫ぶ。

「…………」

 イリヤは無言のままで、士郎に背を向け──雪の中、歩き出した。

 ざくり、ざくり、ざくり

 雪を踏みしめる音が、冷たい世界の中に静かに響く。

「イリヤ……イリヤぁっ!」

 士郎は呼びかける。少女の背中に向かって。

「待ってるからな……!」

 ざくり、ざくり

 少女は無言のまま歩き続ける。

「ずっとずっと――待ってるからな!」

 ざくり、ざくり……

 反応を返さない少女の背中に向かって──士郎は叫び続けた。そして。

「だから……だから、いつでも帰って来るんだぞ……?」

 ざくり……ざくり……

 その優しい呼びかけに、イリヤの顔が歪んだ。何かを堪える様に下唇を噛み締め、右手を握り締めて。それでも少女は歩き続ける。俯いたまま、ゆっくりと。

「もう、イリヤはうちの家族なんだから」

 ざ……

 ──足が止まった。少女の小さな肩は今や、隠しようのないほどに震えていた。

「ふ……」

 喉の奥から、何かがこみ上げてきた。熱い何か。言うまでもない。──わからないはずが、ない。

でも──それでもイリヤはなんとか耐えた。唇をぐいっと引いて、目を閉じて。つうっと、一筋の涙が頬を伝って落ちる。

「ねえ、お兄ちゃん」

 イリヤは雪の中、そっと囁く。振り向くことはなかった――それをすれば、きっと気持ちが揺らいでしまうから。

「お願い、ひとつだけ、いいかな」

 呟き、俯いていた顔をゆっくりと上げて――

「私ね」

 目を……ゆっくりと開けて。

 

「お兄ちゃんに――ずっと、わたしのこと、覚えておいて欲しいな」

 

しっかりと、前を見つめたまま、そう告げた。

「当たり前だろ」

 士郎は歯がゆそうにしながらも、そう叫ぶ。

「うん……そうだね」

 小さく苦笑した。少しだけ照れくさそうにしながら。そして……少しだけ、涙をこぼしながら。

「ありがとう」

 そして、その苦笑がじわじわと崩れて……

「ありが、と……」

 必死にイリヤは涙を堪え、そう呟く──

「イリヤ……」

 士郎のその呼びかけを振り払うかのように、白い少女は再び歩き出した。イリヤ、と。士郎がそう何度も名前を呼んだ。それでも、今度こそ少女は立ち止まることなく歩き続けていった。

「イリヤ…………」

 ぽたっ──

士郎の足元に、一粒の雫が落ちた。

それは地面に広がる雪のうえに落下し、じわりと周囲の色を変えた――

ぽたっ、ぽたたっ――

雫が、二度、三度、落ちていく。

「イリヤ――――っ!」

 その叫び声は、風と夜にかき消されて――

そして……

少女の姿は、雪の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

30.

 

 

 

 ざく……ざく……ざく……ざく……

「さよなら、シロウ」

 そう小さく囁きながら、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは一人雪の中を歩いていた。

 決して後ろを振り向くことなく、ひたすら前へと進んでいく。

「……シロウ」

その名前を、呟いて。

イリヤはゆっくりと後ろを振り返る。

背後には、ただ白い雪と、灰色の空と。それだけがあって。

もう──衛宮士郎の姿は、どこにも見えなくて……

「……うん」

 寂しそうな笑顔。

 それを浮かべると同時、

「あ」

少女は膝をつき、雪の中に崩れ落ちた。

「うぅ……」

 なんとか立ち上がろうと、体に力を込めるが──動かない。それでもうつぶせの体勢だけはなんとかしようと、少女は体をよじり、ごろりと半回転した。

「は・あ……」

 大きく息をついた。

 自然、空を見上げる格好になる──

「綺麗──」

 もう、色すら感じることの出来ないその眼差しで、少女はぼんやりと空を見上げる。──雪の降り続けている大空を。

白。

白。

 ……白。

 無数の白い光が空一面に広がっていた。

「きれい、だなあ……」

 呟きは虚ろに響いて、消える。

それは──雪だった。

眩しいほどに明るくはなく、

消えそうな程に儚くはない、

白い、小さな光だった。

「シロ、ウ――」

綺麗だった。

一面のグレイの中で、白く輝く光。

ゆらゆらと揺れて、ふわふわと漂っている。

「楽しかった、なあ」

 ────ィンッ……
鼓膜が震えるような音が響く。

 瞬間、少女の周囲から全ての音が消え去った。

 ──聴覚が失われた。

「うん。本当、楽しかった……」

ひとつ、またひとつ。

白い塊が、灰色の空から降ってくる。

終わりなどあるはずがないと言うように、ずっと、静かに。

「そうだ。こんな夢、見たっけ……」

音はすでになかった。

しんと静まり返ったセカイ。

そこにあるのは、何も間違いを許さないほどの静寂のみ。

まるでそんなものは初めからなかったとでも言うように、一切の音がない。

足音も。

風の音も。

雪の落ちる音も。

吐息すらもが聞こえない。

「でも」

 少女はそっと呟く。もうほとんど動かないその体を……動かして。

空へと──手を、ゆっくりと、伸ばして。

「夢じゃ……ないんだよね」

 そしてその掌に、一粒の雪がふわりと乗る。

「夢じゃ……ない……」

 伸ばしていた腕が、急に力尽きたように地面に落下した。

 衝撃で雪が舞い上がる。

 もう、その音も聞こえない。

 きいん、と頭の奥で何かが響いた。

――世界が、ゆっくりとぼやけはじめた。

白い光が徐々に広がり――

純白に世界が染まって――

そして何も見えなくなる――

「そっか……。じゃあ……、あの、ときの……ことば、は……」

 唇を動かすことなく、少女は呟く。

 白。

 白。

 何もかも、すべてが白く染まっていく。

 純白に包まれ、色すらもが抜け落ちていき――

 そして。

 少女は雪の中、にっこりと微笑み──呟いた。

 

「――大好きだよ、シロウ」

 









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