51.PAST(another)
(なるほどな……)
話を聞きながら、妙に冷静にアーチャーは考えていた。ぼんやりと空を見つめ、ふうと息を吐く。
──思い出すのは、その記憶。
「士郎、ごめんね……」
── のは、その言葉。
「大好き、だったよ──
────────目の前ではじける赤。じくじくとと侵食するように視界を染め、脳髄をしびれさせていく。ひどくゆっくりと、しかしどうしようもない程に強く強く瞳に焼き付いていくソレは、一言で言えば冗談のような光景だった。
初めの一瞬、何が起こったのかが理解出来なかった。次の一瞬、脳のどこかが勝手に状況を分析し、事態を把握。そしてさらに次の一瞬で、
「……その後の──」
「………………っ!?」
……そのエミヤの言葉で、アーチャーははっと我に返った。ごくり、と。喉を鳴らす。
エミヤは気づく様子もなく、ぽつりぽつりと続けていた。
52.PAST(W)
その後の日記はとりとめのないことが書き綴られていた。日々の出来事が、ほぼ毎日記されている。
──読みながら気づいた。きっとこれは、オレへと宛てた手紙のようなものだったんだろう。自分がどんな一日を過ごしたか。きっとオレが返ってきたら、これを捲りながら昔話に花を咲かせるつもりだったんだろう。
……ぱらぱらとめくっていく。ボリューム4だから、これが最後のものになるのか。
その最後には、どんなことが書かれているのか。
なんだ、凛のやつ、日記はそこで飽きて書くのをやめたのか──なんて。
そんなバカなことを考えながら、オレは読んでいった。
明日はルヴィアと出かけようと思う。少し早いけど、士郎への誕生日プレゼントだ。プレゼントの内容は──ここには書かないでおくことにする。実際に見てびっくりしてもらおう。うん。
渡す本人はいないけど、まあ、いつものこと。帰ってきたときに今までの分もまとめて渡せばいいだろう。
大事なのは、そのときの思いを込めたものを買っておくこと。たとえ離れていても、わたし達はつながっているんだから。
思い出を丸ごと、いつかあいつが帰って来た時に、笑って相手にどかっと渡してやるとしましょうか──
「凛」
気づけばそう呟いていた。
「凛……」
凛。何度もそう呟いた。
「…………っ!」
ごめん──何度も頭の中でそう繰り返した。
──と。
そこまで考えて、ふいに、ひとつの考えが頭をよぎった。
その可能性に、気づいてしまった。
「…………っ!?」
慌てて日記の日付を見返した──大体半年前だ。
──待っていたのは、残酷な現実だけだった。凛は半年も前に死んでいた。何かの事件に巻き込まれた、ってルヴィアさんは言っていた──
凛が死んだのも、半年前。
日記が終わっているのも、半年前。
──つまり。飽きて書くのを止めたのではなく。
もう、書けなくなってしまったんだ────。
……そこまで考えて、
もうひとつ、
もうひとつのことに、気づいた。
──明日はルヴィアと出かけようと思う。少し早いけど、士郎への誕生日プレゼントだ──
「……あ」
オレの、誕生日プレゼント。
それを、次の日、外に出かけた。
日記はここで途切れている。
つまり、この次の日に凛は死んだ。
次の日。明日出かけて、
日記は、ここで途切れてい
明日/
凛が死んだ
オレへの誕生日プレゼントを買いに。その日に、死んだ。
死んだ。
────死んだ。
────オレが、殺した。
53.エミヤ
──それからはもう、無理だった。
逃げるようにして家を飛び出した。
旅にも出る気にも慣れなかった。
ルヴィアさんの顔も見ることができなかった。
ごめん、とだけ家に書き残して、日本へと戻った。ずっと音沙汰なしだったオレのことを、桜や藤ねえは温かく迎えてくれた──
「結局、オレは……逃げたんだ」
自嘲して、エミヤは首を横に振る。
「何もかも中途半端──本当、嫌になる……」
「……なるほどな」
それだけを、呟いた。
それだけしか──呟けなかった。
「アンタは──」
エミヤはようやく視線をアーチャーへと向けた。
「アンタは、どうだったんだ」
何かにすがるかのような羨望の眼差しを向け、エミヤは呟く。
「アンタ、英霊なんだろ? 凄いよな…そうか、夢を叶えたオレってのもいるんだな──」
「何も凄くなどないさ」
囁くように呟いた。
「本当に……何も、凄くなど、ない……」
噛みしめるように、ゆっくりと呟く。
「それに、それ」
エミヤはすっと自分の胸元を指差した。──赤いペンダントが二つ、ある。
「なんで、二つあるんだ?」
「……私も、似たようなものだからな」
答えになっていない──とはわかっていたが。
それ以上話す気にもなれず、アーチャーはこれで話は終わりだと言うようにして立ち上がった。
「それと……もう一つ」
エミヤの口調に熱っぽいものが含まれているのに気づいて、振り返った。
彼は真剣な眼差しでこちらを見据えて、
「アンタ、凛のなんなんだ」
(…………)
熱く目で問いかけてくるのを、妙に冷静になりながら受け止めている自分がいる──。
「さっきの話だと、今は契約は切れているんだろう?」
「私は……」
のろのろと呟こうとして──
「い、いた……! あ、アーチャーさん! 大変なんです!」
と、庭から叫んできたのは桜だった。
「……? どうかしたのか、さく、」
尋ねるアーチャーの言葉すら遮り、桜は拳を握って叫んだ。
「っ、先輩が──!」
54.存在
「凛、どうしたんだ──?」
居間へと飛び込みながら、アーチャーは鋭く訊ねた。
見れば、中央には士郎が横に寝かされている。素早く観察する──見た限りだが外傷はなさそうだった。だが、ひどく苦しそうではある。もがく様に手をかき回していたのだろうか──畳に傷がはしっていた。
昏睡状態のようだった。意識はないだろう。
「これは……? 凛、君はそろそろ手加減というものをだね──」
さすがに非難めいた声色になっているのを自覚しつつ、アーチャーは口を尖らせた。が、凛は慌てて首を横に振ると、
「ち、違うわよ! さっきのとは関係ない! 今いきなり倒れたんだから!」
「あ、あの、本当です。先輩、さっきまで本当にぴんぴんしていて──」
背後から桜が付け加えるのを聞きながら、近寄る。と。
「う……あ……………?」
──どさっ。
呻き声と重い音がして振り返ると、そこには倒れ伏したエミヤの姿があった。きゃ、と桜が悲鳴をあげている。
「なんなんだ…?」
呻く。と。
「うーん、これは存在の問題ですかねえ……」
ぽつりと呟いたのは宙に浮いているルビーだった。
「……っ。──なるほどな。くそ、そう言うことか──」
その説明だけで合点がいったのか、顔をしかめてアーチャーは舌打ちした。
一方凛はわかっていないのか、ん? と眉をひそめている。
「え、なに? どう言うこと?」
アーチャーはふう、と鋭く息を吐きながら、
「……そうだな。凛、朝説明した世界の法則は覚えているか?」
「え? そりゃあまあ──世界にわたしはわたしだけって言うあれでしょ?」
腰に手を当て、尋ねてくる。アーチャーは静かに頷いた。
「そうだ。そして、それを踏まえて質問するが。私や衛宮士郎以外の、ごくごく一般的な投影魔術。これが極めて効率の悪いものだということは知っているな?」
「そうね、効果は大して長続きしない──って、まさか」
言葉の途中ではっと顔色を変える凛。アーチャーはひどく冷静に言葉を続けた。
「……ああ、そのまさかだ。先ほど君も言っていたろう、この男は、私よりも衛宮士郎寄りだと」
え、え? と声をあげて目を白黒させている桜へと振りむきつつ、ゆっくりと説明してやる。指を二本立て、告げる。
「──世界に衛宮士郎と言う存在はひとつ。なら、それが二つになったらどうなるのか?」
言いつつ、アーチャーは。
「……答えは簡単だ。世界はそれを許さない。一つでならないものは一つであるべきだ──そう、つまり、一つにすれば、問題は何もない」
そう言いつつ、指を一本折り曲げて見せた。
桜はまだわかっていないのか、凛へと尋ねていた。
「え……え? ど、どう言うことですか、姉さん──?」
そして凛は。俯き、感情を押さえこんだまま──呟いた。
「……つまり。このままだと、士郎かエミヤ、どっちかが消えるって言うことよ」
55.決意
「凛」
呟いた声で後ろを振り向くと、エミヤがゆっくりと身を起こすところだった。
「凛……」
呻きつつ、ゆっくりと凛へと手を伸ばしている──。その表情はひどく苦しそうだった。脂汗がじんわりと浮かんでいる。
「だ、大丈夫……?」
そっと尋ねる凛へとさりげなく歩を進めつつ、アーチャーは士郎を見やる──症状の発症こそ士郎の方が早かったが、士郎のほうはそこまでひどいようではなさそうだった。
「う……?」
────ぐらり
一瞬眩暈を感じ、アーチャーはうめき声をあげた。
「あ、アーチャー?」
「いや……大丈夫だ」
駆け寄ってこようとする凛を手で制し、黙考する。
(なるほど……私はこの程度で済むわけか。やはり英霊になっているからなのだろうな。それに比べ、あちらはどちらもごく普通の人間……どの程度近い道筋を通ってきたのかはわからないが……いや、そうだな。近いからこそエミヤはこの世界に来たというわけか。となればやはり、影響は小さくはない……)
アーチャーは──小さく頷いた。
「凛……もう……今度は……どこにもいかないから……」
立ち上がろうとしているようだが──それすらもかなわないのか、がくりと膝をつく。
「だから……、ずっと……傍に……っ」
うなされるようして──、呟いている。
「え、ちょ、ちょっと……?」
駆け寄ろうとする凛を視線で制して、アーチャーはエミヤへと近寄った。肩に触れ、数回ゆする。
「エミヤ。聞こえるか? ──エミヤ」
「あ……あ…………?」
エミヤは意識が朦朧としているのか、虚ろな視線を向けてくるだけだ。嘆息一つして、アーチャーは軽くエミヤの頬をぺしぺしと叩いた。
「……あ、う……」
「──ふむ。起きたか。エミヤ、聞こえるか?」
「あ……ああ……」
「先ほどの話は聞いていたか?」
「はは……半分、夢の中、だったけどな……」
「そうか。まあ状況さえ理解出来ていればもんだいはないさ。──さてエミヤ。ついでに聞くが、今の君の状態は確認できるかね」
尋ねるとエミヤは、自分の掌を見つめ、自嘲した。
「……ああ。まいった──どうやら、消えるのは……オレの方らしいな」
「──そうだな。この世界から見れば衛宮士郎のほうが本物、貴様は侵入者だ。だがそう悲観することもない──私と衛宮士郎がそうであるように、貴様もまたこの世界の衛宮士郎とは違う人生を送ってきたはずだ。だから、そうすぐに消えるようなことにはならないはずだ──」
事実を簡潔に告げる。
「なあ……ルビーだっけか」
エミヤは虚ろな眼差しで光球を見上げ、尋ねた。
「オレは……、どうなるんだ?」
「おそらく──私がサポートすれば、元の世界に戻るだけで済みます」
「……死ぬわけじゃないんだな」
幾分かほっとしたように表情を緩める。
「放っておけばいつかは消える。あくまでその時間が遅いだけだ」
アーチャーが釘を刺すように付け加えた。
「ついでにもう一つ質問だ」
と。
エミヤは追い詰められたように引き攣った笑みを浮かべながら……口を開く──。
「さっきの……話。存在の力。そうだ──前に、勉強したっけな。うん、そうだ……やっぱり、そうだ…………」
くつくつと肩を震わせ、エミヤはゆらりと視線を上げた。
その目は、妙に、据わっている──
──ぞくり。
前に、どこかで見たその眼差し。覚悟とも、悲壮ともつかないその瞳。ああ──駄目だ。それは──それ以上は──
「なあ……アンタ。もし、こっちの士郎が死んだら……どうなるんだ?」
「……また凄い質問ですねえ」
ルビーが苦笑している。
アーチャーは先ほどから抱いていた予感を確信に変え、密かに身を低くした。
「修正は働かなくなると思いますよ。この世界の『衛宮士郎』がそっくりそのまま入れ替わるということになると思いますので。ただ、年齢などの問題もありますし、少なからず何かトラブルはあると思われますが」
「そうか……そうだよな……」
呟き、エミヤは再び身を起こす。
「そう、なんだよな……」
──俯いていた表情が、ゆっくりと持ち上がる。
そこにあるのは──殺意。
「おい、まさか貴様──」
アーチャーは慎重に口を開いた。が、エミヤはさらに身を起こしつつ、
「……悪いな」
引きつった笑みを貼り付け、男は告げる。
「……オレは──やっぱり、凛といたい……凛と一緒に、歩いていきたい……ッ!」
そして。殺意の裏側から狂気があふれ出す──
「投影──、開始──ッ!」
叫ぶようにして呟かれたその呪文で。
バシュン──っ!
エミヤの手の中に、ひと振りの剣が生み出された──。
56.すがる者
「だ、だめです……っ!」
叫んだのは、桜だった。両手を広げ、士郎とエミヤの間に割って入る。見れば、唇が噛みしめられている──恐怖を無理やり噛み殺しているのだろう。
「桜!?」
アーチャーが叫び、いつでも飛びかかれるよう身を低くする──
「そうよ、アンタ一体何考えて……」
凛もまた首を振りつつ口を挟む。が。
「……桜まで、オレを否定するのか……」
──呻くようなその声は、何かに恋い焦がれるような。
熱にうなされるような、熱い声──
その凛を庇うように前へと出ながら、アーチャーは素早く両手に双刀を生み出した。
ちゃきり──
嫌な音だ、と頭の隅で考えつつも、エミヤを鋭く見据える。
「アーチャー、アンタもなのか……?」
──屋根の上での出来事が一瞬、頭を掠めてよぎる。
────オレが、殺した────
アーチャーは慎重に口を開いた。
「エミヤ、いいから落ち着くんだ。同情の余地はある……それはわかる。痛いほどにわかるが──……」
──目の前ではじける赤。じくじくと侵食するように視界を──
そう言ってから──かぶりを振る。
そして。
ひゅっ──
刀で、空気を切り裂く。
それはただ、それだけの行為。
何ら攻撃するでもなく、ただそれだけ。
だが──
「……だが、だからと言ってみすみすこの男を殺すのを黙ってみているわけにもいかないのでね。何しろ少しばかり借りがある。それに何より──」
言って、ふっ、と笑う。その背後で同じように笑っているであろう凛の姿を思い描きつつ。
「──凛を貴様の手に渡すつもりはさらさらないのでね。悪いが、お帰り願うとするよ」
「なんで……っ!」
引き絞るような叫びとともに、エミヤは苦しげな表情のまま身を起こす──
「邪魔を、」
そして、エミヤは。
「するなああああああああああっ!」
絶叫とともに、床を蹴って飛びかかった──
57.交わる刃、
──ギィンっ!
火花が居間の中で散った。
アーチャーの振りかぶった刀と、エミヤの繰り出した双剣がぶつかりあう──!
──ギ、ギギ・ギィンッ──!
打ち合うたび、アーチャーの体がずりずりと後ろへと押し出される。
「く……」
舌打ちひとつ。アーチャーは僅かに唇を歪め、突然力を受け流した。
「──っ!?」
いきなりのその対応についていけないのか、エミヤはバランスを崩す。そこを狙い、アーチャーは剣を握りしめ、
(もらった──!)
──バシュンっ!
ふりかぶったアーチャーの頬に、一筋赤い線がはしる。
──エミヤが双剣のひとつを手首のスナップだけで背後に投擲したのだ。
「……成程。そこまで甘くはない、と言うことか」
壮絶な笑みを浮かべ、頬の血を拭いつつ少女は素早く飛びずさった。
──この時点で口の中で呪文を唱え、先ほどまでいた空間の宙空に剣を残している。
(守る対象が多いな……長引けば、不利なのはこちらか──ならば、早急に相手を無力化させる……!)
「投影、開始──!」
さらにアーチャーは連続投影・その手に身の丈ほどもある片刃の大剣を生み出し、片手で持ち肩に掲げ、
「──いけっ!」
先ほど宙に生み出した5本の剣を一斉に打ち出し、
「はぁっ!」
剣が全てはじかれるのを視界の端で確認しながら、一気に踏み込み、エミヤの胴へと剣の峰を叩きつける──!
───ぎ・ぃぃぃぃんっ……!
「ぐ、う……」
アーチャーの繰り出した大剣は、エミヤの右の剣の柄でぎりぎり受け止められていた。
もしこれが峰でなく刃の方ならば、そして体がいつも通りのものならば結果は違ったのかもしれないが──
(やはり、不利、か……)
歯噛みして、アーチャーはさらに剣撃を叩きつけようと手に力を込めた。だが。
──見上げたエミヤのその唇が、
引きつったような笑みを浮かべている──
「まずい……!」
気づいた時には遅かった。
エミヤは先ほど剣を打ち出し、空になっていた左の手に、再び剣を生み出し、
「……チェックメイトだ」
寝たままの士郎へと向けて投擲した──!
58.弾ける血。
──エミヤの狙いは、あくまで衛宮士郎である──
剣が空気を切り裂きつつ、士郎の喉元へと延びる。
(しまった……!)
内心で毒づきながら、アーチャーは間に合わないとわかっていながら、士郎へと打ち出された剣を防ごうと、自分も剣を投擲する──
が、矢張り間に合うはずもない。エミヤの剣が──吸い込まれるように士郎の喉元へと延びていき──
ざしゅ……っ!
血が、跳ねた。
ぼたぼたっ、と鮮血が床にまき散らされる。
「う、ぐ……っ!?」
悲鳴は、押し殺された、そして予想外のものだった。
「な────!?」
エミヤが絶句している。
そこには。士郎とエミヤの間に飛び込み、右腕に剣を突き刺した桜の姿があった──
「桜っ!?」
弾かれたように凛が駆け寄る──
「は───あ。だ……だい、じょうぶ、です……」
桜はそう言ってほほ笑み──
「……………っ」
そして、声にならない悲鳴をあげて気絶した。
「貴様──!」
怒りをそのまま剣に乗せ、アーチャーは切りかかった。
その一撃は当然のように弾かれた──が、エミヤは僅かに顔色を青ざめさせていた。
「……エミヤ。アンタ、桜を──」
ざっ。
足音とともに、声が響く。
抑え込まれたその声は、凛のものだった。
見れば、そこには底冷えする目をした、凛の姿──
その瞳に、エミヤは怯えたように後ずさった。
「ち……違う、そんなつもりとじゃ……!」
「どの道、士郎は殺すつもりなのだろう?」
言って、アーチャーもまた一歩を踏み出す。
「……それは……」
逡巡。
「─────っ!」
そして。エミヤは一瞬歯噛みすると、ばっと後ろを振り返り、庭へと飛び出す──!
「な……ま、待てっ!」
慌ててアーチャーが追いかけようとする──が。
(桜が──)
くるりと桜の方へと向き直ろうとして、
「行きなさい、アーチャー」
その直前に、凛のその言葉で動きを止めた。
彼女は桜の元へと近寄りつつ、視線を向けてきていた。
「桜はわたしが診る。大丈夫、腕に刺さっただけだから──」
「し、しかしだね……」
呟き、一歩桜へと近寄ろうとして──
ひゅ、
と言う音が耳の裏から聞こえ、同時に──殺気が──。
(まずい────!?)
半ば反射的に振り返りつつ、アーチャーは叫ぶ──!
「熾天覆う七つの円環っ!」
っぎいんっ!
刹那、アーチャーの差し伸べた手の先に光が収束し、
さらに同時、そこに一筋の青い光が伸びて、
(間に合う、か……!?)
そして──二つの光が、膨れ上がった。
59.そして思いが重なり合い、
──ぽ、たっ……
畳の上に、小さな赤い染みが。
しゅううぅぅん……
光の激突が収まる──再び、染みが広がる。
「士郎!」
凛の悲鳴を聞きながらアーチャーはゆっくりと庭の方へと目を凝らした。数十メートルほど離れた民家の屋根の上──そこにエミヤが弓を構え、佇んでいる。先ほどの攻撃はあれによるものだろう。
次に彼女は半ば覚悟を決めながら士郎の方へと向き直った。
アーチャーの繰り出した熾天覆う七つの円環は、エミヤの攻撃を受け止めきれなかった。発動が間に合わなかったためだ。
「遠、さか……っ?」
士郎のすぐ脇の畳。そこが数センチ、へこんでいる。そして、士郎自身の腹部にも赤い染みが広がっている。致命傷ではない──全く、ない。攻撃そのものが逸れ、矢は彼の体を掠っただけ──とは言え、確実に肋骨は折れているようだが──だった。出血そのものもそこまで深刻なものではない──放っておけるほどに軽くはないだろうが。きちんと止血さえしておけば問題はないだろう──
(だが……それでも、致命的だ……)
陰鬱とした感情で、ゆっくりと部屋を見渡す。
「う……っ!?」
士郎の悲鳴があがった。
一瞬、その体がブレて、透ける。
「アーチャー、これって」
のろのろと、質問ではなく確信を込められたその言葉に、陰鬱に頷いてみせる。
「ああ。世界における優先権が……逆転したようだ」
「つまり──放っておけば、消えるのは士郎ってこと……?」
「そうなるだろうな」
頷きつつ、アーチャーは凛へと向き直った。
彼女は顔を蒼白にしているものの──それでも、真っすぐにアーチャーを見据えている。
「アーチャー」
「……凛」
囁いたのは、互いの名。
「……正直な感想を聞かせて。貴方は──どうするべきだと思う?」
凛の言葉はひどく冷静で、冷たさすら帯びていた。
しかしアーチャーは動じることなく、なに、と軽く肩をすくめて見せる。
「どうもしないさ。私は君のサーヴァントだ。君が命令すればそれを忠実に実行する。それだけだ」
「あら、言うじゃない」
「君程ではないがな」
再度肩をすくめるアーチャーに、凛は唇にそっと指をあて、
「そうね、ならアーチャー」
「何かね、マスター」
振り返ったアーチャーを真っすぐ見据え。
凛は涼やかに告げた。
「──あなたのやりたいようにしなさい。それが命令よ」
「……ああ、了解だマスター」
にやりと口の端を持ち上げ、アーチャーは不敵に微笑む。
「それでアーチャー、貴女エミヤに勝てるの?」
凛の言葉に、アーチャーは正直に告げた。
「……わからないな。体が元のものならば問題ないのだろうが。しかし剣を打ち合わせてみたが、あいつも段々と消耗してきているようではある──ゆっくりとではあるがな。もう少しすれば五分くらいにはなるだろうが──」
それを聞いて、彼女は。
「そう。なら────、大丈夫ね」
そう言い切り──不敵に微笑んだ。
「────帰ってきなさい、アーチャー。……任せたわよ?」
言って、凛は軽くその肩に拳を据える。
「全く……君は本当に、何と言うか……」
やれやれ、と呻きながらアーチャーは苦笑する。
「あら何、出来ないの?」
「──まさか。私を誰だと思っているのかね?」
「だから心配なんだけど?」
「心外だな──まあいいさ。では凛、帰って来たら背中流しっこと言うことで!」
言って、アーチャーはさやたらわやかな笑顔を残して瞬時に庭へと駆け出す──
残された凛は、士郎の体を抱えながら、半眼で呻く……
「……なんでこう、アイツはきちっと締めらんないのかしらね本当……」
呆れたように呟いてから──小さく、ほんの小さく、苦笑した。
60.戦いは始まった
屋根の上から、屋根の上へと次々に跳躍する。
風を切る感触を肌に感じながら、アーチャーは視線を前方へと投じた。
エミヤにはかなり遠くにまで引き離されている──が、その距離はじりじりと、だが確実に縮まってきていた。変身によって敏捷性が増しているためである。
(このペースだと……あと1分もしないうちに追いつける……)
頭の中で計算し、呪文を唱える──
(だが……それまで待つ必要も、ないっ!)
意識を集中する──口の中で幾度となく唱えた言葉を紡ぐ。
刹那、彼女の両手に光が収束していく──
右の手には剣。本来ならばそれだけで相当の価値のある宝具を一呼吸で4本生み出し、それを全て矢へと変換。指と指の間に挟み込む。
左の手には弓。漆黒の長弓が掲げられる。少女の背丈に比べそれは長大なもののようだが──それでも苦もなく操り、
「いけっ!」
裂帛した声を乗せ、矢を掴んでいたその手を離す──!
しゅばぁ──っ!
空気を切り裂き、深紅の光が4条、一直線にエミヤへと伸びる──!
「く……っ!」
こちらの攻撃に気づいたのか、エミヤは足を止めていた。半ば表情を引きつらせつつも、腕を伸ばし、その手を広げ、
「投影、開始!」
あちらもまたその掌に生み出すは、弓と矢。
(なるほど、防御ではなく相殺か──)
足は止めず、さらに疾走する。──目標まであと10歩足らず。あと少し。
「破!」
きゅどどどどっ!
エミヤへと疾走する4つの青い光、その全てが直前に生み出された赤の光によってぶつかり・爆発し・煙が舞い上がる!
──視界が塞がれる。目標を消失。否。対象の直前の場所はすでに視認済み。あとは煙の動きと音で場所など把握出来る──
『投影──』
声が、重なる。
二つの影が──、同時に煙の中へと飛び込み──、
『開始っ!』
──ギギィンっ!
──薄れゆく煙の中、アーチャーとエミヤは互いに干将・莫耶を生み出し、ぶつかり合っていた──。