41.評価
「……ええと」
じわり、と主に桜方面の空気が重くなってきているのを察したのか、アーチャーは慌てて口を開いた。
「そ、そんなことより──だ。先ほどの元の世界に戻りたくないというのは……?」
「……ああ。オレは、この世界にいたい」
ゆっくりと、噛みしめるようにして呟く。
「……いや、それもかなりこちらとしては勘弁してほしいのだがな……」
げんなりした表情で呻くアーチャーに、男は首をかしげた。
「……? なんでさ?」
ようやく噛み違えていることに気付いたのか、凛はああ、と手を打った。
「そっか、アーチャーが誰だかわかってないのね。ええとね、こいつ今はこんな姿してるけど──」
凛は簡単に、アーチャーと士郎のことについて説明した。
「……なるほど。そう言うことか……」
はあ、と感心したようなうめき声を上げ、男がアーチャーをじろじろと凝視する。
「うむ。そう言うことなのだ」
「なんで誇らしげなのよっ」
あんたね、と小突く凛をよそに、ぽつりと士郎が呟いた。
「……でも、なんか、どっちがまともかって言ったらさ」
「そ、そうですねえ……」
ちらちらとアーチャーを眺め、苦笑する。
「って待ちたまえ! なんだねその微妙な空気はっ!?」
「あんたの日ごろの行いが悪いからよ」
ジト目で唸る凛。
「言動まともですし」
桜が頷く。
「ロリコンとか変態でもないしな」
うんうんとそれに続く士郎。そして。
「………………………………………………………………ふ…………」
アーチャーはひとり、背中にどんやりとした何かを背負いながら自嘲した。
42.呼び方
「……まあソレはソレとして──貴方、ええと……」
凛は男へと話しかけようとして、口ごもった。
「うん?」
首をかしげる男に、凛はむうと唸って顎に手を当て考える。
「……紛らわしいわね。どっちも士郎だし、格好はアーチャーだし……」
「──なんだ、そんなことか。凛の好きな呼び方で呼んでくれていい。そのかわりオレも、凛のことは凛ってよばせてくれよな」
さらっと男がそう言い、凛は口ごもった。
「う、うん……」
ごにょごにょと呟き、頷く。
「ニセモノ、でいいのではないのかね」
ふん、と鼻を鳴らして、アーチャー。
「そうだな、それでいいだろ」
ひく、と頬をひきつらせつつ士郎。
「あんたたちね……」
ジト目で唸る凛。男は呆れたように嘆息し、アーチャーを眺めた。
「それを言うなら、どう見てもそっちのほうがイレギュラーだろ?」
「ほほう──?」
ぴしり、とこめかみを引きつらせ、アーチャーはすっくと立ち上がる。
「それはあれかな。私にけんかを売っていると解釈してもいいのかな……?」
「はいはいそこまでっ」
すぱん、とハリセンでアーチャーを軽くはたきつつ凛はじろりと皆の顔を眺めまわした。
「状況が状況なんだからこれ以上ややこしくしないでよね。じゃあアーチャーと士郎は今まで通り、で、貴方は……んー、衛宮君、もあれだし、エミヤって呼ぶわ。いいわね?」
「──ああ、わかった」
おとなしく男──エミヤは頷いた。
「……本当は……凛には士郎、って読んで欲しいんだけどな」
少しばかりさびしそうに、そう呟く。
「…………う」
顔を赤らめさっと目を逸らす凛。ぎすぎすした空気をまき散らすアーチャーと士郎。そして桜──。
それらを見渡して、バゼットは。
「……ええと、どうすれば……?」
顔を引きつらせながらそう呻き──嘆息した。
43.死
「……まあ、あれよね」
凛はのろのろと呻いた。
「じゃあ結局、戻りたくないってことでいいのね?」
「……そうだな」
エミヤは頷いた。
「……。まあいいけど。何、あっちのわたしと喧嘩でもしたの?」
「いや────」
エミヤは口ごもった。数秒沈黙してから、
「……もう、いないよ」
自嘲まじりに呟いた。
「──え?」
聞き返す凛に、エミヤはますます自嘲を深める。
「──死んだよ、凛は」
────居間の空気が一気に重くなった。
44.思い出した事
「……ええと…………」
ちらちらと皆の表情を眺めながら、アーチャーは呻いた。と、唐突に顔をがばっとあげ、宙に浮いているルビーに向かって、
「そ、そうだルビー、ちょっといいかね」
「あはー、なんですか?」
「う、うむ。先ほどの件なんだがな。あいつはここに留まりたいと言っているようだが……それはそもそも可能なのかね? こう、時間制限とかがあるとかは……」
「うーん、そう言うことはないんですよねえ。つまり、放っておいたらずっとこのままだと思いますよ」
「で、では元に戻すのは可能なのか?」
「それはおそらく。ただ、今はステッキがオーバーヒートのような状態になっていますので時間が必要ですね。まあ一時間もすれば問題なく出来るでしょうが」
あっさりとルビーは告げた。
「なんだ、そんな簡単に戻せるのね」
安心したように凛がほっと息を吐く。
「そうだな、それならもう何も問題は──」
言って、アーチャーはぴたりと動きを止めた。
「…………そう言えば、凛」
「え、なに?」
聞き返す凛に、アーチャーは。
「そう言えば……元々は確か、私を元に戻すのが目的だったのでは……」
「…………………………………………そう、だった……………」
凛はがっくりとうな垂れ、そう呻いた。
45.Hand
「ええと、オレからも質問いいかな?」
恐る恐る手を挙げるエミヤに、アーチャーはぶっきらぼうに、
「なんだね?」
「いや、なんでそもそもそんな姿になったのかな、って……」
ちらちらと眺めながら、尋ねてくる。
アーチャーはしたり顔で腕を組んで、
「うむ。まあいろいろとあった結果こんな感じになったわけだが、まあ元を正せば実は凛が胸の大きくなるまじゅ、」
「言うな──────っ!」
『ずぱんっ!』とハリセンをすくいあげるように打ち抜き、凛が叫ぶ。わたわたと手を振りながら、もう片方の手でアーチャーの顔面を裏拳でごすごす殴っていたりする。
「な、なんでもないのよ。ただ、ちょっとした手違いがね? うん、本当は貴方とそっくりな格好なんだけど──」
アーチャーの血を浴びながら、平然とした表情で凛はぱたぱたと手を振り笑う。
「へ、へえ……」
少しばかり顔を引きつらせながらも感心したように頷き、エミヤ。
「と、ところで」
顔の上半分を真赤に染めながら──無論、凛に殴られたためだ──、アーチャーは尋ねた。
「本当に、ずっとこちらにいるつもりなのかね。あちらの世界には、もう帰らないのか……?」
「……………………。」
エミヤはすっと視線を落とし、沈黙した。
「……何もずっとってわけじゃないさ。しばらくでいい。うん、そうだ……ずっとじゃあ、ない……」
自分に言い聞かせるようにして、頷く。
凛はあっはっはと笑いながら、
「──そう。まあ、ゆっくりしていけばいいじゃない。ねえ士郎?」
「……いや、ここ俺の家なんだけど……」
汗ジトで呻く士郎。
「アーチャーみたいなのが二人になるんだったら問題だったけど」
言って凛は片手でそっと髪をかきあげた。
ツインテールになっている一房が、僅かに風になびく。
そうして彼女はくすりと微笑むと、アーチャーを放り捨てた。
──その笑顔があまりにも自然すぎて、
エミヤは目を奪われてしまう──
凛はすっと手を差し出しながら、
「でも、うん。貴方はまともみたいだしね。──よろしくね、エミヤ」
言って、彼女はもう一度微笑んだ。
「凛…………」
茫然と呟き、エミヤは目の前にある手を見つめた。──その瞳が動揺したかかのように揺れる。
「………………っ」
そして。
だっ────!
唐突に口を手で押さえると、立ち上がり、廊下へととびだした。
「……え?」
笑顔のまま固まる凛。差し出した手がぷらぷらと虚空を切る。
『…………………………。』
沈黙。皆が皆、ぽかんと口を開けて男が出て行った方を眺める。
「……逃げ、た?」
ぽつりと呟いたのは士郎。
「ちょっと、姉さん?」
非難めいた視線を投げかける桜。
凛は慌てて手を振った。
「って待ちなさいよ! なんでそんなわたしが何かやらかしたみたいに──」
「そうだぞ桜。私もずっと見ていたが凛は別に何もしていなかった」
「ほ、ほら!」
「しかしまあ凛のことだ、見つめられて怖くなってつい逃げだしたなんてことも、」
「んなわけあるかああああっ!」
叫ぶと同時に踏み込み、
「だからなんでそう言い切れるのかげぺっ!?」
繰り出された蹴りが、アーチャーの腹部を貫いた──。
46.致命的
「………………ねえ……アーチャー」
頬に一本汗をたらし、凛は呻いた。
「何かね」
血を拭いつつ、アーチャーは青ざめた顔を持ち上げる。
「……本っ当にわたし、なにもやってないわよ、ね?」
「まあ、特には。強いて言うなら私の顔と腹がちょっとへこんだくらいか」
「そうよね。……じゃあなんで?」
微妙に傷ついたんだけど、と呻く凛に、アーチャーははっはっと笑って、
「そうだな。何、君のことだ、自分でも気づかないうちに致命的なことをやるのはまあ毎度のこととしてだね」
「うん、致命的ってなに、このくらいの角度のこと?」
言うなりぎしぎしとアーチャーの首を折り曲げようとする凛。その腕をぱしぱしとたたき、アーチャーは叫ぶ。
「ああああっ!? 無理だ、本当に無理だっ!」
「全く……」
一言多いのよ、と呻きつつも解放してやる。
それで──と手を振り、凛は低く唸った。
「……で、あれなによ。あの涙。結局なんだったの? なんか凄い気になるって言うか、凄いもの見たって気もするけど」
「そうですね──」
んー、と指を顎に当て、桜が唸る。
「……でも、いきなり別の世界に来たんですよね? しかも死別したはずの姉さんがまだ生きている所に。戸惑うのも当然だと思いますよ? たぶん、わたしも同じ目にあったら情緒不安定にもなると思いますしね?」
と言いつつ、ちらりと士郎へと視線を送る桜。
ははは、と情けない声を出して笑う士郎にこっそりと嘆息しつつ、
「まあ、とにかく」
びっ、と縁側へ繋がる襖を親指で指し、凛は告げる。
「……どうにかしなきゃいけないわよね、うん。どうしよう。アーチャー、貴女はどうすればいいと思う?」
「うむ。とりあえず首から手を放してくれると助かるぞ?」
「却下。でも、確かにどうにかしないとなあ──立ち位置とか扱いとか、ってそもそも本気で居座る気なのかしら」
ぶつぶつと唸る凛に、アーチャーは半ば棄てばちに呟いた。
「……気になるのなら本人に聞いてくればいいだろう? 何、君が直接聞けば喜んでくれるだろうさ──」
やれやれ、と肩を竦めつつ軽口を叩くアーチャー。
あ、と桜が声をあげた時には、もう遅かった。
凛はにっこりと満面の笑みを浮かべると、
「ふうん? そう。そっかあ、アーチャーはそう思うんだ?」
ぴしり、とこめかみに血管マークを浮かべながら佇む凛。
その背後では、ぶんぶんと桜が首を大きく横に振っている。
「や、違う。違うぞ凛。今のはそう言う意味ではなくてだね──」
「そういう意味。どう言う意味かしら?」
「いや、だから…………ええとだね……」
ううううう、と唸るアーチャー。
「? 一体どうしたのです士郎君。彼女は何故怒っているのですか?」
隅のほうではきょとんとしているバゼットが、こそこそと士郎に尋ねている。
「や、アンタ空気本気で読めないんだな」
「ほう。それはあれですか。私に対する宣戦布告と受け取っても?」
途端すっと目を細めるバゼットに、士郎は慌てて手を振った。
「断じて違うぞごめんなさい。……えーとだから今のはだな、アーチャーが聞いてみたらって言ってたろ? それってつまり、もう一人の俺と話し込んでも別に関係ないみたいなニュアンスになって、じゃあ別に遠坂のことなんてどうでもいいみたいな感じになってさ──」
やたら適格な解説をする士郎。その内容そのものには別に問題はなかったのだろうが──
「……先輩、声、大きすぎです……」
うううう、としくしく涙を流しながら、桜が呻く。
「…………あ。」
──如何せん、今の会話が居間にいる全員に筒抜けなのが致命的だった。
むう、と唸り、視線を壁から外そうとしないアーチャー。
顔を真赤にして、ぷるぷると震えている凛。
「え………えーっと………………」
目を果てしなく泳がしながら、士郎はうめく。
「─────さて! では私はそろそろ就職活動に! 面接に行ってきますねっ!?」
一番先に動いたのはバゼットだった。すぱんと言い切ると、素早く立ち上がり、迷いなくすたこら居間から脱出する──
「そ、そうだ。エミヤと話があるんだったな! ようし、頑張って聞いてくるぞう!」
ははははは、と空笑いしながらアーチャーが庭へと飛び出す。
「わ、わたしはその、何も言ってませんから。あ、そうだお茶のおかわりいれてきますー」
ぱんと手を打って、桜もまたキッチンへと退避。
「………………………………………え………えええええっと……」
そして。
残された士郎は、ただひたすら目を泳がせながら、固まっていた。
「それで、衛宮君?」
ざっ──
凛は一歩前へと踏み出しながら、そっと尋ねた。
「誰が、何だって?」
──笑っていた。
遠坂凛。あかいあくまは、顔を耳まで赤く染めながら、口を引きつらせ──そしてそれでも笑顔を保っていた。
士郎は顔を青ざめさせながらも、じりじりと後ろへと下がる──が、すぐに壁に背中が当たり、動きは止まった。
士郎はこっそりと息をのみこむと、意を決して口を開く──
「いや、その…………ええとですね遠坂さん、これには深い事情が、」
「ふうん?」
凛は羞恥のために赤く染まった顔で笑いながらそう聞き返し、
かっ─────!
──そして。衛宮の屋敷が、漆黒の光に包まれた。
47.“凛”
「……あ、危なかった……」
庭に飛び出したアーチャーは、屋敷が漆黒の光に包まれるのを背中越しに眺めながらふうと息を吐いた。
が、それも一瞬。今立っている場所はすぐにでも凛たちの視界に止まる。居間に戻るのは少しばかり時間を置いてからにしたほうがいいだろう──そう考え、アーチャーは足に力を込め、助走無しで跳躍し、屋根の上へと降り立った。
「あっ」
声に振り返ると、そこには先客の姿があった。
「──なんだ、ここにいたのか」
突然現れたようにでも見えたのだろうか──驚いたように目を見開いているエミヤを見下ろし、アーチャーはふむ、と腰に手を当てた。
「ああ……、ええと、アーチャー、さん?」
「……アーチャーでいい」
さっと手を振り、苦笑。
「……そうだな、聞いてくると言ったのだ。話くらいは、な……」
──やれやれ、と首を振る。
「……? どうか、したんですか?」
こっそりと聞いてくる。
いや、と首を振りながら、エミヤの隣へと向かい、無造作に腰掛ける。
「それで、さっきはどうかしたのかな?」
ぽつり、と空を見ながら、静かに訪ねる。
──返事が返ってきたのは、十秒程してからのことだった。
「……思い出したんだ」
「……?」
首をかしげ、ちらりと視線を隣へと送る。
エミヤはじっと俯いたまま、ぽつりぽつりとこぼした。
「凛の顔を……思い出した」
「……ふむ」
“士郎、ごめんね……大好き、だよ”
──ちらり、と。思い出のかけらが頭をよぎる。
エミヤはそれには気づいた様子もなく、続けた。
「凛は、死んだんだ。オレの知っている凛は……もう、いなくて。なのに、あんな──あんな笑顔……っ」
反則だ──、とエミヤは呟いた。
「そうだな──いや、全くその通りだよ」
言ってアーチャーもまた苦笑する。その胸に、僅かばかり誇らしげな気持ちを抱きながら。
「アンタは……」
のろのろと、エミヤは呟きアーチャーを見据えた。
「?」
きょとんとして見返す少女。
「……いや。なんでもない」
言ってエミヤはまた目を伏せた。
(やれやれ……)
アーチャーは苦笑し──
(まあ、そうだな。桜の言う通りだな。いきなりこんな目に会えば戸惑うのも当然、か。何、愚痴のひとつくらいなら聞いてやらないことも──)
「……アンタは凄いな。英霊になったんだもんな──」
そして。ふいに呟かれたエミヤのその一言で、動きを止めた。
「……なん、だって?」
感情を押し殺し、尋ねる。
エミヤの瞳に浮かんでいるもの……それは、憧れだった。
「オレは……オレにはとても出来そうにない……いや、無理だ」
言って、顔を膝に埋める。
「……………………。」
アーチャーは何も言わない。ただ動きをじっと止め、密かに息を吐く。無表情になっていることに気づき、顔を俯かせた。
なんとか平常心を取り戻した頃に、エミヤはさらにぽつりと呟いた。
「オレは……出来損ない、なんだ」
「……?」
眉を跳ね上げる。エミヤは自嘲するように唇を歪め、空を見上げた。
「……駄目なんだ。結局オレは、だめな奴だった……セイギノミカタとしても、凛の恋人としても、」
ふう、とあきらめにも似た空虚な息を吐いて、彼は呟いた。
「──……エミヤシロウとしても──。」
48.PAST(T)
……聖杯戦争がおわって、オレと遠坂はロンドンへ旅立った。凛のことが好きだった。だからそれにつり合うように必死に勉強した。けど、すればするだけ、自分と彼女の差が明確になるだけだった。固有結界のことは塔では伏せていたからさ。あそこでのオレの評判は──お荷物、その一言で表せた。
2年が経って、オレは旅にでた。まだ学ぶことはあったけど、早めに切り上げた。
……一人での旅だった。凛は、ひょっとしたら誘えば付いて来てくれたのかもしれない。でも、オレにはできなかった。彼女と一緒にいれば、比較される。それが怖かった。
半分、あそこから逃げるための口実のようなものだった。
それから数年は、人助けと力を磨くのに明け暮れた。ある程度自信もついて、これなら凛とつりあいも取れるだろうって──そう思って、ロンドンに帰った。
待っていたのは、残酷な現実だけだった。凛は半年も前に死んでいた。何かの事件に巻き込まれた、ってルヴィアさんは言っていた。──オレはもう、何がなんだかわからなくなって。そのまま倒れた、らしい。
目が覚めたのは二日後だった。ルヴィアさんの屋敷で介抱を受けていたらしい。
「──ああもう。どうしたものやら……シェロに会ったらまず初めに張り倒してやろうと思っていたんですけれど、昨日の件もありますし、そうですわね──貸しということにしておきますわ」
彼女の第一声が、それだった。それで、気づいた。オレは彼女も傷つけた。──オレが弱かったから。だからルヴィアさんも──凛も──。
「凛は……」
オレはのろのろと尋ねていた。
「凛は、どんな最期を……?」
「──……。」
ルヴィアさんは腕を組んでそっぽを向いていた──けど、しばらくしてから観念したように口を開いた。
「……少なくとも、貴方に言いたいことは沢山あったようですわね」
「……だろうな」
「ああ、それから」
自嘲気に視線を落としたオレに、彼女はすっと手を差し出した。
その手に乗っているのは──赤い、宝石。
いつも彼女が持っていたものだ。
「これは……?」
のろのろと顔をあげた。ルヴィアさんは懐かしむような表情で宝石を眺めながら、
「……シェロに渡してほしいと言われていましたので。形見……と言うことになるのでしょうね」
そう言って、悲しげに笑う。
オレも、黙ってそれを受け取った。
「…………オレは──」
何かを言おうと思った。
けど、結局、やめた。
ふっ、と。
抜けるような笑い声が聞こえて、顔を上げた。
ルヴィアさんは、しょうがないですわね、と呟きながら。
「家に戻りなさい、シェロ。そこに──思い出がありますから……」
その笑顔は、とても優しくて、とても暖かくて。
とても、泣きそうな顔だった。
49.PAST(U)
「……ただ、いま」
恐る恐るその言葉を呟いて、アパートメントのドアを開けた。
──ここで、凛と二人で暮していた。
キッチン兼リビングに、ユニットバス。それだけが二人の生活の場所だった。正確にはもう一部屋あるんだけど、魔術関連の資料やら雑貨やらクローゼットやらでそこは全部埋まっていた。
だから、この部屋。
ここで、ずっと二人で暮していたんだ。
──部屋の中は、オレが出て行った時とほとんど変わっていないようだった。共同の机、ベッド。壁時計も同じ。見れば、まだ動いているようだった。
(……?)
なんとなく腑に落ちなくて、冷蔵庫を開けた。
──中にはさすがに物は入っていなかったけれど、ひんやりと冷えていた。
水道を捻った。蛇口から水が出た。
部屋のスイッチを押した。電気が当然のようについた。
──なんで、なんて考えるまでもなかった。
こんなことをしてくれるのは、一人しかいない。
「──ルヴィアさん……凛がいなくなった後も…ずっと、……っ」
オレの、帰りを。ずっと待っていてくれたのか────。
「ごめん……ごめん、二人とも──」
ごめん。
そう呟きながら、ようやくオレは声を出して泣いた。
50.PAST(V)
……泣き疲れて、そのままオレは眠っていたらしい。
ふと眼を覚ますと夜になっていた。
「……う」
身を起こす──その途中で、ふと見慣れないものが目にはいった。
机の上。そこに、見慣れない本が置いてあった。
なんとはなしに近寄り、手に取った。
『日記帳』──そう書いてあった。これ以外に三冊もある。
……オレがいたときは、こんなものはつけていなかった。気になってページを捲った。
「士郎がいなくなった。元々の夢だった、セイギノミカタ。ソレを実現するために旅にでた。私も応援したい。
まだまだ荒削りだけど、士郎はこれからもどんどん成長する。旅から帰ってきたときが今から楽しみだ。
でも、ひとつだけ。一つだけ文句がある。士郎は結局わたしを置いて旅に出た。一緒にいこう、と言ってくれたら。そうしたらきっとわたしはうんと頷けたはずだ。
──違う。そうじゃない、とこれを書きながら気づいた。どうしてわたしはあのとき、連れて行ってと言えなかったんだろう──それが、心残りだったんだ。」
「……ごめん、凛」
……口から出ていたのは、謝罪の言葉。
「本当──ごめんな……」
──気づけばまた泣いていた。いつの間にか涙が出ていた。
あの時誘っていれば、違う未来が待っていたんだろうか。こんな結末、あんまりだ──。