31.出発
「さって、そうと決まったら早速出発よアーチャー!」
玄関前。ぱん、と両手を打って凛は大きく頷いた。その手にはカレイドステッキを縛ったロープが握られている。
「あ、ああ……」
曖昧に頷く。と、鏡に写った自分の姿を眺め、彼女はふと胸に手をやった。
「……そうだ。すまない凛、預けっぱなしだったな」
「え? 何が?」
「ペンダントだ。先程君に預けたままになっていただろう?」
「あ、うん。そうだった……」
慌てて頷き、凛はポケットにいれていた二つの赤いペンダントをアーチャーへと手渡した。いそいそと腕を首の後ろに回し、それをつける姿をぼんやりと眺めながら──ふと気になって、尋ねる。
「……ね、アーチャー」
む、と視線だけで聞き返すアーチャーに、凛は静かに首を横に振り、
「それって、どっちがどっちのなの?」
その言葉にアーチャーはきょとんとして目をしばたいた──が、すぐに意地の悪い顔つきになると、
「──何だ、気になるのかね」
小さく口を歪めるアーチャーに、凛は顔を赤らめ視線を逸らして口早に、
「ちょ、ちょっとどうなのかなって思っただけよ!」
「そうかね」
言って彼女は視線を鏡から外し、靴を履く作業へと取り掛かっている──。
「……それで、どうなのよ」
「なかなかしつこいな、君も」
苦笑しつつ、アーチャーは立ち上がる。それに続きながらも凛は食い下がった。
「ちょっと、アーチャー」
そうだな、とは頷き、凛を見上げながらゆっくりと口を開いた。
「──凛、世界の法則と言うものは知っているな?」
「え?」
聞き返す凛に、アーチャーは玄関のドアを開けながら、素早く囁いた。
「一つの世界にその人物は一人しかいない──と言うものだ。だから例えばこの世界に“遠坂凛”という存在は、君一人しかいない。まあ、私とアイツとは特別な例だろうが──それでも、未だにこうしていられると言うことは、私とあの男は最早別人のような関係に当たると考えても良いだろうな。実際、あの男の辿ってきている歴史は、私のものとはすでに大きく違っている──」
さっと手を振りながら、小柄な少女はくるりと振り返った。その胸に収まっている二つの宝石を摘まんでみせながら、
「コレも、同じことだ。それまでに辿ってきた歴史、抱えてきた思い出。それは全然異なっている。だから──見分ける以前の問題だ、と。そう言うことだよ、凛」
そう言って──、微笑んだ。
「ふぅん……。うん、まあ」
凛はすたすたと先へと進みながら、口早にぼそりと呟いた。
「……わかってるんなら、うん、別にいいんだけど」
言って、すたすたと先へと進んでく。
アーチャーはしばらくそんな彼女の後姿を見送っていたが──やがて自分も外へと出ると、扉を締め、鍵をかけながら、
「……ひょっとしてあれか。一緒くたにされているのではとか不安になったのかね?」
「う、うるさいっ!」
図星だったのか、顔を赤らめ怒鳴り散らす凛に、アーチャーは全く、と笑いつつ小走りで追いかけ、横へと並ぶ──
「全く、そんなはずはないだろうに。何しろ──」
「……何しろ?」
おずおずと呟きつつそっと顔を覗きこんできている。
いや何、と手を振りながら、アーチャーは笑った。
「いや──止めておこう」
「……何よそれ」
憮然とした表情。
「いやいや」
アーチャーはくすくすと笑う。
「あ、あのねえ──」
凛は顔を赤らめながらも詰め寄る──
──朝と昼の狭間。騒ぎながら進んでいく二人を、穏やかな光が照らしていた──。
32.壊れ行く平穏
衛宮邸・居間──
「それでは行ってきますね、シロウ」
廊下から顔を覗かせ、小さく頭を下げているのはセイバーだった。
「うん、気をつけてな」
ひらひらと手を振り、士郎はそれを見送る。と、
「──っと。おや、お出かけですか?」
襖の横手からそんな声が飛び込んできた。セイバーはむ、と振り返って、こくりと頷いた。
「ええ、少々用事が。バゼット、貴女もですか?」
「ええ、まあ……」
どうやらそこにいるのはバゼットらしい。
「……先輩、お味噌汁温め直しちゃいますね?」
そのやりとりを聞いていたらしく、こっそりと士郎の後ろから桜が囁いている。士郎は頷いた。
「うん、そうしてくれ。悪いな桜」
「い、いえっ」
頬を赤らめつつ桜が立ち上がる。
では、とセイバーが会釈をして廊下の奥へと消えるのに少しばかり遅れ、その反対方向からバゼットが姿を現した。
「おはようございます、士郎君」
「ああ、おはようバゼット。今桜が味噌汁温めなおしてくれてるから、ちょっと待ってくれな」
言いつつ、朝食の乗った皿にかかっているラップを次々に外していく。バゼットは恐縮したように身を縮こませて、
「……すいません。寝坊したくせに皆さんに迷惑までかけてしまって……」
「何言ってるんだ、別に時間なんて決まってないんだからさ。特にアンタたちはまだ慣れてないんだし、そんなこと全然気にしなくていい」
そう言って小さく笑う士郎──その横顔をバゼットはぼんやりと眺めていたが、やがて『はっ』と我に返ると、頬を赤らめた。胸に手を当て、小さく笑いつつ、囁く。
「……ええ。ありがとう、士郎く──」
「──ええと。はいバゼットさん、どうぞっ」
──と。唐突に二人の間に割って入り、『ずいっ』と茶碗と味噌汁の載ったお盆を突き出したのは、桜。僅かにその口元が引きつっているのだが。
「あ、あああっ。ありがとうございますっ」
声を上ずらせてバゼットが慌ててびしりと居住まいを正す。
「で、ではいただきますっ」
慌てて味噌汁に口を付ける様子を眺めながら、士郎は頷いた。
「うん、召し上がれ」
「先輩、お茶いりますか?」
バゼットのコップを置きながら、桜が尋ねてくる。
「ああ、悪い桜。じゃあ頼むよ」
「はいっ」
台所にコップを取りに行く桜の後姿に軽く会釈しつつ、バゼットはふと尋ねた。
「そう言えば、今日は人が少ないですね」
ん? と士郎は振り返った。
「ああ、そうだな。セイバーも今でかけたし。ライダーはバイト、藤ねえは用事、カレンは……よくわからないけど」
「この前いた、赤い女の子の二人組はいないのですか?」
バゼットの言葉に士郎は一瞬きょとんとして彼女の顔を見返す──が、すぐに思い当たったのか、ぽんと手を打つと、
「……ああ、遠坂とアーチャーのことか。あの二人はずっとここに住んでるって訳じゃなくて、気まぐれで自分の家とここを行ったり来たりしてるからな」
「わたしもそうなっちゃいますけどね」
コップを二つ机に置き、すとん、と士郎の隣に腰を下ろしつつ──、桜。
「そうだな。まあ何にしろ今日は平和そうだなー」
両手を上に大きく伸ばし、ふうと息を吐きながら──士郎。
「そうですねっ。──あ、じゃあ先輩、後でお買い物いきませんか?」
もじもじとしながら、やや顔を赤らめ、桜。
「ん? ああ、そうだな……」
頷きながら、ちらりとバゼットの方を見ると、彼女は小さく口の中で笑ってから、きっぱりと言った。
「私のことはお気遣いなく。すぐにでも出るので」
「ああ、そうなんだ」
曖昧に頷く士郎に、バゼットは目に炎を燃やしつつぐぐっと拳を握る。
「ええ。本日は面接があるのです。今日こそは! 必ずッ! この手に職を掴んで見せます──っ!」
「うん、それセイバーにも聞かせてやってくれ」
疲れた感じの士郎。そういえば、今日はサッカーでしたね、とうんうんと桜が頷いている。が、バゼットはきょとんとしたままで、
「……まあ彼女は英霊ですし、そこらへんはどうでもいいのでは?」
「だ、だめですっ。うちの財政はそこまでゆとりはないんですーっ」
喚く桜に苦笑しつつ、士郎はぴっと指を立てた。
「……ま、まあとにかく桜。じゃあ特に今日は用事もないし、夕飯の買い物も兼ねて買出しに──」
刹那。
「ちょっと衛宮くんいるっ!?」
「邪魔するぞっ!」
刹那。『どばんっ!』と威勢のいい音と共に、二人分の声が居間に届く──
『…………………………用事、出来たかも……。』
そして。桜と士郎の二人は、どんよりとしながらそう呻いたのだった──。
33.共通認識
「おはよう士郎、桜。それにバゼット」
すたすたと居間に上がりこみ、凛は髪をかきあげつつ告げる。その後ろにはアーチャーが続いていた。
「お、おはよう遠坂」
「い、いらっしゃい、姉さんっ」
士郎と桜の二人は、ややぎこちない笑顔を浮かべて二人を出迎えた。
「……?」
一瞬眉を潜める──が、大して気に留めなかったのか、彼女はふうと息を吐くと座り込んだ。少し居心地が悪そうに視線をせわしなく動かしている。
十秒ほど間を空けてから、凛は口をひらいた。
「えーとね。ちょっと困ったことが起きたんだけど──」
半笑いになりながら、おもむろに手に握られていたロープを操った。その先にくくりつけられているステッキをこてんと机の上に乗せる。げ、と士郎の顔が引きつっているが、初めて見る桜はきょとんとして二人とステッキを見比べているだけだった。
「……アーチャー? 説明しなさい?」
凛はさらりと横にいるアーチャーへと振った。視線は前に固定したままで。
「ってそれはずるいだろうっ!?」
「いいじゃない。ほらほらっ」
あはは、と笑いながら肘でつつく。
全く──と唸りつつも、それでもアーチャーは素直に口を開いた。
「じ……実はだね、ステッキが壊れてしまったのだ」
「……へ?」
ぽかんと口を開ける士郎。凛はへらっと笑いつつ続けた。
「で、なんとかならないかなって思ってこっちに来たんだけど」
「って言われてもなあ……」
ぽりぽりと頭をかき、士郎はちらりとアーチャーを眺め見た。
「悔しいけど、そいつに出来ないなら俺にも多分出来ないぞ。──うん、今のも実際見てみたけど、なんだかよくわからないし。しかしよく壊したな……」
「わたしもさっぱりです」
「同じくですね」
桜とバゼットもあっさりと首を横に振った。
「うーん、やっぱり駄目かあ……」
はあ──と、嘆息し、頬杖をつきながら凛はぼんやりと呻く。
「……まあでもアーチャーだけのことで考えたらそこまで焦ることのものでもないのよね。女の子になってるのは前からだし、魔術には影響ないみたいだし。能力的なことで言ったら、へっぽこ武装がなくなったくらいでしょ?」
「へっぽことはなにかねへっぽことは!」
さすがに声を荒らげるアーチャーに、凛はジト目を向ける。
「アンタが自分で言ってたじゃない。一般人くらいの坑魔力だって」
「い、いやまあ、それはそうなのだが……しかしやはりこう、英霊としての気構えと言うかそう言うものがだね」
ぶつぶつと呟くアーチャーをよそに、桜がうわあ、と歓声をあげる。
「そう言えばその服、セイバーさんとお揃いなんですね。可愛いですっ」
「あ、ほんとだ。まあ、前のが前の物だけに、こっちのほうがなんだかずっとまともに見えるよなあ」
ぼんやりと呻く士郎の言葉に、アーチャーはこめかみを引きつらせた。
「は……はっはっは。まるで前のが変だったと聞こえるのだが?」
『……………。』
一瞬の沈黙。皆が皆、素早く視線を動かし、そして。
『変だろ。』
34.切り札
「アレは機能とか能力とかを色々考慮した結果であってだね!」
喚くアーチャーをよそに、凛はぱんぱんと手を打って、
「はいはい。まあそんなどうでもいい事はとにかく」
「…………………ふ、ふっ。そんなことを言っていいのかな、凛」
こめかみに巨大な怒りのマークを浮かべたまま、アーチャーはただ静かに笑って見せた。
「な、なによ。言っておくけど今のは皆の共通の意見で──」
「………………………………………ふ──」
さらに追い詰められた笑みを浮かべ、少女はどこからともなく小さなディスクを取り出して見せる。押し殺した声で囁きながら、根拠のない力強さでもって意味ありげに凛を見やる──
「……凛、これが何かわかるかな?」
「え? 何よそれ……?」
眉を潜める凛をよそに、アーチャーは得意げに続けた。
「君にもわかるように簡単に言うと、記憶媒体だ。この中に様々なデータを詰め込むことが出来る。そして、」
意味ありげに言葉を区切ってから──、彼女はにやりと笑った。
「この中には先程の君の変身シーンのデータが残っていたりするのだが──」
「…………………………………………え?」
ぽかん、と。
たっぷり十秒ほど口を開けてから、ようやく凛は我に返った。『がばっ!』と立ち上がりつつ、怒鳴る。
「な……なっ!? あ、あれ壊したじゃないっ!?」
予想していたよ、と言うようにアーチャーはやれやれと肩を竦める。
「ふ。記録そのものはこちらに行うのだよ。これさえ無事ならあとはなんとでもなる。機械に弱いのが裏目に出ぺっ!?」
言葉の最後のほうは、凛の放ったガンドによって途切れた。
「……………渡しなさい。」
ゆら、り────
俯き、低く押し殺した声で囁くは──あかいあくま。
そして彼女は、瞳の中にぐるぐるマークを浮かべ、どこからともなくゼルレッチを取り出し、
「渡しなさい、今すぐ──っ!」
完全に我を忘れた状態で、アーチャーへと振りかぶる──!
「って、いや待ちたまえさすがにゼルレッチは何と言うか反則で──」
顔を青ざめさせ、アーチャーはひいいと叫び声をあげる。
「え、うわ、ちょっと遠坂待──」
悲鳴をあげるのは、アーチャーのすぐ傍にいた士郎。咄嗟に傍にあったステッキを掲げ、盾代わりにしようとしている──
「まずい──士郎君危ないっ!」
緊迫した声を共に立ち上がり、士郎の元へと向かうのはバゼット──。
目を瞑る桜。
士郎に握られた、カレイドステッキ。
振り下ろされるゼルレッチ。
バゼットが反射的にかざした、左手の義手。
青ざめ、逃げようとするアーチャー。
完全に我を忘れた様子の凛。
そして。
かっ───────!
膨大な光が、屋敷そのものを飲み込み、膨れ上がり、炸裂した──。
35.亀裂
「ったく、なんなのよ……」
光が収まり、初めに響いたのは、ようやく我に返った様子の凛の毒づきだった。
「おい皆、無事か……?」
よたよたと。やけに疲れたような表情で士郎が呻く。
「は、はあ。なんとか……」
目をしばたきながらも桜が頷く。続いてアーチャーとバゼットもまた、のろのろと声をあげている。
「一体何が起こって……?」
呻きつつ顔を上げるアーチャーの目に映ったものは。
ぱぁぁぁぁぁぁっ……
鈍く淡く光を放つ、カレイドステッキだった。
「……凛。見ろ、カレイドステッキが」
「え? あ、ほんとだ……」
ぽかんと口を開け、頷く凛。そうしている間に、光はさらに強くなっていく。
──ズっ、
何か、ずれるような音が響いた。
「……え?」
アーチャーは片手で凛を庇いながら、冷静に周囲を見渡した──見ると、ステッキの上空の空間。そこに亀裂がはしっている。
──────ズズっ……
亀裂が広がる。空間が歪む。
「ちょ、ちょっとちょっと何なのよこれ……!?」
喚く凛に、アーチャーは後ずさりつつ首を横に振った。
「わからない。ただ、何かが起ころうとしているようではあるが……」
ズ、ズズっ、ズズズズズズっ──
見る間に広がり、すでに1メートル近くまで延びている亀裂。
「……どうなるのか見当もつかない。正直一番の打開策は今すぐアレを破壊することだと思うのだが、どうかね凛」
低いアーチャーの声に、凛もまた眼差しを鋭くして頷いた。
「了解、そうね。いいわアーチャー、やっちゃって……!」
「ああ!」
鋭く叫び、手にした刃を片方、亀裂に向かって投げつけた──
36.現れた者
双剣の片割れが、鋭く回転しながら亀裂へと孤を描きながら突き進み──
ぎぃんっ!
──そして。亀裂に突き刺さる寸前、白い刀は弾かれていた。
亀裂の隙間から伸びている、全く同じ形状の、しかし白と黒が逆転したような刀に。
「あれは……!?」
自分の左手に握られたままの刀──つまり、これと全く同じものだ──を見つめ、呆然と立ち尽くすアーチャー。
「……やれやれ」
亀裂の中から聞こえる声は、聞き覚えのあるものだった。
「……いきなり攻撃とはあんまりだと思うんだけどな」
呟きながら、ソレはゆっくりと亀裂から姿を現した。
──その姿には、見覚えがある。
灼けた肌。
鋭い視線。
広い、背中。
唯一つ、髪の色だけがオレンジがかった茶色──
衛宮士郎と、同じ色。
「アンタ……」
呆然と呻くのは、凛。
そして彼女は、驚愕に目を見開きながら、うなされるかのようにして呟く──
「……アー、チャー?」
変化する前の、本来あるべき姿のアーチャー。
それが──、立っていた。
37.混乱する事態
「ったく、何なんだ一体……?」
ぽり、と頭をかきつつその男は、手に持った剣を構えつつゆっくりと周囲を見渡していった。
「……………ここは……?」
士郎、桜、アーチャーと、右から順番に各自の顔をゆっくりと確認していく。その度に、男の顔には驚愕の表情が深く刻まれていくようだ。
そして、最後に。
一番端にいた凛の顔を見て、男は完全に硬直した。
「…………?」
疑問符を浮かべつつも、凛は慎重に口を開く。
「ええと……貴方──?」
「凛……?」
ぽつり、と。男が呟いた。
「? な、」
に、と言う言葉の続きは。
「凛─────!」
叫んで抱きついた男の声によって、かきけされていた。
「な」
凛が顔を真っ赤にさせて硬直する。
「な」
桜が顔を青ざめさせて絶句する。
「な」
バゼットがぽかんと口を開けて呆然としている。
「な」
士郎が顔を引きつらせて立ち尽くしている。
「って──」
声とともに、地面を蹴りあげる音。
「なにをやってるのかねっ!?」
すぱーんっ!
軽快な音と共に、男の頭にハリセンがめりこんだ。
「あいてっ!?」
男がたまらず頭を押さえて後ずさる。振り返ると、そこにはアーチャーの姿。ぴしりとこめかみをひきつらせつつ、口元をぎこちなく歪めている。
「凛、君も君だ。避けるなりガンドを打つなり張り倒すなり対処したまえ」
「う、うん……ごめん」
ぱぱっと身なりを整えつつ、凛が未だに赤い頬のままごにょごにょと呻く。
全く、と呟いてアーチャーは目の前の男を睨みあげた──
「それで。貴様は何者なんだ?」
「……いや、何者とか言われてもな。それよりここはオレの家だよな? なんで桜そんなに若いんだ? それに──……」
ちらり、と凛へと視線を送る。
「あはー、それについては私から説明しましょう」
と──
上空からやたら吞気な声が響き、皆が顔をあげる。
そこには赤い光球が浮かんでいた。その姿そのものにはだれもが見覚えがなかったようだ──が、一部の者は、うげ、と顔を引きつらせていた。
士郎、アーチャー、凛である。
「あんたまさか……ルビー?」
恐る恐る尋ねる凛に、光球はふわっと浮き上がると、
「あはー、はいはいそのとおりです。マジカルルビーちゃんですよー」
と。やたら適当な感じでそう呟いた。
38.衛宮士郎
「で、どういうことよ」
とりあえず居間で落ち着いて話そう、と提案したのは士郎だった。現れた男の向かいに据わり、凛は慎重に男を観察する──
──ジーンズにシャツ、というラフな服装である。体格そのものや肌の色は本来のアーチャーと同じ。ただし髪の色は士郎と一緒。表情も、よくよく見れば自分の記憶の中にあるアーチャーほどに鋭くはない。どこか頼りなさと弱さを変え備えているような。
「えーとですね」
とのたまったのは赤い光の玉である。
「まあ簡単に言ってしまえば、イレギュラーの事態が重なりすぎたために機能が暴発した、というところでしょうか」
「……暴発?」
物凄く嫌そうな顔で凛は聞き返した。
「はい。まあはじめにあっちの家でアーチャーさんに使用した時点でもうかなり変なことになっていたんですが、さきほどの接触で一気にわけがわからなくなってしまいまして、で、結局こうなってしまったというところでしょうか」
「接触? 接触ってなによ」
「お二人と──」
言いつつ、士郎とアーチャーをさししめす。光球を歪ませて。
「ゼルレッチと私、そしていくつかの不安定要素がステッキの暴走を加速させた、ということです。いやあまいっちゃいましたねえ」
あははー、と笑うルビーの言葉にこめかみを押さえつつ、凛はなんとか呻いた。
「…………………まあいいわ。とりあえず、納得はできないけどまあ理解はできたわ。それで、」
じろり、と半眼で睨みあげ、尋ねる。
「このひとは? ……なんだか非常に見覚えがあるんだけど」
続けてアーチャーもはっはっと笑う。
「うむ。まあ私の2Pカラーだな?」
「いや違うだろ色々とさ」
疲れたように呻く士郎。
「ええと……?」
未だ事態がわかっていないのか、きょとんとしている男に凛は視線を向けた。
「……貴方。あなたは──誰なの?」
「誰、って言われてもな」
ぽり、と頬をかく。士郎を横眼で見ながら、僅かに首をかしげて。
「…………衛宮士郎、なんだけど」
39.並行世界
「……補足しますと、この世界ではない所に在る世界、所謂平行世界の衛宮士郎です。本来私の機能は平行世界に在る特定の人物の能力のみを拝借してくるというものなのですが──」
やれやれ、と震えて見せる。
「先ほどの二回のイレギュラーにより、こうなっちゃった、というわけです」
「あほかあああああっ!」
すぱーんっ!
渾身の力で凛が光球にハリセンを振りおろした。
「あうぁっ!? わ、悪いのは私じゃないですよっ!?」
聞く耳持たず、彼女はびしりとハリセンを突きつけ、唾を飛ばしつつ叫ぶ。
「るっさい! なんかもう本気でわけわかんないことになっちゃてるじゃないのよ! どーすんのよっ!?」
「凛、凛。まあ落ち着きたまえ」
苦笑しつつアーチャーが凛をなだめる。
「落ち着けるはずないで、」
「──いいから座るんだ。ほら、水でも飲んで」
言って、無理やり腰を下ろさせ、コップを手に取らせる。
「……う」
少しの逡巡の後、凛はぐいっと一気に水を飲み込んだ。ふぅっ、と息を吐き、じっと視線を下へと落とす──
「……少しは落ち着いたかね」
「…………うん」
のろのろと頷く凛に、アーチャーはよし、と呟いた。と、
(……?)
視線を感じて顔をあげると、男がこちらをじっと凝視していた。
ふむ、と呟いてから彼女は光球を見上げて、
「それでルビー。どうやったらこの状況は元に戻るのかな?」
「あはー、そうですねえ……」
光球がぼんやりと呟く──と。
「ちょっと──待ってくれないか」
──それまで黙っていた男が、ふいに口を挟んできた。
40.存在
「その……ええと、今の大体の状況はなんとなくわかった。要するにトラブルがあって、で、オレがまきこまれてここに来た、ってことだよな?」
「ええ、まあ身も蓋もなく言えば」
あっさりとルビーは同意した。
「それで……元に戻すというのは……つまり、オレを元の世界に返すと言うことか?」
慎重に訪ねる男に、ルビーはあっさりと、
「あはー、まあそうなりますね」
男は拳をぎゅっと握りしめながら、慎重に尋ねた。
「……なら、それはどうしてもやらないと駄目なのか?」
「──どう言う意味かね」
ぴうり、と眉を跳ね上げるアーチャー。
「ここに……この世界に居残っては駄目なのか、ってことだ。もし不都合さえなければ、オレはここに残ってもいいと考えて……いや、残りたい」
しっかりと、男はそう言い切った。
「ま、まちたまえ私! ソレは色々と困るぞ──」
わたわたと慌てるアーチャーに、男は眉をひそめた。
「……何でさ。と言うよりさっきから気になっていたんだが、アンタは何なんだ?」
「わ、私は──何と言うか、だな」
言いつつ、ちらりと凛を見る。
全く、と呻きつつ、凛がさっと手を振り口を開いた。
「……彼女はアーチャー。わたしのサーヴァントよ。それから念のために言っておくけど、わたしは──遠坂凛」
「ああ、知っている」
勿論桜もな、と男は頷いた。
「私はバゼット・フラガ・マクレミッツ。現在士郎君の家で居候させてもらっています」
バゼットは現在における状況のみを簡潔に説明した。
凛は男の顔を真っすぐに見つめて、
「それで、貴方は?」
「……? 名前を……知らないのか?」
傷ついたように顔を歪める士郎に、しかし凛は首を横に振った。
「名前はわかってる。どんな存在なのかってことを聞いているのよ」
が、男は眉を僅かにひそめてみせた。
「言っている意味が……よくわからない。オレはオレだ。衛宮士郎だ」
「……つまり、どう言うことかね」
こそこそと尋ねてくるアーチャーに、凛もまたぼそりと呟き返す。
「……英霊じゃないってことでしょ。アンタと士郎とどっちなのかって言ったら士郎寄りなんでしょ、きっと」
「な、なるほど」
こくこくと頷くアーチャー。
二人の様子をぼんやりと眺めながら、男は手をそっと挙げた。
「……凛。少しいいか」
「ふん、貴様随分馴れ馴れしいな。まだ出会って十分ほどだろうに」
ひくりと頬を引きつらせるアーチャー。
男はぐ、と言葉に詰まったが──結局弱々しく首を振った。
「……そうだよな。オレの知ってる凛じゃ、ないんだよな……」
「……何よ。じゃあ貴方の知ってるわたしってどんな存在だったの?」
気になったのか、凛が身を乗り出した。
男は一瞬言葉に詰まった。視線を床へと落としながら、
「……そうだな。憧れてた人で……尊敬してて……そして、愛してた──」
言って、苦笑のような自嘲。
「え、それって──」
思わず聞き返した桜に、男は振り返って、
「……凛は……オレの恋人だったよ」
そう言って──、苦笑した。