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第5章 /  wish

 

 

 

 

 

 

T

 

 

 

 

 村から草原を抜けて南西に90分ほど進んだ所に森があるのは、予め来る前に買った地図でも確認出来ていた。何の変哲もない、名前すらない小さな森。あと少し規模が小さければ林と言っても差支えはなかっただろう。その森の外れには、一つの小さな洞窟があった。高さは約2メートル、幅も同じくらいか。二人並んで進むには些か窮屈そうだ。洞窟の周りには瓦礫が飛び散っているが──これは恐らく洞窟の結界を破壊した爪痕なのだろう。

「ここ、ですか?」

 洞窟の前に立ち、バゼットは士郎へと確認した。

 雨が強い。土砂降りとまではいかないにしても。おかげでスーツの足元がぐしゃぐしゃだった──この仕事が終わったらクリーニングに出さないとならないだろう。

「……そうだ」

 士郎は低くそう頷き、無造作にずんずんと洞窟の中へと侵入していく。

ここに来るまでの間、一言も口を開かなかった──そしてこちらもまた、話しかけられなかった。鬼気迫るとはこう言うことを言うのだろうか。重い殺意を身に纏った男の背中を、呆然と目で追いかける。

(士郎君……)

 殺す、とあの男はそう宣言した。

 止めるべきなのだろうか。それとも、手助けをするべきなのだろうか。どちらが正しいのかがわからない──いや、正解など、きっとない。

 見極める必要がある。この結末を。そう言い聞かせ、ようやく足を踏み出して背中を追いかける──洞窟の壁は何と言うことはない、ただの岩の壁だ。不自然な程に凹凸が少なく、道も一直線に進んでいることから、人為的に作られたものなのだろうと推測される。

「だんだん……思いだしてきた」

 壁に手を当てながら、背中を目で追いかける。士郎はひとり言を呟くような囁きで語ってくる。

 その背中の奥に──小さな光がぽつりと見える……

「凛が、聞きだしてきたんだ。ここは、未発掘の洞窟で、宝が眠っている、そう言う触れ込みだった」

「宝──ですか」

 呟くように繰り返す。

 奥の光は次第に大きさを増していた。

 現代社会では些か場違いな単語のように思えるが、それがこと魔術の世界の話となると、そう言った情報は決して珍しくはない──ただし、その大半は捏造されたものか、あるいは大幅に脚色されたものなのだが。恐らく凛が飛びついたのだからそこそこ信憑性はあるものだったのだろう──いや、まさに彼女は当たりを引いた。ただし運と実力が足りていなかった。それだけの話だ。

「……どんなものだったんですか?」

「願望機だ」

 あっさりと士郎はそう言って──その言葉に、思わずバゼットは立ち止まっていた。

「な──それってつまり、聖杯ですか?」

「違う」

 士郎はこちらへ振り向くことはせずに、あっさりと首を横へと振った。

「疑似聖杯、とでも言うのかな。いや──違うな。アレはそんなものですらなかったな……」

「──その通り──」

 反響したその声は、洞窟の奥から響いてきた。

 暗殺者。やけに皮肉めいた、楽しそうな声だ──勘に障る。

「──俺が叶えてやれるのは、本人に出来ることのみ──」

 士郎の進む速度が速くなった。つられて自然、こちらの足も速まる。光が次第に大きくなってくる……

「──だから、空を飛びたいだとか、不老不死になりたいだとか、そう言うのは無理なわけだ。だってそんなの努力で出来るもんじゃねえだろ──?」

 憎々しげに声を噛み潰し、士郎は唸る。

「……そして、あれは聖杯ですらなかった。杯ではないからな。その形状は、鏡」

「鏡──まさか、あの剣ですか!?」

 思わず声を荒らげて叫ぶ──が、士郎はかぶりを振った。

「違う。あれは、付属品だった」

「──その通り。何てったって見せかけの願望機だからな。補助が必要だったってわけさ──」

「……凛と私はあれを手に入れようとここに入り──そして、罠に引っ掛かった。結果として凛は死亡。私もまた瀕死で逃げだした」

 光がさらに強まっていく。目算であと10歩。それで光源にまで辿り着く。

「──そうだな。だが、逃げだす前に鏡の効果は発動していた……それが、あいつで、俺だ──」

(成程……つまり、彼が現れると言うことは、そのまま凛さんが消えることを意味していたということか……)

 胸中で舌打ちをして、足を進める。あと5歩。

「効果は──今更だな。もうとっくにわかってんだろ? まあ、なんて言うか果てしなく意味があるのかどうか微妙なもんだがな──けど安心しな──アンタの願いは十分に、自分自身で実現可能なものだったからな──」

 あと3歩。バゼットは士郎の背中を見上げ、尋ねる。

「まさか、士郎君の願いって──」

 2、

1、

 ───0。

 

 じゃり……っ

 

 足元の感触が変わった。ごつごつした岩はそのままだが、中に礫が混じっている。礫は──どうやら岩壁と同じ材質のようだった。だとすると、壁が崩れでもしたのだろうか。そう推測し、顔を上げ──

 そこで、呆然としていた。

 薄く、淡い、光。

 暗い洞窟の中、無数の光が舞っていた。

 少なくとも幻想的ではあった。輝く光は美しくはある。

 光の正体は、鏡だった。

 広場の壁一面が、鏡に覆われている。いや、壁だけではない。床も天井も──全て鏡。

 半径10メートルほどの歪なドーム状の部屋には、無数の士郎とバゼットの姿がある。

「なんだ、ここは……」

 絶句した。

 壁の一部は破壊され、砕かれている。床には鏡の破片と岩の瓦礫、そして血糊が付着していた。血糊はすっかり乾ききっているようだ。

 その最奥。鏡の壁の手前に、一つの大きな鏡と、宝箱のようなものが安置されている。

 そしてその斜め右に──、一人の男がぶっきらぼうに突っ立っていた。

 赤い布を顔に巻いた、暗殺者。

 いや、暗殺者ではないはずだ。

「──“なんで凛が。俺をかばったからだ。俺のせいで凛が死ぬ。俺のせいで。だめだ。そんなの駄目だ。頼む、誰か凛を助けてくれ。俺の命ならいくらでもさしだす。だから、頼む。凛を──”。だったよな?」

 男は顔に巻いた布に手をかけ、からかうように告げてくる。

「初めの部分は、もう叶えた。なら当然、次の願いも叶えなきゃなあ?」

 ばっ──

 赤い布が、取り払われた。

 そこから覗いているのは、浅黒い肌。

 短い黒髪はくせっ毛のようだ。

 黒い奇妙な刺青を彫った、30代くらいの男の顔には、見覚えがある。

 その表情やしぐさは到底似つかわないが。

 それでも、面影は消せやしない。

 バゼットは再び暗殺者を睨みつけた。

 衛宮士郎にそっくりな(・・・・・・・・・・)──、その顔を。

  男はへらへらと笑いつつ、ナイフを抜き放って告げてくる──

「死ぬんだよ。わかるだろう──?」






U

 

 

 

 光が舞い散り、弾ける。

 弾けた光は部屋の全てを覆っている鏡に吸い込まれ、幾重にも幾重にも反射していく。

 ともすれば冗談のような光景だ──とバゼットはひとりごちた。部屋の中には、二人の男の姿がある。

 一人は衛宮士郎。

 もう一人は名もなき暗殺者。

 二人の姿が、部屋中に幾重にも映し出されている。

 ──遠くからは僅かな雨音。

衛宮士郎は、無造作に一歩踏み出し、誰何した。

「……何だ、貴様」

「さてねえ、なんなんだろうねえ」

 暗殺者はくるくると手の中でナイフを回し、挑発的に笑う。

「ふざけるな──!」

 さらに一歩。暗殺者との距離は目測で11歩ほどか。まだ間合いには遠い。

 男はくつくつと笑う。目いっぱいの悪意を込めて。

「ナニモンとかいわれてもね。ならアンタは自分が何なのかわかるのか? どうなんだ、エミヤシロウ──セイギノミカタさんよ」

「答える義理はないな」

 さらに、一歩。

「ひとつだけ……聞かせてくれ。リンは……死んだのか」

 にぃ──

 暗殺者は顔に手を当て、口を歪めて見せた。

「消えてない──とでも言えば満足するのか? アンタの見たものが事実だ。この世の中にはそんな救いは一切ない──アンタならもうとっくにわかっているんだろう?」

「……そうだな。その、通りだ……」

 士郎は自嘲する。

(違う……)

 そう言い返したかった。世界がそう言いきれるほどに単純なものなら、誰もが迷わない──それがバゼット個人としての意見だった。だが、その意見に対して衛宮士郎は納得してしまった(・・・・・・・・・・・・・)。その事実そのものが何か致命的なことのような気がしてしまう。

「……お前は、私が望んだから生まれたのだな」

「そうだ、ずっとアンタが願ってきたこと、自分でもわかってるよなあ!?」

 暗殺者の声が跳ね上がる。纏う凶気に恍惚と身を任せ、体を揺らし──そして唐突に、ぴたりと止まる。男は衛宮士郎を真っ直ぐに見据え、低い声で囁いた。

「──殺してくれ、だ」

「…………」

 衛宮士郎は何も答えない。

 赤い背中は、それを否定しようとしない。

(士郎君……)

 思わず、駆け寄りそうになる衝動を必死に抑え、その場にとどまる。わからないでもない──と納得しそうになり、慌ててそれを否定する。確かに、そうかもしれない。この一連の事件は、彼にとってはあまりにも辛いことがありすぎたのかもしれない。だが、だからと言って──

 と。そこまで思考して、ふと気づく。

(待て……何か違うのではないですか……?)

 バゼットは疑問に思い、さらに思案を巡らせる。

彼は本当にそう願ったのだろうか。殺してくれ──違ったはずだ。そうだ、厳密には彼はそうは願ってなどいなかった──確か、あれは──

──“なんで凛が。俺をかばったからだ。俺のせいで凛が死ぬ。俺のせいで。だめだ。そんなの駄目だ。頼む、誰か凛を助けてくれ。俺の命ならいくらでもさしだす。だから、頼む。凛を──”。

 もし先程暗殺者が言っていた言葉。これがそのまま彼の願いだとして。そして暗殺者がその願いを忠実に再現するために動いているのだとすれば、厳密には士郎の願いは殺してくれと言うような悲観的なものではなかったはずだ──少なくとも願いの本文は「遠坂凛の死の回避」であり、その代償としての「衛宮士郎の死」と言うことも一応あるにはあるが、それはどう考えても願いそのものではない。

(基準が……わからない。第一、そうだ。凛さんの死の回避は結局されなかったではないか……いや、待て。叶えられるのは確か、本人に出来ることのみ、だったか……?)

 だとすれば、多少は辻褄は合う。衛宮士郎に遠坂凛を助けきる能力はなかった。だからその願いは実行されることはなく、後半の自らの死だけが実行された──と言うことでいいのだろうか……? 納得は出来ないが、一応の矛盾は多少解決したかのようにも思えるが。

「もう説明はいらねえよな。──さあ、始めよう」

 その声で我に返った。促すような挑発とともに、暗殺者はナイフを床へと無造作に投げ捨てた。明らかに攻撃の手段ではなく、ただ単に捨てただけだ。

士郎はくるりと横目でこちらを振り返った。

「バゼット」

 その目は──どこか懇願するように。

「手を……出さないでくれ。──お願いだ……」

 すぐには、答えられなかった。その目があまりにも弱々しくて。壊れてしまいそうで。泣きだしそうで──。

(士郎君……)

 意味はあるのか──、そう言いそうになり、なんとか堪えた。

 理解は出来た。ただ納得はしかねている。だから結局、願うしかない。

 息を吐き出して、真っすぐにバゼットは士郎の目を見据えた。

「…………わかりました。ですが──」

 ゆっくりと、告げる。

「約束して下さい。必ず勝つと」

「当たり前だ」

 士郎は苦笑し、さらに一歩踏み出した。

 もう、こちらは振り向かずに。

(信じて……いいんですよね? 士郎君……)

 その願いが届いたのかはわからなかったが。

投影(トレース)開始(オン)────』

 二つの声が重なり、そして。

 鏡に覆われた部屋の中──無数の影が、疾走した。





V

 

 

 

 岩壁と鏡の境界に足を置いて。

 バゼットは手を握りしめ、二つの影を目で追っていた。いや、正確には影は二つだけではない──部屋の中に張り巡らせられた鏡の中に、無数の士郎と暗殺者が映っている。

 恐らく、自分がこの戦いに参戦すれば、勝利はあっさりとこちらのものになるだろう。

 だが、それをした瞬間、この戦いに意味はなくなる。

 そもそも意味があるのかどうかもわからないそれが、完膚なきままに消滅してしまう──

(手は……出せない。出してはいけないはずだ……)

 拳を握りしめ、そう祈る。確たる根拠などない。だが、直観がそう告げていた。この戦いは二人だけのものなのだと。他の者が割って入る余地などどこにもないのだと──。

 ──ぎぃんっ!

 剣撃で、我に返った。

 暗殺者の振り下ろしたのは、歪な形の剣だった。大凡機能的とは言い難い、捻じれた刃。その一撃を双刀を交差させて受け止め、士郎は体重を込めて弾く。

さらに一歩踏み出し、暗殺者の腰を切り裂くべく右の刃を振るう──が、すんでの所で暗殺者は身を引き回避した。

「おらあっ!」

 叫び声と共に剣を上からひどく無造作に振り下ろす。衛宮士郎はそれをバックステップで甲斐した──が、その一撃の後、着地した暗殺者の足が、急激にその向きを変える。続いてそれに引きずられる形で腰が、胸が、そして腕が回転し、恐ろしいほどの踏み込みで次撃を繰り出す!

「く────!?」

勢いに身を任せた一撃が士郎の横顔すれすれを薙いだ。勢いが止まる。暗殺者は剣を振りきり終えた不自然な態勢のままだ。が──その態勢のまま、男はさらにもう片方の手に持った剣を引き戻し、士郎の眼球目掛けて突き出す──!

「っ──!?」

 瞳の中に鋭い刃の切っ先が吸い込まれる。その一撃は完璧に予想外だったのか、士郎は必死に顔を捩る。

 ぶしゅっ──

 右頬が裂け、血が飛び散った。なんとか致命傷は回避した。

 だが、まだ暗殺者の勢いは止まらない。バランスを明らかに崩しながらもさらに踏みこみ左の剣を振り上げる。士郎はそれに反応して剣で受けとめようとして、

 その直後、頭上から振り下ろす右の一撃が士郎の肩めがけて突き進む!

「くそおっ!」

 二刃に対して同じく二刃をぶつける。左の一撃は迎撃した。が。

 ぎぃんっ!

 右手に携えていた剣が、弾かれた。

「もらった──」

 倒れる寸前の態勢から、無理矢理左足を突き出し、暗殺者は地面を這うように極端に前のめりになったまま間合いを詰める。

投影開始(トレースオン)……っ!」

 士郎は咄嗟に呪文を唱え、空になったその手に再び剣を生み出した。だが、遅い。繰り出された剣の切っ先はもう目の前だ。刺される──その直前、士郎はなりふり構わず大きく後ろへと床を蹴り飛ばした。

すんでの所で避ける。だが、その一手はまずい──勢いのつきすぎた体は、背後へと突き出した左足だけでは支えきれない。

がくりと膝が折れ、仰向けに体が倒れていく。それでも右手に持った剣を床へと突き立て、転倒することだけは防いだが、それで手詰まりだ。案の定暗殺者はすかさず手にしていた剣を二本、士郎へと向かって投擲した。残った左手を振るい、その内一本は迎撃。が、残りの一本までは手が及ばない──。

「士郎君!」

思わず、バゼットが叫んで──

「────っ!」

 声にならない悲鳴とともに、体を横へと転がす。剣は士郎の肩を掠り、服と皮膚、そして肉を僅かにこそぎ落として床へと突き刺さった。致命傷だけはなんとか回避した。

(まずいな……)

 内心、舌打ちをしてしまっている。

 士郎は転がった勢いをそのまま立ち上がる動作へと加え、なんとか立ち上がった。その時点で二人の距離は5メートル程離れている。士郎は即座に両手の刃を相手へと投げつけた。その攻撃はバゼットにも簡単に予測出来た──そしてそれは暗殺者も同じだったようだ。焦ることなく暗殺者もまた剣を投げつけ、相殺した。

投影(トレース)開始(オン)!』

 ブ・ブンっ!

 二人の両手にほぼ同時に、先ほどと全く同じ獲物が出現する。全くの同時ではない──暗殺者の方が僅かに早い。一秒あるかないかというくらいの差だが、こと近接戦闘ではその差で十分だ。すかさず暗殺者は再度二つの剣を投擲し──そして士郎は、生み出された剣でなんとかそれを弾き飛ばす。

「遅せぇっ!」

 叫んで暗殺者が床を蹴り飛ばし、士郎へと斬りかかる──剣を振りきった直後の士郎はそれに対応出来ない。愕然を顔を引きつらせている──

(やはり、そうか……)

 じゃっ──

 赤い飛沫が舞いあがる。暗殺者の一撃を避けきれず、士郎は脇腹に浅い傷を負っていた。それでもなんとか反撃しようと腕を振りおろす。だが、そんな近距離では──

 ──ずんっ!

「ぐ!?」

 暗殺者の突き出した右拳が士郎の鳩尾を捕らえた。剣ではなく、拳。密着するような

間合いならばそれが正解だ。さらに右拳を引き戻すことなく、再度踏み込む。振動が士郎の体を揺らした。そして暗殺者は迷わず剣から手を離し、開いた左の手で士郎の腕をこじ開け、拳を顎へと突きあげる!

「…………っ!?」

 声にならない声。三半規管を揺さぶられたのかもしれない。棒立ちになっている。まずい──

 気づけば、突き出した拳が、開かれている。

投影(トレース)、」

 唱えると同時に手を振りおろし、

開始(オン)!」

士郎の頭上まで振り下ろされた瞬間、剣が逆手に持たれた状態で──つまり、刃を士郎へと向けた状態で──実体化して──

 

「ぐ……っ!」

 それでも士郎はなんとか暗殺者の体を突き飛ばした。が、やはり避け切れるタイミングではなかった。髪と、額を切り裂かれる。血が瞬く間に溢れ、左目を覆い隠していく。視界が片方塞がれたことになるが──。

 明らかに暗殺者が押している。いや、むしろ士郎の動きが遅い(・・)。先日彼とやり合った時も感じたことだが、彼の動きにはどこかしら一つ一つにまごつきがあった。戦闘を行うにあたってそう言ったものは知識や経験、勘などで培われるものなのだが、彼のそれは明らかに拙い──。

(そうだ……一か月。ここへ来てから一か月の期間が開いていたはずだ。例えば、あの鏡が生み出したコピーが、オリジナルを同じ能力値を持った者を生み出すとして……つまり、あの男の能力値はその時の士郎君のもの。そして……士郎君はその一か月の間、部屋に引きこもっていた……)

 それだけのブランクがあれば筋力や勘が衰えるには十分だ。遠距離からの攻撃を主とする魔術師ならともかく、近接戦闘を主力とする者ならば日々のトレーニングは欠かしてはならない。当たり前だが、筋肉は使わなければ衰えていく。魔術の構成もまた同様だ。そして彼は恐らく、それを行ってはいなかった。

(こうなったらもう、後は追い詰められていくだけだ……何より片目を塞がれたのは致命的だ……左半分が見えない──し、距離間も掴めない……)

 この状況を打開するには、別の一手が必要だと思うが──。

投影(トレース)開始(オン)!」

 呪文を唱え、士郎は宙空に5本の剣を生み出した。いずれも刃を地面に向けた状態。そしてそれが──士郎の手の動きに合わせて、一斉に真下へと降り注ぐ。だが、そこには暗殺者はいない。それよりも2歩程奥に立っている。

「はっ、距離間も掴めねえとはな。もう勝ったみてえなもんか。ええ?」

 ふてぶてしく笑う──が、それは士郎も同じだった。

投影(トレース)開始(オン)っ!」

 連続投影。今度は3本の剣が出現する。それらは少しずつ射出のタイミングをずらし、暗殺者へと飛びかかる──!

(成程、一回目の剣は外したのではく、境界線を作るためでしたか。近距離では分が悪いと判断して、中距離攻撃に切り替えた。賢明な判断だ……。賢明ではあるが──)

「はっ、狙いが甘いんだよ! そんなもん誰が食らうか!」

 暗殺者はその三撃を見切り、体をひらりと動かし回避する。その背後でがしゃんと言う破砕音。洞窟の壁が──いや、壁になっていた鏡が剣が突き刺さったことによって砕けたらしい。僅かに零れ落ちたその隙間からは、バゼットが今立っている岩の通路と同じような色の壁が覗いていた。どうやらやはり──と言うより当たり前だが──、この鏡の部屋は人為的に作られたものらしい。だとしたら、悪趣味としか言いようがないが。

連続投影(トレース)開始(オン)!」

 次弾は五本。いや、士郎の眼前に在る五本と、暗殺者の頭上に浮かぶ三本がある。それらが一斉に暗殺者へと向かい・その体を貫こうと飛びかかる──!

「だ・か・らぁ──」

 はあ──

 呆れたような嘆息をついて、暗殺者は口早に呪文を唱えた。刹那、彼の頭上に異様なまでに幅広な剣が、その切っ先を真横へ──つまり暗殺者の頭上を守るように──出現し、

 ぎぎぎんっ! ぎぎぎぎぎぃんっ!

 白銀の閃光が瞬いた。

 頭上の三本は巨大な剣によって、そして残る五本は暗殺者自身の手によって撃墜されていた。 

「甘いってんだよ、糞が」

 嘲るように、にい、と口を歪める。

(決して、最善ではない……士郎君、貴方の投影魔術は暗殺者のものよりも構成が遅いんですよ……それに──)

「くそ──それなら……っ! 全投影(ソードバレル)──」

 ぎぃぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ──

 輝きが、次々と生まれおちる。

 光が剣へと形取る──

 無数の輝きは部屋全てを飲み込まんと膨れ上がる──

(駄目だ、そんなに連発していたら、魔力も体力も持たない──)

 体力はともかく、魔力値などは一か月でそこまで劇的に変化はしないはずだ。だからつまり、二人の最大魔力値はほぼ同じなはず。と言うことは、手数を使えば使うほど後になって苦しい戦いを強いられることになる──

 ぎぎぎぎぎぎぎぎぎ────

 閃光は止まらない。

 剣は次々と、その姿を現していく。

 それこそ、部屋を埋めつくさんばかりに──

(いや、これは──)

 バゼットは目を見張る。そうだ、次手が打てなくなるほどの大打撃を与えれば、残存する力など関係ない──士郎はこの一撃で終わらせるつもりだ。

一斉掃射(フルオープン)──!」

 ─────ぎぃんっ!

 光が、収まった。

 ──そこに在ったのは、無数の刃。

 一つとして同じ形のない、剣の雨。

 部屋全てを刃で埋め尽くさんばかりに、煌めく刃が暗殺者へと狙いを定めている──

「避ける隙間がなければ」

 士郎は嘲笑(わら)う。追い詰められたその眼差しで。

「どうしようもないだろう──?」

「て、めえ……」

 唾棄。それでも暗殺者はふてぶてしく口を歪めるが、その表情は引きつっている。

「終わりだ。死ね──!」

 そして、士郎の手が振り下ろされる──

 瞬間──

閃光が、爆裂した。






W

 

 

 

轟音と衝撃が渦巻き、

炸裂した破壊が膨れ上がり、

更なる光を振りまきながら荒れ狂う──

「くそ……!」

 部屋の中へはとてもではないが入り込めない──

 バゼットは通路へと数歩戻り、腕で顔をかばって舌打ちしていた。

 士郎の放った圧倒的な数の剣の乱射は、部屋の壁や天井に突き刺さり、爆裂していた。爆裂音と破砕音が響き渡る中、部屋の中は煙と光が充満している。ともすれば洞窟そのものが崩壊するのではないかと危惧したが、どうやら無事らしい。岩盤が案外頑丈だったのか、と思わずほっと安堵する。

見境のない、乱暴と言えばあまりにも乱暴な一手だが、洞窟内の部屋と言う密閉空間ではこの攻撃方法は非常に有効だと思える。これだけの攻撃を受ければいくらなんでも暗殺者に逃げ場などなかっただろう──

(終わった……勝った……)

 安堵の嘆息。

 戦いは終わった。

 ようやく──終わった……

「終わりましたね、士郎君……」

 煙を振り払い、バゼットは部屋の中へと足を踏み入れた。

 が。

「──いいや?」

 くぐもったその声は、聞き覚えのあるもの。

「まだ、終わっちゃあいねえぜ──?」

 部屋の奥──煙の渦巻くその向こうから、低く声が響く……

「な──まさか……!?」

 愕然としながらも、足を止める。

「逃げ場はあったんだよ。だって、そりゃあそうだろう?」

 煙が次第に、収まっていく……

 きらきらと輝きながら落ちてゆく鏡の破片。

 その雨に包まれながら、二つの人影が交差している──

 どしゃあ……っ!

 その内の一つが、床へと崩れ落ちた。

 煙が、引いた。

 そこに立っていたのは──暗殺者だった。

 左腕がだらりと垂れさがっており、血まみれになっている──が、その他には大した傷はない。あれだけの攻撃を受けて、それだけで済んだと言うのはにわかには信じられないが──

誰だって(・・・・)自分を巻き込んで(・・・・・・・・)攻撃する奴なんて(・・・・・・・・)いねえだろう(・・・・・・)……?」

 その男は、士郎そっくりの声で嘲笑する。

「く、そ……」

 士郎がなんとか身を起こそうと、床に手をついて震える体を持ち上げようとしている。

「まさか──あの剣の雨の中、自分から士郎君の所へと飛び込んだのですか……?」

(確かにそうすれば、被害は最小限だ──だが、そう簡単に実行出来るようなことでは──)

 だが、現に今、あの暗殺者はこうして立っている。

 甘く見ていた──と言うことか。自分も、衛宮士郎も。

 遠坂凛と言う支えがいた頃の衛宮士郎は、紛れもなく強かった。そうだ、いくら口調や姿が違っていたとしても、あそこに立っているのは紛れもなく衛宮士郎──正義の味方を目指し、そして自身もまたそれを疑わなかった頃の士郎なのだ。

 と──そこまで考え、愕然と……気づく。

(つまり……凛さんが、彼を支えている……士郎君ではなく、あの男を……)

 違う──と否定したかった。

 だが、声は出ない。

 声は、出なかった。

「まあな。おかげでまあ、左腕は使い物にはなんねえが──」

 言いつつ、暗殺者は手に持っていた剣を無造作に突き立てた。

 床に這いつくばっている、士郎の左腕に。

「ぐああああああああああああっ!?」

 絶叫が響き渡る。

 刃に貫かれたのは、手の甲だった。潜り込んだ刃の長さを推測するに、完全に貫通してしまっているようだ──だとしたら、あの手はもう……

「まあ、これでイーブンだ」

 へっ、と笑い捨て、暗殺者は無造作に士郎の腹を蹴り飛ばした。手を地面へ縫いつけられているため、転がって逃げることも叶わない。

「けど、もう終わりだがなあ?」

 にたにたと笑いつつ、士郎へと容赦のない蹴りを次々とくわえていく。

「ぐ……う……」

士郎は体を丸めてただ痛みに耐えているだけだ。反撃すら出来ない。いや、それでもなんとか左手に突き刺さっている剣を引き抜こうと、無事な右手を伸ばして──

 がっ……

 その腕を、暗殺者によって踏みつけられた。捩じきらんとばかりに強く踏みつぶされ、その度に士郎の顔が歪む。

「あぐ……っ!?」

 血と埃にまみれた顔を持ち上げ、それでも暗殺者を睨み上げる。が、男はあくまでも冷徹に言葉を吐き捨てる。

「見苦しいんだよ、糞が。もうアンタの負けは決定なの。なあ、アンタだってそのくらいわかってるんだろう──?」

 容赦なく士郎の右手を踏みにじる。士郎は必死に歯を食いしばって堪えているが、もうどうしようもないだろう。

 そして──限界なのは、自分も一緒だった。

 もう、いい加減、耐えられそうにない。

(もう──駄目だ。これ以上は見ていられません。士郎君、悪いがもう我慢の限界です。いくら貴方が望んでいないと言っても、私は貴方を助ける……!)

 そうだ。ここで死んでしまうよりは、絶望を拭いきれなくても生きている方がいいはずだ──

 暗殺者は、昏い笑みを湛え、囁くように告げる。

「──けどまあ、これでようやく願い通りってわけだ。よかったじゃねえか。ようやく死ねるぜ、エミヤシロウ?」

 ──そして、その言葉を聞いて、足が止まっていた。






X

 

 

 

 ──その言葉が聞こえて、動揺はしなかった。

 ただ、ひょっとすればそうだったのかもしれない、と衛宮士郎は少しだけ納得していた。

(そうか。本当に私は──、死ぬのを望んでいたのかもしれない、な……)

 自嘲するしかない──。

 あれほど殺したいと願った男は、結局殺せなかった。

 どころか、これからきっと殺し返されるのだろう。

 そもそも──、そう言えばもう、生きる理由もない。

 そうだ。生きている理由など、とうにない……

 凛は死んだ。

 リンも消えた。

 大切にしたいと願った人間は、二人ともいなくなった。

 もう、何もない。

 何もかもが、どうでもいい。

 それなら、そう、死ぬのも悪くない……

 そうか、結局話は簡単だったのだ。今ここで身を投げ出せば。もう、辛い思い出たちから解放される。

(生きる……意味なんて)

 ぼんやりと考えながら、自分の左手を見やる。

 血に溢れ、最早痛みすら麻痺してきている。

 きっとこの手はもう使い物にはならない。

 だが──もうどうでもいい。

 そうだ。死ねばもう終わる。

 全部、消える。

 ここで死ぬと言うのならば、もう、それでも──

「どうした、抵抗もしないのか?」

 頭上で誰かがそんな言葉を呟いている

「そうだな、それがあんたの願いだもんな」

 何か、告げている

「殺してやるよ、衛宮士郎」

 ──エミヤシロウ

 自分の名前だ

(駄目……だ)

 ぎり、と言う音が聞こえた。

 自分が歯を噛みしめる音だった。

 そうだ──まだ、死ねない。

 まだ、やることがある。

「誓ったんだ……」

 広がるのは──血の味と、強い決意。

 

「士郎、ごめんね……」

 

 何故か、凛の言葉を思い出した。

 何で謝るんだ。

 悪いのは全部自分なのに。

 謝りたかったのは、私の方なのに。

 そうだ

 まだ、死ねない

 凛があの時、願ってくれた

 

「しおーっ」

 

 リンがあの時、微笑んでくれた

 ああ──そうだ

 なんでこんなこと、忘れていたんだ

 あの時……決めたはずなのに

 こんな大切なこと、忘れるなんて、本当、どうかしている

 あの二人の元へ行くと言うのならば

 せめて(・・・)この男だけでも殺し尽くさないと(・・・・・・・・・・・・・・・)─────

投影(トレース)…………」

 口内に広がった血の味を噛みしめて、囁く。

開始(オン)──」

 ひゅ……

 ひと振りの剣が生み出された。

 自分の左手の(・・・・・・)真上に(・・・)

 ず・ぞんっ!

 やけに重い音が、響いた。

「な───」

 暗殺者が、驚愕に顔を歪ませている。

 何を驚くことがあると言うのだろう

 左手が邪魔をして動けないのならば

 邪魔な部分を(・・・・・・)切り捨てれば(・・・・・・)問題ない(・・・・)だけだと言うのに(・・・・・・・・)──

投影(トレース)……」

 唱えつつ、ゆらりと腕を動かす。

 もう、手がない左の腕を。

開始(オン)──」

 ぞ・ぐ、ずりゅ……じゅぐ──……

 体が、震える。

 筋肉がひきつり、腕が痙攣する。

 許容量を超えた痛みが脳を打ちたたいる。それが心地良い。自分が壊れていくような・殻を打ち破るような痛みが頭の先から爪先までをただひたすらに塗りつぶしていく。

「ひ・はぁ──────────」

 歓喜の声が、漏れた。

異質な物体が肉体を侵食して破壊して潰していく感覚が妙に心地よい。

 腕の先には──、銀の刃。

 赤い血と白い骨とピンク色の肉片にまみれた、銀の刃。

 先程まで手が在ったところに、剣が鈍く輝いている。 

耳の奥が熱い

音が、遠い

 だが、もう、痛くもない

 だから、大丈夫だ──

 さあ、これで腕の代わりは出来た

 あの男を、殺しにかかろう──


 

「うぁ……」

 ず、ずずっ──

 男が、後ずさる。

 恐怖? そうだ……こいつは恐怖している。

「ふ……ふははっ──」

 今までさんざん苦しめられてきた男が、怯えている。嗜虐心、とでも言うのだろうか。その顔がひどく愛おしい。だって、それはそうだろう? 殺したい相手が怯えているんだ、喜ばないヤツなんて、いるじゃずが、ないじゃないか──

 足を引きずり、前へ進む。

「て、めえ──」

 暗殺者が、顔を引きつらせて何か呻いている。

 その顔目掛けて、手をかざす。

 左腕。

投・影(トレース)

 

 ず・ぐん……

 

 左腕が、蠢く。

 自分の中の、自分でない部分が胎動を始める。

開始(オン)────」

 刹那。

 ぎちぎちと、音が、ざわめいて、

「あ・ぎ───────!?」

 剣が、膨れ上がった。

 自分の左腕に生えている刃。

 そこから──、

 

 っぎちぎちぎちぎぎっぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎきィ──っ!

 

狂った歯車を無理矢理噛み合わせて強引に動かしたような不協和音と共に。

無数の剣が生え・巨大な銀色のカタマリが次々と膨れ上がり・暗殺者へとその(あぎと)を伸ばしていく!

「うおおおおおおおおおおっ!?」

 暗殺者が、必死に体を転がして剣の山から逃げ出している。そうだ、もっと無様に転げまわれ。ただでは殺さない。痛みつけて泣いて叫ぶまで殺すのを止めてやるものか。逃がさない。絶対に逃がさない。

 剣の腕を、曲げる。

 っぎぎぎぎっぎぎぎぎぎ─────

 剣の塊は、暗殺者が逃げた方向へと、生える方向を変化させる。

「っこの化け物が!」

 破れかぶれに叫びながら、腕を振るっている。

 

どっ──

 

 重い、衝撃を受けた。

 体が、揺らぐ。

 気づけば、膝をついていた。

「あ──……」

 見れば、腹部から、剣が生えている。

 奇妙に捩子くれた、暗殺者の剣。

 それが、自分に突き刺さっている。

 

 ──ぐらり

 

 体が、揺れる。

「やった、か……」

 安堵するような男の声がどこからか響いている。

 何を、言っている?

 突き刺さったのは剣じゃないか

 剣なら、自分の力だろう

 そうだ、これも、自分の一部に過ぎないだろう──?

 突き刺さった剣の周りから、べきばきめしと新たな剣が骨と皮を巻き込んで生えていく。

「っこの野郎、何でもありかよ──!?」

 悲鳴のような絶叫。心地いい。

 さあ、これで剣の腕が二本になった

 今度こそ、あの男を切り刻んで殺して殺すまで殺して殺シ──

 

 ────ぃんっ…………

 

 耳鳴りがした。

 視界が赤く染まった。

 なん……だ?

 見えない。何も見えない。そうか、出血が目に入ったのか──そう気づいて右手で目をこする。けど、拭けない。なんでさ──そう思って、もう一回拭く。そこで、気付いた。違う、出血が目に入ったんじゃない。

目から、血が溢れているんだ──。

 そう気づいた瞬間──

「ああああぁぁぁっああああああぁぁぁっぁああああああああああああっ!?」

 激痛──なんてものじゃない。

 全身の血管に隙間なく針を差し込まれるような、叫んでいないと一瞬で気がふれるような痛みが、貫いていた。 

 

 がしゃああああああ……………ぁん……

 

 剣の腕が、崩れ落ちていく。

 生き物のように蠢いて暗殺者へと伸びていた剣の塊が、突如としてその力を失い、地面へと次々へと落下し、砕け散り、消えていく……

「あ……あ……?」

 喉から、熱い塊がこみあげてくる。

「……ごふ──うげぇっ……」

 血が、口から溢れ出した。熱くもない。味もない。ただの液体が喉からこみ上げる。

 ……痛みは、ようやく引いた。

「っ士郎君──!」

 声が、聞こえる。

 ……バゼット。

 そうだ、あいつもいたんだ。

 すっかり……忘れていたな……

「大、丈夫だ──」

 ずずっ──

 足を引きずり、ゆっくりと前へ。

「な、何がです……か……?」

 体を引いて、バゼットが尋ねている。

 ……なんでそんな目で見る。

 そんな、恐がることなんか、どこにもないだろう?

「守る、からさ」

 ゆっくりと、答えた。

「約束──守るから」

 言いながら……ゆっくりと、前を見据える。

 暗殺者は剣を構え、口汚く罵りながらこちらへと突進してくる。

「だから……大丈夫……」

 そうだ、まだやれる。

 まだ、殺していないのだから。

「っらあ!」

 鋭い声と共に、剣で私の体を切りつけている。

 衝撃で、体が少し、揺れた。

 でも──。

「ふ……あは──」

 そんな攻撃、全然利かない。

痛くない。

 体も、切られていない。

 だってほら──そこは剣で守られている。破れた服の下から覗いているのはギチギチと蠢く銀のカタマリで──。

「は──あは──あぁああああああああああああ!」

 

 ず・ずずっ──……

 

 左腕が熱くうずく。

 自然、笑みが口から零れ落ちる。

 剣。

 左手首の先に生えていた剣が、いつの間にか肘近くまで上がってきている。

 暗殺者が、陰鬱にこちらを睨みつけている。

「てめえ、このままいけば……死ぬぜ?」

 ……だから何だと言うのだ

 お前さえ殺せれば、それでいい

 構うものか

どうせ今も死んでいるようなもの

凛は死んだ

リンも消えた

私だけが残る必要は、もう、どこにもない

 お前を殺して、それで、終わりだ

さあ、唱えよう。

これで、もう、終わりにしよう──。

「体は──」

 

I am the bone of my sword.

―――――― 体は剣で出来ている。


Steel is my body, and fire is my blood.
 血潮は鉄で 心は硝子。

 

Unknown to Death.
 ただの一度も敗走はなく、

 

Nor known to Life.
 ただの一度も理解されない。

 

 Have withstood pain to create many weapons.
 彼の者は常に独り 剣の丘で勝利に酔う。


Yet, those hands will never hold anything.
 故に、生涯に意味はなく。

 

 So as I pray ───────

その体は──────────

 

 

 

 

「その、体は…………」

次の言葉が、出てこない。

 あえぐように、口を動かす。

 でも──出てこない。

 言葉(こたえ)が、出てこない……

私は

何だったんだ…………………?

 

 

 

 

 

 

Y

 

 

 

 そして世界は、生まれおちた。

 未完成な呪文にも関わらず──あっけなく発動していた。

 まるでそれが、初めから呪文の全てだったとでも言うかのように、固有結界はその姿を現している。

 ただ、生まれ墜ちたその世界は──ひどく(いびつ)で、壊れていた。

 血のように赤い空には、亀裂が幾筋もはしっている。

大地に倒れた歯車は、もう何年もそこに置き去りになっているのように朽ちている。

地面もまた干からびていて、

赤い土の上に黒い塵が幾重にも降り積もっている──。

(剣、は……?)

 慌てて、見渡す。

 塵の隙間から、剣の柄が見えた。

 のろのろと進み、それを掴み上げる。

 錆びついた剣は、持ち上げた瞬間に砕け散り、黒い塵と化し、地面へと降り注いだ。

 とすると、この塵は剣の成れの果てなのか。

 まだ剣としての形を保っているものもあるが、いずれも半ばで折れていたり、錆びていたり──無事なものなんてあるのだろうか。

 ……固有結界は、自身の心象風景を具現化させるものだ。

 だとすると──これが、私の世界だと言うのか。

 こんな──こんな、壊れきった世界が……?

「あ、れ─────────」

 呆然と、言葉が零れ落ちる。

 そんな馬鹿な

 違う──私の世界は、これではなかった

 こんなものは違う──違うはずだ──

「なん、で………………………………………………………………?」

 我ながら、随分と情けない声だった。

 なんだ、これは……
 なんでこんなことになっている……?

 違う──そう叫んだつもりだった

 だが、声が出ない……

 喉がからからになって、張り付いている

 鼓動だけが、聞こえている

 締め付けられるような、聞き苦しい鼓動

「士郎、君? これは、まさか──」

 バゼットが周囲を見渡しながら、眉をひそめている。

 止めてくれ。そんな──そんな目で見ないでくれ……

「ははっ──ははははははははははははっ!」

 ……突然、狂ったようにけたたましい笑い声が響いた。

 耳障りな暗殺者の声。

「ああ、そう言うことか──そう言うことだよ!」

 男は心底嘲るように口を歪めると、

「からっぽだ! もうアンタ、何もねえんだ!」

何も……ない?

からっぽ……?

 ああ──でも、確かにそうなのかもしれない……

 そうだ、私にはもう、何もない──

 

「士郎、ごめんね……」

 

 愛する人も、

 

「しおーっ」

 

 守りたいと思った人も、

 

「──あいつを殺し尽くすまでは(・・・・・・・・・・・・)死ねるわけがないだろう(・・・・・・・・・・・)──?」

 

 信念すらも、自身の手で打ち砕いた。

 そうだ。もう自分には、何も残ってなどない。

 エミヤシロウだった自分は、もういない──

 もう、どこにも、いない……

 いないんだ…… 

 

「皮肉なもんだな──アンタ、自分で自分にとどめさしたわけか」

 やけに遠くから、そんな声が聞こえてくる。

 なんだ、その声は……

 今までのような殺意にまみれてない……憐憫に満ちた声は……

「もういいだろ? さっさと終わらせようぜ、なあ。苦しいだけの人生なんて、何の意味がある? 空っぽな時間に何の価値があるって言うんだ? ──ねえよ、あるわけがねえ。こんなもん、誰にとっても不幸になるだけじゃねえか」

ざっ……

 塵を踏みしめて、暗殺者がこちらへと近づいてくる。

 男は手にした剣をひと振りする。

 ひゅんっ──

 赤い空と、黒い塵の中。その銀の閃きが艶めかしく輝く。

ああ、そうか

私は、死ぬのか

これから私は殺される

これで、ようやく

君のところに行けるよ、凛……

 何故だか、妙に落ち着いていた。

 結局──私は、負けたのだろう。

 願った復讐はもう、叶わない。

 だが、もうそれすらもどうでもいい。

 こんな自分はもう、見たくない。

 早くこの悪夢を終わらせてくれ……

 ……静かに、眼を閉じる。

 もう、体は動かない。

 声も、出ない。

生きている理由もない……

 

ざっ、ざっ、ざっ……

 

 足音が単調に響く。

  

“士郎、貴方は─────”

 

 ……凛。

 もう少しで、君の所に行くよ

 ごめんな。結局、仇は打てなかった。

 でも……それでも、許してくれるだろう?

 私は頑張った……頑張ったんだよ……

 

“…………。”

 

 幻想の中の凛は、答えてくれない。

 凛……凛……?

 どうしたんだ、凛。

 何故なんだ……どうして駄目なんだ?

 私は──頑張っただろう?

 確かに結果は得られなかったかもしれないさ

 でも、それが全てではない

 結果だけが全てじゃあ、ないはずだ……

 

“私の知っている士郎は、そんな口調じゃない”

 

 それは──

 

“私の好きな士郎は、そんなことは思わない”

 

 違うんだ。だってそれは──

 

“だってあいつは、馬鹿が付くくらいがむしゃらで、真っすぐで”

 

 やめてくれ──

 

“前だけを見ていたんだもの──“

 

 それ、は……

 

“……ねえ、貴方”

 

 幻想は、訝しげに眉を潜めて、尋ねてくる──

 

誰なの(・・・)──?”

 

「──────────っ!?」

 はっとして、瞼を開く。

 気づけばそこには、断罪者のように剣を振りかぶる暗殺者の姿が在る。

 赤い空を背に、銀の刃を煌めかせて。

 黒い笑みを、浮かべて。

「喜べよ」

 そして、銀の刃が閃いて──

「アンタの願いは、ようやく叶うぜ──」

 ────血が弾け、舞いあがった。



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