儚夢








「……………アーチャー、わたし」

 

 

――ところで凛。一つ確認していいかな――

 

 

「………いいわ。なに?」

 

 

――ああ。時間を稼ぐのはいいが――

別に、アレを倒してしまっても構わんのだろう?――

 

 

「アーチャー、アンタ――

――ええ、遠慮はいらないわ。がつんと痛い目に合わせてやって、アーチャー」

 

 

――そうか。ならば、期待に応えるとしよう――

 

 

「っ、バカにして……! いいわ、やりなさい、バーサーカー! そんな生意気なヤツ、バラバラにして構わないんだから……!」

 

 

 ――ふむ。それは――

 

 

 

 

 

 

「……それは、私としては遠慮したいな。ばらばらにされてはたまったものではないのでね」

低く落ち着いた声色で呟いて、男はゆっくりと眼を開く。

皮肉げな態度にふてぶてしい笑みを重ね、意地の悪い瞳で眼前の少女を静かに睨みつけて――男は静かに吐息を吐いた。

アインツベルンの城のエントランス・ホール。扉に背を向け、目の前の二人に相対するようにして男は立っていた。

 短く白い髪を逆立てた、筋骨隆々とした男である。浅黒い肌に、切れ長の瞳。かなりの長身。赤い外套を身に纏い、涼しげに両腕を組んでいる。口に浮かぶは、皮肉めいた笑み。

「……ふむ」

──“アーチャー”。

この時代、この場所ではその通り名で呼ばれている男は口の中でそっと小さく呟き、一瞬横目で背後の扉に視線を送ってから――再び顔を前へと向けた。

 ――階段の上には小柄な銀髪の少女。そしてもう一人、階下には巨大な体躯を誇る男が、やはり巨大な斧剣を携えて立っている。

「あら。随分余裕があるみたいね? それとも、やせ我慢なのかしら」

 涼やかな声で歌うように話しかけてきたのは、少女の方だった。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。この城の主にして、バーサーカーのマスター。

彼女は手摺にそっと指を這わせ、ゆっくりと階段を一歩前に踏み出した。唇に指を当て、値踏みするように男を見つめる――この状況を楽しんでいるかのように、薄く小さく微笑んで。

 そして、それに応えるように、男もまた口を苦笑するように歪める。

「まさか。どう懲らしめてやろうかと思案していた所だよ」 

「っ、またバカにして……!」

 一転して少女は顔を歪める――が、すぐに余裕の笑みを浮かべてみせると、

「いいわ。そんな口なんかすぐに聞けなくなるんだから!」

「さて──そうとも限らないのではないかな?」

ただ静かに、そう笑い捨てた。やれやれ――と口を歪め、首を振って。

「なっ……何がおかしいのよ!」

 予想と違うアーチャーの反応が気に食わなかったのか、イリヤはむきになって叫び返した。

「いや」

 そっと目を伏せ、アーチャーは小さく零す。俯き翳ったその顔からは、表情は読み取ることは出来ない。

「相変わらずだと……思っただけさ」

「?」

 聞き取れなかったのか、それとも言葉の意味するところが理解できなかったのか──イリヤは微かに眉をしかめると、まあいいわ、とさっと手を振って見せた。僅かに口調を荒げ、傲慢さすら含んだ自信を瞳に宿し、宣言する。

「どの道ここで終わりよ。どこの誰かも名も知れないヤツなんかに、私のヘラクレスが負けるはずがないもの」

「そうだな。確かに苦しい戦いになるだろうな」

 苦笑するアーチャーに、イリヤは意外そうに目を見開き、意地悪く微笑んだ。

「わかっているんじゃない」

 アーチャーは肩を竦めながら、

「……ああ。ひょっとして、命乞いでもすれば許してくれるのかな?」

「ふうん? そうね、考えてあげてもいいかもね」

 唇に手を押し当て、少女はまるで世間話でもするかのような気楽さで呟く。

「でも、残念でした。やっぱり許してなんかあげないんだから」

 くすりと口の中で小さく笑い、少女は腰に手を当て目を細めた。(あか)い瞳の中には、その年齢に不相応な冷たさと狂おしさだけが渦巻いている。

「そうかね。残念だな」

 言葉とは裏腹にしごく落ち着いた様子で、アーチャーはふむ――と嘆息する。

「……気に食わないわね」

 すっ……

 途端、鋭さを増した言葉と共に、周囲の空気が張り詰めていく。

「――まさか貴方。本当にわたしのバーサーカーと戦うつもり?」

 その行為が、とてつもなく愚かであるとでも言うように。

 路上に転がる虫の死体を見るかのような眼差しで、少女は問いかける。

「それだけでは不満というのなら、勝つつもりだとも付け加えてみせるが?」

 言ってアーチャーは、平然とした面持ちで肩を竦めて見せた。

その言葉に、イリヤの表情がますます強張っていく。

「……リンは、貴方を捨て駒にしたわ。そんなマスターのいう事に従うって言うの……?」

「捨て駒──捨て駒か。ふむ、まあ色々と言いたいことはあるのだが――」

 そこまで言ってから、アーチャーはにやりと口の端を歪めてみせた。挑戦的に少女を見下ろし、どうしたのかね――と両手を芝居がかった仕草で広げてみせる。

「――結局君は、私と戦いたくないのかな?」

「そうね。認めてあげる。貴方は苦手」

 しぶしぶと、それでも素直にイリヤは頷いた。わずかに視線を逸らす。

「そうかね」

 アーチャーは無感動にぽつりとそれだけを呟いた。

「……残念だな」

 口の中で囁くように、そう付け加える。

 ――すっ……

 同時、ロビーにふいに影が差し込んだ。太陽が、雲に隠れたのだ。窓から差し込む光が薄れ、わずかに暗くなったホールの中、少女は眉をひそめた。

「え……?」

 聞こえなかったのか、それとも言葉の意味するものが理解できなかったのか――イリヤはわずかに身を乗り出す。

 アーチャーは構わず続けた。

「それから、始めの答えだが。私は別に見捨てられたとは思ってはいないさ」

 言いながら彼は、また一歩前へと進む。囁くように呟いて。

「あの状況ではこれが最善の手段だろうに。セイバーは戦える状態ではない。衛宮(あの)士郎(おとこ)は論外だ。ならば私しかいないだろう」

「それは、そうなんだけどっ!」

 語気を荒くして、イリヤはむう――と苛立たしげに顔をしかめた。ああもう、と言いながら首を振ってみせる。

「やめやめ――埒が開かないわ。それに、なんだか貴方と話しているといらいらするしっ」

「……私は、そんなことはないがね」

 ぽつりとアーチャーは付け加えた。今度は先程よりも幾分か強く。

「え?」

 聞き返してくるイリヤに、彼は肩を竦める。

「いや。何でもないさ」

 言ってアーチャーはまた一歩、イリヤに近づいた。

 ――両者の距離は約10メートル。

 ――すでに英霊たち(ふたり)に取っては一息で詰められる距離でもある。

 ずしゃっ……

 重い音を立てて、黒い影がイリヤの背後でゆっくりと身を動かした。轟くような低く断続する音が辺りに響く。バーサーカーの息吹だった。

「さあ、イリヤスフィール」

 アーチャーは話しかける。挑戦的な瞳を叩きつけながら。

「――始めるとしようか」

 それは、戦闘を促す一言。

 アーチャーの拳に力がこもり――強く、硬く握り締められる。

「そうね。おしゃべりはおしまい。もう手加減なんてこれっぽっちもしてあげないんだから――」

 イリヤは嘲笑(わら)う。圧倒的な力を従えた少女は、不敵な表情を浮かべたまま、悠然とした仕草でゆっくりと右手を上げた。

「バーサーカー」

その呼びかけに応えるように、巨人がゆっくりと巨体を動かした。巨大な体躯の中に、それ以上に強大な力を携えて。

――豪――

バーサーカーは吼える。この戦いを待ち望んでいたとでも言うように。(くら)く妖しく輝くその瞳に映るは、アーチャーの姿。未だ斜に構えたような笑みを浮かべた、赤い弓兵。

――轟――

そこに立つことが、

その存在が罪だと言うかのように。

ゆっくりと巨人が一歩を踏み出した。床が振動し、大気が震える。無骨な手に携えるのは、武器と呼ぶにはあまりに大雑把で無骨な斧剣。

 ――そこにあるのは絶対的な力だった。

――狂戦士(バーサーカー)の名に相応しい力――

――全てを粉砕し、なお足りることのない圧倒的な力。

――いかなる抵抗も許さない、絶対たる力。

――だが、彼の男は引くことなく、バーサーカーを見据えている。

「……ふむ」

 呟き、アーチャーもまた前へと進み始めた。

 小さく口を開き、やはり小さく一言を呟く。

 刹那、その両手に武器が出現した。

 ――干将・莫耶。陰陽を体現した一対の夫婦剣が、その手に収まる。

 

 ……一歩。

 

 空気がゆるりと硬化していく。張り裂けんばかりに鋭敏さを増す大気。静謐な城内で、二つの力が静かに膨れ上がり、ゆっくりと混ざっていく。

 

……また一歩。

 

ちらりとアーチャーが背後の扉へと視線を送った。しっかりと閉められた扉の向こうは、ここからでは見ることは出来ない。何もわからない。だが、それでも彼は安心したように小さく破顔する。すまない、凛──そう呟いて。

 

……ゆっくりと、だが確実に両者の間合いが狭まっていく。

 

風が、二人の間を駆け抜けた。

沈んでいた大気がざわめき、ゆるりと動いてゆく。翳っていた空が微かにずれ、雲と雲の隙間から白い光が降り注いでいく。

唸り声が響く。バーサーカーが斧剣を握り締め、前へ進んでいく。

 残り3メートルというところまで来て――

二人の英霊は、ふいに足を止めた。

赤い弓兵と。

黒い巨人と。

二つの英霊が、言葉を発することなく対峙している。

静寂。

沈黙。

 一瞬、両者の視線が絡まりあう。

 刹那――

「■■■■――!」

 震撼。 獣の咆哮が大気を轟かせ──

 ──戦いは、幕を切った。

 

 

 

 

 

 

「■■■■――!」

 壮絶なる雄たけびと共に、狂える巨人は大きく踏み込んだ。

 轟音と共に床がめくれ上がり、吹き上がった破片が宙を舞う。速さと重さを兼ね備えた必殺の一撃が――アーチャーめがけて振り下ろされる!

「く――」 

まともに食らえばタダでは済まないであろう攻撃を、アーチャーは体を横にずらしてかろうじて回避した。

――刹那、アーチャーの体から10センチもない箇所を、暴風が通り抜けた。爆音と共に床が粉砕され、振動する。斧剣が床に叩きつけられたのだ。城そのものが揺れているのではないかというほどに豪快に揺れる床。アーチャーはそれを確認すると同時に剣を握り締め、バーサーカーへと踏み込もうとした。が。

――――ぉおんっ!

追撃は鋭く、そして速かった。それだけで相当の重量があるであろう斧剣を、まるで玩具のように軽やかに扱い、バーサーカーはアーチャーめがけて腕を振るう。小さく舌打ちをしてアーチャーは攻撃を諦め、備える──

ぎぃんっ!

避けようがないその一撃を、両手剣で軌道を変え、なんとかいなす。

だが、すぐさま次の攻撃が飛んでくる――

アーチャーは慎重に剣を構え、必死にその軌道を逸らしていく。

ギン――

はじく、

ギンっ――

――はじく、

ギィンっ!

――――はじく!

――三回目のいなしで、一際大きく斧剣が横に逸れた。

――小さな、だが致命的な隙。

 

「ふっ!」

 吐息と共に踏み込んだ。懐に飛び込みつつ、刃を振るう──

「■■――――!」

 咆哮。バーサーカーはその巨躯に似合わない俊敏さで、剣が当たる寸前、一気に後方に飛びずさった。

「だが──まだだ」

体を沈め、大きく踏み込み、さらに追撃。アーチャーは手にした両手剣をバーサーカーに向かって投げ付ける。緩い曲線を描きながら猛烈な速度でもって迫り来る二つの刃――それをバーサーカーはいともたやすく斧剣でもってはじき返す。一撃、二撃。力なく床に落ちる二つの剣を尻目に、バーサーカーはすぐさま体勢を整え、反撃に転じようとして――

――その、すぐ目の前に、刃が迫っていた。

「■■■――!」

怒号。怒れる巨人はその力を持って、強引に斧剣の軌道を変え――(やい)()をはじく!

そして――

――ざしゅっ!

さらにその剣の背後に忍ばして飛ばしていた干将に、手を切りつけられた。

「■■■■■■――!」

 悲鳴。怒号。咆哮。激怒。

 城が震撼する――

「な、なによそれ……」

 イリヤが呆然と呟いた。

 床には、合計四つの両手剣が転がっている。しかしそれも、そのうち二つはすでに消えかかっているのだが。

「本物じゃ、ない……?」

 呟きがこぼれる。

 アーチャーは手にした二つの剣をバーサーカーに向かって投げ付けると、その直後に再び剣を手に生み出し、今度は全く同じ軌道で二つを投擲したのだ。

「ふむ。すまないが余所見をしている暇はないぞ――」

 その言葉に、イリヤははっとアーチャーに視線を投じた。

 ――そこには、弓兵(アーチャー)が立っていた。手には長大な艶のない黒い弓。そして、もう片方の手には捩れた奇妙な剣。剣は一瞬にして形を矢のそれへと変え、そしてアーチャーは素早くそれを弓につがえる──

「なっ……」

 イリヤは絶句する。

 ――戦いの中にあって、あの赤い弓兵の姿はなお映えていた。

 ――弓兵たる証、漆黒の弓を手に背を張り、真っ直ぐバーサーカーを見据えるその眼差しが、

――その瞳があまりにも真っ直ぐであり、

――あまりにも理に適っている、と感じてしまう――

「って、貴方……」

 呼び止める。あり得ない。理解不能。あの(・・)()()一体(・・)()()して(・・)いる(・・)

「――――I(我が) am(骨子) the() bone(捻じ) of() my() sword().」

アーチャーの口から、言葉(じゅもん)が漏れる。

つまり、彼のしようとしていることは。

――英霊の切り札たる宝具を以って、刃となす――

 そして――

偽・螺旋剣(カラド・ボルグ)――!」

 裂帛した気合。言葉がそのまま力となるとでも言うかのように。

()が手から離れ――

一条の光となって――

バーサーカーに向かって一直線に伸び――

 

―――――――――――――っ!

 

 光が――炸裂した。



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