Fate/usual days
Days 7
1
「遠坂―」
ふいに背後からそう声をかけられて、遠坂凛は一旦足を止めてゆっくりと後ろを振り返った。黒い柔らかなツインテールが風に乗ってわずかに持ち上がり、そして再び音もなく元の位置へと収まってゆく――
視界の先にいたのは、声同様に見慣れた姿だった。
「ああ、衛宮くん」
ほんのわずかにだけ表情を緩ませ、彼女は呟いた。
衛宮士郎は小さく片手を挙げて、凛の元へと小走りに向かってゆく――
学校と彼女の家を結ぶ道の途中。交差点にほど近い場所だった。夕方と言うには遅く、かと言って夜ではないような、そんな時間帯。辺りはかなり暗く、人の姿は二人の他はない。
士郎は小走りに凛の傍にやってくると、ふうと息を吐き出した。
「隣、いいか?」
「ええ」
凛は軽く頷くと体を少し横にずらした。士郎が横に並ぶ。それから足を進め始めようとして――士郎の視線が自分の右手に持っている傘を見ていることに気がついた。
「傘、持ってきたんだな」
まあね、と凛は苦笑した。
右手には赤い色の傘が一本収まっている。
「朝、天気が悪かったから、ひょっとしたら降るかもって思って。まあアーチャーは必要ないって言ってたんだけど、一応ね」
言って、そっと左手で傘をなでる。
「そう言えば出掛けは曇ってたよな」
ああ、と思い出したように士郎は頷いて、足を踏み出した。それよりわずかに遅れて凛も続く。
二人の横を、一台の車が追い抜いていった。
「でも士郎、帰るの遅いんじゃない?」
「うん、ちょっと一成に頼まれて色々直してた」
「ふうん、そうなんだ」
あまり感心なさそうに頷く凛に、士郎は小さく苦笑した。それから凛の顔を覗きこむようにしながら、
「遠坂は?」
聞かれて、あら、と凛は目を細めた。
「衛宮くんは女の子のプライベートがそんなに気になるのかしら?」
「え、いや。そうじゃない――いや気にならないって言えば嘘になるけど、でもそうじゃなくてさ、」
「わかってるわよ。からかっただけ」
手で口元を押さえながら、凛はくすくすと笑う。
「……うわ、なんだよそれ」
憮然としながら士郎は聞き返した。
「うん、でも本当にたいした用事じゃないし。ただの買い物よ」
と言って、鞄をぽんと叩く。
「なんだ、学校にいたんじゃないのか」
意外そうに士郎は肩を落とした。
「そりゃそうよ」
凛はあはは、と笑った。
その拍子に白い息が舞い上がる――
彼女は薄く目を細めると、空を見上げた。
「でも、寒くなったわよねー」
「……そうだな」
凛の言葉に士郎は頷いた。それから、あ、と声を区切り、凛の横顔をちらりと一瞬眺め見た。
「そう言えばさ」
視線を前に戻して、続ける。
「……もうすぐクリスマスなんだよな」
誰かに話しかけると言うようではなく、むしろ独り言のような口調だった。衛宮士郎はそうぽつりと呟くと、ぼんやりとした眼差しを上空へと向けた。
群青色に染まった空の中には雲が薄く広がっている。星どころか、月も見えない。
「ああ、うん。そうね」
凛は言葉短く同意した。
「なんか、あまり興味なさそうだな遠坂」
「そう? そんなこともないつもりだけど?」
髪をかきあげながら凛は反論した。
士郎は苦笑しながら、ぱたぱたと手を振ってみせた。
「なんか、めんどくさそうな顔してるけど」
「……ああ」
今度は凛が苦笑する番だった。彼女は多少わざとらしく肩を竦めてみせると、鞄を無造作に開け、中から数枚の紙のようなものを取り出して見せた。
「まあ、こういうのが来るからなんだけど」
その紙を受け取って士郎が呟いた言葉は、
「…………うわ」
と言ううめき声だった。
紙は封筒だった。形や色はそれこそ様々ではあるが、どれもこれも、それなりに装飾が施されている。そこに書かれている言葉は、やはりこれも多少の差はあるものの、同じようなものばかりだった――すなわち、クリスマス・パーティーのお誘い。
「これ、全部そうなのか?」
「まだ鞄の中にあるわよ?」
にっこりと微笑みながら言ってくる凛に、士郎は乾いた笑い声をあげた。まあいいけどね、と呟いて凛は憂鬱そうに髪をかき上げ、
「本当、いい加減うんざりするわねー」
はあ、と嘆息。白い吐息が宙に舞い、消えた。
「だろうなあ」
士郎は苦笑しつつも同意してみせた。受け取った封筒のいくつかにざっと目を通しながら、
「で、どれか行くのか」
「行かないわよ、そんなの」
冗談はやめてよね、と凛はしっしっ、と手を振ってみせる。
そうか、と士郎は再び苦笑した。
あれ、でも――と士郎は顔を上げ、問いかける。
「それなら遠坂。何か予定とかは入ってるのか?」
「え、なに、クリスマス?」
凛は意外そうに聞き返した。
「うん」
凛はその言葉に改めて黙考した。が、それも一瞬。すぐに彼女はあはは、と誤魔化すように笑って、
「そういえば何もないわね。まあアーチャーにケーキでも作らせるかなあ」
「なんだ。暇なのか」
ぼそりと呟いた士郎の言葉に凛は顔を赤らめながらきっと睨み返した。笑っているような怒っているような、中途半端な表情で。
「ちょっと衛宮くん、その言い方はないんじゃない?」
「何でさ?」
純然たる表情で問い返す士郎に、凛はやや口ごもりながらも、
「だ、だから、まるでその――ああもう、いいわよ」
終いにはぷいとそっぽを向いて、凛は口をへの字に曲げる。
士郎は改めて聞きなおした。
「でも遠坂、予定ないんだよな?」
「……しつこいわね」
むー、と半眼になりながら凛が唸る。
険悪な雰囲気を感じ取ったのか、あせったようにぱたぱたと手を振りながら士郎は早口で続けた。
「いや、そうじゃなくてさ。それならうちでパーティーやらないか?」
「え?」
意外なことを言われた、と言うように凛は首をかしげて聞き返した。士郎は顔を赤らめながら声を強くし反論した。
「や、変な意味じゃなくて! その――どうせなら皆でパーティーでも、と思ってさ」
「あ、ああ、うん」
士郎の剣幕に圧されたのか、こくこくと何度も頷いて――凛。
「誰が来るの? って、まあいつものメンバーよねえ」
言って苦笑する凛に、士郎もまた苦笑で返す。
「そうだな。あのメンバーだとクラスメイトとやるってわけにもいかないだろうし」
そうよね、と凛は頷いた。
「じゃあ、考えといてくれよ。きっとセイバーたちも喜ぶし」
士郎は早口でまくしたてると、じゃあ、と言って早足で道を進んでいった。一方的に会話を打ち切られて凛は一瞬反応しきれずにぼうっとしていたが、慌てて弾かれたように頷いた。
「あ――、うん」
士郎にその言葉が聞こえた様子もなく、さっさと早足で道を進んでいってしまう――
凛はしばらくそのままぼんやりと士郎の背中を見送っていた。
やがて士郎の姿が完全に見えなくなってから、靴の向きを変え、足を進め始める――
「そっか」
髪にそっと手を触れながら、呟く。
「パーティーかあ……」
言って凛はふっと視線を上げた。
青暗い空は、先ほどよりも深く染まっていた。
「ただいまー」
がちゃっ――
玄関の扉が開くと同時、声が響き渡った。
ふう、と息を吐いて首を左右に動かしながら、凛は玄関の中に足を踏み入れた。と、手に傘を持ったままだったのに気付いたのか、慌てて再び扉の外に出て傘立てに傘を差し込んだ。それから改めて扉を引き、屋敷の中に入る――
「――おかえり、凛」
廊下の奥から、エプロンで手を拭きながらアーチャーが歩いてきた。
「ただいま、アーチャー。何か変わったことは?」
靴を脱ぎ、向きを揃えながら尋ねる。
「特に何も。――ああいや、先ほど荷物が届いた。凛宛てだったな」
「そりゃそうでしょ。アーチャー宛ての荷物なんかあるはずないじゃない」
スリッパを取り出し、足を突っ込み立ち上がる。そこでようやく凛はアーチャーと向き直った。
「いや凛、そういうことではなくてだな」
「冗談よ。――それで? 誰からなの?」
すたすたとリビングに向かって歩きながら尋ねると、アーチャーはその後ろに続きながら、歯切れの悪い口調で、
「いや、それが……」
アーチャーの様子に凛は一瞬怪訝そうに眉をひそめたが、大して気にした様子もなくリビングに入った。机の上に白い大きな箱が鎮座しているのを確認すると、それに向かって指を突きつけて、
「あれなの?」
「あ――ああ」
アーチャーは慌てて頷いた。
凛は無造作に箱に近づくと、目だけを動かして観察し始めた。箱は両手で抱えるくらいの大きさだった。大して深さはない。クリスマスシーズンによくある赤と緑で彩られた包装の上から、けばけばしいピンクのリボンが結ばれている。凛は指の先でそっとリボンを摘まむと、それを無造作に引っ張り、ほどいた。続いて箱に手をかける。それを見てアーチャーがはっと手を伸ばすが、それよりも早く凛は箱を開けていた。中には名前も何も書いていない一枚の封筒と――
「……うわ」
――赤と白で彩られた、やたらと非現実的な服が収まっていた。
分厚い赤の生地に、ふわふわの白の飾り。
サンタクロースの衣装だった。
深々と嘆息する凛の横から、アーチャーがカードをひょいと取り上げ、目を通していく。
「メリー・クリスマス。凛。クリスマスということでこの服を贈る。サイズは問題ないはずだ。なお、着用の際には必ず赤のニー・ソックスを履くこと。これは必須事項である――」
「って、何考えてんのよあのエセ神父はー!」
頭を抱えながら、凛はうめいた。
贈り主は言峰だった。
「まあしかし、ニーソックスに関してはわたしも同意見だが」
「って、あんたもか。」
さりげなく呟いたアーチャーに、凛は半眼でぼそりと呻いた。
「しかし、ふむ。サンタクロースか」
箱の中から服を取り出し、アーチャーはそ知らぬ表情で感心したように頷いた。中身は上着と、ミニスカート、帽子、それから何故かトナカイの角と赤鼻――
「……これは?」
アーチャーがトナカイセットを摘み上げる横で、凛がさっとカードを奪い取り読み上げる。
「……なお、君のサーヴァントにはトナカイセットを贈る。ぜひともそれをつけて町中を四つんばいで駆けずり回ってもらいたい。――だってよ?」
「………………ふっ」
ぎりぎり余裕の笑みを浮かべて、アーチャーはひとりごちた。ただしこめかみがひくついているのだが。
「まあ、ここで怒るというのも大人気ないというもので体は剣で──」
「って、やめないさいっての」
大きく手を振りかぶったアーチャーの後頭部を、無造作に凛がはたき倒した。アーチャーはしばらくの間不満そうな顔をしていたが、頭をさするだけで特に反論はしなかった。が、しばらくしてからやおら口を開く――
「――凛、ところで」
「あ、アーチャーあのね?」
二人のせりふが重なった。
『……』
ぱちくり、と二人そろって目を合わせ、きょとんとする。
気まずい一瞬の沈黙の後、凛は遠慮がちな笑みを浮かべながら、
「あ、そっちから先でいいわよ?」
「いや、凛。君から言いたまえ」
すかさずアーチャーも言い返す。
凛はわずらわしそうに眉をひそめると、手を振ってアーチャーを促した。
「いいから、ほら」
「ふむ」
アーチャーは顎に手を当てて一瞬考え込むような仕草をした後、口を開いた。サンタの衣装にちらりと目をやりながら、
「その――まあ、このようにだね。その、クリスマスが近いらしいが、何か欲しいものはあるかね」
「え……?」
凛は口をぽかんと開けたまま硬直した。
ひくり、と口を引きつらせながら、それでもアーチャーは聞き返した。
「……なんだね、その反応は。私がクリスマスのことを言うのはそんなに意外かね?」
凛は胸の前で両手を組み合わせ、屈託なく笑った。
「うん、びっくりした。だってなんか、アーチャーってそういうのって興味ないのかなって思ってたから」
ほんのわずか、わかる人にしかわからない程度に顔を赤らめて、アーチャーは反論する。
「わたしは、君が興味あると思っていたのだが。違ったのかね」
「んー、そうね」
凛は指を唇に当てて、やや視線を上に向けた。
「そうねえ」
もう一度繰り返し、そして彼女はふいにくすくすと笑い出した。その様子を見てアーチャーは動揺したように目を泳がせた。
「な、何がおかしいんだね」
「ううん、こっちのこと」
凛はそう言って笑い続けていたが、やおら真面目な表情に戻ると考え込んだ。
「じゃあ、そうね」
しばらく俯いた後、凛は顔を上げるとアーチャーにびしりと告げた。挑戦的ですらある視線をぶつけながら。
「ケーキ。とびきりおいしいケーキがいいわ」
「なんだ、そんなことでいいのか」
拍子抜けしたように肩を落とすアーチャー。
「あら、相当難しい注文出したつもりだけど? なんてったって味にうるさい連中がいるんだからね」
凛はいたずらっぽく笑ったあと、アーチャーに背を向けて歩き出した。アーチャーは一瞬きょとんとしていたが、すぐにはっと顔を引きつらせると、
「な――」
絶句した。慌てて凛の後ろを追いかけながら、口を開く。
「り、凛。あの連中もいるのかね?」
「そうよ。だってわたし、今日士郎にさそわれたもの。あっちでみんなでパーティーやるんだって」
澄ました表情で言い放つ凛に、アーチャーは小さく零す。
「ふ、二人きりでは……」
「ん、なんか言った?」
くるりと振り返って聞き返す凛に、アーチャーは慌てて首を横に振った。
「い、いや。なんでもない」
「そ? じゃあアーチャー、期待してるわよ」
凛はそう言うと、にっこりと微笑んでリビングから出て行った。
アーチャーは呆然としたままその様子を見送った。
「――ふう」
心底まいったというように天井を仰ぎ見て、アーチャーはやれやれと息を吐いた。
「全く。あそこであの笑顔は反則だろうに」
呟いて、アーチャーは凛が消えていった扉を眺め見た。
窓の外は、すっかり暗くなっていた。
「──ふう」
ぱたりと扉が閉まると共に、嘆息が零れ落ちた。
遠坂凛は自室に入ってくると、ぼんやりとした表情を浮かべたままのろのろと足を動かし、ベッドのそばへと足を運んでいった──無造作にベッドに腰掛けると共に、また嘆息をこぼす。焦点の定まっていない視線で壁を見つめていた。制服のまま、着替える様子もなく、ただぼやけている。
「うーん……」
ぼすっ――
唸りながら彼女は体を後ろに倒した。ツインテールが頭よりも一瞬遅れてベッドにふわりと着地する。
「クリスマス、かあ」
呟いて、右手を上に掲げる。指を広げ、顔のちょうど真上にもって行き、そこで彼女は再度嘆息した。
「むー……」
ごろりと体を回し、うつぶせになる。のろのろとしたしぐさで枕を手繰り寄せ、両手で枕を抱え込むようにしながら、彼女はつぶやいた。
「どうしようかなあ……」
目を少し上に持ち上げ、ぽつりと小さく囁く。
「……あ、そうか。それでもいいのかなあ」
うんうん、と頷きながら、凛は独り言を続ける。
「そうね、うん。それでいいんだわ」
言って、ひとりこくこくと頷く。
彼女はふいに体を起こすと、
「よし、そうしちゃいますか──」
大きくそう告げて、ベッドから飛び降りた。
2
「すごいわねえ。まさか本当に降るなんて」
凛は関心したようにそう呟くと、空を見上げた。
灰色に染まった空からは、ちらほらと雪が降ってきている。
『ホワイトクリスマスというやつか』
凛の背後に霊体のまま控えながら、アーチャーもまた感慨深げに言葉を告げた。
遠坂邸と衛宮邸を繋ぐ道路の上を、凛はひとりで歩いていた。
「で、それはいいんだけど」
と、やおら半眼になって凛はうめき声を上げた。
「なんでわたしがこれ持たなきゃならないのかしら……?」
言って、視線を下へと落としていく。
彼女は両手で抱えるようにして大きな白い箱を持ち、そしてさらに傘を差して歩いていた。すぐにずり落ちそうになる傘を支えながら慎重にそろそろと歩いているのだが、アーチャーは実体化して彼女をフォローするつもりはないようだった。
『それはだね――』
「お、遠坂?」
アーチャーの説明は、ふいに飛び込んできた声によって遮られた。
道路の曲がり角から顔を出していたのは、間桐慎二だった。偶然会ったことに驚いているのか、目を見開いて絶句している。が、慎二はすぐに我に返ると皮肉げな笑みを浮かべて話しかけた。
「奇遇だね。どこか出かけるのかな?」
「ええ。間桐くんも?」
傘をしっかりと支えなおしてから、凛はにっこりと微笑んでそう返した。慎二は肩を竦めながら頷いて見せた。
「ああ、そうなんだよ」
「ふうん。パーティーって感じじゃないみたいだけど」
彼の服装──ジーンズに赤のセーター、それに有り触れたジャケット──に目を通してから、凛はぽつりと呟いた。
慎二は彼女のせりふを笑い飛ばしながら、
「た、ただの買い物だからね。今日は家で桜たちとやるんだ。まあ他にも誘われてるんだけど、家に桜ひとりってのもかわいそうだろ?」
「ああ、そうなの」
と、凛はふいに思い出したように顔をはっとさせると、口早に告げた。
「あ、いけない。わたし急ぐんだった。それじゃあ間桐くん、じゃあまた」
「あ、ああ」
慎二のせりふを聞きながら、彼を追い越し、そのまま振り返ることなく凛はすたすたと道を進んでいく──
しばらく歩いてから、凛は遠くを見るような眼差しで、ぼそりと呟いた。
「……確か今日のって、桜もくるのよねえ……」
『――とまあ、こういうことがあるかもしれないと危惧したからだが』
アーチャーの声は唐突だった。
そうね、と凛はため息交じりに頷いてみせた。
「そうね。いきなりケーキ放り投げられてもどうしようもないわね、たしかに」
『頭からかぶることになるかもしれないだろう?』
「うん」
からかうようなアーチャーの言葉に凛もまた小さく笑って答えた。
雪の降る道を、二人は進んでいった。
──あれからさらに15分。凛とアーチャーの二人は衛宮邸に到着していた。
屋敷の敷地に入るなり、アーチャーは実体化した。すぐさま凛からケーキを取り上げ、ずんずんと奥へと進んでいく。
そして、問答無用とばかりにベルも何も押さずに玄関の扉を開け放った。
「ちょっとアーチャー! 何やってるのよ」
さすがに見咎めたのか、凛が声を張り上げた。何、とアーチャーは涼しげな表情のまま続けた。
「どうせ気づいているさ。何、気にすることもあるまい」
そ知らぬ顔でアーチャーは屋敷の中に入っていく。凛は玄関先で傘に付いた雪を振り払い、脇に設置されていた傘立てに傘を差込んでから、慌ててアーチャーのあとを追った。
「もう、待ちなさいって──」
「ああ、遠坂」
ほっとしたような声が聞こえた。
玄関の先にはアーチャーと、そして向かいに士郎が立っていた。その後ろにはイリヤの姿もある。
「あ、士郎。お邪魔するわ」
「うん、どうぞ」
「アーチャー、それってケーキなの?」
目ざとく箱に目をつけたイリヤが身を乗り出して尋ねてきた。
そうよ、と凛は頷いた。
「アーチャーったらはりきっちゃって。持ってくるのに疲れたわ」
「ああ、すまない凛。まあ──」
と、そこまで言ってからアーチャーは意味ありげに言葉を区切った。ちらりと視線を士郎へと送り、口を皮肉げに歪めてみせる。
「どこかの誰かには真似出来ない味であろうがね」
「……む」
さすがにむっとしたのか、士郎が口を曲げた。
横からイリヤがにこにこと笑いながら口を挟む。
「シロウは料理つくったんだよー。すっごいおいしそうなんだから」
「まあ私のケーキで口直しできるから、特に問題はないだろうがな」
すかさずそういい捨て、アーチャーはずんずんと廊下を奥へと進んでいった。それを見送ってから、凛は顔を手で覆い、はあ、と盛大にため息をついた。
「ああもう、なんであいつは……士郎、ごめん」
「いや、遠坂が謝ることじゃないだろ」
ふっと表情を緩めて、士郎。と──
「す、すいません、遅くなりました」
空いていた扉の外から声が聞こえたかと思うと、桜が顔を覗かせた。はあはあと息を切らしている。
「あら、桜?」
「あ、遠坂先輩も今来たんですか?」
「ええ。でも遅くなったって?」
凛が尋ねると、桜はもごもごと言い辛そうにしながら、
「えっと……その、兄さんを撒くのに時間がかかって……」
「……ああ、あれってそういうことだったんだ」
曖昧な笑みを浮かべながら、どこか遠くを見つめ、凛は頷いた。
と、いい加減じっとしていることに我慢できなくなったのか、イリヤが両手をがーっと上にあげて叫ぶ――
「もう、皆おそいー! お腹ぺこぺこなんだからねー!」
「全くです。折角の料理が冷めてしまうではないですか」
イリヤのさらに奥から、静かな声が朗々と響いた。
そこにはすでに箸と茶碗を両手に装備したセイバーがでんと立っていた。
「ああもう、わかったわかった。じゃあ早速飯にしよう」
苦笑しながら士郎が二人を促す――
凛と桜はぽかんとしながらその様子を眺めていたが、やがて互いに目を合わすと、一斉に笑い出した。
間桐邸――
「シンジ、かえりましたか」
玄関の扉を開け放つと同時にそう呼ばれて、慎二は面倒くさそうに顔をしかめながらも振り返った。そこにいたのは、目隠しをした奇妙な格好の長身の女――ライダーだった。
慎二は嘆息まじりに尋ねた。
「……ライダーか。じいさんは?」
「部屋にいるようですが。しかしシンジ、サクラがいないようですが……」
ライダーが呟くと、途端に慎二は顔をさらにしかめてみせた。舌打ちをしながら忌々しげに呻く。
「ああ、そうだよ。逃げられた。畜生……」
ライダーはその様子を不安そうに見ていたが、やがてふっと笑うと両手を広げてみせた。口元に小さく柔和な笑みを浮かべながら。
「さあシンジ、とにかく食卓に。夕飯にしましょう」
「あ、ああ」
毒気を抜かれたように、慎二はのろのろと頷いた。
空は次第に暗くなり始めていた。
衛宮邸――
「うわ、おいしー。なにこれなにこれー」
片手で頬を押さえながら、大河はぱっと顔を輝かせた。
机の上にはこれでもかといわんばかりに大量の料理が鎮座していた。鳥のから揚げにちらし寿司、焼き鳥、天ぷら、おでん、串かつ――おおよそクリスマスと縁のなさそうな和風のものばかりである。
「士郎、さすがです」
セイバーは一心不乱に箸を動かしながら、こくこくと頷いている。食べる速度はいつもの倍ほどだった。
「さくら、お醤油とってくれない?」
「はい、イリヤちゃん」
「まだまだあるからなー」
エプロン姿で焼き鳥の入った皿を運んで来た士郎は、嬉しそうに笑いながらそう言った。
皿が机に置かれたと同時、セイバーがその中身を、一本だけ残して瞬時に掠め取った。それを見た大河がなにやら喚いている――
「でも、和風のクリスマスってのもいいわねえ」
グラスを傾けながら凛は満足そうに呟いた。
と、隣でちびちびとワインを飲んでいたアーチャーが、はっと気づいたように顔を引きつらせる――
「って凛、それは酒じゃないのかね!?」
凛はへらっと笑いながら、手をぱたぱたと振ってみせた。
「んー、いいじゃないの、今日くらい」
「しかしだね……」
「ほら、あんたも飲みなさい」
言って凛は傍にあったワインのボトルを掴み、納得していない様子のアーチャーのグラスに問答無用とばかりに注いだ。
「ああ、全く君ってやつは……」
「焼き鳥追加おまちどうさまー」
士郎のその声に、再びセイバーの目に光が宿った――
間桐家食卓――
「なあ、ライダー」
ぼそりと、ライダーに届くか届かないかくらいの小さな声で慎二は呟いた。
「はい」
無感動に返事をするライダーに、慎二は俯いたまま続ける。
「なんだよ、これ」
慎二が言ったのは、テーブルの上に並んでいる料理のことだった。料理、とは言っても出来合いのものばかりである。いつも食事を作っている桜はいないのだから、当然といえば当然と言えた。
「コンビニで買ってきました。お口に合ませんでしたか?」
「……まあ別にそんなこともないけどさ。僕が言いたいのはそんなことよりこの――」
そこまで震えるくらいの小さな――ただし怒気だけは妙にこもっている――声で呟いてから、慎二はがばっと顔をあげた。びしり、とテーブルの中央に、やたら大きな皿に誇らしげに納められている料理を指差して、
「お前が妙に自身たっぷりに買ってきた、これ! これなんなんだよ!」
「チキンですが、何か?」
ライダーは心底わからないというように首をかしげた。
慎二は髪をかきむしりながら絶叫する――
「ああそうだろうな! どこからどうみたってチキンだよ! でもな、なんでマックなんだよ! なんでマックなんだよっ! せめてケンタだろ!?」
慎二は二回繰り返した。
その迫力に押された、というわけでもないだろうが――慎二がチキンマックナゲット(5個入り)を指差した拍子に、その内のひとつがこてんと傾いた。
「シンジ、それは違います」
ライダーはあくまでも冷静に否定した。そして、きっぱりと告げる。
「こっちのほうがお買い得なのです!」
「くそう……くそう……!」
テーブルに拳を押し付け、慎二は低い声でぶつぶつと唸り続けている
と、ライダーはそんな慎二の態度に構う様子もなく、平坦な口調で続けた。
「ああ、シンジ」
「なんだよっ?!」
乱暴に聞き返した慎二に、ライダーはVサインをつきつけた。
「ひとり2こまでですよ」
「あああああああああっ!?」
間桐の屋敷に、絶叫が響き渡った――
「あー、食べたわー。お腹いっぱいよ」
床に足を投げ出して、凛は満足そうに大きく伸びをした。
「私も……」
その隣では、ごろりと床に寝転がったイリヤが幸せそうな顔をしてぼんやりと天井を見上げている。その場にいる全員が似たようなものだった。まあ、ゆうに十人分はあった料理を全て食べつくしたのだから当然といえば当然だろうが――
「アーチャー、早くケーキをだしてください!」
そんな中、セイバーはばしばしと机を叩きながら猛烈に抗議していた。あまつさえ手にはすでにフォークが握られている。
「……セイバーさん、まだまだいけそうですね……」
「まあ、予想はしていたけどね……」
凛と桜が、二人そろってぼんやりとその様子を眺めている。
それまで静かにお茶を飲んでいたアーチャーは、セイバーの言葉に顔をあげると、ちらりと凛に視線を投げかけた。凛が軽く肩を竦めて見せるとアーチャーは小さく頷いてから立ち上がった。
「まあ少し落ち着きたまえ。今もってこよう」
言ってアーチャーが台所へと消えていく――
それを見計らっていたのか、突然イリヤは体を起こすと、四つんばいの姿勢のままイリヤの近くに向かって這ってきた。それからこっそりと小さな声で尋ねる。
「ね、ね、リン。どんなのだった? ケーキ」
湯のみを手にしたまま凛は平然と言い返した。
「え? わたし知らないわよ。アーチャー見せてくれなかったし」
「えー、そうなのー?」
明らかに落胆したように声をあげるイリヤ。その様子を見てから凛は苦笑した。
「それに、見る気もなかったしね」
「? なんで?」
わからない、と言うように首をかしげるイリヤに、凛は悠然と微笑んで見せた。
「だって、楽しみはとっておくほうがいいでしょう?」
それはそうだけど、とイリヤは憮然としたまま引き下がった。それとほぼ同時に、両手に大きな箱を抱えてアーチャーが登場する――
「またせたな。ああ、凛、少しどいてくれないか」
「うん」
凛が体をずらすと、そこにアーチャーは座り込み、ケーキを机に置いた。同時、右手に下げていた紙袋をさりげなく脇に置く。それに目ざとく気づいたイリヤが紙袋に手を伸ばした。
「あれ、こっちのはなに?」
言いながら、そっと入り口を広げて中を覗き込む。
「ああ、こっちは――」
アーチャーが言う間に、イリヤが紙袋を広げて中身を取り出した。そこには――
「って……」
わなわなと体を震わせて、凛は呻いた。
「なんで持ってきてるのよ、これ!」
凛がびしりと指差したその先には――家においてきたはずのサンタクロースの衣装があった。
「勿論君に着せるためだが」
しれっとアーチャーは言い切った。たまらず凛は叫ぶ。
「着ないわよっ! ……大体どこに隠してたのよ、これ」
「箱の中だ。すぐにばれるかと思ったが、何、案外気づかないものなのだな」
感心したように呟くアーチャーを尻目に、凛はがっくりと両手を床についてうな垂れた。
「……やられた……」
はっはっは、と笑いながら、アーチャーは凛を放置したままケーキに向き直った。傍に置いてあったケーキナイフを手にしながら、箱の蓋に手をかける。
「まあ、先にこっちにしよう。何、きっと凛は着てくれるだろう」
「さ、桜でもいいんじゃない……?」
おずおずと――ただし、妙なオーラを纏いながら、凛が進言した。
「もう、遠坂先輩ったらなに言ってるんですか」
桜はニコニコと笑いながら、小さく口の端をゆがめた。嘲るように。
「そんなの胸が入らないに決まってるじゃないですか」
「あんた、いっぺん本気でころすわよ……?」
殺意に満ち溢れたどす黒い笑顔を浮かべながら、すっくと凛が立ち上がる――
「ま、まあまあ」
二人の間に慌てて士郎が割って入り、仲裁した。凛は納得言っていないというように忌々しそうに桜を――と言うより桜の胸を――睨みつけていたが、やがてふんっと顔を背けると座りなおした。
「では、開けるとしようか」
言ってアーチャーが、ケーキの箱をそっと持ち上げた。
「おおおおおおおお」
感嘆の声が響きわたる――
中には巨大な3層のケーキが鎮座していた。一層一層それぞれが違う種類のものである。一番下がチョコレート、二番目が生クリーム、そして一番上はフルーツをふんだんに盛り合わせたストロベリー・ムースのようだった。その上には砂糖菓子のサンタクロースやトナカイたちが乗っており、中央にはチョコレートのクリスマスツリーが聳え立っていた。
「うわ、すごいな」
士郎は思わずそう呟いてから――はっと気づいたように口をへの字に曲げた。
「あんた、よくこんなの作れたわねえ」
「何、たいしたことじゃないさ」
シニカルに笑いながら、アーチャー。
と、その横でイリヤが、今にもケーキに飛び掛ろうとするセイバーを羽交い絞めにしていた。
「セイバー、駄目なんだからねっ!? ストップストップ!」
アーチャーはその様子を見てから苦笑した。
「では、早速切り分けるとするかね?」
「あ、でもその前に」
桜がにっこりと笑いながら、指を一本たてて提案した。
「やることが、あるんじゃないですか?」
「片付けはやっておけよ、ライダー」
冷たく言い放って慎二は席を立った。
「はい」
ライダーがそういい終わる前に、慎二は食堂を後にした。そのままわき目もふらずに自室へと戻り、勢いよく扉を閉める。静かな屋敷の中にその音はかなり大きく響き渡ったようだが――慎二は大して気にした様子もなく、椅子に座り込んだ。
「…………」
口を開かないまま、じっと宙を見ている。
「……くそう」
小さく――本当に小さく、慎二は呟いた。
「……クリスマスなんか……嫌いだ……」
「…………で」
怒りを押し殺した声で静かに凛は口を開いた。
「どうしてこうなってるのよ……?」
ぎろりと、隣に立っているアーチャーを睨みつける――が、アーチャーは平然としたまま、
「何を怒っているのだね、凛」
アーチャーはしれっと続けた。やれやれ、と肩をすくめてみせながら。
「このメンバーがいる時点でこうなることくらい予想がついただろう?」
「原因つくった張本人が偉そうに言うんじゃないわよ!」
たまらず凛は叫んで、頭にかぶっていたサンタ帽を引き剥がし、床に叩き付けた。
凛は先ほどのサンタの服を着て――正確には着せられて――いた。ご丁寧にニーソックスまで履き替えている。あの後桜とイリヤ、二人の手にかかって強制的に着替えさせられたのだった。
「似合っているのだからいいではないか」
「いいはずないっ! ああもう、ってなんでしっかりきてるのよわたし……」
言って頭をかかえる凛。
その後ろでは、イリヤが廊下に向かって顔を突き出していた。
「あ、シロウ。もうはいってもいいよー」
その言葉に従い、シロウが部屋に入ってきた。そして。
「うわ」
凛の姿を見るなり一歩あとずさり、士郎は呻いた。
「うわ……?」
ぴくりと肩を震わせ、凛が振り返った。
「あ、いや、その」
シロウはわたわたと両手を振り回してから、もごもごと呟いた。
「すごく似合ってる、遠坂」
「あ、ありがと、シロウ」
顔を赤らめて、凛が頷く。
「……ふむ」
アーチャーはその様子を仏頂面で見ていたが、やがてぽつりと呟くと凛へと近づきながら、
「そうだな。やはり君に人前で着せるとは、私もどうにかしていたようだ」
「へ?」
凛がアーチャーを見上げると同時――
「きゃああっ!?」
問答無用と言わんばかりに、アーチャーは凛の体を持ち上げた。俗に言うお姫様抱っこの格好だった。
「ちょ、ちょっとはなしなさい!」
「それは出来ない相談だな」
顔を真っ赤にしてわめく凛の言葉を軽く流すアーチャー。
「ってお前ちょっとまて――」
ようやく士郎が我に返って叫ぶが、そこにイリヤがはしゃぎながらしがみついた。
「シロウ、わたしもあれやってやってー!」
「あ、イリヤちゃんずるいですっ、先輩、わたしだってして欲しい――」
「いや、いっぺんに来られても――うわああっ!?」
イリヤと桜の二人にしがみ掴まれ、三人まとめて転倒する――
その隙に、アーチャーは凛を抱えて部屋から飛び出した。
「シンジ、少しいいですか?」
「……なんだよ」
扉ごしに聞こえた声に、慎二はのろのろと聞き返した。
「いえ、その」
声はしばし逡巡した後、
「先ほどは言い忘れたのですが、ケーキを買ってきたので」
その言葉に慎二はぴくりと反応した。一瞬ぱっと顔を輝かせるが――すぐに仏頂面に戻る。険悪な声を保ったまま聞き返した。
「う、うん。それで?」
「その、もしよければ一緒にどうかと――」
「まあ、そこまでいうんならしょうがないかな」
慎二はそう言って扉を開けた。
扉のすぐ前には、皿を手にしたライダーが立っていた。
「では、早速これを!」
言って突き出してくる皿の上には――
「……スポンジ?」
それだけが、鎮座していた。
「はい」
ライダーは嬉しそうに頷いた。
慎二は絶望的に顔を歪め、無言のままに肩を落としたが――やがてなんとか言葉を搾り出した。
「……逆に見つけるの難しいだろ、これ」
「そうですね。200円という予算内でどうにかするには相当の努力を要しました」
満足げに言ってくるライダーの言葉に――
とうとう慎二はがっくりと床に手をついた。
「ったく、何考えてるのよ。戻りづらくなったじゃない」
凛は半眼で小さく呟くと、空を見上げた。真っ黒な夜空からはただ静かに雪が降り続けている――
二人がいるのは、屋根の上だった。
「ふむ」
アーチャーは凛の隣に立ったまま、ちらりと目線を動かした。
「それなら、このまま帰るかね?」
「却下。ったく、何考えてるのよ、あんた……」
「別に、何も」
涼しげにアーチャは言った。
「ああ、そうだな」
と言って、意味ありげに凛に視線を送る。からかうように。
「ひょっとしたら、君と二人きりになりたかっただけなのかもしれないな」
「なっ――」
凛は顔を真っ赤にして絶句したが、やがてふん、と顔を背けると、
「そ、そんなこと言ったって許さないんだから」
「む、そうかね?」
言って、それきり沈黙。
二人は黙ったまま、ぼんやりと庭を眺めている。
階下は相変わらず大騒ぎしているようだった。叫ぶ声、どたどたと走る音、何かが割れる音……
「あ、そうだ」
ふいに凛は顔をあげると、小さく微笑んだ。
「ケーキ、ご馳走様。おいしかったわ」
「ふむ、そうかね」
無感動にアーチャーは頷いた。
「……それはよかった」
凛に聞こえないくらいの小さな声で、そう続ける。
「それで」
言って凛は、視線を微妙にアーチャーからずらしながら続けた。
「その――もらってばっかりってのも悪いから、わたしからも、その、プレゼント」
言いながら両手を背後に回し、立ち上がる。
ちらりと凛の手に視線を送ってから、アーチャーは口を開いた。
「? そうかね。ではありがたく頂戴すると――」
――瞬間、風が吹いた。
音と、雪が、二人の姿をかき消す――
やがて、風が止んだ。
それと同時……凛がゆっくりと体をアーチャーから離していく。
「……………は?」
アーチャーは右手で頬を押さえ、ぽかんと口を開けていた。
凛は視線を背けたまま、早口に続ける。
「じ、じゃあ。それだけだから。おやすみっ」
言うが否や、反論を許さない速度で身を翻すと彼女は屋根から下り、屋内へと入っていく――
残されたアーチャーはひとり雪の下で呆然としていたが、やがて、ゆっくりと息を吐いた。
白い吐息が、黒い闇の中に広がる――
「……ふう」
アーチャーは、嘆息してから、上空を見上げた。
「全く。君という人にはいつもおどろかせる」
そしてアーチャーは、頬に当てていた手をそっと離し――囁いた。
「――メリークリスマス、凛」