Fate/usual
days
Days
4
「アーチャー?」
がちゃり
居間に入ってくるなり、凛はそう言ってアーチャーを一瞥した。そのまますたすたとソファーへと向かう――
遠坂の屋敷のリビングである。時刻は昼すぎ――先ほど昼食を食べ終わったばかりのことだった。凛が後片付けをアーチャーに任せ、自室に戻っていったのが十分前。先ほどとは違う服に身を包んだ凛は、ざっと部屋を一瞥すると、
「何よ、まだやってたの?」
呆れたように、そう呟いた。
「仕事が丁寧だと言って欲しいな」
心外だ――とばかりに口を尖らしながら、ぴかぴかに磨かれた食器を片手で掲げてみせたのは、赤い外套の男だった。引き締まった体つきの、どこか皮肉げな雰囲気のする男。最も今はエプロン――わざわざ凛が彼のために買ってきたものだ――をつけているため、全くサマになっていないのだが。
「まあいいけど。さっさとしてよね」
「そこで手伝うという選択肢はないのかね、君には……」
口ではそう言いつつも、てきぱきと男は皿を磨いていく。凛はその様子を眺めながら、どさりとソファーに腰掛けた。背中を丸め、腕を膝の上につき、そしてその上に顎を乗せる――完全に傍観する体勢。
「いいじゃない。なんだかんだ言って好きでしょ? こういうの」
言って彼女はにへら、と笑う。
アーチャーはその言葉に口を開き――そして何か思いとどまるようなことがあったのか、後に続く台詞を飲み込んだ。それきり口をつぐみ、仕事に専念する。
かちゃかちゃという音だけが響く。
「…………」
凛はそんなアーチャーをぼーっと眺めていたが、やがて、
「ねえ」
「なんだね?」
アーチャーは視線を送らないまま聞き返した。
「んー……」
凛は視線を逸らした。とろんとした目つきでソファーの生地を眺めている――なんとなく面白くない、と言ったような表情。
「……凛?」
続きを促すように言葉尻を上げ、アーチャーは顔を上げた。凛はそのことに気付いた様子だったが――あくまでソファーを見つめつつ、ぼやくように呟く。
「……何でもない」
「ふむ」
かちゃり。
最後の食器を立てかけてから、アーチャーは歩き出した。エプロンを外し、きちんと折りたたむ。
「何か私は君を怒らせるようなことをしたかな?」
「……別にぃ?」
言って彼女は立ち上がった。もうこの話は終わり、とばかりにさっと手を振る。んー、と言って両手を上に上げ、体を伸ばす。
「さって。じゃあ行きましょうか」
「ふむ?」
眉をぴくりと跳ね上げながら、アーチャー。彼は凛の目の前まで来ると立ち止まった。
「どこにだね、凛」
当たり前といえば当たり前の質問を口にする。
そうね、と呟きつつ、凛はソファーに投げ捨ててあった上着を手に取った。素早く全体に目を通してから、適当に手で埃を払う。それにじっと目を落としながら、自分に言い聞かせるように呟く――
「……まあ、街よ。新都のほう」
「それは、つまり」
一歩踏み込んで、アーチャーは目を鋭いものへとしていく――攻撃的なのではない。ただ純粋に、鋭い。
彼はじっと凛の目を覗き込んだ。問う。
「こちらから仕掛ける――と受け取っていいのかな? マスター」
「違うわよ」
かぶりを振ってあっさりと凛は言い切った。
「……ふむ?」
まさかいきなり否定されるとは思っていなかったのか――ぴたりと動きを止め、アーチャーは視線だけで凛に先を促した。彼女は気楽に笑って、ぱたぱたと手を振ってみせる。
「とりあえずは情報収集だけよ。そんなに気を張らなくてもいいわ」
「……そうか。まあ君がそれでいいと言うなら私は何も言わないが」
「ええ。じゃあまずは、そうね。とりあえず街に出ましょう。情報なんてものは――」
言いながら、上着に腕を通していく。
「――よっと。足で稼ぐのがね、なんだかんだ言って、一番効率がいいんだから」
「その意見に反対はしないが」
アーチャーは静かに頷いた。それから確かめるように、うんうんと何度も頷いてみせる。
「しかし、そうか。ようやく私も本来の役目に戻れるということか」
「……何よ、随分嬉しそうじゃない」
上機嫌な様子のアーチャーに対し、凛は逆に不機嫌な表情。腰に手を当て、半眼で睨みつけている。その態度に彼はきょとんとして、
「? どうしたのだね、凛」
「べ・つ・にっ?!」
語気も荒く、そう言い捨てる。
アーチャーは困ったように凛を見つめた後で――ふいににやりと口を歪めた。
「ああ、ふむ――そうかそうか」
言って、苦笑。
「……何よ」
アーチャーの態度を半眼で見て、凛は拗ねたような口調で呟いた。それを聞いてアーチャーはますます口を歪める。何、大したことではないさ――といいながら、彼は肩を竦めて見せた。
「なんかその言い方、むかつくわね……」
むー、と唸りつつ迫る凛。アーチャーは肩をすくめる。
「ああ、悪かった」
「しかも全然反省してるように聞こえないしっ!」
がー、と叫ぶ。
「悪かったと言っているだろうに」
さらりと告げるアーチャー。凛は疲れたように自分の額を手で押さえて、
「誠意が感じられないのよ……」
「凛。行くならさっさと行くべきだ」
アーチャーは言って、取り合う様子すらなく、さっさと扉へと歩き出す――
「ストップ。アーチャー、待ちなさい」
静止したのは、他ならない凛だった。
まさかそう来るとは思っていなかったのか――アーチャーはいぶかしげな表情を隠しもせずに凛を凝視した。
その視線に居心地の悪いものを感じたのか、少し体を引き気味にして――凛。
「あなた、まさかその格好でいくつもり?」
その言葉にアーチャーは自分の服に目を落とした。赤と黒を基調とした服――なのはいいが、そのデザインはどう見ても目立つものだ。少なくとも真昼間から人の多い場所に行けば、人目を引くこと間違いないだろう。
言いたいことはわかっている、とばかりに彼は肩を竦めると、
「ああ――いやいや、勿論街中では姿は消していくとするさ」
「……」
凛は無言だった。
怒っているようで、それでいて少しばかり落胆したような、そんな表情。
「……どうしたのかね、凛」
「え、いや、その――」
いきなり話を振られて、彼女は慌てたようにばたばたと手を振った。
「な、なんでもないわよっ!」
半ばやけくそのようにそう言って、ずんずんとアーチャーを追い向いて扉へと進んでいく。その態度にアーチャーはもう一度肩を持ち上げようとして――そこで、ぴたりと動きを止めた。
口元が吊り上げる。
「――ああ」
彼はわざとらしい口調で声を張り上げた。まるで凛に聞かせるように。
「そういえば、この前凛に買ってもらった服があったな」
その言葉に、凛の動きが一瞬静止した。が、すぐに何事もなかったように歩くことを再開する。かまわず彼は、一人ごちるように続ける。
「あれを着れば、そうだな。わざわざ姿を消すこともないか」
言って――苦笑。
「……ふん」
ほんの少しだけ、後ろを振り返って。
凛はアーチャーをちらりと目にとめた。
「――好きにすればいいでしょ?」
がちゃっ。
言い捨てるようにして、彼女は廊下へと出て行く。
ふむ、と呟き、彼は今度こそ苦笑した。凛に聞こえない程度の小声で呟く。
「ああ、そうだな。好きにさせてもらうとしよう」
「まずはどこから行くんだ? 凛」
アーチャーは腕を組んでそう聞いた。挑戦的とも取れるような目で、マスターである凛を見つめる。試すかのような視線を受けながら、凛は黙考した――指を唇に当て、視線を横に滑らせる。癖のようなものだった。
きっかり十秒がたった頃。
「そうね」
凛は深く頷いてから、顔を上げた。
いかにも名案だとばかりに指をぴっとたて、
「――お茶にしましょう」
そう、笑顔できっぱりと言い放った。
一瞬の間が開く。
「…………は?」
かくん、と肩を落としてアーチャーは聞き返した。
――新都に着いて、今後の対策を練ろうとした直後の出来事だった。
信じられない、という表情で凝視するアーチャーに、凛はにこにこと笑って応えている。
「…………………」
黙ったまま見つめる。
――先に根負けしたのはアーチャーのほうだった。
「……正気かね? 凛」
ひどく低い声で、そう尋ねる。
「あったりまえでしょ?」
何もおかしいところなんかない、と言うくらいの堂々とした態度に、彼は何かをあきらめたように、深く深く嘆息した。
「……そうか」
背中を丸めながら、ぼそりと頷く。
「どうせ何をいっても聞く耳はないのだろうな……」
そして、ふっと笑う。というよりも自嘲だが。
「そうね。あそこでいいわ。入りましょう?」
アーチャーのぼやきなど聞こえていないかのように明るく――ただし頬に一筋の汗が流れているが――言って、返事を待たずにずんずんと歩き出す凛。仕方なしにアーチャーもまたその後に続いた。
行き先は喫茶店だった。
どこにでもあるチェーン店である。
ガーッ
自動ドアが開く。
「いらっしゃいませー」
店員が挨拶をしてくる。後ろを振り返ってちゃんとアーチャーがついてきていることを確認してから、凛はカウンターに近づいていった。その上に置いてあるメニューに目を通していく。それから再び後ろを振り返って、
「アーチャー。貴方何にする?」
「私は結構だ」
仏頂面で、アーチャー。が、凛は聞く耳持たないようだった。肘でつつくような仕草をしてみせる。
「いいから言いなさい。何にするの?」
「……………………コーヒー」
「アイス?」
「ああ」
そこまで聞くと、凛はもう一度前に向き直った。
「じゃあそれと――あと、アイスチョコレートとアップルケーキ二つ」
「アイスコーヒーとアイスチョコレート、それとアップルケーキが二つですね? お会計、961円になります」
「ん」
千円札を出す。
アーチャーが後ろで動揺したように周囲を見渡した。
「39円のおつりになります。ごゆっくりどうぞー」
「アーチャー、いきましょう?」
トレイを持って、凛が奥のテーブル席を顎で指し示す。
「……待て、凛」
「え?」
振り返ると、アーチャーは仏頂面のままで、トレイをひったくった。
「……私が持とう」
言って、ずんずんと歩いていく。
「あ、うん」
少し驚いたように背中を見送ってから。
凛はくすくすと笑いを堪えながら、ゆっくりと進んでいった。
「どう? 美味しいでしょ?」
「…………」
アーチャーは無言のままコーヒーを飲んでいた。
「あれ、口に合わなかった?」
「いや……美味しいが……」
根負けしたように口を開く。なによ、と凛は眉をひそめて、
「ならもっと楽しそうな顔しなさいよ」
そこまで凛が言ったところで――
かたんっ
アーチゃーはグラスをテーブルの上に置いた。からんと氷が音をたてる。手を組んで、深く嘆息。じっと真正面の少女の瞳を見つめて、彼は告げる。
「……凛。こんなことをしている場合ではないと思うのだがね」
「……わかってるわよ」
フォークを口に加えたまま、凛。
「でも」
と言って、凛はフォーフをぴこぴこと振って見せた。からかうように、アーチャーに向かってウインクをする。
「こういうのも、悪くないでしょ?」
「む……」
その言葉に。
何故かアーチャーは反論できなかった。
「ねえ、これはどう?」
次に向かったのは雑貨屋だった。主にアンティーク品を扱っているらしく、年季の入ったものが目立っている。
にこにこと笑いながら凛が手にしているのはネックレス――淡い緑の色をした宝石だった。自分の胸元に当て、アーチャーに見せ付けるようにしている。
が、一方のアーチャーはどんよりとしていた。『ずーん』という音が聞こえてきそうなくらいである。
「ああ、いいのではないか?」
やる気のなさそうな返答。
「じゃあこれは?」
凛は手近にあったハート型のネックレスを手にとって見せる。
「ああ、いいのではないか?」
「じゃあこれ」
モナーの形をしたネックレス。
「ああ、いいのではないか?」
「んー、じゃあこれっ!」
『萌え』と書かれたTシャツ。
「ああ、いいのではないか?」
「何がよっ!」
すぱんっ!
凛は手にしたハリセンで思い切りアーチャーの頭をはたき倒した。打たれた箇所を手でさすりながら、アーチャーは顔をあげて憤然と抗議する。
「何をするっ?!」
「こんなのがいいはずないでしょっ?!」
Tシャツを目の前に掲げてみせる。
「……いや」
アーチャーは顎に手を当てると、静かに告げた。
「……ありだろう?」
「なんでよ!」
Tシャツを床に叩きつける直前でなんとか自制して、凛。
「ったく……ほら、真面目にやるわよ」
Tシャツを元あった場所に戻して、近くの棚に置いてあった指輪を手にした。ちらりとアーチャーを見てから、それを元の位置に置きなおす。今度はその隣のネックレスを手に取った。しげしげと色々な角度から観察してから、うんと頷く。
「ほら、アーチャーこれ似合いそう」
「って、私かね?」
「そうよ」
驚くアーチャー。頷く凛。
シルバー・アクセサリーだった。緑の宝石のはめ込まれた、剣の形をしたものである。
「うん、やっぱり似合ってる。――よしアーチャー、これ買ってあげるわ」
ぱんっ、と手を打ち鳴らして早速店員を呼びに行こうとする凛。
「いや凛、私は――」
「あ、すいませーん!」
彼女はアーチャーの言葉には取り合わず、すたすたと歩いていく――
「…………はぁ」
そうして、彼は深く嘆息するのだった。
胸元に、銀色のワンポイント。
「それで今度は買出しかね?」
アーチャーはげんなりとしながら、吐き出すようにそう尋ねた。
スーパーマーケットである。アーチャーがカートを押し、凛がその横を歩いている。彼女はネギを吟味しながら、
「何よ。あんたと違って私はきちんと食べないと死んじゃうんだから」
「そういう意味ではないのだがな……」
ぼそりと呟いている。
凛はふいに顔をあげると、
「アーチャー、今夜何食べたい? 今日は私が作るわ」
「……明日は雨のようだな」
「何か言ったかしら?」
「いや別に」
笑顔で迫る凛。顔を横に背けるアーチャー。
「そうね……マーボー豆腐なんていいかもね」
「ふむ。まあ異論はないが」
アーチャーはカートを押しながら、乳製品の陳列棚に手を伸ばす。
「それと確か牛乳も切れていたぞ」
言いながら、さりげなく奥から牛乳を取る。
「……あんた、なかなかやるわね……」
凛が冷や汗のようなものをかいて、そう呟いていた。
そして――
「ただいまー」
二人は家へと帰ってきた。手ぶらの凛に対し、アーチャーは両手に何袋も荷物を抱えている。凛がついでとばかりに日用品――それもティッシュや米のような――を買い込んだ結果がこれだった。
「凛、これは買いすぎでは……?」
荷物に埋もれるようになりながら、アーチャーは半眼で唸る。口ではそう言いつつも、大して負担になっている様子はなかった。
「あはは……まあいいじゃないの」
愛想笑いのようなものを浮かべて、凛は靴を脱いで廊下にあがる。それからくるりと振り返り、しげしげとアーチャーを眺め見た。
「んー、それにしても買ったわねー」
「……全くだな」
なんとかそれだけ呟いて、アーチャーは荷物を置く。
落ち着こうとしているのか、深呼吸を二回。
それからようやく――彼は顔を上げた。口元にいつもの皮肉めいた笑み――ただし頬には一筋の汗があるが――を浮かべて、
「……そうか……」
ゆらりと、廊下に上がる。
「わかったぞ、凛……」
うんうん、と。自分を納得させるように頷いて、彼は一歩前に出る。
「要するにあれだな……荷物持ちが欲しかったのか」
凛は腕を組んでそんなアーチャーを見ていた。何かつまらないものを見るように。それから彼女は嘆息とともに頭を振る。
「始めからそう言ってくれれば――私もだな、それなりの覚悟が……」
「……別に、そういうわけじゃないわよ」
ぽつり、と。
聞こえるか聞こえないかくらいの声で、彼女は呟いた。その目は、角度によっては潤んでいるように見えたかもしれない。彼ははっとすると、凛に近寄ろうとして――
「じゃあアーチャー、冷蔵庫いれといてね」
……その前に、凛そういい残してさっさと二階へあがっていく。
呆然としながらも彼はそれを見送った。
「……了解だ」
完全に彼女の姿が視界から消えてから、アーチャーはのろのろと動き出した。廊下に置きっぱなしだった荷物に向かう。
「全く。何で私がこんなことを――」
不満をこぼしながら、背中を丸め、荷物に手を伸ばす。
ちゃらっ――
その際に、銀色の光が視界を遮った。
今日凛が買ってくれた――というより押し付けられた――ネックレスである。
アーチャーはそっと包み込むようにそれを手に取った。手の中で弄ぶ。
少し、考える。
答えはすぐに出た。
考えるまでもないことだ。
「――ああ、そうか」
彼は苦笑した。
一緒に出かけて。
一緒にお茶をして。
一緒に買い物をして。
一緒の時間を、過ごして。
それは、つまり――
「デート、というわけだったのかな……?」
そう呟いてから、アーチャーはもう一度ペンダントをそっと撫でた。