FATE/usual days
days
3
いつもの屋敷のいつものリビングで、アーチャーは居心地が悪そうに身を縮ませていた。足を組み椅子に座って平静を装っているが、そのこめかみには一筋の汗が浮かんでいる。
原因は、まあ考えるまでもないのだが――。
「……何か用かな? 凛」
にこやかな――ただしよく見ると口元が引きつっている――笑みを浮かべて、アーチャーはくるりと首を後ろに向けた。
そこには屋敷の主人である凛が、ソファーに座ってじっとアーチャーを見つめていた。いや、それはもはや見つめると言うよりも睨むと言った方が適切かもしれない――ぐっと目を細め、ただひたすらアーチャーに視線を注いでいる。
彼女はアーチャーの問いかけに反応しなかった。
「……凛?」
眉をひそめ、アーチャーはもう一度聞く。が、やはり反応はなかった。
「ふむ」
顎に手をあて、考える――
そうしている間にも、やはり凛は反応しない。
やれやれと肩を竦めて、アーチャーは尋ねる。
「視姦かね」
「素っ裸で町内一周させてほしいのかしら? アーチャー」
にっこりと笑い、手の甲にある令呪を見せ付ける凛。対してアーチャーは薄く笑いながら、
「ああうそだ凛すまない許してくれないか」
「全っ然心がこもっていない気がするんだけどね……」
ジト目でにらみつけるが、アーチャーも慣れたもので、その視線を軽く受け流している。ったく、と小さくつぶやいて凛は、顔を赤らめて、
「全く、言うにことかいて何よそれ」
「私としてはかなり自身があったのだが――ああ嘘だ」
さっと手をかざす凛。笑ったままそれをいなすアーチャー。
「……まあ、いいんだけど」
はあ――と深く嘆息して、凛は手を額に当ててうめいた。一瞬だけ視線を目の前の赤い外套の男に送る。が、気にした様子もなくアーチャーは、ん? と見返した。それを見てからますます凛は嘆息するのだが――
「……うん。まあ、本当にどうでもいいんだけどね」
疲れたようにうなずいて、彼女はのろのろとドアに向かって歩き出した。後ろは振り返らないまま、ひらひらとアーチャ−に向かって手を振る。
「それじゃあアーチャー、私ちょっと買い物行ってくるから。留守番よろしくね」
「それは了解できないな」
一瞬の逡巡も挟まずに、アーチャーはそう言い切った。面倒くさそうに振り返る凛に向かって、彼は腕を組んで告げる。
「私としては、君はバカではないと思っていたのだがね。いいかね凛、考えなくてもわかるだろう。この時期にマスターが一人で歩くなど自殺行為だ」
「だーいじょうぶだって。真っ昼間から襲ってなんてこないわよ」
言って凛はぽんと胸をたたいてみせた。
「しかしだな……」
まだ納得出来ない、と言うように渋るアーチャー。しょうがないわね、と言うように腰に手を当てて、視線を鋭くした。
――低く、告げる。
「どうしてもアーチャーが納得できないって言うんなら、付いてくるなり勝手にしなさい。ただしその場合は、私は令呪を使ってだってあんたを止めるわよ。そうしたら私たちは、もう――この先は言わなくてもわかるわよね?」
視線を逸らして、凛は俯く。
アーチャーは苦々しそうに顔をゆがませると、
「……本気で言ってるのか、凛。だが忠告させてもらうが、君のそれは――」
すると凛はけろりとした表情になって、さっと髪をかきあげてみせた。
「脅しにはなってないって言うんでしょ? わかってるわよそんなこと。でも私はすると言ったらするわよ。それはもう貴方ならわかっているわよね?」
最後のほうは、鋭い声。アーチャーは渋々と頷いた。
「……ああ、そうだな」
「なら、話はこれでおしまい」
「しかし凛――」
なおも言い募ろうとするアーチャーに、凛は今度はもう振り返ることはせずに、冷たく言い放った。
「うるさい、あんたは家の掃除。それが終わったら夕飯の準備に庭で草むしりでもしてなさい。いいわね?」
「……了解だ、マスター」
目を伏せ、従うアーチャー。
ばたん、と扉が閉まった。
「…………」
アーチャーは無言のまま、凛が出て行った扉を見つめ続けた――。
『……とは言うものの』
ぶつぶつと呟くアーチャー。
『そこまで悠長な事態ではないだろう』
彼は今、英霊化して凛の後を追っていた。
凛はどうやら、町のほうへ歩いていくようだった。
どうやら言葉通り、買い物に向かうらしい。
何も問題はなかった。マスターは身の危険にはさらされてはいない。それなら、何も問題はない。きっと彼女もたまには一人になって気分転換がしたかったのだろう――そう自己の中で納得する。
が、いきなり凛は進む方向を変えた。
町の方角ではない。
この道筋は――
(そうだ。この方角は……)
彼の記憶に間違いがなければ――いや。
その記憶は決して間違えるはずがないものだった。
そう、そこは。
(衛宮シロウの家――)
そのことに気づいて、愕然とする。
迷ったのは、ほんの一瞬だった。
一気にこのまま乗り込むか。
衛宮シロウを――『あいつ』をこのまま――
……いや、駄目だ。
それは出来ない。少なくとも、今はまだ。
そう、冷静に考えればたいしたことはない。
休戦協定を結んでいる相手のところに行くだけのこと。
ならば、そう――問題はない。
問題は、ないのだ。
(遅い……)
アーチャーは苛々しながら、屋敷の外で彼女の帰りを待っていた。あれから一時間ほどか。彼はあれからずっと屋敷の外で凛の帰りを待っていた。正直、何回かこのまま帰ってしまおうかと考えたが――やはり最後の踏ん切りがつかなかったのだ。
屋敷の中に乗り込むというのも出来ない。この屋敷は結界が張ってある。進入したらすぐに気づかれる。
(だから、こうするしかないではないか……)
そう、内心で呟く。
と、
がらっ……
「ほ、ほら早くしなさいよね!」
唐突に玄関が開くと、聞き覚えのある声が響いた。
凛である。
(ようやくか……)
「わ、待った。待ってくれよ遠坂――」
次いで、これもまた聞き覚えのある声。
衛宮士郎だ。
「ほらもう、さっさとしなさいよ」
「わかってるって。そうせかすなよ」
二人はそう言い合いながら、街の方角へと歩いていく――
(……ふむ)
アーチャーはその様子をじっと見ていた。
二人が角を曲がり、消えるまで黙って見送る。
そうして、彼はふっと笑った。いや、笑ってと言うよりは苦笑か。
『護衛がいるのならば……問題は、ないのだろうな』
そう呟いてから――
彼は身を翻して、屋敷の方角へと戻っていった。
夕方――
「ただいまー」
凛は屋敷に戻ってきた。疲れているのか、心なしか覇気がない。手には大きな紙袋を提げていた。
のろのろと靴を脱ぎながら、はあ――と嘆息。
「ああもう、疲れたなあ……」
そう零すよりも、ほんの少しだけ早く。
「凛」
「ひゃあっ?!」
言ってアーチャーが彼女の目の前に出現した。片方の靴に手をかけた状態のまま、凛は驚いて固まっている。彼女の視界からはアーチャーの足しか見えていないのだろうが、それでも唐突だったことに変わりはない。彼女はなんとか落ち着きを取り戻すと、上体を起こしてアーチャーを睨み付けた。
「……あんたね。いつも言ってるでしょ? いきなり出るなって――」
「凛。今日は何をしていたのだ」
彼女の言葉をぴしゃりとさえぎって、アーチャーは反論の余地を与えない声で尋ねた。その雰囲気を察したのか、凛は少しばかり気おされたようになる。
「な、何よ。出かけるときに言ったでしょ? ただの買い物よ」
ささっと荷物を背中に隠して、早口にまくしたてる。その紙袋にちらりと視線を送ってから、アーチャーはそのことに同意した。
「そうだな。確かにそのようだ」
「だ、だからそうなんだって」
こくこくとうなずく凛。
「しかし、それだけではないだろう」
一歩前に出て、アーチャー。真正面からじっと凛の目を覗いている――逃れようのない、真剣な眼差し。
「凛。衛宮士朗の家にもいっていたな」
「ってあんた、なんでそんなこと知ってんのよ」
いきなり半眼になる凛に、しかしアーチャーはそしらぬ顔をしてそれを受け流す。
「悪いとは思ったが陰ながら監視させてもらった」
「――あんたね、それってストーキングじゃない!」
「凛。茶化している場合ではないだろう」
がー、と言ってくる凛には耳を貸さず、アーチャーは鋭く言い切った。う、と半歩後ろに下がり、凛は小さく呟く。
「べ――別に茶化してなんか……」
アーチャーは目を閉じ、腕を組んでゆっくりと話し始めた。
「いいか凛。確かに私と君はマスターとサーヴァントの関係だ。だが信頼関係というのも大事だろう」
そこまで言ってから目を開け――じっと凛の顔を覗き込む。
「衛宮とは何を話していたのだ?」
「……何でもないわよ」
髪をいじりながら視線を横に送り、凛。アーチャーはその様子を見て深く嘆息した。いいかね? と指を一本立てて、
「凛。いいか凛。君がそんな調子なら私だって色々と――」
「――ああもう、うるさいっ!」
唐突に、凛が切れた。叫んで手にした靴をアーチャーに向かって投げつける。それは当たり前のように受け止められたが、そのことがさらに彼女の怒りに火を注ぐ――
「シロウには服のことで相談があっただけよ。何考えているか知らないけどね、正真正銘それだけなんだから――!」
文句ある? とばかりにぎろりと睨みつける。アーチャーはそれを聞いてしばらく唖然としていたが、やがて指を自分のこめかみに当てると、
「――待った。凛、待ってくれないか」
頭痛をこらえるような仕草で、言った。
「なんだね、その、服というのは」
「あんたも着てる、そのやたらひらひらしたやつよ」
「そういうことを聞いているのではない。あとひらひらというのもやめないか」
付け加えて、半眼でアーチャー。が、凛はぶつぶつとなにかを呟いているだけで反応しない。
「凛、聞いているのか」
「あー、もう!」
再び、爆発。
凛は悔しそうな恨めしそうな顔できっとアーチャーを睨と、
「うるさいわね、台無しよ、台無しー!」
乱暴に残っていたもう片方の靴を脱ぎ捨てた。廊下にあがり、ずんずんとアーチャ−の目の前までやってくると、
「……本当、バカみたいじゃない」
言って彼女は真っ赤な顔で荷物を彼の胸元に押し付けた。反射的にアーチャーはそれを受け取る。
「む」
アーチャーは戸惑ったようにその荷物を凝視すると、
「凛、これは?」
尋ねる。凛はそっぽを向いたまま、
「だから……服」
「私のか」
「そうよ。決まってるじゃない」
口元を押さえ、横を向いて彼女は告げた。それから、ぼそりと付け加える。
「……着なさいよ」
「ふむ。今かね」
「いいから着る!」
ジト目で睨む凛。
アーチャーは困ったように頭をかくと、
「それは、命令なのか?」
その言葉にむー、と恨めしそうに横目でアーチャーを見る凛。少しの間が開いた。それから吐き出すように、凛は言葉を告げた。
「め、命令――なんかじゃ、ないわよ」
ふん、とそっぽを向く。
「……ただのお願いよ。強制力なんて――ないんだから」
「……わかった」
言ってアーチャーは頷いた。紙袋をちらりと見る。それから凛に目をやって――
「では、ありがたく着るとしよう」
苦笑して、彼はリビングから出て行った。
「それで、これがどうだというんだね」
あれから五分か、そこらか。服を着終わったアーチャーは再びリビングに戻ってきていた。黒の細みのジーンズに、赤い無地のシャツ。元の服装と似たような配色なのは、意識的に凛がそうしたのだろうか。
その凛はと言うと、アーチャーの周りをぐるぐると回ってしきりにうんうんと頷いていた。
「うん、サイズは問題ないようね」
「凛。聞いているのか。一体何のためにこんな――」
「だってあんたの服、目立つじゃない。あんなの着て街中なんて歩けないわよ」
当然のようにあっさりと言い切る凛に、アーチャーは逆に言葉を詰まらせる。
「それは―――確かにそうなのかもしれないが、しかしあれだ。英霊化すればいいだけの話だろう」
「うるさいわねあんた」
一刀両断――切り捨てる。ふん、と半眼で凛は彼をにらみつけた。
「大体なんなのよ、さっきからねちねちねちねち――何が気にいらないわけ?」
「……別にそういうわけではないさ」
平静として言い返す――が、目が少しばかり泳いだのを凛は見逃さなかった。
「……んー?」
と、そこで口がつりあがる。彼女は意識していないかもしれないが、その笑みは目の前に立っている男と同質のものだ。顎に手をあて、しきりに頷いている。
「ああ。ふーん、なるほどねー?」
「な、なんだ凛。その意味ありげな笑いは」
動揺したように身を引いて、アーチャー。凛はそれに肩を竦めて見せる。
「別にー? ただ、ひょっとしてアーチャー。貴方まさか――」
そこまで言ってから。
とんでもないくらいの笑顔で、凛はアーチャーに尋ねた。
「――やきもちとか、焼いてたりするわけ?」
「――な」
絶句する。
「ま――まさか」
一瞬遅れて彼はそれを否定した。それを見た凛は、『にやーっ』と薄く笑みを浮かべたまま、
「そう?」
底意地の悪い声で、そう尋ねた。じっとアーチャーの顔を見つめている。彼はいつもの皮肉めいた口調ではなく、
「あ、当たり前だろう。よりによって衛宮シロウになど――」
「あれ、私シロウになんて一言も言ってないけど?」
してやったりとした表情で、凛。
くっ、とアーチャーは顔をゆがめると、ずいっと詰め寄って半眼で低く囁いた。
「……推測しただけだ。どうも君は――」
「あーはいはい。とにかくアーチャー。せっかく買ったんだからちゃんときなさいよね、それ」
アーチャーの言うことは聞く耳もたず、腕を頭の後ろに回して凛はさっさと歩き始めた。自分の台詞に被せられて、アーチャーはしばらく口をぱくぱくとさせていたが、やがてあきらめたように嘆息した。面白くないというようにぶすっと顔を歪める。が、彼女の行動が気になったのか、ふいに尋ねた。
「どこへいくんだ?」
「着替えるのよ。アーチャーはご飯の準備」
言い残して、さっさと廊下を曲がっていってしまう。
それを見送ってから、アーチャーは盛大に肩を落とした。
「……全く、ひとをなんだと思っているのだか――」
もう一度彼女が消えた方向へと目をやるが、戻ってくるような気配はなかった。
そこで、もう一度嘆息。
困ったように身じろぎをして、彼は右手で服の裾をそっと摘んだ。着慣れないものだからなのか、窮屈そうにしている。心底参ったと言うように眉を八の字にして、
「全く。私のマスターは一体何を考えて――」
そこまで呟いてから。
彼はふいに、眉をぴくりと跳ね上がらせた。
顎を手にあてる。
ふむ――と呟いて、宙を睨む。
そして。
「――ああ、そうか」
ふむ、ともう一度呟いてアーチャーはいつもの意地の悪い笑みを浮かべた。
顎に当てていた手を額に当て、くっくっと肩を震わせている。
「ああ、つまり――」
髪をかきあげて、彼はもう一度苦笑した。
心底まいったという表情で続ける――
服を買った理由。
彼女の言葉、態度。
それはつまり――
「――私と一緒に歩きたい、と。そういうことでいいのかな? 凛」