FATE/usual days
Days
2
「アーチャー、ご飯作って」
「了解した」
アーチャーはそう言って頷く。
「アーチャー、掃除しといて」
「了解した」
アーチャーはそう言って頷く。
「アーチャー、洗濯お願いね」
「了解した」
アーチャーはそう言って頷く――
かち、かち、かち、かち……
柱時計が時を刻む音が静かに響いていた。
遠坂の屋敷のリビング――そこのソファにすわり、凛は本を読んでいた。少し物憂げな表情をして、つまらなそうに。
「……凛」
と――。
声と同時、何の前触れもなく凛の前50センチのところに一人の男が出現した。赤い外套のようなものを着た筋肉質の男である。いつもならば精悍である顔つきは、なぜか今や暗く沈んでいた。心底疲れたと言うような表情。心なしか背中も丸い。まあ端的に言えば――覇気がない。
「……なに?」
本から目をあげずに尋ねる凛。彼女の表情に驚いた様子はなかった。まるでそれが当然だと言うような雰囲気。相も変わらずかったるそうな表情で、ぱらりとページをめくっている。
その態度にいらついたのか、やや語気を強めて男は告げた。
「凛。折り入って話がある」
「……何よ」
しぶしぶ本から目を離して、凛は目の前に立つ男を見上げた。姿勢を正すように座り直す。それを真正面から見て、アーチャーは重々しく呟いた。こめかみに皺が寄っている。
「なんというか、少し人使いが荒すぎないか?」
「そう?」
髪をかきあげて、凛は気のない声で言う。その様子を見てアーチャーはさらに陰鬱な表情になった――実直な瞳が陰る。
「……正直、最近の君の態度は目に余る」
「そんなことないわよ」
断言する。アーチャーはうんざりとした様子で、
「……どうして君はそう言い切れるんだ?」
「言ったもの勝ちじゃない? こういうのって」
ふふん、と笑う凛。頭痛を抑えるようにこめかみを指で押し、顔をしかめるアーチャー。とりあえず彼女の台詞は聞かなかったことにする、と言うように手を振り払い、
「言っておくが、私は君の召使いではないぞ」
「……何よいきなり」
その表情に気おされた、と言うように身を縮ませる凛。そのくらいでは許さないとばかりに、アーチャーはさらに詰め寄った。半眼で、低く呟く。
「いきなりではないさ、前々から言おうと思っていたのだよ。――いいかね凛。確かに私と君の関係はサーヴァントとマスターだが、その間には――」
「あーもーうるさいわね!」
だんっ!
床を思い切り踏み鳴らして、凛は叫んだ。が、アーチャーは萎縮した様子はない。いや――それどころか。
「逆ギレかね? 凛」
底冷えた眼差しで見据えている。腕を組み、口元には薄ら笑い。それがさらに凛の勘に触るが――彼女はそれをなんとか飲み込んだ。さりげなく視線を逸らして、小さく呟く。
「わ……悪かったわよ……」
アーチャーはぴくりと眉を動かすと、口の端を歪めて聞き返した。
「ん? 何かいったかね。声が小さすぎてよく聞こえなかったのだが」
「〜〜〜〜〜っ!」
その言葉に――
「な、何でもないわよっ!」
凛は顔を真っ赤にして立ち上がった。そのまま勢いよく扉を開け、そしてそれ以上の速さで閉めて出て行く。
リビングにはアーチャーひとりが残された。
彼はしばらく唖然としたように凛が出て行った扉を見つめていたが、
「……やれやれ……」
そう言ってアーチャーは肩を竦めた。
歩く、歩く。
凛はひたすら歩いていた。いや、それはもう歩くと言うよりは走っていると言ったほうがいいかもしれない。ただ前を見て、早口でまくし立てる。
「何よ何よ、あの嫌味ったらしい態度! もうほんっとにムカつくんだから――」
その速度は次第に遅くなり、早足程度のものになってきた。
「大体、あんな言い方しなくてもいいじゃないのよ。そりゃあこっちも悪かったって思うけど――」
早足が、普通に歩く程度の早さに。
「大体あいつ何でも出来るんだから、そりゃあ楽もしたくなるってもんじゃないの。確かにちょっと調子のってたかも……しれないけど――」
そしてついに、足が止まった。
声も小さくなっている。
「うん……多分、私が完全に悪いんだけど……」
下を向いてじっと床を見る。小さな声で呟いた。
「……でも」
はあ――と深くため息。剣呑な眼差しで前を向く。
「ごめん、なんて。そんなの言えるわけないじゃない」
ふん、と強く言い放つ。腕を組んで、ふいっと横を向いて。
ツインテールを翻して、凛は別の方向に向かって歩き出した。
いや、歩きだそうとして、足がぴたりと止まった。
「そうね――」
何やら考えている。
「うん、それがいいか……」
そういい残して。
凛は再び歩き出した。
「それで」
アーチャーは半眼のまま、刺々しく尋ねた。
「これは何かね、凛」
「見てわからない? ケーキよ」
対する凛もまた、そっぽを向いたまま突き放すように言い返す。
リビングの机の上にはチョコレート・ケーキが鎮座していた。さほど大きくはないが、凝った作りのものである。
掃除をしていたアーチャーが、用があるから、と凛に呼ばれたのが五分前。先導する彼女に付いてきて、リビングに入った第一声がそれだった。
「ふむ」
アーチャーは意外そうな声をあげて顎に指を当て考え込んだ。
「今日は何かの記念日だったのか」
「……まあ、そんなとこ」
椅子を引きながら、視線は逸らしたままで――凛。座ってようやく顔を上げる。アーチャーはまだ入り口に立っていた。凛は少しばかり逡巡した様子を見せたが――結局ぶっきらぼうな声で口に出した。
「いいからあんた、座りなさいよ」
「ああ」
大人しく従うアーチャー。
凛はそれを確認してから、ケーキを切り分け始めた。
かちゃかちゃという音だけが響く。
「はい、これ」
ケーキを乗せた皿をアーチャーに突き出して、彼女は呟く。
「私にかね?」
意外そうな声で、アーチャー。む、と唸って凛は口早に言った。
「そうよ。ほかに誰がいるのよ」
「ふむ。しかし凛、私は――」
「食べる必要性はないってんでしょ? わかってるわよそのくらい」
アーチャーの言葉を遮って、凛は無理やり彼に皿を持たせた。もうそれは受け取らないとばかりに、さっさと手を引っ込めて自分の分のケーキを切り始める。そんな彼女を見て、次にケーキに目を落としてから――アーチャーは黙って皿を自分の前に置いた。それを確認してから凛は小さく告げる。ぼそりと、聞こえるか聞こえないかくらいかの声で。
「いいから食べなさい。命令よ」
「……了解した」
もう大して反論もせずに、アーチャーは大人しくフォークを取った。一口サイズに切り分けたそれを口に運び、ゆっくりと咀嚼する。
その様子を横目で見ていた凛は、恐る恐るといった様子で小さく尋ねた。
「……どう?」
「ああ、美味しいと思う」
いたって真面目な顔をしてアーチャーは言った。
「……そ」
凛はそっけなくそれに相槌を打つ。つまならそうな表情でフォークを手に取り、自分もまた食べ始めた。
かちゃかちゃとフォークと皿がぶつかる音だけが響く。
「――それで、なんだったのだ?」
「何がよ?」
腑に落ちないというように、アーチャーがそう尋ねる。
「さっきの話だ。何かの記念日なのか?」
「ま……まあ、そうね」
さっと視線を逸らして――凛。
アーチャーはしぶとく食い下がった。
「誕生日――というわけではないと思うが」
「まあ……そう、なんだけど」
心底不思議そうにアーチャーは考え込む。
「ふむ。なら一体――」
「な、なんだっていいでしょ! いいから黙って食べないさいよ!」
だんっ!
机を思い切り手で叩いて、凛が怒鳴った。その勢いで立ち上がっている。それは完全に予想外だったのか、アーチャーは素の表情で両手を前に突き出し、慌てて彼女を諌めようとした。
「い、いや待て凛。何もそんな怒るようなことでは――」
が、凛は止まらなかった。ここぞとばかりにがー、と勢いよく喋り続ける。
「うるっさい! あんたがねちねちねちねちしつこいからでしょーが!」
「いや、だから――」
「大体全部アーチャーが悪いのよ! 台無しじゃないの! ひとがお礼しようとか思ってるのに、あんたったら何が好きなのかとか全然わからないし! わからないからこれにしたのよ、文句ある?!」
物凄い早口でまくしたてる凛を呆然と眺めて――
それから一秒かそこらか。アーチャーは我に返ると、大きく首を振って否定した。
「…………いや、ない。全くない」
はあ、はあ、はあ……
凛の荒い息の音が響く。
それから数秒か。のろのろとした動作で彼女は体を動かしていった。ぎこちない動作で、机に付いた手をそっと持ち上げる。それからまだ固まってたままのアーチャーをぎろりと睨んで、
がたん。
凛は黙って椅子に座りなおした。
アーチャーもまた、どうしたらいいのかわからないと言うように、ただ座っている。それはそうだろう。
アーチャーの視線を受けながら、凛は椅子を引いてを調整した。
彼と視線は合わせないままに、フォークを再び手に取る。
その手を皿に持っていこうとして――
そこで力尽きたように、くてんと腕を机に置いた。
はあ……
深い嘆息。
そっとフォークを再び置くと、彼女は両手で自分の顔を覆った。指の隙間から見える頬は明らかに紅潮しているようだった。
「……ああもう、何やってんのよ私は――」
そう言って、もう一度嘆息。
それきり、誰も何も言わなくなる。
「……くくっ……」
やがて――笑い声が一つ。それが静寂を壊した。
声の主はアーチャー。彼は俯いたまま、こらえ切れないというように肩を震わせていた。まあ実際そうなのだろうが。
その様子を半眼で見て、凛は低く唸った。ぶすっとした表情で。
「……何笑ってんのよ」
「いや――いやいや」
笑いを噛み潰しながら手を振って否定するが、やはり堪えきれないのか、くっくっと声が出ている。
凛はくやしそうにその様子を見ているが、何も言わないようだった。うー、と呟いて顔をますます赤く染めている。
そんな彼女にフォローするかのように、アーチャーは笑いながら言った。
「ああ、あれだ――いいマスターに恵まれたものだと思ってね」
「な、何よそれ。おだてたって何もでないんだからね」
ふいっと横を向いて凛は腕を組む。顔が真っ赤に染まっているのだが、本人はひょっとしたら気付いていないのかもしれない。
アーチャーはその様子を見て、笑って言った。凛は相変わらず横をむいたままなので気付いていないのかもしれないが、その笑顔はいつものような皮肉めいたものではなく――
「いやいや、本心だよ。ああ――そうだな、私は果報者だ」
心底そうだと言うような、柔らかい笑みだった。
「凛、ありがとう」
その一言に、ますます凛の顔が真紅に染まる――
「だーかーらー!」
「何、遠慮することはない」
「そ、そんなんじゃなくて――」
「ふむ。ならどういうものだったのかね? 詳しく説明して欲しいのだが」
「え? えっと、それは……」
「さあ、凛」
「〜〜〜っ! ってあんた、わかってて言ってんでしょー!」
「さあ、何のことかな?」
「あんたねー!」
「ほら凛。答えがまだだぞ?」
「あーもうあったまきた! 大体あんたは――」
「何を言う。君だって――」
「――――!」
「――!」