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Fate/usual days?
第6話 上手なひきこもりの仕方
カーテンの隙間から差し込む光が一条、ゆらゆらと不規則にゆれ、曖昧に部屋を照らしていた。
部屋は暗かった。電気も付けずに遮光すれば自然とそうなるだろうが。かと言って完全な暗闇と言うわけではない。カーテンの隙間から漏れる赤い光、カーテンを通して入ってくる夕日。扉の前からはピンク色の淡い光。結果としてそこにあったのは中途半端な暗さでしかなかった――目を凝らさなくても周囲のものは確認できる程度のものでしかない。
「そう……だな。この部屋こそ、私にふさわしい」
声――
部屋の隅から、地の底から響くような暗く低い男の声がどんよりと響いた。
壁と壁の間――光が最も届かない場所に体をねじ込むようにして、ひとりの人物が体育座りをしてうずくまっていた。
その人物は――端的に言えば覇気がなかった。かけらもない。全くと言っていいほどにない。
虚ろな瞳には力はなく、おおよそ生気がなかった。どんよりとした空気がこれ以上ないほどしっくりと似合ってもいる。
はぁ……
重い嘆息だった。
やたらとため息をつく回数が多い。時折なにか、聞こえないほどの声でぶつぶつと言葉を呟いたかと思えば、また嘆息。今日一日でどれほどの嘆息をしたのだろう――この男は。
と――
どんどんどんどんっ!
ふいに、部屋の扉が激しくノックされた。いや、もうそれはノックと言うような生易しいものではなく、扉に攻撃していると言った方が近いかもしれない。
「アーチャー? ちょっとアーチャー、開けなさい!」
聞こえた声は甲高い少女のものだった。何度も何度も扉を叩き、声を張り上げている。怒ったような、どこか焦ったような――とにかく必死であることには違いなかった。口調からしてそのまま扉ごと叩き割って乗り込んでくるような勢いではあるが、それは出来ない――そう、絶対にだ――はずだった。
アーチャーは一瞬ぴくりとその声に体を震わせた。
が、それだけだった。動こうとはしない。うずくまったまま、彼はじっと自分の膝を凝視している……
「ちょっとアーチャー、聞いてるの?! 開けなさいって――」
今度こそ完全に声を無視して、アーチャーは嘆息した。
もう扉のほうは見ようとはせず、アーチャーは心底――心底うんざりしたと言うように目を閉じ、呟く――
「……もう、疲れた……」
「それで、私の出番ですか」
もぐもぐと口を動かしながら静かに頷いたのはセイバーだった。
すでに彼女は武装しており、右手はしっかりと剣にそえられている。最も左手には、指と指の間に挟みこむようにして3本のフランクフルトを携えているのだが。
遠坂の屋敷――二階の廊下。そこには凛とセイバー、そして士郎がいた。
彼ら二人は凛に呼ばれた、いわば客であり助っ人のようなものだった。
頷きながら、凛は心底困ったと言うように手を額に当てた。はあ――と息を吐きながら、ちらりと扉を眺める。アーチャーがひきこもっている――と言うよりも、もはや立てこもりに近いのだが――部屋がそこだった。
部屋からは物音ひとつしない。
「そう。何考えてるかしんないけど、あいつ出てこないのよ」
そこまで言って何かを思い出したのか、急に不愉快になったように顔をしかめる凛。腕を組んで、半眼になってぶつぶつと愚痴り始める……
「……今日だってバイトとか掃除とか洗濯とかお使いとかマッサージとか色々あるのに。ほんとに何考えてるんだか」
「うん、多分そのまんまなんだろうけど」
顔を引きつらせて士郎がぼそりと呟いた。
その隣では、黙ったままこくこくとセイバーが頷いている。
「……?」
意味がわからない、と言う様に眉をひそめる凛。今のことを問いただそうとしたのか、彼女が口を開いた瞬間、
「それにしてもひきこもるとは軟弱な。英霊の風上にもおけませんね」
頬いっぱいにフランクフルトを詰め込みながら、セイバーは見下げたように扉の奥に視線を送った。もう片方の手を腰に当て、ふうと鼻から息を吐き――
そこでぎょっとしたように、体をのけずらした。
視線の先では、凛がかなり不機嫌そうな表情で腕を組み、セイバーを睨んでいた。
「り……凛? どうかしましたか?」
恐る恐る聞くセイバー。
「え」
その声にはっとしたように目をぱちくりとさせて――凛は小さく声をあげた。きょとんとセイバーを見返してから、次に士郎。
やがて彼女は、あはは、と乾いた笑い声をあげながら、
「全くね。もうほんと、使えないったらありゃしないわ」
ふん、と髪をかきあげて凛は同意してみせた。
「はあひょうふふひ――」
言って途中で口の中に物が詰め込まれたままだ、ということに気付いたのか、慌てて咀嚼して――セイバーは改めて凛に向き直った。
「まあ、要するに」
言ってセイバーは扉に目をやった。
頑丈そうな木製の扉である。ノブは使い込まれた感があるが、それがかえって味わいを出しているようでもあった。しっかりとした造りではあるが、それだけだ――少なくともセイバーにとっては何も問題はない。
「扉を破壊すればいいのですか? しかしそのくらいなら凛でも造作はないと思いますが」
「あのね。わざわざドア一枚開けるのにサーヴァントなんか使わないわよ」
半眼で凛が呻いた。
「はあ」
曖昧に頷いて、セイバーは士郎と顔を見合わせる。
「それに――」
と言って、凛はポケットから鍵束を取り出してみせた。じゃらりと音が鳴る。それをセイバーたちにみせびらかすようにしながら、
「ほら。マスターキーならちゃんとあるんだから。だからもうそれ、開くわよ」
「……え?」
ぽかんとして、セイバーの動きが止まる。士郎が慌てて近寄ってドアノブに手をかけ、回した。
軋む音すらなく、あっさりとドアが開く――
『………………』
沈黙。
「…………凛?」
何か口調に重たいものを乗せながら――ゆっくりとセイバーは振り返った。『ごごごご……』という効果音がどこからともなく聞こえてくる――
その視線に何か感じるものがあったのか、凛は慌てて首を振り、
「ち、違うわよ。問題はその奥で――」
「……奥?」
疑問符を浮かべながら、士郎はさらに扉を開いた。
そこには――
「うわ」
端的と言えば端的すぎる声を士郎があげた。
「……ね?」
困ったような、投げやりな凛の声。
扉の奥には一面ピンクの世界が広がっていた。が、よく見ればそれは花びらのような形をしている――
熾天覆う七つの円環――ロー・アイアス。アーチャーの使用する防御用の宝具である。凛の進入を防ぐために、アーチャーが部屋の入り口に設置したらしい。
一気に残り四本のフランクフルトを口に放り込んで、セイバーは剣の柄に手を当てた。
「なるほど、そういうことなら話はわかる」
「でしょう?」
ほっとしたように胸を撫で下ろし、凛が頷く。セイバーは扉に近寄りつつ、振り返ることなく声をかけた。
「シロウと凛は下がっていてください」
言われたとおり、大人しく後退する二人。
セイバーは扉と一定の距離を置いて、足を止めた。
静かに息を吸う。
「――いきます」
宣言と同時、剣を抜き放つ――
不可視の刃を携えて、セイバーは剣を握る手に力を込めた。間合いは約1メートルほどか――軽く扉を見据えている。やがて彼女は剣を大上段に構え――
「あ、でも屋敷へのダメージは最小限にね?」
唐突に発せられた凛の言葉に、セイバーの動きがぴたりと止まった。
ぎょっとしたようにセイバーは凛に振り返ると、
「今、何と?」
「え、だから家は壊さないでねってこと」
セイバーは気まずそうに笑って、
「そ……それは多分、無理ですが」
「はあ?」
腰に手を当てて聞き返す凛。セイバーは頬に冷や汗をかきながら説明した。
「いえ。多分こう、拡散して、結構すごいことになるのではないかと」
片手を広げ、『ばーん』という仕草をしてみせる。
凛はあくまでも笑顔のまま、
「……帰んなさい。今すぐ」
「ええっ?!」
階段を指差してきっぱりと冷たく言い切る凛に、セイバーは思わず叫んだ。だがもうそちらには振り返りもせず、凛はぶつぶつと呟きながら考え込む――
「ったくもー、なんでこう英霊って使えないのばっかなのかしらねー。そんなのだったら対戦車マグナムで事足りるじゃないの」
「それもそれでどうなんだ……?」
思わず士郎が突っ込んだが、凛は当然のごとくスルーする。
「いえ、あの……」
今だ剣をもったまま、所在なげに言葉をかけるセイバー。心なしか寂しげである。凛は意外そうに、
「あれ、まだいたの? もういいわよさっさと帰って。あ、いっとくけど無能なんだから当然報酬代わりのご飯もなしだからね?」
「ええっ?!」
悲壮な声でセイバーは凛を凝視した。信じられないと言わんばかりに目を見開き、そして目じりには涙すら浮かべている。ふらふらとした足取りで、それでも凛へと詰め寄り、震える声で、
「り、凛、それはあまりにも酷というもので――」
が、凛はきっぱりと無視した。
「士郎は何かいい案ない? って言ってもこんなのどうしようもないか……」
「し、シロウもなにか言ってください! これは私に対する侮辱です! 」
半泣きになりながら真っ赤な顔で、セイバーもまた士郎へと詰め寄った。落ち着けよ、と両手で二人を制しながら、
「いや、あのさ」
と言って、親指で入り口を指し示す。
「これ、ここだけなんだから」
次に廊下の奥に視線を送り、彼は申し訳なさそうに続ける――
「窓から入ればいいだけなんじゃないか?」
『…………………あ』
二人が同時に、間の抜けた声をあげた。
「私は……何をしているのだ……」
小さな呟きが一つ。
はあ――
深く重い嘆息が部屋に染み渡っていく。暗い部屋の中で、相変わらずアーチャーは沈んだ顔をしてうずくまっていた。と――
……がたんっ
ふいに、窓が強く揺れた。
カーテンの隙間から差し込む光が大きく曲がる。
がたん、がたっ――
今度は先ほどよりも強く。
「な……なんだ?」
アーチャーが思わず立ち上がったのと同時、
がちゃあああああああああああん!
窓ガラスが粉々に砕け散っていた。ぱらぱらと破片が部屋の中へと降り注ぐ。腕で顔をかばいつつ、アーチャーは薄目を開けながら、完全に立ち上がった。警戒態勢を解くことなく、じっとそのまま――窓を見つめる。
やがて――
「ア~~~~~チャ~~~~~~?」
地獄の底からはいでてくるような。
そんな声と共に、窓の下から手が伸び――ふらふらと中空を彷徨った後におもむろに、がしっ、と窓枠を掴んだ。
あまりと言えばあまりのことに、アーチャーは動くことすらせず、呆然を成り行きを見守っていた。
やがて両手が窓枠をしっかりと掴み、ゆっくりと顔が持ち上がってくる……
その人物は。
「り、りりりりりり凛っ?!」
反射的に後ろへと飛びずさって、アーチャーは顔を引きつらせた。声でそんなことくらいは予想が付いていたはずだと言うのに改めて驚いているところを見ると、相当動揺しているようではあるが。
凛は体を引き上げると、割れた窓から侵入してきた。片足をあげたところで何かに気付いたようにはっと下を向き、叫ぶ。
「こらあ士郎、上見るんじゃないっ!」
窓の下に向かって怒鳴り、同時に『がすっ!』という鋭い音。そして何かが落下したような鈍い音。
ふん、と顔を真っ赤にしながら凛は再び足をあげ、窓をまたいで部屋に入ってきた。不機嫌な表情で、口を硬く結んで。
ぱんぱんと服に着いた破片を払いながら、
「……全くもう。服汚れたじゃないの」
むー、とアーチャーを睨んでくる。
「いや、それならそんな所から入ってこなければ……」
小声でぼそりと反論するアーチャーをぎろりと睨んで、
「――……うるさい」
短くそう言い捨てて、凛は部屋を見渡した。粉々に砕かれた――そういえば素手でやったのだろうか?――窓を除けば、部屋は大してアーチャーが閉じこもる前と変わっていない。それを確認してから最後にアーチャーの顔を見ると、凛は深くため息を付いた。小さく零す。
「ったく、あんた何やってんのよ」
「……」
居心地悪そうにしながらも、アーチャーは何も言わなかった。ただ下を向いて、黙っている。それが勘に触ったのか、凛は目を鋭くして低く唸った。
「……何黙ってるのよ」
そして最後には、叫ぶように。
「何とか言いなさい、このハゲ!」
「は、ハゲてない! 断じてハゲてないぞっ?!」
ぶんぶんと首を振って、アーチャーは否定した。凛はその様子を見て半眼で、
「……ふん。何よ、ちゃんとしゃべれるんじゃないの」
どこか拗ねたように、そう呟いた。
「なんで――」
息を吸って口を開く。が――言うべき言葉が見つからなかったのか、それとも単に言うのをやめたのか、結局彼女がそのまま言葉を発することはなかった。
代わりにただ一度だけ、あえぐように目をアーチャーに差し向けた。
凛の瞳に吸い込まれたように、アーチャーもまた口を閉ざしていた。何も言わない――いや、言えないのか。
中途半端な空気の中、沈黙が訪れる。
……先に硬直状態を破ったのは凛だった。うなだれるように静かに首を振ってみせる。もう一度はあ――と大きく嘆息して、彼女は疲れたように手で顔を覆ってみせた。聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、続ける。
「……もう、何やってんのよ、ばか……」
その声は、まるで拗ねた子供のような口調で。
思わずアーチャーは、はっと息を呑んでいた。
「り――凛……?」
戸惑ったように声を震わせ、彼は一歩凛へと近づいた。対して凛は顔を押さえつけたまま、右足を後ろへ。
どんっ……
足が壁にぶつかった。凛はそれで少し体勢を崩しかけながら、
「ばか、こっち見るんじゃない――っ!」
半ば叫ぶようにそう言い捨てるが、今度はアーチャーが首を振る番だった。
「凛。泣いているのか?」
「ばっ――」
凛は肩を震わせると、
「ばっかじゃないの?! 泣いてなんか――ああ、もうっ!」
と言って右手で顔を押さえたまま、もうやめやめ、と言ってぐいっと袖で顔を
「――ほら、これ!」
と言って彼女はアーチャーの目の前10センチに、一枚の紙切れを突き出した。
「こ、これは……?」
言いながら恐る恐る目を通していくアーチャーに、凛は解説した。目を擦る。
「……バイトよ」
「は?」
アーチャーが聞き返すと、凛は歯がゆそうに声を張り上げた。
「アルバイトっ! パンの製造。ちゃんとした奴よ。これでいいんでしょっ?!」
「あ――ああ、まあ、そう……なのか、な?」
首をかしげつつ、アーチャーが頷く。
「……何よ、どうなの?」
途端に不機嫌な声になる凛に、アーチャーは慌てて声のトーンを上げた。
「あ――ああ。いや、問題――ない。問題ない」
こくこくと何度も頷いて、アーチャーは紙を受け取った。ざっと目を通してゆく。
凛はあくまでもそっぽを向いたまま――さりげなく横目でアーチャーを見ながら――腕を組んで、つっけんどんに言い放つ。
「お金、ないんだから。さっさと行ってきなさいよね」
「――ああ。そうだな」
そう応えるアーチャーの声は、ひどく穏やかで。
凛はさらに顔を赤く染めた。
と、ふいにアーチャーは眉をしかめた。紙の一点を指差して、
「……凛。開始時刻がもうすぎているようだが?」
「そうよ、だから早くっ」
両手を握ってせかしている。
「あ、ああ――」
あたふたと扉に向かいながら――その過程で宝具を消した――アーチャーはドアノブに手をかけた。
「――あ」
小さな違和感と共に、凛の声。
アーチャーは首だけで振り返った。
そこには凛が右手で左腕を掴むようにした格好をして――そして自分でも驚いたような表情をして立っていた。
『…………。』
互いに沈黙する――
しばらくそのまま見つめるが――特に凛はそれ以上何も言ってくる気配はなかった。
「……凛?」
「あ、ううん、なんでもない。いってらっしゃい」
促すが、凛はひらひらと手を振って見送ってくるだけである。ややぎこちないその仕草にアーチャーは何か腑に落ちないと言うような表情をしたまま、再び前方に向き直った。ノブを回し、押す。
「あ、あの……アーチャー」
ややためらいがちな声に、今度こそアーチャーは全身で向き直った。
「どうしたんだ、凛」
しっかりと、そう尋ねる――凛はその視線から逃れるように首を横に捻ると、小さな――本当に小さな声で、
「…………………………ご、ごめん」
「……………………は?」
思わず、聞き返す。
せつな、凛の顔が真紅に染まった。目を閉じ、ぷいと顔を横に背けて――それでも強がるように腕を組んで、
「だ――だから、ごめん、って。そう言ったの」
早口にそう言い捨てた。
「…………」
アーチャーはその様子を黙って見ていたが――
「――凛」
静かにそう、彼女の名を呼んだ。
あくまで視線は合わせないままに、凛は小さく尋ねる。
「……なに?」
「――いや」
アーチャーはそこで言葉を区切った。ふむ、と顎に手を当て、考えるような素振りをしてみせる。数秒たってから彼は、
「いや……そうだな、ただ呼びたくなっただけなのだろう」
確かめるように頷いて、アーチャー。
「は、はあっ?!」
素っ頓狂な声をあげて、かくんと凛が肩を落とした。アーチャーはそれに構わず、うんうんと頷いている。
「凛。――ああ、そうだ、凛。凛」
何度も呟いている。
「ちょ、ちょっと」
顔を真っ赤にして、凛は慌てて止めようとアーチャーに近寄った。
そして、
「きゃ――」
あろうことか、右足をもう片方の足にひっかけていた。
バランスを大きく崩し、膝が折れ――
自然と凛の体が前のめりに倒れてゆき――
目の前の床には先ほど叩き割ったガラスの破片があって――
――そして、
「――気を付けたまえ。凛」
硬く太い腕が、彼女の体をすんでのところで支えていた。
声は凛のすぐ耳元から聞こえた。
凛はいつの間にか瞑っていた目を恐る恐る開けた。
目の前には、赤くて硬い何か。やや暖かい。そろそろと声のした方向を振り向くと――そこには、すぐそばにアーチャーの横顔があった。
ようやく今置かれている状況がわかったのか、凛の顔が一瞬で真紅に染まる。
――さっきの一瞬で。アーチャーは即座に凛へと駆け寄ると、抱きとめたのだ。
彼はやれやれと嘆息すると、
「どうして君はそう落ち着きがないと言うか、何と言うか……」
「……う」
悔しそうに、凛が呻く。顔がますます赤くなった。
「……あ、ありがとっ!」
呻くように呟いて、凛はアーチャーから身を離した。服を整えはじめる。
「……ふむ」
アーチャーもまた、その様子を黙ってみていた。
「……ちょっと、何見てんのよ」
「む、いけないのか?」
腕組みしたまま、アーチャーが聞き返す。
「当たり前でしょ、早くいきなさいよばかーっ!」
半ば当り散らすように怒鳴って、凛。
「ああ、そうだった」
ようやくそのことを思い出したのか、アーチャーはぱっと組んでいた腕を解いた。出口に向かいつつ、
「凛」
振り返りはしないまま、そう呼びかけた。
「……何よ」
恨めしそうな目で、凛。
「――いや」
アーチャーは静かに首を振った。
そして、ただ笑った。
「いってくる」
そう言ってから、凛の返事を待たずにさっさと部屋から出て行った。
「……うん」
アーチャーの姿が見えなくなってから、彼女はようやく頷いた。のろのろと扉まで歩いていき、そっと廊下を見渡す。
そこにはもう、誰の姿もなかった。遠くから、ばたんという音。
「……バカ」
もう一度小さく呟いて。
凛は部屋の外へと歩き出した。
赤いシャツと黒のパンツに着替え、最後に銀の十字を模した首飾りをつけてから彼は外に出た。
「――ふむ」
玄関から出て、アーチャーは息を吐いた。
時刻はすでに夕暮れ。街は次第に夜に包まれだしている。
「さて、急ぐか」
彼はそう言って、足を一歩前へと進めた。
が――そこで唐突に歩みを止める。
一瞬間を置いて、彼は振り返った。
視線の先には屋敷がある。それを見て――そして。
「まあ――」
と言って、彼は笑った。
困ったような、嬉しそうな笑顔。
見る人が見れば、誰かを彷彿とさせるような――そんな笑顔だった。
「……こういうのも悪くはない、か」
言ってアーチャーは。
夜の道をひとり、進み始めた――