Fate/usual days?
第5話 アチャ子
「ねえ、アーチャー?」
凛ははにかみながら身を乗り出し、控えめな声でそう尋ねた。
遠坂の屋敷のリビングである。アーチャーは床に座って洗濯物を畳んでおり、凛はその一歩手前にたって、両手を後ろに組んでアーチャーの顔を覗き込んでいる。
「…………」
聞かれたアーチャーは洗濯物をたたむ手を止め、静かに上を見上げた。何故か頬に一筋の汗をかきながら、
「……何かな? 凛」
恐る恐る、そう尋ねる。
アーチャーの態度の意味がわからないと言うように眉をしかめながら、それでも凛は口を開く。
「その――これ、なんだけど」
と言って、後ろ手に持っていたものをずいっと前に突き出した。
服である。
何の変哲もないただの女物の洋服だった。服は二着。一つは黄色いワンピース。もう一つはピンクのキャミソールだった。
アーチャーの顔はさらにこわばる。
それをそれぞれ両手に持ってひらひらとゆすりながら、
「アーチャーはその――どっちが好き?」
やや顔を赤らめながら聞いてくる。
「そ――そうだな」
言いつつアーチャーは立ち上がった。だらだらと嫌な汗をかきながら、じっと二着を凝視する。
しばらくその両者をじっと見比べた後、
「こっち……ではないだろうか」
と言って、そっと黄色のワンピースを指差した。
「そ?」
凛は笑顔を浮かべた。
にっこりと笑い――
「じゃあ、はいこれ」
そのワンピースをアーチャーに押し付けた。
「ああ、わかった」
アーチャーは覚悟を決めたようにこくりと頷いた。
その表情は死を受け入れた者のようでもあり、人生を悟りきったもののようでもあり、そしてただ単に全てをあきらめた者のようでもある。
『…………』
そこで会話は終了した。
あとに残ったのは、気まずい――というかちぐはぐな――沈黙だけである。
「……あれ?」
何故か慌てたように、凛が声をあげた。わたわたと手を動かしながら、
「な、何か反応ないの? その――『私が着るのかね!』とかそう言う……」
「……凛」
アーチャーは鎮痛な面持ちですっと立ち上がった。
静かに――ふるふると首を振り、ぽんと凛の肩に手をおく。
そして彼はさわやかとも言える笑顔で、きっぱりと言い切る――
「……もう、慣れた」
「そ、そう」
死んだ魚のような目で虚ろに笑うアーチャーに、凛は曖昧に笑顔を返すしかなかった。
「そうか、今回はこういう仕事か……」
ふむ、とアーチャーは腕を組んで周囲を見渡した。
勿論、黄色いワンピースを着てである。恥ずかしがる様子はなく――無論のこと開き直ったためだが――、むしろ堂々とすらしている。よくよく見ると、うっすら化粧もしていた。きちんとアイシャドウまで入れている。ご丁寧に茶髪のカツラまでかぶっていた。が、毛の処理はしていなかったのか――すね毛が丸出しだった。
絶妙なアンバランス感が、バランスをぎりぎり保ってより一層悪い方向へ悪い方向へと向かっているような。そんな格好だった。
開店時間前なのか、店の中に客はいなかった。店の奥の方で店員がひとり、掃除機を片手に清掃をしている。淡いピンクのキャミソールにブルーのミニスカートという、私服然とした格好だというのにそれが店員であるとわかったのは――その人物が女ではなく、どう見ても男だったからだった。
彼――いや、彼女か?――は、妙にくねくねとした動作で掃除機をかけていた。ここからは顔は見えないが、筋骨隆々とした体躯と濃い髭からしても男なのは間違いないだろう。
あまつさえふんふ〜ん、と鼻歌すら歌っている。
小指が立っているのがアーチャーには妙に気になるようで、しきりにちらちらと見ていた。
「……髭は……なんというか、駄目だろう?」
ぽつりとアーチャーは零す。
それが精一杯の抵抗だったらしい。
「ワイルドでいいじゃない?」
あっけらかんと凛は言って、ぐるりと周囲を見渡した――店内はお世辞にも広くはなかった。7つほどテーブルがあり、そしてそれぞれに椅子が数脚おかれている。机と机の間は仕切りによって区切られているが、それが狭さを一層際立たせてもいるようだ。天井が低いことも関係しているのかもしれない。
レジには人はいなかった。清掃している店員が本来ならばここに入るのかもしれないが。
レジの後ろには明らかに薄い安っぽい扉があった。ドアには直接ペンで、『STAFF LOOM』と書かれていた。スペルが間違っているが。その下には赤い文字で、『入っちゃだめよ』と殴り書きがされている。それを見てアーチャーはますますげんなりとしたように表情を歪めるのだが、凛は特に気にした様子もなく、そのまま扉に向かって歩き出した。
そして、何の迷いもなくノブをひねり、扉を開ける。
「って、ちょっと待ちたまえ凛――」
ようやくそれに気付いたアーチャーが凛を止めようと後に続いた。
がちゃっ――
アーチャーが止める前に、凛は扉を開けていた。
あああ、と後ろでアーチャーがうめき声を上げる。
「……あら?」
野太い声が、アーチャーの鼓膜に届いていた。
そして瞬間――恐怖する。
扉の向こうには、一人の男がいた。
男である。どう見ても。
気がえ中だったのか、上半身は裸だった。これから着替えようとしていたのか、それとも脱いだものなのかはわからないが――手には服を掴んでいる。
女物だった。
が、問題はそこではなかった。
「あら? 貴方――」
男は意外そうに目を見張ると、アーチャーに視線を転じた。そして、その表情がぱっと笑顔になる――
「アーチャーちゃんじゃない!」
「…………」
アーチャーは愕然とした。
男は、先日のおひねりバーの元店長――いや、どちらにしろ店長か――だった。
「何よ、知りあいなの?」
直接の面識はない凛はきょとんとして二人を交互に見ている。
が、アーチャーはそれ所ではなかった。震える指先。声を絞り出そうとして、そしてそれすらもが出来ない。完全にトラウマと化していたあの事件は、アーチャーの思考を麻痺させるのに十分な威力を含んでいた。
「あ――」
「あ?」
凛が聞き返した。
そして。
「unlimited blade works――――!」
ずしゃばしどんずがざくざくざくざくっ!
刹那、虚空から出現した無数の武器が店長をめったやたらに串刺しにする!
「逃げるぞ、凛!」
が、アーチャーはもうそちらを確認することなく凛の手を引いてダッシュした。
「ちょ、ちょっとちょっと――」
事態についていけないのか、凛は慌てたように後ろをちらちらと見ていた。が、結局そのまま大人しく付いてくる。
とにかく必死にアーチャーは走っていた。
「んもぅ、なにするのよ〜」
後ろから聞こえたのは、びっくりしたような声だった。
「って、ちょっとアーチャーあれなんなのっ?!」
ひい、と顔を引きつらせて、凛が叫ぶ。
ちらりと後ろを振り向くと、そこには傷ひとつ負っていない店長の姿があった。
「私が聞きたいくらいだ――!」
そう言い捨てる。
何か物凄く不条理なものを感じながらも彼は足を必死に動かした。店を飛び出し、階段を駆け下り、そしてそのまま跳躍して外へと飛び出す――!
「はっ……はっ……はあっ……」
だんっ、と着地する。
上がった息を静めようとしながら、アーチャーは周囲を確認した。
とりあえず背後から追跡されたということはないようである。
アーチャーは心底安堵したように嘆息した。
「助、かった……」
そこでようやくずっと凛の手を握っていたことに気付き、慌てて手を離す。凛もまたぜいぜいと息を荒立てていた。すまないと言おうとして彼は凛へ振り返り、一歩近寄った。
そしてその際、こちらの様子を遠巻きに眺めていたギャラリーの一人と目があった。
「あー……」
その男もまた、見知った顔だった。
紺の制服に、同じ色の帽子。巡回中だったのか、自転車のハンドルに手をかけている。
警官だった。
先日彼を逮捕――いや、タイーホした警官である。
「……………………………………………………………」
アーチャーは汗をだらだらとかきながら、警官と見詰め合った。
そこで、自分の格好を思い出した。
慌ててはっと視線を下に向ける。
そう、黄色いワンピースである。
だらだらだらだら。
――汗が倍増し、ぼたぼたと地面に落ちる。
「えーと……」
警官はのろのろと近寄ってきた。
違う。違うんだ――そう言おうとするが、まともな声にすらならない。
涙目になってぶんぶんと首を振るアーチャーに、警官は彼を指さして一言告げる――
「……わいせつ物?」
「ママー、変なひとがいるよー?」
「し、見てはいけませんっ」
「何あいつ、キモくない?」
「うっわ、超キモーい」
「あああああああああああああああああああ…………」
……拷問が行われていた。
いや、羞恥プレイとでも言うべきか。
アーチャーは女装したまま、街の中を歩かされていた。
ちなみに凛は少し離れた所を他人のふりをして歩いている。
「前科2犯の英霊って、どうなのかしらねー」
横目であさっての方向を見ながら、ぼそりと凛が呟いた。
くっ、とアーチャーの顔が歪む。
あの後――
なんとか事情を説明して――とは言っても事情もなにもないのだが――警察からは釈放してもらったのだが、アーチャーは先ほどからねちねちと凛にいじられていた。
「ううう……」
反論できず、ただただ耐えるアーチャー。
妙に背中が丸くなっている。
と、唐突にアーチャーは明るい声をあげて、
「と、ところで凛、これはいつまできていればいいのかな?」
と言って、黄色のワンピースを引っ張ってみせる。
が、凛は冷たく言い放つ――
「罰ゲームよ。そのままの格好で帰りなさい」
にべもなくそう告げる凛。
ぐらり、とアーチャーの体が揺れた。白目を向いて卒倒しかけるが、彼はなんとか持ちこたえる。
「あ、そうそう――」
と言って凛は指を立てて、にこやかに笑う――
「帰りにこのまま士郎の家いくから、そのつもりでね?」
「嫌がらせかねっ?!」
手をわななかせて、とうとうアーチャーは叫んだ。
「違うわよ、人聞きの悪い」
凛は顔をしかめて腰に手を当てた。はあ――と嘆息すらしている。
「じゃあなんだというんだね!」
「だってほら、おもしろそうじゃない?」
指をぴっと立てて、凛。その表情は、面白いオモチャを見つけた子供のような笑みを浮かべていた。
「どこがだねっ?!」
もうほとんど絶叫に近い悲鳴。
「んー……」
凛はしばし宙を睨んで考えていたが、
「――全部?」
「ああああああああああっ!? 君ってやつはああああっ!」
頭を抱えてアーチャーは絶叫する――
が、その手をしっかりと掴んで凛はにこやかに言った。
「さあ、そうと決まれば早くいきましょ。士郎はどんな反応するかしらねー」
「まちっ――待ちたまえ凛! それだけは勘弁してくれないか!」
ずりずりと引きずられながら、必死に抵抗するアーチャー。
「…………」
凛は無表情で振り返り、じっとアーチャーを見下ろした。それにつられてアーチャーもまた愛想笑いのようなものを浮かべる――しばし両者は見つめあい、そして。
「却下」
にべもなくきっぱりと言い放って、凛はアーチャーの首ねっこをむんずと掴み直した。はっはっはと乾いた笑い声をあげながら、朗らかに告げる。
「さあ、いくわよー」
「うあああああああっ?!」
たまらず悲鳴をあげ、アーチャーは抵抗する――
「あれ、アーチャー?」
声がして。
そして、唐突にアーチャーはぴたりと動きを止めた。
表情までもが凍っている。どうしたのよ、と凛もまた不審そうに力を緩めた。ぎしりとぎこちない仕草で彼は首を動かし、なんとか言葉を口に出した。
「イ………リヤ……?」
その呼びかけに応えるように、人ごみの中からすっとひとりの小柄な少女が姿を現した。
イリヤである。
彼女は買い物でもしていたのか、手に紙バックを提げていた。
イリヤはアーチャーの姿――女装して、その上地面に座り込んで足を大きく開いている――を見て、きょとんとしていたが、
「なにやってるの?」
前置きなし、いきなりずばりとそう尋ねた。アーチャーはばたばたと手を振りながら、必死に首を振って、
「い――いや、違うぞ。これは違うんだ――」
「ふうん」
じろじろとアーチャーの格好を観察してから、イリヤは意味ありげに唇を吊り上げた。人差し指を口に当て、薄く笑う。
「アーチャーって、そんな趣味あったんだ」
「……………………………………………………………」
その言葉に――ぴしり、とアーチャーが凍りついた。
「あ、とどめさされた」
隣でのん気に様子を見ていた凛が、ぼそっと呟く。
「……………………………………………………………」
アーチャーは完全に白目を向いて気絶しているようだった。が、なんとか立ち直ると、よろよろとふらつきながらも起き上がる。
「は――はは」
乾いた笑みが、周囲に響いていた。
「あははははははははははは!」
やがて哄笑が大きくなり、その頃にはアーチャーは額を押さえてただひたすら、笑い続けていた。
「……アーチャー?」
さすがに不安になったのか、凛がやや控えめに彼に手を伸ばした。
その手がアーチャーの肩に触れるか触れないかという寸前、彼は唐突に笑うのをやめた。至極真面目な表情になり、そして高らかに声を張り上げる――
「unlimited――」
「って、やめんかあああああっ!」
がんっ!
伸ばしていた手をそのままグーに握り、凛がアーチャーの後頭部をはたき倒した。べちゃりと地面にひれ伏すアーチャー。が、すぐにがばりと復活すると、彼は猛然と抗議した。
「何をするんだね凛!」
「それはこっちのセリフよ!」
叫んでくるアーチャーに負けず劣らないくらいの声量で凛は言い返した。が、アーチャーは聞く耳もたないようではある。
「何を言っているんだ、凛!」
と言ってざっと右手を振るい、周囲を指し示した。
「とりあえずここら一体を消せばこの状況もリセットということで、もういいだろう?!」
「あんた一応英霊じゃなかったっけっ?!」
「それはそれこれはこれだっ!」
アーチャーはきっぱりと言い切った。
「割り切ったし?!」
「と・いうわけでunlimited――」
「だからやめなさいっての」
がすっ――
再び投影しようとするアーチャーを殴り倒し、頭が下がったところで襟首を掴む。面倒くさそうに半眼になりながら、有無を言わせない口調で凛は告げた。ずりずりと引きずり始める……
「ほら。もういくわよ」
「うううううう……」
「じゃあアーチャー、またねー」
ぶんぶんと腕を振ってくるイリヤに見送られながら、二人はその場を後にした。
「で、そうなってるんだ」
「そ」
士郎の横に立ち、凛は肩をすくめて屋根の上を見上げた。
夜――衛宮家の屋敷の庭である。
辺りは静かだった。時折聞こえる虫の鳴き声、家の中から響く談笑――そのくらいである。
あの後本当に士郎の家に来た――勿論あの格好のままでだ――ため、アーチャーはますます本格的に拗ねてしまったようである。
当然のごとく、アーチャーの格好を見た士郎や大河、桜も大笑いしたのだが。
そして今、アーチャーは屋根の上でひとり体育座りをしていた。ひどく陰気な表情で、虚ろな目をして。
「……勝手にしたまえ」
小さな声で唸っている。
「もう、拗ねてるんじゃないわよ」
呆れたように呟いて、凛は腰に手を当てアーチャーを見上げた。彼はどうやら降りてくる気はないようだった。
「ほっといてくれないか」
仏頂面でそう呟き、ただぼうっと遠くを眺めている……
「あー、もう!」
がしがしと頭を掻いて、凛は呻いた。いい加減彼女も我慢の限界だったのか、吐き捨てるように睨み付ける。
「じゃあもう今日はここに泊まるけど、明日になったらちゃんと帰るんだからね、わかった?!」
「…………」
それをかたくなに無視して、アーチャーはだんまりを決め込む。
答える気がないと判断したのか、ふん、と鼻息も荒く凛はさっさと部屋の中へと入っていった。
慌ててそれに士郎も続く……
やがて――庭にはアーチャーひとりになった。
空を見上げる。
月は出ていなかった。どうやら曇りらしい。
――自嘲。
心底疲れたように彼は笑った。力なく。
「もう、いいんだ……本当に……」
そう呟いて。
アーチャーは、ぼすっと膝に顔を埋めた。