Fate/usual days?
第三話 なでなで
夕暮れ。
まだ少し夕飯には早い、そんな時間。
ただなだらかに、静かな時間が過ぎていた。
赤々と染まった町並み――
どこからか聞こえてくる子供の喧騒――
上空から響くカラスの鳴き声――
何が特別なわけでもない。ただ、それはごく当たり前の日常だった。夕日はもうすぐ沈むのだろう。そうすれば夜がやってくる。今日という一日はじきに終わり、そしてまた明日が始まる。
その、繰り返し。
終わらない時間の流れを感じていたのかもしれない――そんな感傷的な気分にすらなっている。
アーチャーはそう、ひとりごちていた。
公園の中にある寂れたブランコ――それに腰掛け、彼はぼんやりと移りゆく景色を眺めていた。
周囲には誰もいない。まるで街の中からここだけが隔離でもされたかのように、無人。そしてそれは多分、半分は当たっているのだ。
「…………」
ぼうっと、空を眺めている。
雲ひとつない空。
ただひたすらに、赤い。
きぃ、きい、きぃ、きい……
何とはなしに、ブランコをこいでみて――そしてすぐに、それも止める。
膝にもたれかかるようにしてアーチャーは息を大きく吐き出した。心底疲れたと言うような――深い嘆息。
「……私は……」
呟き、そしてかぶりを振る。伏せるかのような目は、何か哀愁を感じさせるには十分すぎる憂いを帯びていた。
「はぁ……」
言葉の代わりに出たものは、先ほどのものよりも重い嘆息だった。
「欝……というもの、なのだろうか」
虚ろな瞳でじっと自分のてのひらを見つめつつ、彼は呟いた。
誰に聞かせるでもない、ただの独り言。
――と。
ざっ……
地面を踏みしめる音が、静寂を静かに打ち砕いた。
それに反応して、アーチャーはゆっくりと顔をあげた。手で夕日をある程度遮断しつつ、目を細めて。
赤い町並み――
血のような背景を背負って、すぐ目の前、手が届く位置に一人の白い少女がいた。
その光景はひどく現実味のないもので――アーチャーは一瞬ならず、それが幻なのかとすら思ってしまう。
だが、それもほんの少しの間のことだ。
我に返ったアーチャーは、すぐに事態を把握し――そして愕然とした。半開きにされていた目が、眩しさなどお構いなしに開かれる。
驚愕と言ったほうがいいかもしれない。
が、普通ならばそこまで驚くようなことではなかったはずである――公園に少女がいたとしても、何ら不自然ではないのだから。むしろ彼のような存在ががいる方が、よっぽどその場にそぐわないだろう。
アーチャーはただ、かぶりを振った。
彼が驚いたのは、目の前の少女が見知った顔であったからだ。
白く長い銀髪。抱きしめればそのまま折れてしまいそうな細い体躯。少女独特の無邪気さと、そして狡猾さを替え備えた顔――
イリヤスフィール・フォン・アインツベルンだった。
彼女は別の生物でも見るかのような目で、アーチャーを見上げている。その瞳には色はなく、ただ平坦。
が、それは一瞬だけだった。
イリヤはきょとんとした表情で、何か肩透かしでも食らったかのような声で尋ねる。どこかぎょっとしたように。
「あれ、貴方……アーチャー?」
「……ああ」
ぼそりとそっけなく返事をする。
「そっか。そうよね。私ったら何で見間違えたのかしら……」
ぶつぶつと困ったように悩み始めているイリヤ。
「誰かと……見間違えた、のか?」
「え? あ、ううんっ、気にしないで?」
慌てて笑みを作ってイリヤはそう言ってきた。
「……イリヤスフィール、か」
何故か遠くを見るようなまなざしで、アーチャー。たそがれているようでもある。その様子にイリヤはむ、と唸ると、
「そうよ。でも、それじゃあまだ満点じゃないわね」
わかるような、わからないようなことを言ってくる。
アーチャーが腑に落ちない、というような表情をしていると、
「……イリヤでいいわ、ってこと」
そう言って、まるで自分よりも小さな子供を見るような眼差しで彼女は笑った。ほんの少しだけ、照れくさそうに。
「そうか。ではイリヤと」
それにつられるようにして、アーチャーもまた笑う――
が、その顔がいきなり強張った。はっと顔を上げると、挙動不審と思えるほどにきょろきょろと周囲を見渡す。
「? どうしたの、アーチャー」
「いや、その……今日はバーサーカーは来ていないようだが……?」
言いつつも、その口調には自信がないように聞こえる。
イリヤは小さく笑うと、
「うん、いないよ。バーサーカーは今日はお留守番」
「そ、そうか……」
安堵したように、アーチャー。
が、ふいに思い直したように顔を引き締めると、彼はそろそろと尋ねた。
「しかしイリヤスフィール。無用心ではないのか? 私は仮にもサーヴァントだぞ」
「……イリヤよ」
「は?」
その言葉に、ぽかんと聞き返す。
目の前の少女はむー、と頬を膨らませると、ぐいっとアーチャーに向かって体を近づけて見せた。ほとんど鼻が触れるのではないか、という距離まで顔を寄せて、
「イリヤって呼んでいいって言ったじゃないっ」
そう拗ねる彼女の仕草は、年相応のものだった。
「あ――ああ、そうだった。すまない、イリヤ」
怒ったような拗ねたような顔をしてくるイリヤに、アーチャーは慌てて頷くと、
「うんっ!」
体全身で嬉しさを表して、イリヤはにぱっと笑った。
それにつられアーチャーもまた微笑む。
が――彼ははっとしたように表情を元に戻すと、顔を後ろに下げた。
こほんと咳払いをしてみせる。
「それでイリヤ。何か用なのかな?」
「何よ。用がないと話しかけちゃいけないの?」
途端に機嫌を悪くしたようにむっとして、イリヤ。
「い、いや。そういうわけではないが――」
慌てて言い訳しようとするアーチャーに、しかしイリヤは元気に叫ぶ。
「ふふーん、でも実は用事ならちゃんとあったのでしたー!」
言って、なぜかばんざいのポーズを取る。
「……ふむ」
先ほどよりは幾分か落ち着きを取り戻して、アーチャーは顎に手を当てた。
イリヤは手を引っ込めると後ろに回して見せた。ふふん、と澄ましたように目を瞑ると、説き伏せるような口調で、
「今日はね、なんだか元気のないアーチャーをなぐさめに来たのよ」
言って、顔を覗き込む。
「は……? 私、かね?」
「そうよ。貴方以外にアーチャーはいないでしょう?」
薄く笑ってイリヤは首をかしげた。その仕草にアーチャーは苦笑してみせる。
「まあ、それもそうだが」
頷いてからにやりと笑う。確信にも近い声で、
「だが、それも嘘だろう?」
「う」
図星なのか、イリヤは呻いて少しだけ引き下がった。それからすぐに気を取り直すように胸を張って、
「……そうよ、ここでアーチャーに会ったのはただの偶然。でもそれだって捨てたものじゃないわ。半分は当たりみたいなものだしね」
よくわからないことを言ってくるイリヤ。
「それにしても――」
と言って、イリヤはきょろきょろと周囲を見渡してみせた。
「マスターの凛はいないみたいだけれど?」
「そ――そうだな。まあさして問題ではないだろう」
何故か弁明口調になりながらも、アーチャーはなんとかそう言ってのけた。少し頬が引きつっているのだが。
「ふーん、まあいいけど」
内心を見透かすような、鋭い視線――声質までが変わっている。
指先を自分の頬に当てると、イリヤは笑った。今までの無邪気なものではない。それは例えば――ある程度年齢を重ねたオンナがやるような、笑わない微笑み。
「まるで――そうね。迷子の子供みたいな顔してるけど。何かあったのかしら?」
「別に何もないさ」
目を閉じあっさりとアーチャーは否定した。静かにかぶりを振る。ぴくん、とイリヤの眉が動いた。再び微笑。そして彼もまた笑った。閉じていた目を開く。その瞳はうつろだった。呟く。なんとか笑みを浮かべたままで。
「ただ、もう全てが嫌になった。それだけだ」
ふっ……
言ってアーチャーは遠くを見つめる――
「……アーチャーは疲れているんだよ」
心底同情したように眉根を下げて、イリヤ。
彼はその顔をぼんやりと眺めてから――
「ああ、そうだな。そう、きっと――物凄く、疲れているんだろう」
そう、頷いた。
ほんの少しばかり、救われたような、ほっとした表情で。
「……えへへ」
「……?」
いきなり笑い出したイリヤに、アーチャーは不審な目で見つめ返した。が、彼女はそんなことはお構いなしに、
「ねえ」
「ん?」
「頭。撫でてあげるわ」
言ってイリヤは手を伸ばし――
「は? いや。そんなことは別に――」
慌ててその手を避けようとしたアーチャーに、彼女はぶすっとして文句をつける。泣き出す寸前というように、目を潤ませて。
「何よ。私のいうことがきけないっていうの?」
「――あ。い、いや」
口元をひきつらせてアーチャーはどもった。少し考えるように宙を睨んでから、
「では、よろしく頼む」
彼は頭をイリヤの方に向けて突き出した。
「よろしい」
満足そうに笑って、イリヤアはアーチャーの頭に手を置いた。まるで壊れやすいものにでも触るかのように、そっと、優しく。
「いいこ、いいこっ」
ぐりぐりと頭をかき回されている。
「…………」
アーチャーはそのまま、なすがままにされていた。
いつの間にか、目を閉じている。
口元には、薄い笑み。
そして――
「どう? 元気でた?」
大体五分ほどか。飽きもせずにイリヤはずっとアーチャーの頭を撫で回していた。
「ああ、そうだな。どうにかやっていけそうだ」
彼は笑う。穏やかに。
「よかった」
イリヤは安心したように微笑んだ。が――いきなり驚いたように手を口に当てると、
「あ、いけない。そろそろバーサーカーが起きちゃう」
言うと、彼女はアーチャーの返事を待たずに駆け出した。
「じゃあねー、アーチャー」
ぶんぶんと元気よく手を振って。
小柄な少女の体は、夕日の中に吸い込まれていった……
「ああ。ありがとう」
彼は小さく呟いた。
そのまましばらく、名残を惜しむかのようにぼうっとイリヤの消えていった方角を見つめている。
そして。
――そして。
「――きみ、ちょっと」
ふいに降りかかったのは、剣呑な声だった。
アーチャーはさっと振り向く。
「なにしてたの? 今」
そこに立っていたのは警察官だった。渋い顔をして、とんとんと腰に当てた手でベルトを叩き続けている。
「は? いや、別になにというわけでは――」
「さっきのコ。知り合い?」
全く聞く耳を持たないまま、警官は尋ねてくる。
「知り合いというか――なんというか……」
「はいはい、違うのね。ああもう、面倒くさいなあ――」
言って警官は帽子を押さえつけた。まいったというように。それからアーチャーに向き直ると、
「いや、あのね。わかるよね? こういうのまずいってさ」
アーチャーはその言葉に怪訝そうに眉をひそめてから――
何かに気づいたかのように、ぴしりと体を硬直させた。
「いや……ええと、だな」
が、警官は気づいた様子もなく呟き続ける。
「多いんだよね、近頃。萌えだか燃えだけしらないけどさ」
「い、いや私はそういうものの類では――」
「はいはい、言い訳は署の方できくから」
言い訳しようとするアーチャーを一言の元に押さえつけて、警官は彼の腕をつかむ。
「んで、名前は?」
「あ……アーチャーと名乗っている」
言うと警官はぎろりと睨んできた。その視線に負けたわけではないだろうが――彼は言い直す。
「……です」
警官は大きく嘆息してみせた。
「……あんたね。ふざけてんの? いかげんにしないと公務執行妨害とかつけちゃうよ?」
「いや、そういうわけでは」
「んで? 職業は?」
「さ……サーヴァン――いや」
アーチャーは言い直す。冷や汗をかきながら。
「なんというか……人助けのようなものを……」
「はいはい。無職なのね。ったく、いい年した若いもんがさあ……」
全くもう、とぶつぶつ呟きながら警官はつかんだ腕を反対の手に持ち替えた。なおも続ける。
「あんたみたいなのがいるから、近頃の若いもんは、とかいわれてんだよ。そういうの自覚あるの? ン? ないんでしょ、どうせね。まあいいけどさ」
「…………」
何を言ったものかいいのかもわからないような顔をしたまま、アーチャーは沈黙していた。
警官は気にした様子もなく手錠を取り出して、
「はいはい、じゃあ君ね、えっと、こういう場合は――ああ、そうだ」
何かを思い出したように小さく笑って。
「タイーホ」
そして、アーチャーの腕に手錠がかけられた。
「で」
凛は底冷えする目で言った。
「なーにやってんのよこのロリコン」
「ちがっ! ちがうぞ凛!」
アーチャーは慌てて弁明する――
夕暮れの街中を二人は歩いていた。と言うよりも、凛の後をアーチャーがとぼとぼとついていっているのだが。
凛は意地の悪い笑みを浮かべると、
「へーえ? 言い訳とかしちゃうんだあ。誰もおかげで出してもらえたのかしらねー」
「そ、それはそうかもしれないが――」
ぐっ、と言葉に詰まったようにうなるアーチャー。
あくまでも半眼で凛は続ける。
「大体ねえ。あんなのぱぱっと消えるなりなんなりすればいいでしょうに」
「そこまで考えが回らなかったのだ」
アーチャーは疲れたように頭に手を当てて見せた。それから急に立ち止まると、
「すまない」
まっすぐに凛の顔を見据えながら、そう謝った。
「……まあ、いいわ」
凛はぷいとアーチャーの顔から視線をそらせると、腕組みをしてみせる。向きを買え、歩きながら言葉を投げ捨てる――
「こっちとしても、稼ぎ手がいなくてこまってたところだしねー」
アーチャーは複雑そうな表情をしたまま、黙って後に続いた。
と、またもや急に振り返って、凛は呟いた。今度はやけに嬉しそうにしながら、指を一本ぴっと立てて。
「あ、わかってると思うけど貸し一だからね?」
「……………………………ああ」
力なく、アーチャーは頷く――
夕日が二人と街を照らし続けていた。