Fate/ usual
days?
第一話 フォール・ダウン
――薄暗い店内はむせかえるような香水の匂いと歓声に溢れていた。
そこは一種の舞台のような所だった。客席があり、ステージがある。ミラーボールもあるが、設備はお世辞にも上等なものとは言えないようだ――見るからに安っぽい造りの椅子に机。そこに乗っている酒もやはり安物。
客はほとんどが女性のようだった。
アップテンポの、やたら重低音が強調された音楽――直接体に響くほどの大音量をBGMに、ステージ上では半裸の筋肉質の男たちが踊っていた。半裸――と言うよりも正確にはパンツのみと言ったほうが正しい。黒の、ひどく面積の少ないビキニパンツ。
と、ステージ脇に立っていたスーツ姿の男がマイクを手に声を張り上げる――
『――ではー? これよりー? おひねりタイムに入りたいと、おっもいまーす!』
やけに明るい声がスピーカーで拡張され、店内に響くと同時、音楽がよりダンサブルなものに切り替わった。
そして――ふいに男たちが、ステージから客席に向かって踊りながら歩き出す……
きゃああああああ――
歓声がひときわ大きくなった。歓声と言うよりも絶叫に近いが。
男たちも、それに応えるかのようににっこりと笑っていた。
が、その中の一人はやけに暗い表情をしているようだった。
他のダンサーのような、無意味なほどに筋肉質ではない体つきの男だった。見る者が見れば感嘆の声をあげざるをえないような――無駄のない引き締まった体格。それは彼にとって『見せる』ためのものではなく、『使う』ための道具である。
浅黒く焼けた肌に、切れ長の瞳。そして少しばかり皮肉げな表情。最も今はこれ以上ないほどにげんなりとした顔をしているのだが。
……アーチャーだった。
誰がどう見ても、アーチャーだった。
「ふ――」
彼は目を閉じ、息を吐いた。腰を振りながら。
その周りでは女たちがきゃあきゃあと騒ぎながら、パンツにおひねりを捻じ込んでいる。それはとりあえず無視して――というより、対処するだけの余力がないように見える――、
「私は……」
もみくちゃにされながら、どんよりとした目でアーチャーは呟いた。
「……何を……やっているんだ……?」
その問いに答える者は誰もいない――
誰も、いないのだった。
――それは、唐突だった。
リビングで本を読んでいた凛は、それをぱたんと閉じると、ふいに顔をあげた。
目を動かし、周囲を確認する。
90度見渡したところで、お茶の準備をしていたアーチャーと目が合うと、
「アーチャー」
そう呼びかける。
ふむ? とアーチャーが目だけで問い返すと、彼女は指をぴっと立ててきっぱりと言い切った。
「脱ぎなさい」
「は、はぁっ?!」
間の抜けた声がリビングに響き渡る。目を白黒させて――ついでに顔を赤らめている――アーチャーにはかまわず、凛はもう一度繰り返した。冷静に。
「いいから脱ぎなさい」
「りりりりり凛っ?!」
『ずざざざざっ!』と一気に壁まで後ずさって、アーチャー。
「いいから、」
凛はそんな彼に向かって近寄りながら、にっこりと微笑んで、
「脱げっつってんのよーーー!」
彼女が腕を振ると同時、すぽーん、とアーチャーの服が脱がされた。アーチャーは一瞬何が起こったのかわからかったのか、呆然としているようだった。が、我に返ると慌てて両手で乳首を隠し、猛然と抗議をする。
「な、何をするんだね凛!」
「というよりあんた、その隠し方はキモいわよ」
半眼で告げる。くっ、と悔しそうに顔を歪めて手を離すアーチャー。凛から服を取り返そうと手を伸ばす。が、すんでのところで避けられた。そわそわとしながら、服に目をやる。
「いや、いいから服を――」
「いいからじっとしてなさい」
静かに一言、告げる。アーチャーはしばらく不満そうな顔をしていたが、やがてあきらめたのか、おとなしくそれに従った。背中が妙に丸まっているが。
凛は椅から立ち上がると、まるで品定めでもするかのようにアーチャーの体をじっくりと眺め始めた。しきりにうんうんと頷きながら、あちこちから観察していく。
「うう……なんだか視姦されている気分なのだが……」
「うるさいわね、何わけのわかんないこと言ってんのよ」
あきれたようにため息を付いて、凛。
彼女はやがて『ぱんっ!』と両手を打つと、
「よし!」
と言って勢いよく一枚の紙をアーチャーの眼前につきだした。
恐る恐るアーチャーは、それを読んでいく。
そこには――
「お……おひねり、バー? アルバイト募集! カラダに自身のある方、露出願望のある方歓迎! 時給は――」
紙に書かれた文字をそのまま読み上げていく。それにつれてアーチャーの顔が青ざめていくのだが――凛は全く気にした様子もなく、そうよ? とあっけらかんと頷くと、
「アーチャー、あんた今日からここでバイト!」
きっぱりと言い切った。
「は、はあっ?!」
泣き出しそうな顔で、アーチャーが絶叫する。凛は手で口を押さえ、にんまりと笑いながら、
「いい身体してんじゃない。問題ないわよ」
「い、いやいやいやいや!」
両手をぶんぶんと振ってアーチャーは詰め寄った。汗をだらだらとかきながら、必死の形相で口早にまくしたてる。
「ままま待ちたまえ凛。それはなんというか――その、まずいだろう?」
「なんで?」
あっさりと聞き返す凛。あまりにも頓着のないその一言に、アーチャーは絶句した。ぴしりと、どこか致命的なものが壊れたような、そんな表情。が、彼はなんとか立ち直ると、顔をひきつらせながらも尋ねる。
「あー……その、あれだ。その、わ、私がいなかったら誰が凛を守るのだ?」
「シロウだってセイバーだっているわよ。同盟くんでるんだし。問題なんてどこにもないじゃない」
詰まることすらなく言い返される。
アーチャーは目に涙すら浮かべながら、手をわななかせた。だんだんと床を踏み鳴らしてすらいる。
「わ――私は断固として反対するぞ! もっとサーヴァントに人権とか愛情とかそういうものを!」
「人間じゃないんだから人権なんてないし、愛情なら私が溢れるほど注いでるじゃないのよ」
「どこがだねっ!?」
とうとう半泣きになりながら、アーチャー。が、凛は聞く耳持たないというように顔を横に背けると、
「あーもーうるさい。とにかくこれ、決定事項だから。……ああ、それとも――」
そこで思い出したように、凛はアーチャーのほうへと振り返った。にっこりと――とんでもない笑顔を浮かべて、さわやかに告げる。手の甲を突き出してみせて。
「令呪でやったほうがいいのかしら?」
「く――」
その台詞に、アーチャーが言葉に詰まる――
……勝敗は、この時点で決着がついた。
「アーチャーくん、困るんだよねえ。そんな恥ずかしそうにされても。もっとアピールしていかなきゃ。うちはほら、お客様に喜んでもらってなんぼのもんなんなのよぉ」
そして、閉店後。
アーチャーは店の奥で店長にダメ出しされていた。
「は、はあ。すまな……かった」
大人しく頭を下げるアーチャー。その目は虚ろで、覇気がない。
店長は細身の、黙ってさえいればさして特徴といえる特長のない男だった。まあ喋り始めたらこの調子なのだが――
(オカマ……というやつなのだろうか……?)
店長は嘆息して、
「あと、腰。腰ね。なんかもう全然動きが硬いわ。もっとこう――ふんっ!」
と言い、腰を『くいっ!』と突き出した。
「こんな風に、ね。わかる? こう。――ふんはっ! ほら、やってみて?」
アーチャーはのろのろと頷くと、
「あ、ああ。ふんっ……?」
同じように、アーチャーも腰を突き出した。どんよりとした目で聞き返す。
「こ、こんな感じ……か?」
「ちっがーう! 全然違うわ、すごく駄目。なんていうのかしらね、こう、パッション? みたいな。回して回して――ふんぬらばっ! はい、もう一度?」
同じ動作。同じリアクション。
店長は首を横に振りながら嘆息した。
出来の悪い生徒を見る教師のような、そんな表情。
「うーん、どうしたもんかしらねえ……」
「は、はあ……」
生返事をするアーチャー。しょうがないわね、と言って店長はアーチャーの腰に手を添えた。もう片方の手を、胸へ。びくりとアーチャーは全身を引きつらせるが、なんとか耐えたようだった。店長はそんなことは気にした様子もなく、
「いい? だからここをこうして――」
「あら、一樹ちゃんどうしたの?」
と――
店の奥のカーテンがさっと開いたかと思うと、そこから一人の男が出てきた。見る者を圧倒させるような隆々とした肉体の持ち主である。おそらくはステージに立っていたダンサーの一人なのだろうが。
店長――どうやら名前は一樹というようだ――は顔をしかめて、
「うーん、ちょっとねえ。新人くんが……」
「あら、そういえば見ない顔ねえ」
(この男も……か)
なんとなく、あきらめたような顔でアーチャーは納得する。
と、そこでダンサーの動きが止まった。
完全に硬直している。
そして、視線の先には――アーチャー。
「ど……どうしたのだ?」
体に触れている店長の手をちらちらと見ながら、居心地が悪そうにアーチャーは尋ねた。その言葉にダンサーはびくりと反応すると、大きくううん、と首を振ってみせた。
「うん……そうね……」
半ばうめくように呟きながら、ダンサーは一歩アーチャーの元に近づいた。
思わず後退しようとするアーチャー。
が、それには全く構う様子もなく、ダンサーは彼ににじりよる……
「アーチャーくん、あなた――」
ぴたり。
そう言って、彼はアーチャーの胸に手をそっと置いた。
「ひ――」
悲鳴にならない悲鳴をあげる声を上げるアーチャー。逃げたいが、店長が押さえて――そう、おそらくは意図的にだ――いるため、それも適わない。力づくで振りほどけばいいと気づいたのは、ダンサーが完全に接近してからのことだった。互いの胸と胸が触れるか触れないかというような距離。
そして、彼は熱い眼差しで呟く――
「よく見ると、いい体してるわねえ……」
「い、いやちょっと待て。私は――」
顔を真っ青に青ざめさせて、アーチャー。が、ダンサーは気にした様子もなく、じっとアーチャーの顔を観察した。そっと――頬に手を触れる。
「うん、いい。いいわ。顔も私好みだし。すごくいい」
「あ……あああ……」
もう、言葉にもならないのか、アーチャーは目に涙を浮かべてぶんぶんと首を振った。
「ねえ、アーチャーくん」
言って彼は流し目で、アーチャーの耳元に囁いた。あまつさえ片手でアーチャーの胸元に『の』の字を書いていたりする。
「もしよかったら――この後、少し付き合わない……?」
「い――」
ぷつり――と。
頭の中で、何かが弾けて。
「いやだああああああっ?!」
彼が叫ぶと同時。
圧倒的な力が膨れ上がり、炸裂した――
「……………………………で?」
これ以上ないくらい冷たい目で、凛はアーチャーを睨みつけていた。
そのアーチャーはといえば、床に正座させられていた。うちひしがれたような表情。はあ――と盛大に嘆息して、凛は手に持った紙を突きつけ、声を張り上げた。
そこには請求書という文字と、かなりの金額が書き込まれている。
「何やってくれてんのよあんた! 弁償じゃないのべんしょー!」
……そう。
店の大部分を破壊したアーチャーは、命からがらあの場所を逃げだし、屋敷に戻ってきていた。
が、当然――というか何というか――それで終わりと言う訳ではなく、後日、膨大な額の請求書が送られてきたのだった。
アーチャーは、その言葉に反論しようと立ち上がりかけ――、そして凛の視線に負けて再び正座し直した。それでもなんとかくじけずに必死に叫ぶ。視線は合わさないままに。
「し、しかしだね、凛! あの男は私にこう、所謂セクシャルハラスメントというやつを――」
「うっさいわね、よくある話じゃない!」
「あってたまるかねそんなものっ!」
ぴしゃりと言い切る凛に、たまらずアーチャーが言い返す。が、ふん、と髪をかきあげて凛は軽蔑したような目でアーチャーを見下ろした。
「ふうん? 言い訳するんだ、アーチャーってば」
ぐっ――と、再び言葉に詰まる。少しの間を置いてから、搾り出すように彼は続けた。
「だ、だからあの男は――」
だが、凛はさらに声を大きくした。聞く耳持たないとばかりにがー、と叫ぶ。
「ボーイズラブくらいさくっとこなしなさいよ使えないわね! あんたそれでもサ−ヴァントなの?!」
「凛、待ってくれ凛! それはあまりにも酷というもので――」
泣きながら抗議してくるアーチャーに、しかし凛は平然と、
「うっさいわね、文句言うんなら綺礼と絡ませるわよ!」
「い――」
とうとう白目を向きながら、アーチャーは絶叫する――
「いやだあああああああああああっ!」
こうして――
遠坂家の日々はふけていくのだった。