独りでいることには慣れていた。元来魔術師とは孤独な生き物だ。根源への到達を目指し、日夜その研究へと励む。それが我々のあるべき姿なのだから。
だが、それでも寂しいと感じてしまうことはある。特に昔のことを思い出した時は、いつもそう。あの頃はよかった──などと感傷にふけるつもりはないけれど。でもそれでも、なつかしむことくらいはある──
「……ふう」
嘆息。窓から覗く景色は灰色に染まっている。天気予報では午後から晴れると言っていたけれども、この分だとそれも怪しそうだ。
カップをティーソースに置いて、さてどうしようか──と思案する。思っていた以上にスムーズに進んだため、午前中いっぱいを使うだろうと踏んでいた魔法薬の作成はもうすでに終わってしまっていた。ティータイムを設けたけれども、それにしても昼食まであと45分ある。中途半端に余ったものだ、と苦笑。
「ああ、そういえば、この前録画しておいた試合がありましたわね──」
呟いて、立ち上がる。
と。
「お、お嬢様──」
扉の向こうから、ノックと共に声が響いた。執事のハインツだが、いつもの冷静なものではなく、妙に慌てているようだった。何事だろう──そう思いつつ、入るよう促す。
失礼します、と一言を置いた後、扉が開いた。彼は矢張り動転しているようだった。ここまで彼を慌てさせるなど、相当のことでもない限り難しいはずなのだが──
ハインツは一歩前へと進み、そして立ち止まった。一拍置き、信じられないと言うように首を振りながら、
「彼が──!」
廊下を足早に歩く──
ハインツの説明はごく短く、そして驚くに十分な内容だった。
──彼が、再び姿を現した──
その言葉を聞いて、一体誰のことだろうと考えたのは一瞬だった。
自分にとっての彼とはつまり、そう言うことだ──
(なんで、今頃……)
足を進めながら、思考する。
客間への道のりがこれほどまでに長く感じたのは初めてだ。舌打ちをしそうになって、慌てて自制する。
(いけませんわ……優雅に、落ち着いて。失態なんて見せるわけにはいきませんものね……)
とは言え、実際に顔を見たらどうなるか、自分でも保障は出来ないとは感じているのだが。
なんとかして思考を切り替えようとする──が、彼との思い出ばかりが思い浮かぶ。
初めての出会い。彼女とのやりあい。そして彼との唐突な別れ。残された彼女との思い出。そして──
「っ、避けなさいミストオサカ──!」
白い光が、溢れ返っていた。
強い指向性を持った、純度の強い破壊の力──それは対象者めがけて一瞬で伸びていく。
……届かない。
今、自分がいるところからリンがいる所までは手が届かない。
魔術による相殺をしようにも、間に合わない──無詠唱呪文ならば発動できるが、その程度の力ではあれには敵わない。
凛もまた、いきなりの攻撃に対処も何も出来ないでいる──
絶望的に、ただ見ているしか出来ない──
……凛の体が跳ね上がる。
時間が過ぎるのがやけに遅い。
動けない。
自分は動けないまま、ただその光景を見続けていた。
それしか、出来なかった。
光が、凛を貫いて。
肢体が、踊る。
僅かな残滓を残し、その輝きは消滅する。
……とうとう時間は静止した。
音までもが固まったよう。
ぴたりと止まった時の中、
──ぴ、ちゃん……っ
小さな水滴の落ちる音が、ふいに響いた。
ぴちゃっ──ぽた──ぼたたっ──
音は段々と激しく、そして大きくなっていく──
音の出所は、わかりきっていた。先程からずっと自分が見つめている──凛。
「ミス、トオサカ……?」
恐る恐る、呼びかけた。
「…………………………………、あ」
凛はその声でこちらに振り返ろうとして、
──どしゃぁっ……
血をまき散らして、崩れ落ちた。
「っリン──!」
慌てて駆け寄った。
近寄るにつれて、頭の中が加速度的に絶望に埋まっていくのが実感できる──凛の傷は、どう見ても致命傷だった。腹部を丸ごと持っていかれている。即死しなかった方が奇跡に近い。血が流れおちていく。呼気が小さく狭まって行く。駄目だ。後何秒もつのかもわからない。こんな──こんなのって──
だが、奇跡でも何でも構わない。まだ息があると言うことは、処置のしようがある──
ありったけの宝石を出し、指の間に挟み込む。
「あ・ぅ……………」
吐息ともうめき声ともつかない、弱々しい声。
「ッZeichen───!」
迷っている暇はなかった。
残っていた宝石は全部で2つ。その全てを一気に開放。凛の臓器の修復と治療につぎ込む──!
「ル・ヴィ・ア………………」
のろのろと──か細い声が耳に届く。
「黙りなさい! 喋るんじゃありません……!」
叱咤しつつ、頭のどこかで警鐘が鳴っている。
駄目だ。全然足りない。なんで今日に限ってこれしか持ってきていないのだろう──屋敷に帰れば、この数倍はあると言うのに。せめて同じクラスのものがあと5個は必要だ──
「わ──、たし、の……………」
掠れた、耳に届くかどうかと言うくらいの小さな声。
「──っそうですわ……!」
そのことをすっかり失念していた。彼女もまた宝石魔術師──今日だって持ってきているはずだ。
幸い宝石の入っているポケットはまだ残っていた。血で汚れるのにも構わず、ポケットを漁り、中身を取り出す──トパーズとルビー、そしてオパール。合計三つ。それも治療につぎ込む。
「はあ…………はぁ…………っ」
──なんとか傷そのものは塞いだ。臓器も必要最低限のものは修復した。けれど血までは出来なかった。魔力が足りなかったのだ。──まずい、非常にまずい。かなりの血が流れおちてしまっている。このままでは──
──頭を切り替える。雑念は切り捨てる。パニックになれば全てがおしまい。冷静に対処しなくては。……ここではこれが限界だ。あくまでも緊急処置。もっとちゃんとしたところで本格的にしないとまずい──
「少し揺れますが、我慢するんですよ……!」
言って、凛の体を担ぎあげて──愕然とする。
ありえないほどに軽く、そして冷たい。
固まったのは、一瞬だけ。
動揺をなんとか押し込んで、立ち上がった。
「しっかりしなさい、ミストオサカ──もうすぐの辛抱ですわよ……!」
車は入口に止めてある。
そこから最寄の病院──は駄目か。魔術で修復するしかない。それなら、時計塔。けれどここから時計塔までは、どんなに飛ばしても40分はかかる──
警鐘が、大きくなった。
「だ、め……おろし、て」
息も絶え絶えのまま、凛が耳元で囁いてきた。
「……? どうしたんです」
足を止めて、振り返る。
「…………っ、はあ──」
げほ、と血を吐きながら、凛はもう片方のポケットを漁る。
中から出てきたのは────
「こ、れ」
宝石だった。ただし、中身は入っていない。空っぽのルビーだ。
「これ……士郎、に」
瞳に篭る力が、抜けていっている。
凛が、のろのろと手を動かし──自分の手にそれを握らせてくる。
血まみれになった、赤いルビー。
「ごめん、ね、って。それ、と──、………………、って」
途切れながらも彼女はそう呟き、なんとか笑みを形作る……
「つたえ、て……?」
ふ…………
握られた手から、力が抜けた。
凛が、動かなくなった。
そっと手を離した。
……ぱたん
血まみれの腕が、地面に落ちた。
「嘘、でしょう……?」
違う。
ありえない。
彼女は、自分の生涯のライバルで。生意気で。恋敵で。いつも目の上のたんこぶで。いつかぎゃふんと言わしてやろうと考えていて。でも、なんだかんだ言って──それで──それで……
なんで、そんな。
こんな所で、終わらなければならないのか──
「────────────────っ」
涙と共に溢れた絶叫が、感情を塗り潰して──────
……ただひたすら、廊下を歩く。
……結局、凛の願いは聞けなかった。
宝石は渡したけれど、最期の言葉は伝えられなかった。
「ごめんね──なんて。どうして貴女が謝らないといけないのですか……」
一緒にいられなくて、ごめんね──なんて。
彼女は悪くない。何も悪くはない──シェロが出て行った後も常に気丈にふるまっていた。時折寂しそうな表情を見せるけれど。でも、それでも私のライバルとして相応しい遠坂凛だった──
悪いのは士郎の方。確かに時計塔の居心地は悪かったのかもしれない。でも、だからって逃げていい理由になんか、ならない。
士郎を恨まなかったと言えばウソになる。
確かに、会った当初はかなり好感度は高かったけれど。でも、それでも──
だから結局、彼が再び帰ってきたときも、私は感情を抑えるのに精いっぱいで、彼女の言葉は伝えられなかった。
数日後に彼が逃げるように日本へ戻って行ったと聞いた時は、ある意味安堵したくらいだ。
それが今更──姿を現した、ですって……?
あれから何年も経ったと言うのに、顔すら見せなかった。噂すら聞かなかったということは、もう魔術に携わるのをやめたのか──死んだのか。
少なくとも自分の中では、あれは過去の出来事ということで折り合いはつけたつもりだった。
わからない。一体どんな顔をして会えばいいと言うのだろう。
ひとまず張り手のひとつやふたつくらいは覚悟してもらう必要がありそうだ──
……扉の前に立ち、足を止める。
息を吸い込んだ。
気づけば、掌が汗でじっとりとにじんでいる。
どうやら、緊張しているらしい──我ながらどうかしている。
首を振り、幻想を追い払ってから──正面を見据える。
ハインツに目で合図を送ると、彼は一歩前へと出て、小さくノックをした。そして、ゆっくりと扉が開かれていく……
それに合わせながら、笑みを作り、言葉を紡ぐ──
「い……いらっしゃい、随分久しぶりですわね、シェ……」
「──久しぶり、ルヴィアさん」
聞きなれたはずの声は、頭を素通りしていた。
そこにいたのは、士郎。
記憶の中にある彼の面影よりも年を重ねた姿の士郎がいた。
ジーンズに、シャツと言うシンプルな出で立ちだ。
だが、それはどうでもいい。
問題は、その隣にいる女は一体誰なのかと言うことで──
「…………シェロ……?」
掠れた声で、問いただした。
士郎はこちらの視線にようやく気付いたように頷くと、
「ああ、そうか。……ええと……紹介するよ。桜──衛宮桜だ」
サクラ。
彼女は士郎の斜め後ろに座り、控え目に微笑んでいた。ゆったりした服を着ており──いや。腹部がやけに大きい。太っているわけではない。そこだけが膨れ上がっている。──妊娠しているのか。
妊婦を連れ回すというのもどうかとは思うけれど。でも、それにしたってこれはあんまりだ。貴方だって、私の気持ちを知らなかったわけではないでしょう──?
一体、どう言うつもりなんですの、士郎……
「シェロ……?」
のろのろと尋ねると──士郎は少し照れくさそうに頭をかきながら、
「うん、俺たち、結婚したんだ」
……薄々そうなのだろうとは思っていたけれど。こうして言葉にして聞くと改めて──痛い。
「シェロ。貴方、一体──」
「桜さ」
士郎は首をゆっくりと振って続けた。
「凛の妹なんだ」
────…………。
一瞬、思考が停止した。
ぎちり──
自分の歯を噛む音で、我に返った。
「なん──ですって?」
凛を捨てて、世界から逃げ出した男が。
その妹とくっついて──結婚した?
「シェロ、貴方──リンの妹と結婚したんですの?」
「ああ。……もう魔術にもさわってない。今は会社員やってるよ」
士郎はそう言って苦笑する。でも、それは決して卑屈なものではなくて。どこか清々しささえ感じてしまうもので──。
……ますますわからない。
それなら何故こちらに顔など出したのだろう。
「それで……? 一体なぜこちらに──」
迷っていてもしょうがない。ずばっと核心を訪ねた。
「ん……」
士郎は少しだけ考えるように視線を彷徨わせてから、
「色々──あったんだ。色々あって、それで──」
すっ、と。
こちらを真っ直ぐに──見据えてきた。
「──向き合う覚悟が、ようやく出来たからさ」
士郎の表情は、今まで見たことのないものだった。
等身大の強さ、とでも言うべきなのだろうか。
無理をするでもなく、ただありのまま。
でもそれが──どうしようもなく、強くて、真っすぐで。
だから────眩しい、と感じてしまう……
「ルヴィアさん。……ごめん。色々と心配や世話をかけてもらって。本当に──感謝してもしきれないくらいだ」
言いつつ、彼は歩み寄ってくる。
「それと」
目の前までやってきて、彼は、笑った。
「……ありがとう、って伝えたくて」
…………………。
──駄目だ、こんなのどう考えたって反則だ。
ずるい……本当、ずるいんだから──
……まずい。少し泣きそうになった。
数年ぶりの再会で。なんだか心身ともに成長していて。それで、あの一言は本当に駄目だ──
……そうか。
結局、逃げていたのは自分も一緒だったのだろう。
現状を、全て士郎のせいというように押しつけて。
思考を停止させていたのは、他ならぬ自分自身。
士郎が戻ってきた時、自分は何もしなかった。家に戻るように指示をして、それきり。
救いを求めているのはわかりきっていたのに──放置した。
それが罪だと言うように。それが報いだと言うように。
そうだ、士郎を繋ぎ止めることは、きっと出来た。それを放棄したのは、自分だった──
「……ルヴィアさん……?」
士郎の声で、はっと我に返った。
「あ……ごめん──なさい。何ですの?」
「いや、どうしたのかな、って……」
「何でもありませんわ。それより──」
呆けていたことに気づかれ、慌てて話題を探す。目についたのは桜だった。
「……お腹、随分大きいですのね」
いきなり話を振られて、彼女は驚いたようだった──が、優しくゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「あ……はい。もう6か月になります」
苦笑。
「男の子ですか?」
「いや、女の子らしい」
横から士郎が口を挟んでくる。
「名前は……決まってますの?」
「いや、まだだけど」
「そう、ですか……」
呟きながら、ふとひとつの事を思いつく。
──そうだ、恐らく士郎はこのことは知らないはず。
それならば当然──行くべきだ。
だから私は、二人を見据えつつ、
「……少し──出かけませんか……?」
そう、提案した。
「ありがとう、ここで結構ですわ」
「かしこまりました」
ハインツがそう頷き、リムジンが停車した。
運転席から降りたハインツが回りこみ、後部座席の扉を開ける。
慎重に足をおろし、私は大きく息を吸い込んだ。
──木々の香り。草の匂い。本当、ここはいつ来ても変わらない。ただ残念なのは、未だに天気は芳しくないこと。広がる空は未だに曇り空。市街地のほうは雲はもうないと言うのに。
「ここは……」
背後から、士郎の呆然とした声が聞こえてきた。
ロンドンの市街地から少し離れた、小さな丘──そこに来ていた。
駅からもバス停からも離れたこの場所は、ほとんど開発がされていない。道路こそ通っているが、利用価値はほとんどないため、人通りは皆無である。
この場所は、彼女が好きだった所。
昔はよくここで士郎と凛と自分の3人で市街地を見下ろしながら騒いでたものだ。だから、この土地を買い取り、彼女の墓を建てた。
「こちらです」
囁いて、先へと進んでいく。小高い丘の上には一本、木が生えている。そしてその麓に、一つの墓石がある──
「貴方、まだお墓にも来たことなかったでしょう」
ぽつりと呟いた。
「そう、だな」
士郎は頷き、墓石の元で屈みこんだ。そっと石に手を触れ、
「……凛」
項垂れ、そして囁いている──。
「ごめんな。……本当、最後まで俺、迷惑かけっぱなしだったよな……」
「姉さん……」
桜も少し手間取りながらも、座り込んだ。顔を下げ、髪が下へと流れおちる。
「わたしたち──幸せになりますから」
声を滲ませて、続ける。
「だから──っ……」
両手で顔を覆った桜を、士郎は優しく肩を抱きとめた。身を預けながら、桜はそっと尋ねる。
「士郎さん……姉さんは……祝福してくれるでしょうか」
「どうだろうな……」
自嘲に近い苦笑が、零れる。
「でも」
ふるふると小さく首を横に振って、
「もし、憎まれても罵られても──俺はずっと、受け止める」
そう、彼はまっすぐに告げた。
「もう──逃げないからさ」
気づけば、その手は強く握りしめられていた。
……強くなったのですね、シェロ……
「それだけは、変わらないから。──だから、凛。……ありがとう」
「…………」
いつしか言葉を──失っていた。
彼が日本に帰ってから、どんな人生を送ってきたのかは知らない。──知るはずがない。でも、それでも。
こんな笑顔が出来るようになったのだ──それが悪いはずが、ない……
気づけば、一歩踏み出していた。
「……“ごめんね”、それと──……」
紡がれた言葉は、託されたもの。
「…………“ありがとう”、と」
彼を信じ続けて、待ち続けて、零れ落ちた言葉──
「貴方への、リンの最期の言葉ですわ」
──そして、前へ進むための言葉──
「そうか」
士郎は……泣いていた。涙を隠そうともせず、ただ静かに。
「そうか……」
もう一度、繰り返している。
桜もまた、隣で肩を震わしていた。
「生きなさい、シェロ」
……自分は泣くわけにはいかない。涙はもう、必要ないはずだ。
「日記は──もう読んだんですの?」
「……ああ。読んだよ」
「あれが、全てです。……あの日記が、貴方に伝えたかった彼女のすべて。だから──あれは持っていってください」
「わかった」
頷く士郎の顔は、どこまでもまっすぐで。ああ──本当に……
感情を打ち消して、さらに言葉を紡ぐ。
「リンのこと……ずっと、忘れないでいてあげてくださいね……?」
「当たり前だ」
「当たり前です」
「ああ──それなら、安心です」
即座に頷く二人を見て、思わず微笑が零れ落ちた。
「あの子の望んでいたことは、何も難しいことではありませんから──」
駄目だ。また感情を打ち消せない。
「凛」
士郎は、そっと墓石に触れて、
「ずっと……一緒だよ──」
──囁いた。
風が頬を撫でた。
そう言えばいつの間にか──空は、晴れていた。