“memories”
今日から日記というものをつけることになった。
凛は、正確には日記ではなく年記なのだ──と言っていたが、正直よくわからない。曰く、毎日のことを記すものではないらしい。一日単位ではなく、一年単位で物事を書き留めていく。なんだそれなら簡単ですね、と言った私に、彼女はひどく悪戯じみた笑顔を浮かべると、それがそうでもないんだから、と胸を張った。
試しに今、召喚に応じてから今までのことを書いてみようと思ったが、なるほど確かにうまくいかない。一年に一度しか書けないとなるとどうしても記憶はおぼろげになり、しかも新しい出来事が優先されてしまう。これは強敵だなセイバー、と横でシロウが笑っている。いいから今のも書いちゃいなさい、と凛が言ったために記したことを補足しておく。
ちなみに本日はロンドンにやってきて、二日目だ。これからの三人の生活の記念に、と凛は私にこの本を。そしてシロウに新品のエプロンを買い与えてくれた。
新しい門出と言うことなので、今年を一年目として書いていこうと思う。年季を書き込むのは、一年の終わりの12月31日とする。だから今年のことを書くのは、まだ先になるわけだ。
前書きが長くなるのもどうかと思うので、この辺りでひとまずペンを置くことにする。
一年目
現代のロンドンは日本とはまた習慣が違い、戸惑うことも多かった。けれど、生まれが生まれなので、そこまでの混乱はない。
凛とシロウは時計塔に通っている。専門は異なるらしいが、それでも二人とも毎日を楽しそうに過ごしている。すばらしい。
私も凛の知り合いの道場で剣術を教えることになった。無論シロウの鍛錬も欠かすことはない。シロウの腕は日に日に上達していく。将来が楽しみだ。
ルヴィアゼリッタと言う女性と出会った。凛は認めないだろうが、彼女たちはよく似ている。きっと将来はいいライバルとなるだろう。
まだ身の回りはごたごたしている。やることが多すぎて手が回りきらない、と凛は言うが、実は彼女は詰めが甘いようにも思える。先日も特大のピッツァを転んで台無しにしてしまった。実に嘆かわしいことだ。
ルヴィアゼリッタが初めて家にやってきた。狭い部屋ですのね、と言っていたように記憶している。彼女の屋敷は数十倍はあるらしい。一度行ってみたいものだ。
仕事と日常をこなしながらロンドンの観光を始めた。ここの食事に関しては不満は多くあるが、文化そのものはすばらしい。いずれはこの時代の街を全て見て回りたいものだ。
しかしそれにしても食べ物の値段が高い。それからイタリアンは外れが多いようだ。味が安定しているのは所謂ファーストフードなのだが私にはああいったものはあまり合わない。やはりシロウの作る料理が一番おいしいのだが、日本の食材はなかなか手に入りにくく、そして高い。サクラたちに早急に送ってもらうべきだ。特に米は大事だということを凛に言い含めておいた。
剣の稽古はかかさず続けている。以前のシロウの家にあった道場のような建物は、いずれこちらにも欲しいと思う。最もそのような財政的余裕は全くないのだけれども。普通に暮らしていればここまで切迫することはないはずなのに、毎月何かしらの事件や事故が起こっている気がする。一年目のはじめの頃にあった備蓄はそろそろ底を尽きる。打開策を考える必要がありそうだ。
二年目
ここの生活にも慣れてきた。凛はもとより、シロウの魔術の腕もあがってきたようだ。
私はといえば、シロウやその周りの人に剣を教えてその日を暮らしていた。凛は時計塔でもトップクラスの腕前らしい。私の目から見ても、めきめき力をつけている。
先日二人に連れられて見学にいった。学科はもちろんだが、実技はなるほど確かに上手い。同年代の者と比べてみると、魔力だけならば彼女よりも大きな者もいることにはいるが、こと戦闘を行って生き残る、ということに関しては彼女は突出しているようにも思える。元より才能も実力もあった彼女のことだ。ここでより一層その強さに磨きをかけることが出来るだろう。最も、彼女の存在はそれだけではない。原因は、心苦しいことだが私にある。
英霊は分類すれば使い魔のような存在に分類されるわけだが、それを従えている者となるとほとんどいない。召喚するのに莫大な魔力を必要とするためだ。また、維持するためにも相当の負担がかかる。実際、今の凛では一人では私を支えることは出来ない。士郎にも手伝ってもらい、私はこの世界に現界し続けられているわけだ。
つまり魔術の総本山であるロンドンにおいて、私を連れているということは非常に注目を浴びることなのだ。だから私の正体については可能な限り伏せるようにしている。
ちなみに一般人に紹介するときは、私はシロウの遠い親戚ということになっている。これは確かシロウに初めて召喚されたあの聖杯戦争の時も、使っていたように記憶している。──聖杯戦争。今ではもうすでになつかしい思い出だ。
3年目
ロンドンに移り住んでからの初めての帰郷をした。日本に帰ると、桜と大河が出迎えてくれた。二人とも元気そうだった。
変わらないことと、変わったことがそれぞれ一つずつ。
変わっていないこと。大河は相変わらず恋人はいないらしい。変わったこと。桜の家族がなくなったらしい。あの屋敷に一人暮らしするのも大変だろうということで、今は屋敷を出てマンションに一人暮らししているらしい。シロウの屋敷を時折掃除もしているとか。
これは私の勘だが、桜は恐らくシロウのことが好きなのではないだろうか。――だとしたら、残酷な話だ。姉妹で同じひとを好きなのだから。
そう。凛と桜が実の姉妹であるということを聞いた。魔術士の家計には色々と複雑な事情がある。シロウも知らなかったらしい。
約束事。毎年必ず一回は日本に帰ってくること。それをかわして、再びロンドンへ。
4年目
凛たちが時計塔を卒業した。と思ったら、どうやらそのまま塔にのこって研究を続けるらしい。シロウは相変わらず人助けに精を出している。剣の腕もあがった。今では3本に1本は取られてしまう。手加減していると思っているらしい。――実にシロウらしい。
変化はあまりない。二人とも年相応に年を取った。私は変わらない。その事実が、英霊であることを実感させられる。
それから、シロウの様子が最近おかしい。時折ひどく切なそうな表情をして遠くを見ている。──この表情はどこかで見たと記憶している。
凛の様子もおかしい。何かを言いたそうだと言うのにためらっているように思える。
確か7月の終わり頃だったと思う。思いきってそのことについて聞いてみたが、曖昧にはぐらかされた。まあ、いつかこうなるんじゃないかって思っていたけど──そう言う彼女の表情はひどく寂しそうで、そしてどこかさっぱりとしていた。
確かその数日後だったと思う。シロウが時計塔をやめることにする、と私たちに宣言した。私は驚いたが、凛はふうん、そう──、とひどくそっけなく頷いたのを記憶している。
これからどうするのか、という私の問いに、彼は旅をする、と。ただ一言そう告げた。正義の味方になりたいから、そう言ってシロウは笑っていた。
凛は確か、その時は何も言わなかった。シロウもそれが意外だったようだ。止めないのか遠坂、と言うシロウに、止めないわよ、とそっけなく返していた。からくりを知っている私としては無反応を装うのに苦労したのを覚えている。
翌日。旅立ちの支度をして出て行こうとするシロウの前に、私たちも同じような格好をして現れた。あの時のシロウの表情は今も忘れることが出来ない。実は事前に凛はシロウの思惑に気づいていたらしい。どうせなら驚かせてやろうとの彼女の提案に、私も同意した。
あら、まさかわたしたちを置いて一人でいくつもりだったの、と聞く凛に、本当にそれでいいのか、と静かにシロウは訪ねた。今思えばそれは当然の反応だった。恐らくシロウは危険な場所に赴くつもりだったのだろう。死すらも覚悟していたのかもしれない。その覚悟はあるのか、と尋ねる彼の質問に、しかし彼女はあっさりと首を縦に振った。なめないで欲しいわね、と。そう挑戦的に言い切る彼女の姿は勇ましく、そして美しかった。
実を言えば凛は昨日のうちに時計党に休学届けを提出していた。仕事の全てをルヴィアゼリッタに任せ、シロウと共に行くことにしたのだ。無論私もだ。ヒトってね──と凛は私から見ても綺麗だという表情をしながら言った。ヒトって、変われるからいいんじゃない、と。そう言って彼女はシロウの腕に手を絡ませ、微笑んだ。その時点でシロウは反論の言葉を失ったのか、ただ黙って頷いていた。
──こうして私たちのロンドンでの生活は終わり、新しい土地へと出発した。
5年目
お世辞にも生活は上手くいっているとは言えない。凛の宝石にお金がかかることもさることながら、モノ自体が少ない。中東付近を中心に活動しているのだが、やはり実情はひどいものだった。加えて、魔術師として活動するわけにはいかないこともあった。
魔術は秘匿されなければならないものであり、一般人相手に無碍に力を行使するわけにはいかないからだ。もしそういうことをおおっぴらにすると、ろくでもないことになるんだから、と凛が顔をしかめていっていた。封印指定のナントカ、という者が動き出すらしい。私が英霊であるということも隠さなければならない。やはり思った以上に大変だった。
ひとまず今の私たちが出来ることを探していくことになった。手探りで一歩一歩進めていくのは大変だが、やりがいはありそうだ。来年も頑張っていこうと思う。
6年目
シロウが怪我をした。
銃撃戦に巻き込まれて右足を負傷したのだ。もうやめるべきではないのか、と言う私の言葉に、しかしシロウは頷くことはなかった。
成果はようやく出始めていた。私たちが行っている活動とは、紛争の解決や、飢えや病気に苦しんでいる人たちの保護や手当てである。
聞いた話によると、シロウたちの故郷にもそう言った組織は存在するらしい。無論のこと世界規模にも存在する。しかし私たちはそこに所属することなく、あくまでも単独で活動を行っていた。
組織に所属した場合、どうしてもより沢山の人間を助けようとする傾向が生まれてしまう。小より大を取ろうとするのは確かに有効な方法で、私の目から見てもそれは間違ってはいないと思う。しかしそれはつまり、小は見捨てるということ。百と一があれば一の存在は切り捨てられてしまう。俺たちの仕事はさ、とシロウは笑いながら言った。そう言った、小さな存在を拾い上げることなんだ、と。笑いながらそう告げる彼の笑顔と、それをまぶしそうに見つめる凛。この二人と出会えて本当によかったと思う。
7年目
10月12日
一年に一度というルールを破る。これは書かなくてはならないと思ったからだ。
凛が負傷した。シロウをかばって銃に撃たれた。一命はとりとめたものの、下半身は以前のようには動かないとのこと。歩けなくなるわけではないが、右足にやや障害が残るだろうと宣告された。
ショックを受けたのは言うまでも無いが、それ以上に彼女が生きていることに感謝したい。
凛はあまり顔には出さなかった。まあしょうがないわよね、と笑っている。一方シロウは相当まいったようだった。また、遠くを見つめるようになった。愛する者が自分のせいで負傷したのだ。無理もない。私も言葉をかけたが、効果はかんばしくはなかったようだ。重症のようだった。
10月16日
帰らないか、とシロウが私たちに提案した。衝撃だった。確かにここ数日のシロウの様子ははたから見ても相当まいっているようだった。悩んでもいた。ぽつりぽつりと色々なことを聞かれたが、まさかこのようなことを考えているとは思わなかった。
本音を言えば、私はシロウの意見に賛成だった。このままこの生活を続ければ、いつか必ず不幸な出来事が高確率で起こるだろう。それだけは避けたい。
凛の反応は落ち着いたものだった。その程度なのか、と。真っ直ぐに彼の目を見つめて彼女は言った。十分大事だと思うが、彼女はどうやら納得できない様子だったようだ。
これ以上遠坂やセイバーを危険な目に合わせられない、というシロウに、お荷物扱いなんて冗談じゃないとつっぱねる凛。平行線のまま、二人の間が険悪なものへとなっていった。
10月18日
相変わらず家の中はぴりぴりとしている。どちらかが譲歩するしかないのだが──。
10月21日
帰ろう、とシロウがもう一度言った。
しかし凛もまた頑なだった。そう、ならわたしたちの関係もここまでね、とも言っていた。はらはらする私をよそに、シロウは静かに語った。
叶えたい夢もある。出来ればこのままもっと人助けをしていきたいと思う自分もいる。しかしそれよりも、凛を守りたいと思う気持ちが強いのだと。このままいって、もし凛が死ぬようなことがあれば、シロウはきっと絶望し、後悔してしまうだろう。恋人のひとりも守れなくて、なにが正義の味方なんだ、と。淡々と語るシロウの言葉に、凛は少し涙ぐんでいた。
夢を追い続けることは大変だが、それをあきらめるのはもっと大変なのだと。私は思った。
──結局凛は首を縦に振った。
その代わり、絶対幸せになるんだからね、と。そう言って唇を重ねる彼女の耳もまた真っ赤になっていた。
私たちは、また、ロンドンに戻ることになった。
ロンドンに戻ってきた。はじめの一ヶ月ほどは復帰の手続きなどに追われた。凛たちが時計塔に復帰したのは結局3月にはいってからのことだった。
ルヴィアゼリッタは相変わらずだった。凛はまた時計塔に戻り、シロウは以前より少しだけ臆病に、そして優しい顔をするようになった。
聖杯戦争の頃ならば、きっとシロウはがむしゃらに進んでいたのだろう。しかし彼はそれをすることなく、凛の傍にいる。彼女の言葉を借りれば、それは彼が変わったからと言うことだった。
変わること。それは果たしていいことなのか悪いことなのか、と問う私に、いいも悪いもないでしょ、と笑って凛が言った。時間の経過と共に人は──いや、世界は変化する。不変なものなど何ひとつとして存在しないのだと。得るものがあり、失うものがあり、そうして世界は変わっていく。その流れは決して止まることはないのだ。
私としては意外だった。シロウにとって正義の味方という存在は根幹を成すものであり、決してそれだけは変わらないものだと思っていた。それが、変わっていた。大切なものの優先順位はいつの間にか入れ替わっていた。これはつまり愛の力ですね、と言うと凛の顔は真っ赤になった。
まあ、でも──と。セイバーだって随分かわったわよ、という彼女の言葉が、妙に楽しそうだったのを記憶している。
ロンドンでの生活は以前とそう変わるようなものではなかった。少しばかり不自由になり、そして平和だった。そう言えばしばらく日本に帰っていない。先ほど年記を読み返してみたが、毎年帰る約束をしていた。全然守れていないことに愕然とする。藤ねえ怒り狂ってるんだろうなあ、というシロウの顔は引きつっていた。来年こそは帰りたいと思う。
8年目
年明けと共に日本へ帰った。皆が皆、月日の分だけ年を取っていた。立場はそう変わっていなかった。大河はそろそろテキレイキがどうとか言っている。しかしどう見ても彼女は以前と全く変わっていない。英霊でもあるまいし、一体どういうカラクリなのだろうか。
桜はますます綺麗になっていた。恋人と言うわけではないが、最近よく会っている人物がいるらしい。年下なんて桜ちゃんもやるわよねー、と大河がからかっていた。
大河の身の上話から、結婚の話へと飛んだ。私が凛たちに話を振ったのがまずかったようだ。そう言えば凛たちは結婚はしていませんよね、と言う私の失言から、事態はとんでもない方向へと飛ぶことになってしまった。
後日、桜と大河の結託により、シロウの周辺に緊急配備が敷かれた。どうやら二人が結婚式をあげるまで、日本から出さないつもりでいるらしい。仕方ないな、とシロウは苦笑し、仕方ないわね、と凛もまた似たような表情を浮かべていた。
結局、その一週間後に結婚式が行われた。場所は驚いたことにあの教会で行われた。神父代理の者は少女だった。桜も色々とお世話になっているらしい。
しばらく日本を離れていたというのに、式には実に多くの友人たちが参列した。私も心からの祝福をおくりたい。
ロンドンに帰ってからも、色々とごたごたした。ルヴィアゼリッタは自分のいないところで結婚式が行われたことに激怒して、色々と不満そうだった。
9年目
凛が妊娠した。これを書いている時点では、もう3ヶ月。お腹も目立ってきた。日本の皆からお祝いの品が山ほど送られた。これで当分はリッチな生活が出来ると凛が喜んでいる。相変わらず生活はそこまで余裕がない。
少しばかり困ったことは、彼女が妊娠したことに伴って、魔力が乱れたこと。おかげで維持のための負担がより一層シロウにかかった。ひょっとしたら、今回の妊娠は私が一番の原因なのだろうか。
生活は特に変わり映えのしない日々が続いている。そうか、俺父親になるんだな、とひどく感慨深げなシロウに、しっかりしてよね、と凛が笑っている。──幸せとはきっとこういうことを言うのだろう。
父親としての自覚が出来たのか、シロウも段々しっかりした顔になってきた。精悍なその顔つきには見覚えがある。──と言うよりも、忘れようがない。聖杯戦争の時にいたアーチャーだ。しかし彼ほど日焼けもしていないし、髪の色も違う。表情も柔らかい。あちらのアーチャーを否定するわけでは決してないが、私はこちらのシロウのほうが好きだ。凛はどちらが好きなのですか、と聞くと、そりゃまあ旦那なんだし、こっちって言っておかないとねえ、と笑っていた。
平行世界の中の一つのシロウは英霊となった。私たちのいる世界のシロウは凛と結婚し、父親になった。無限とも言える並列の世界の中で、その中には全く別の人生を送る者もいるのだと考えると感慨深い。
──私はどうなのだろうか。英霊たる私が、こうして凛やシロウたちと共に暮らしていない世界もあるのだろう。いや、むしろそのほうが自然なのではないだろうか。魔力を定期的に摂取しないと存在すら出来ない私の存在は、脆く儚いものだ。
思えば随分長い年月が過ぎた。初めてシロウたちと出会ったのはもう十年以上も前のことだ。十年。言葉にすれば一言だがその間に流れた時間は膨大なものだ。
──少し思うことがある。今度凛に相談してみよう。
10年目
またしてもルールを破る。今日はまだ2月10日だ。
凛のお腹は順調に大きくなっているが、今回はそのことについてではない。先日凛とシロウにさりげなく言ってみた。そろそろこの世界と別れてみるべきなのかもしれない、と。
十年という月日の分だけ年をとったシロウたちに比べ、私の姿は全く変化がない。それは私が英霊だからだが、果たしてこのままでいいのだろうか──と思うようになってきた。
二人のこともある。凛とシロウは結婚した。私という存在をこの世に繋ぎ止めるのには二人の存在が必要不可欠なのだが、それは重荷ではないのかと。子供ももうすぐ生まれる。心残りがないと言えば嘘になるが、それでも私は十分に幸せな生活を送ることができた。ならばこの辺りが潮時なのではないか、と。そのようなことを二人に言った。
……激怒された。
あーそう、セイバーにとってわたしたちってその程度のものだったのねはいはいそうなんだー、と喚かれつつ色々なものを投げられた。必死にシロウがなだめて押さえてくれたが、あの目は本気だった。絶対に殺意があったと思う。本当に怖かった。
セイバーは俺たちといるの、もう飽きたのか、と。シロウは静かにそう尋ねた。
私は必死に首を振った。
飽きることなどあるはずがなかった。凛とシロウとの生活に不満などあるはずがない。
……正確に言えばもう少しご飯の量を多くして欲しいであるとか細かいことに関してはあるが、大きな目で見て、そんなことはありえなかった。
だから、とんでもないのだ、と言うことを必死に説明した。
それなら、それでいいだろ。何を今更言ってるんだ──と。シロウは十年前のあの時のままの笑顔を浮かべて私に微笑んだ。
ここで以前の内容について触れたい。シロウはきっと変わっていない。
夢の在り方は異なっても、その思いは変わってなどいない。
それは、凛もまた同じだった。
と言うわけで、私は変わらずリンたちの傍にいる。
これからも、ずっと二人と共に過ごしていこうと思う。
その思いがあるから、だから、私はここにいていいのだと。きっとつまり、そういうことなのだろうと思った。
追記
子供の名前は私が考えることになった。凛が一方的に言い放った。逆らえなかった。今から色々と考えておかないと後が怖そうだ。
3月2日
またルールを破るが、これには理由がある。
まずは近況だが、引越しをすることにした。収入も安定してきたので、これを機会にもっといいところに住もうという話になった。慣れ親しんだこの家を離れるのは少しばかり寂しいが、それでも新居に期待してしまう。冷蔵庫は特大の買おうなセイバー、とシロウが言っていた。非常に楽しみだ。
お腹の赤ちゃんに負担がかかるのではないかと心配したが、そこまで心配することのものではないようだ。
……名前はまだ納得のいくものが出来ない。早くしないとそろそろ時間がなくなってきている。がんばらなくては。
本来の話をする。本日をもってこの年記を止めようと思う。
十年というのはちょうどいい節目だ。何より、これからは大きな出来事ではなく、毎日のこまごまとしたことを書いたほうがよさそうだ。これからは日記に切り替えることにしよう。──と言うことを凛にいうと、新しいノートをくれた。これからはそちらに書いていこうと思う。
と言うわけで、これをもってこの年記を最後とする。
──願わくば、これからの私たちの生活が幸せなものであるように。
暗い倉庫の中に、二つの声が響く……
「ねえねえママ、これってなーに?」
「んん? ああ、それ? ──それはね、遠い知り合いのね、日記なのよ。ううん──年記よね」
「ふーん……。この、リンって名前ってママのひいおばあちゃんの名前だよね?」
「ええ、そうね」
「ひいおばあちゃん、昔は若かったんだったんだねー」
「そうねぇ」
「あ、ねえママ。この続きって──」
「んん? どうしたの?」
「この本のね、この、最後のとこっ。日記にきりかえるってあるよっ? ねえねえ、日記のほうもあるの?」
「ええ、あるわよ。なあに、読みたいの?」
「うんっ!」
「そう。なら後で出してあげるわ」
「今がいいのー!」
「はいはい。しょうがないわね。──そうだ、貴女も書いてみたら?」
「うんっ! 書く書くー!」
「でも、途中で飽きちゃうなんてだめよ? 全く飽きっぽいのはパパに似てるんだから」
「えー、そんなことないよう」
「さあ、どうかしら──?」
「───────」
「─────」
「───」
そして。
誰もいなくなった倉庫の中に、ひっそりと一冊の古びたノートが残されていた。