hurry go hurry!

 

 

 

 

――譲れないものの一つや二つは当然あった。

それは魔術であったり、生き方だったりするのだけど。

この場合は、もっと単純でもっと簡単なものだ。

他人に理解してもらうつもりなんてのは毛頭ない。

ただ、わたしはわたしの信じた道を歩こうと思っていた。

それが、真実。わたしにとっての唯一の真実だった。

そして、今。

わたしは――追い詰められていた。

 

 

 

 ちっ、ちっ、ちっ、ちっ……

 無表情な時計の音が、時を刻んでいた。

 時刻は5時。一日の始まりというにはまだ少しばかり早い時刻だった。最も、この屋敷の中は始まりっぱなしだったわけだが――

 遠坂の屋敷のリビングである。

 いつもならばきちんと清掃されているはずのリビングは、今や惨憺たる状況になっていた。机の上と言わずソファーの上と言わず、大量の紙がぶちまけられている。床には無数の栄養ドリンクの空き瓶やらスナック菓子の袋やらが無造作に捨てられていた。そういった物にはさまれるようにして、アーチャーと凛の二人が座っている。

 二人は特に何も話すでもなく、黙々と作業を続けていた。

……空気は異常なまでに、重かった。

「はぁ……」

 深い深い嘆息がひとつ。

 アーチャーのものだった。

 彼は口をへの字に曲げていた。表情はよくわからない――と言うのも、彼は顔の半分を大きな黒色の布で目隠しされていたからだ。

 彼は……先程からえんえんと紙を折り曲げていた。目隠しをしているのに――である。相当手先が器用なのか、それとも実は見えているのか、全く問題ないとでも言うようにスムーズに作業は進んでいた。

 いい加減黙りこくるのにも疲れたのか……彼はのろのろと口を開いた。

「なあ、凛」

 声は刺々しく、そして疲労が見え隠れしていた。

「凛」

 さらに苛立ちをこめて、繰り返される。

「……何よ」

 根負けしたように凛は口を開いた。こちらも顔色はよくない――髪はほつれかけ、目の下には隈が出来ていた。彼女は別に目隠しはしていなかった。

こちらも明らかに苛立っているような声だが、気づかないふりをしてアーチャーは口を開いた。はあ――と息を吐きつつ、手にした紙を一枚、ひらひらと動かして見せて、

「これは……何をしているのだね?」

「折ってるの」

 凛の答えは単純明快だった。

「なにをだね」

「紙」

 答えになっていない答えに、アーチャーは苛立ちを隠さず声を荒げた。目を閉じ、説き伏せるような声色で続ける。

「凛、そういうことを聞いているのではない。何を書いた紙を折っているのかと聞いているのだ」

「秘密よ」

 すかさず凛は告げる。 

 ぴくり、とアーチャーの眉が動いた。

 ――始まりは昨日の夜のことだった。

 アーチャーが食器を拭いているときのことだった。

 ここしばらく魔術の研究がある、と言って部屋にこもりっきりだった凛がリビングに下りてきたかと思うと、いきなり大量の紙を部屋に持ち込んできた。

 そして問答無用で目隠しを手渡し、「いいから黙って折りなさい。でも見たら殺す」という限りなく無茶な命令を下したのだった。

何を折るのかと聞いても凛は答えず、ただ「早くしなさい」と言ってくるだけだった。どうやら人に見られたくはないらしい。それ以降黙って作業を続けてきたが――いい加減我慢の限界だった。

「いい加減私にも見せてくれてもいいだろう」

 アーチャーはしぶとく食い下がった。

「だめ」

 凛はあっさりと言い切ると、折った紙がずれていないかをチェックした。よし、と頷くとそれを端にどかしていく。

 が、やはり少し可哀想だと思ったのか、小さな声で付け加えた。

「その……見せられないから」

「……一体何をやってたんだ、きみは……?」

 呆れた声で呟かれたアーチャーの声は、

「あ、これで最後だわ」

 という凛の呟きによって遮られた。

「む、あと何枚だね」

「10」

 言いながら凛はそれを床の上でとんとんとそろえる。

「よし、では5枚ずつだ」

「いいわ。このくらいなら自分で出来る」

 言うが否や、凛は作業に取り掛かった。

「……そうかね」

 持ち上げた手を落とし、アーチャーはあっさりと頷いた。

 そのまま腕を組み、後ろに体重をかける。

 ちっ、ちっ、と言う時計の音と、凛のかすかな息遣いだけがリビングに響く――

「出来た……」

 魂が抜けたような声が聞こえたのは、それから五分後のことだった。

「出来たーっ!」 

凛は叫んでいた。両手をあげて、バックに星すら輝かせて満面の笑みを浮かべている。

「終わったのか……ようやく……」

 壁にもたれていた背中を起き上がらせ、アーチャーは心底安堵したように言葉を零した。もういいだろう、と勝手に判断して立ち上がり、目隠しを取る――朝日が目にしみたのか、目を細めながら頬をゆるませている。

「あ、こら! 何勝手に外してるのよ!」

 すかさず凛が叫んだ。

「む、駄目なのかね?」

 ちらりと紙を見る――が、その間に必死に凛が割って入った。

「ちょっと!」

 ぐぎっ。

 ありえないほどの力でもって、アーチャーの首を強制的に上に向かせる。

「……む」

 汗をだらだらとかいて、アーチャーが呻いた。

凛はそんなことは気にも留めずにさっさと目隠しを付け直そうと手を伸ばす――が、背の高いアーチャーにするのは難しいのか、手間取っている様子だった。必死に手を動かしている。

「……凛、少しいいかね」

 アーチャーは静かに口を開いた。

「な、何よ。見てないでしょうねー!」

 顔を真っ赤にしてわめく凛に、アーチャーは困ったように眉を下げて、

「いや、そうではなくだね。……その、さっきから、胸が当たっている」

「え――――」

 そしてようやく、凛は自分の体を見た。

 なんとか目隠しをさせようとするあまり、二人の体はこれ以上ない程に密着していた。

「きゃああああっ?!」

 叫ぶと同時に、膝蹴りを放つ!

「ぐふあっ?!」

 股間に膝を叩き込まれて、アーチャーはたまらず悶絶した。腰が折れた所に、タオルをばふっとかぶせられる。

「ほら、さっさと目隠しする」

「……ふ、普通ビンタくらいではないのかね、凛……」

 顔を青ざめさせて、それでもアーチャーはなんとか声を絞り出した。真上に向いた顔を元の位置に直そうとしているが、どうやら変に固まったらしく、びくともないようだった。

「う、うるさいっ!」

 顔をますます真っ赤にさせて、適当に凛はアーチャーに目隠しをさせてからさっと体を離した。

 それから疲れたように顔を押さえ、ああもう――と呻く。

「しょうもないことに時間食っちゃったじゃないの。早くしなきゃ。ええと、次はホチキスで止めて――」

 ごそごそとダンボール箱を漁り、凛。が、その顔がさっと青ざめた。

「――ない……」

 動きが一瞬、停止する。

 が、すぐさま凛はがさがさと箱を大きくかき回し始めた。それでも見つからなかったのか、ついには箱を全部ひっくり返して探している……

「凛、どうしたんだ」

 不安になったのか、アーチャー――顔は相変わらず真上を向いたままだが――が恐る恐る尋ねると、

「アーチャー、ホチキス買ってきてっ!」

 箱の中身を凝視しながら凛はがーと叫んだ。

「……それは別に構わないが」

 曖昧に頷くアーチャー。

「画材屋――はまだ開いてないわよね。コンビニにあるかしら。あーでもそこしかないかあ。うん、じゃあ今買ってくるもの紙に書いちゃうから。それから栄養ドリンクと、あと何か食べ物。何でもいいわ」

 そう、一気にまくし立ててメモに文字を書き連ねていく凛を見ながら――

「……まだ続くのかね、これは……」

 とりあえずアーチャーは、嘆息するしかなかった。

 

 

 

「全く、一体なんだというのだ」

 アーチャーはぶつぶつと呟きながら、早朝の町並みを歩いていた。

 ちなみに首は上を向いたままである。もう目隠しはしていないが。

「――アーチャー?」

 と。

 背後から声をかけられ、彼は振り返った。

「ふむ、ライダーか」

 そこには、だれたTシャツにジャージと言う、いたってルーズな格好をしたライダーがいた。彼女はくいっと眼鏡を押し上げながら、いぶかしげな表情で、

「……どうして上を?」

 しごく当然の疑問を口にした。

アーチャーは肩を竦めて――とは言っても格好が格好なだけに全くサマになっていないのだが――、

「どうやら見られるのは好きではないらしい」

「……よくわかりませんね」

 言いながらライダーはアーチャーの横に並んだ。

 早朝の町には人影はなかった。時折サラリーマンが早足で彼らとは逆方向へと歩いていくくらいである。

 しかし、とアーチャーは顎をなでた。

「偶然とはあるものだな。こんな時間にサーヴァント同士が会うなどと」

「……いえ、私の所は少々事情があるので」

 ライダーは陰鬱な表情を隠しもせずに呟いた。

「と言うと、桜か」

 ライダーは頷く。

「ええ。コンビニで買い物を頼まれまして」

「ふむ、すると向かう先は同じということか」

 そうなのですか、とライダーは呟いてから、急に声のトーンを抑えた。

「……何か、ここ数日桜の様子が変なのです。どうやらあまり寝ていないらしく、顔色も悪いですし……」

「偶然だな。凛も――いや」

 アーチャーはそこで言葉を区切った。何かを考えるように、じっと空を見上げる。ちちち、と小鳥が羽ばたいていた。

「……何か、関係があるのだろうか」

 のろのろと首を振りながら、アーチャー。

「そうですね――」

 ライダーもまた同じように、目を閉じていた。

「聖戦――」

 ぽつりと、彼女の口から呟きが漏れる。

「そう……聖戦と。確か桜はそう言っていた」

「聖戦? 聖杯戦争ではないのか?」

 眉をひそめ、アーチャーは聞き返す。

「どうですかね。私にはわかりかねる」

 ふむ、と言ってアーチャーは詰め寄りかけた体を戻した。

 もう一度空を見つめた。そこに何か答えを見出そうとするかのように。そして彼は、慎重に口を開く――

「疲労の隠せない凛に桜。先程まで折っていた紙。そして、聖戦という言葉――」

 確かめるようにゆっくりとキーワードを言い連ね、アーチャーはごくりと喉を鳴らした。

「一体、何が起きているというのだ……?」

 

 

 

「帰ったぞ、凛」

 コンビニエンス・ストアのビニール袋を突き出し、アーチャー――やはり頭は上を向いたままだ――はリビングに入るなり告げた。

 が。

「……凛?」

 凛はいないようだった。ふむ、と呟いてアーチャーは他の部屋を見渡しにいこうと足を右へと向け――

「ありがと、あった?!」

 刹那、首にタオルをかけたままの凛がばたばたと洗面所から飛び出してきた。顔でも洗っていたのか、頬と髪が濡れている。

 額に張り付いた髪をはがしてやりながら、

「ああ、これでいいのだろう?」

 言って袋を広げてみせる。

「うん、そ。ありがと」

 凛は言うなり再び洗面所へと向かい出した。

「すぐ行くから、食べ物広げといてー!」

「ああ」

 苦笑しながら、アーチャーは頷いた。

 リビングに入って、机へ向かう。とりあえず食べ物を置くスペースを確保しようと、適当に近くにあった紙の束をどかそうとして――

「って、待ちなさいよちょっとー!」

 ばたばたばたばた、だんっ! ――げしぃっ!

 刹那、全速力で戻ってきた凛が、走った勢いのまま、ためらうことなくドロップキックをアーチャーにぶちかます!

「ぐお?!」

 たまらずアーチャーは床にばったりと倒れた。それでもなんとか袋は死守したようだったが。

 凛は息を荒げたまま、真っ赤な顔でびしりとアーチャーに指を突きつけた。

「見るなって言ったでしょ?!」

 アーチャーは首を振りながら、

「ち……違う。私はただ、食べ物を置こうと……」

 言って、ふるふると手を震わせながらコンビニの袋を見せてみる。知らないわよ、と言わんばかりに凛は片手を振ると、

「……どっちにしろ、あんた目隠し!」

「またかねっ?!」

 たまらずアーチャーは悲鳴をあげた。

「当然でしょ」

「どういう基準で当然なのかが全くわからないが……」

 のろのろと呟きつつ、アーチャーは体を起こした。

 そこでようやく、自分の頭が元に戻っていることに気づいたようだった。ふむ、と呟きながら、肩に手を添えこきこきと首を回す。

「あーもう、文句いわない!」

「……不条理とは思わないのかね、君は」

「全然全く思わないわ」

 半眼で呻くアーチャー。きっぱりと言い切る凛。

「……凛」

 ――急にトーンを落として、アーチャーは優しく告げた。

「ん?」

 髪をかきあげながら凛は振り返った。反対の手にはしっかりと目隠しが握られている。頬に一筋の汗をたらしながらアーチャーは、

「そろそろ教えてくれてもいいだろう?」

「駄目よ」

 にべもなく、そう告げる。

 その言葉にアーチャーは歯噛みしてから――

「……聖戦」

 ――切り札を使うことにした。

ぼそりと告げたアーチャーの一言に、ぴたりと凛の動きがとまった。やがて、ぎぎぃっ、とぎこちない仕草で凛がアーチャーへと振り返った。だらだらと、顔いっぱいに汗をかいて。

「やはり、関係があるのか」

 してやったりと言うようににやにやと口元を歪め、アーチャーは一歩凛に近寄った。

「凛、聖戦とは」

 至極まじめな顔をして、凛に詰め寄る。そうしてアーチャーは――がっしりと肩を掴んだ。逃げることが出来なくなった凛は、汗をだらだらかいて立ち尽くしている……

 アーチャーは、そんな凛の目をじっと見つめて重々しく尋ねる――

「聖杯戦争と、何か関係が――?」

「あ。それは全然ないわ」

 あっさりと凛は言い切った。

「ないのかねっ?!」

 思わず叫んでしまうアーチャー。

「うん」

 再び簡単に頷く凛。

「なんなのだ……」

 もはや訳がわからなくなったのか、アーチャーは目を押さえて天を仰いだ。あはは、と凛は笑いながら、

「まあ、もう教えてもいいかもね……どうせ当日は売り子や買いにいってもらうし……」

「……ひょっとして、聞かないほうがよかったのかね?」

 指の隙間から目だけをのぞかせて、アーチャーは低く呻いた。

「うん、多分ね」

 指を立てて凛はくすくすと笑う。アーチャーは慌てて、

「で、では私は用を思い出したのでこれで失礼す――」

「アーチャー?」

 それは、ただの呼びかけの声だった――

 が、それでもアーチャーは立ち止まらざるをえなかった。

 凛がこの声を出すときは、

「次回の本は、あんたメインになるわよ?」

 ……決まって、何か良くないことが起こると身をもって知っていたからだった。

「な、なんだかよくわからないがそれはやめてくれ!」

 顔を青ざめさせて、アーチャーは凛に泣きついた。あらー? と凛は口を半笑いにしたまま、

「しかも受けよ?」

「なななな、何を受けるのだねっ?!」

「んー……」

 凛はしばし考えたあと、

「愛?」

「あ、愛っ?!」

 思わず聞き返してしまう。

「まあ具体的に言うと下半身なんだけど」

「どどどどどういう意味なんだねそれはっ?!」

 もはや理解不能になったのか、半泣きになってアーチャーは絶叫している。

 が、そんなことには目もくれずに凛は顎に手を当てて考え込んでいた。

「攻めは……そうね、金ぴかとかなら面白いかもしれないわね」

「ぎ、ギルガメッシュ?! あの男が何か関係あるのかね?!」

 がしっ、と凛の肩を掴んで、アーチャー。

「そうねえ――」

 凛はさっと視線を逸らしつつ、半笑いを浮かべたまま、

「あ、なんか思いついちゃった」

 言ってから……ちらっ、と意味ありげにアーチャーを一瞬見る。

「なんなのだね一体―――――!」

 ますます絶叫するアーチャーは無視して、凛はぽんと手を打った。するりとアーチャーの手から抜け出して、うんうんと頷いている。

「……よしっ、決めた。突発コピーいくわよっ!」

「凛、凛、一体何を――」

 恐る恐る聞き返すアーチャーに向かって、凛は髪をかきあげつつ極上の微笑みを返した。

「ひ――」

 限界ぎりぎりの状態で、アーチャーがふるふると首を振りながら後ずさる。

「じゃあアーチャー」

 びしりと指を突きつけ、凛は言い切る――

「とりあえず、脱いでくれるかしら?」

「い……嫌だあああああああああああああっ!」

 哀れな子羊の絶叫が、朝の住宅街に木霊した――。






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