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涼宮ハルヒの聖戦

 

 

「というわけで!」

 『ばんっ!』と机を叩いたのは、何を隠そう我らがSOS団団長だった。

「キョン、みくるちゃん、いくわよっ!」

「どこに?」

 当然といえば当然の俺の質問に、我らがハルヒ様はちっと舌打ちと共に眉をしかめてみせた。

「キョン、あなた知ってる? 脳ってのは使わないといくらでも寂れるものなのよ! ただオウム返しに尋ねるだけじゃなくてちょっとは自分で考えなさい! というわけでじゃあもうしょうがないからヒントね! えーとね、今は何月でしょう!」

「八月だな」

 考えるまでもない。今が八月なのはカレンダーからも明らかだし毎日毎日続いているうだるような暑さからも推測できる。

「そうね。もしこれが4月だっていわれたら絶対納得いかないわよね。四月でこの暑さなら八月はどうなるのよ、って感じじゃない。でも今大事なのはそう言うことじゃなくて──はい、みくるちゃん!」

 ずびし、と指を突きつけられ、朝比奈さんはびくりと体を震わせた。

「ふえっ!?」

「問題。八月の一大イベントと言えば?」

「えええ? え〜と、お、お盆、ですかぁ?」

「うーん惜しいわね。あとちょっと、10度くらいベクトルをズラせば正解だったわね」

 その数字の根拠が知りたいんだがな。

「八月といえば、そう!」

 そして。

 ハルヒは指を高々と上に付きつけて、

「──コミックマーケットよ!」

 

 

 

「おはよういい朝よね天気もいいし! というわけではいキョンこれね! ぱぱっと目を通してちょうだい10秒ね!」

……地元の駅に着いたとたん、満面の笑顔でハルヒはそう言いつつ俺に紙の束を渡してきた。1,2……全部で5枚か。

 しかし名前を見ると……どうにも色物というか何と言うか。おいハルヒ、なんだこれは。

「サークルリストよ」

 ……それもよくわからないが、で、これは何のサークルなんだ。野球か何かか?

「あんた何言ってんのよ。サークルはサークルよ。まあそこにのっているのは大手と中堅の硬いところだけだけどね」

 全くもって理解不能だが、まあいい。で、このサークルリストさまを俺たちに渡して、どうするんだ。

「買うのよ」

 サークルをか。

「キョン、あんたってつくづくバカよね。なんでも一から十まできちんと説明しないと理解できないなんて絶望的を通り越して哀れみすら感じるわ」

 悪かったな。だがこれは多分普通の人間のリアクションだろうから、まあいいとする。

 ……しかしこのままハルヒに聞いていても埒があかないな。ここは聞く相手を変えることにしよう。朝比奈さん……は、ちんぷんかんぷんな顔をしてらっしゃるな。それなら長門はどうだ。

「……コミックマーケット。年に二回開催される同人誌即売会」

 なるほど、即売会か。まあフリーマーケットみたいなものか。

「全然っ! 違う!」

 わかった。わかったからその手を離せ。このペースでいけばきっと一分後には首と胴がおさらばしてしまう。

「ああもう、これじゃだめだわ! こうなったら実践あるのみよね!?」

 ……嫌な予感がするな。それに、このくそ早くに集まった説明を何も受けていないんだが。

「いいからさっさと移動するわよ! ほらほら早く!」

「き、キョンくん……」

 ああ、朝比奈さん。そんな潤んだ瞳で見上げられても俺にはどうしようもありませんよ。

「あ、古泉くん、チケットは?」

「ええ、ここに」

 チケット?

「サークル入場チケットよ。これがあればわざわざ行列に並んで入らなくてもいいのよ」

 ほう。それは便利アイテムだな。

「そうよ。古泉君に感謝しなさいよね、キョン?」

 そうだな。いや、本当にそうなのか? 

「……いやいや、あれを手に入れるのにはなかなか苦労しましたよ。組織の中に関心のある者がいたからよかったものの……」

 だから、全然わからん。

 と言うより、なあ、少しいいか。

「なんです?」

「ひょっとしたら、お前をどうかしておけば、事態の進行はもう少しましな事態になったのか?」

「まさか。炎天下の中何時間も外に並んでストレスが溜まる涼宮さんをみたいとでも?」

 いやだから、こっちは事態が全然理解できないでいるんだ。どこからともなく親切な人が出てきて俺にもわかるように説明して欲しいものである。

「あーもういいわ。うだうだ言ってないでこっち来なさい! いいキョン? あなたがやらなければいけないことは一つだけ! このリストに書いてあるサークルのところにいって! そして本を買ってくる!」

 二つだな。

「うるさい! いいから買うのよ、いいわね!? 特に黄色の蛍光ペンが引いてあるところは絶対に買い逃がしたら駄目なところなんだから、いいわね!」

 全くもって何もよくないのだが、ここで頷いておかないと後々大変なことになりそうなのでひとまず頷いておくことにしよう。

「それにしてもあれなのか。段々わかってきたんだがな、古泉」

「はい?」

「……要するに、おつかいなのかこれは」

「そうですね。ただし失敗した場合には特大の怒りを買うことが確実なおつかいですね」

 古泉はそう言って、軽く肩を竦めた。

 お前はどこまでこれについて把握しているんだ?

「そうですね、まあ人並みに……とだけ言っておきましょうか」

 言って古泉はこれ異常ないほど完璧なウインクを俺にしてみせる──

 ……今にして思えば。

 このときに引き返しておくべきだったんだと俺は思う。






 

 そして、そんな俺の思惑とは別に、事態は着々と進行していったのだった。同時に俺のほうもまた少しずつではあるが何が起こっているのかを把握出来てきたような気がする。

 まず事の起こりは昨日だ。夜にあいつから電話がかかってきたと思ったら、『有り金あるだけ持って駅前に始発前に集合ね! 遅れたら死刑!』という、なんともまあ脅迫以外の何にも取れないようなセリフを吐いて俺の質問や抗議その他もろもろを一切カットして一方的に電話は切れた。もう一度確認する勇気も元気も最早なくした俺は不貞寝気味に就寝。そして翌朝、無事に目覚ましで飛び起きた俺は朝飯も食わずに駅前へとやってきたのであった。

 しかしこうして考えてみると我ながらお人好しと言うか何と言うか。いや、逆らえば待っているのは罰ゲームであるということを除いてもよくやっていると言ってもいいのではないだろうか。ハルヒのやつが突拍子のないことを突然のたまうのは今更ではあるが、しかし朝がここまで早いのはさすがにしんどいものがあるな。

 ともあれ、電車を乗り継ぐこと一時間強、だんだんと増える人ごみと嫌な予感に苛まれつつ、かくして俺たちは目的地の駅に到着した。そこで待っていたのは、見渡す限りの人、人、人──。一体どこから湧いてきたんだってくらいの人の群れだった。いや、おかしいだろ? いくらなんでも物事には限度ってものがあって、世の中ってものはそれを超えないように大抵上手く出来ているものだと俺は思っていたんだがな。どうやらここでは、と言うよりハルヒたちと行動する限り、その常識は全く通用しないらしい。

何か大切なものをひとつ頭の中から失いながらも、俺たちはどこまでも続く人の列をよそに会場へと続く階段を上っていった。

 

……しかし朝っぱらから凄い人数だな。

「そう? 大体こういうイベントってこんなものでしょ」

 知らん。知りたくもない。

「す、すごいですねぇ……」

 ぽかんと口を開けて朝比奈さんはしきりにきょろきょろと落ち着きのない様子で辺りを見渡している。見ろハルヒ、これが一般人の反応だ。

「…………」

 長門に関してはいつも通りの無表情。古泉もまたいつも通りのにやけ面だ。いつものこととは言え、たまには立場が逆転するなんてことはないんだろうか。微妙な不条理感などを頭の隅に覚えつつも、さらに移動していく。で、そこもやっぱり人がわんさかいたわけだ。人の波に飲まれそうになる朝比奈さんを必死にかばいつつ、俺たちは自分のスペースへと移動。なんと2つ分確保しているらしい。なあハルヒ、そんなに場所が必要だったのか?

「そうね。まあ場所もあるけど、2つ分じゃないとこの人数は入れないじゃない」

なんだ、チケットには人数制限があるのか。いや、待て。その口ぶりだと、まるで入場するためにチケットを買ったような口ぶりなんだが。

「買ったんじゃないわよ。当選したの」

 当選? クジか何かの景品なんだろうか。全くもってよくわからないままだな。

「あ、ちなみに余った分はさっき売ってきたから。はいこれみくるちゃん、おつり用に使ってね」

 言いつつハルヒが手渡したのは、5000円札3枚。……おいハルヒ、一体いくらで売ったんだ?」

「ん? いくらだと思う?」

 いや、怖い結果が出そうだからやめておこう。それからこのチラシの山はどうするんだ。いるのか?

「ああ、それいらないから全部捨てて」

 了解した。とりあえず山のように置かれていたチラシを片付けていると、ハルヒの奴がおもむろにDVDを大量に取り出して見せた。タイトルは、いや、言うまでもないかもしれないが、『朝比奈ミクルの冒険 episode00』そのものである。どうやらハルヒの目的は、この会場でこれを売りさばいてしまおう、と言うものらしかった。……しかしハルヒ、値段設定が5000円というのはどう考えてもぼりすぎではないだろうか。隣近所を見渡してもせいぜいが1000円、2000円だぞ。

「いいのよこれくらいで。安売りなんて許さないんだからね」

しかし売れなかったら意味がないと思うんだがな。ちなみに机の下にはすでにこれと同じダンボール箱が3つある。合計4箱か。一箱にどれくらい入っているのかは知らないが、これを全部売り切ったとすれば相当な売り上げになるのではないだろうか。

「売れるわよ。まあ見てなさいって、キョン」

 ……毎度のことながらどこからこの自信は湧いてくるんだか。

「さあ、設置も整ったことだし、じゃああとはみくるちゃん、お願いね!」

 行って、ぽんっ、と朝比奈さんの肩を叩くハルヒ。

「ふえ?」

 目をまん丸に見開いて呆然としている朝比奈さん。いや、それも無理もない。おいハルヒ、まさか朝比奈さんを一人にするんじゃないだろうな。

「当然じゃない。店番なんて一人いれば十分なのよ。それに、キョンと古泉くんにはさっきのリストを買ってきてもらうんだからね!」

 ああ、さっきのあれか。もう記憶の彼方に置き去ってきたかったんだがな。

 ハルヒはさっきの用紙の中から地図が印刷してあるものを取り出すと、ペンでぐりぐりと印を付け始めた。

「いいキョン。まずはルートを決めるわよ。キョンは今から東に行ってまずこことここを行って、で、次にここからここまで全部流して買ってきてちょうだい」

 何かトンデモナイことをさらりと言われた。

 いや待て。それ以前にだな、ハルヒ。問題があるぞ。

「何よ。私の決めたルートに間違いなんてないわよ」

「いやそうじゃない。手持ちが全然ないんだ。物を買おうにも金がないとだな、」

「なんでないのよ。有り金全部持ってきなさいって昨日言ったじゃない」

「あんな言い方されてはいそうですかと大人しく持ってくる奴がいると思うのか。……とにかく、現在の俺の持ち金は……3000円しかないぞ」

 普通の学生生活を送る分には何も問題がない金額ではあるが、会場入りしてからここまでで観察した限りでは、ここの物価は俺のよく知っているものとは違うようである。売っているのはマンガやらゲームやら、そしてあまり大きな声では言えなさそうなものではあるのだが、いかんせん高い。どうやらこの手持ちだと本を4,5冊買ってしまえばすっからかんになってしまうようだ。

「何よそれ問題外じゃない。──ああもうしょうがないわね、じゃあキョン、これね。はい、古泉くんにも」

 言いつつハルヒが渡してきたのは千円札50枚。……おいハルヒ、これは何かの嫌がらせか。一体お前は千円札にどんな思い入れがあるんだ。

「それでいいのよ。──いいキョン、さっき言ったとおりのルートでいくのよ。普通に行けばちょっと並ぶかもしれないけど問題なく帰るはずだからね」

 ちょっとってどれくらいなんだ。

「そうね。まあ一時間かかからないんじゃないかしら」

 今すぐUターンして帰るという申請は。

「却下よ」

 ああもう、この団長さまはなあ……。

「まあまあ。これで涼宮さんの機嫌がよくなるんだからいいではないですか」

 それに対する労力が半端なものじゃない気がするんだがな。それにしてもお前、なんだかやけに楽しそうだな。

「そうですか? いつもこんなでしょう」

 まあ別にいいが。

「き、キョンくん〜」

 震える声に振り返ると、そこにはいつの間に着替えてきたのか、いつものメイド服姿になった朝比奈さんがいた。ああ、その姿を見れただけで今日の今までの不条理やその他もろもろが一気に消し飛びましたよ。今ハルヒの奴から受け取った五万で、遊園地にでも繰り出したいところである。近場にあるみたいだしな。

「あのぅ、これを着て売り子するんですかぁ?」

「そうよ。その方がお客が集まるでしょ?」

 対するハルヒの口調には迷いのかけらも感じられない。だがまあハルヒはハルヒなのだからしてそれは当然なのである。

「で、でも……」

 恥ずかしそうに体をもじもじとさせる朝比奈さん。何かを言いたげな瞳でこちらを見ていられるのだが、すいませんが俺にはもうどうしようもないです。

「……気をつけて」

 くいくい、と小さな違和感を左腕に感じて振り返ると、長門がそう囁いていた。そういえばお前も買い物班なんだな。

「……東の456が私の担当」

 そうか。お互い大変だな。

「あなたのほうが大変」

 ……そ、そうか。まあなんとかしよう。

「さあ皆、いくわよ!」

 そういえばハルヒ、お前は何をするんだ?

「秘密よ」

 ……そうか。まあもうこの際どうでもいいがな。

 

 かくて──

 

 

 

「キョン! そっちじゃないっ! スペースは右端でも列の終点はずっと先──」

「なにぃっ!?」

 ハルヒのよく通る声に、俺は慌てて反応する──

「ああもう出遅れてる! 走りなさいよキョンー!」

 楽しそうに笑いながら叫ぶハルヒ。太陽のような、と形容するにふさわしい、見ているこちらが晴れ晴れするほどの笑顔だった。

「お前こそな!」

 俺もまた勢いよく叫ぶと、くるりと身を翻して走り始めた。

 

 

 

 4つ目のサークルの列に並ぶころには、俺にも大体コツがつかめてきていた。まあコツといってもただ並ぶだけなのだからして、要するに割り切りどころを見つけたと言ったほうが正しいのかもしれないのだが。

「お、お願いしま〜す、買ってくださ〜い……ふぇ〜ん……」

 聞きなれた声がして横を振り向くと、そこにはなさけない声をあげて呼び込みをしている朝比奈さんの姿があった。見事なまでの愛らしさだ。今すぐ助けに駆け寄りたい気持ちはあるのだが、いかんせんそれをやってしまうと列に並んだ数十分が無駄と帰してしまうからして、それは出来ない。であるからして俺に出来ることといえば、こうして見守りつつ心の中で祈ることくらいなのであるが──。

「ご、5000円? ぼ、ボッタクリにもほどがあるん、だなっ」

 と。たまたま立ち寄った風の汗だくの男がいい、隣にいたひょろ長い男がそれに同意した。

「そうでござるな。パッケージを見る限りではそこそこのようではありますが──やれやれ、もう少し相場というものを勉強してから出直してきてほしいもので、」

「──ふっ、甘い! 甘すぎるな凡人共!」

 声は唐突に振ってきた。

『な、何ぃっ!?』

 慌てて周囲をみわたす男二人、プラス朝比奈さん。声の主は見慣れない男だった。男はすたすたと歩きつつ、

「高い、では買わないで終わるから貴様たちは駄目だといったのだよ! そこで止まるから貴様たちはいつまでもランクBから脱出できんというのだ! 高い、ではなぜ高いのか──? ……よく考えてもみたまえ。そしてよく観察するのだ。まずはこの机の下! ダンボールが3箱だ。大手、いや、中堅でもないのにこの量というのは確かに一見無謀にも思える。しかーし! 作り手がそれでも大丈夫だという自信があるのだとしたら? だからこそのこの値段なのではないのかっ!? デモムービーもなしでこんな値段設定をすれば確かに一見の客は寄りつかまい! しかし、それは逆を返せば常連だけでこのくらいはさばけるという自信の裏返しでもあるのではないのか!? ならば問おう──! ……これは、買うべきか。それとも買わざるべきか? ──さあ、答えるのだッ!」

「か……買う、なんだな」

「買う…………で、ござるよ……っ」

 言いつつ、五千円札を取り出す男たち。

 ……まさかあれが本当に売れるとは。

「ふっ。そうだ。それが正解だマイブラザーたち……!」

 そういい捨てて男はどこへともなく消えていった。一体何だったんだろうか。

「あ、あのぅ、ありがとうございました……」

 控えめに微笑する朝比奈さんの笑顔は、無論のこと、これ以上ないほど可愛いものだった。

 

 

 

「──落とした……? ちょっと待ちなさい、落としたってどういうことよ!」

 6つ目の列に並ぼうとしていると、聞きなれたそんな声が飛び込んできて俺は反射的に顔を背け、そしてきっかり一秒立ってから嘆息とともにそろそろとそちらを向いた。

 そこではハルヒが見知らぬ男に掴みかかっていた。俺は即座に他人の振りを決め込もうと決意した。

「で、ですから! 原稿は間に合いませ──」

「冗談じゃないわ! 原稿を落したですって!? ……なんてサイアク、ありえない。いいえ、もっと許せないのは、それならそれできちんとホームページに書くべきよね!? でも昨日チェックしたらそんな記事はどこにもなかった! そうよ、なら本は当然あるはずよ! そうに決まってる! さあ本を出しなさい! 今すぐに! さあどこっ!?」

「ひいっ!? そ、そんなこといわれても──」

 止もうとしないハルヒの怒鳴り声を耳にしつつ、俺は全速力の早足でその場を後にした。

 

 

 

「ここも──ここもっ! どうなってるのよ、なんで皆落ちてるの!? ありえない、ありえないありえないありえない……!」

 7列目に並んでいると……おい、またか。しかも今度は長門もいたか。

「ここははけがいいので私も担当」

 そうか。特に知りたくもない情報だったんだがな。

「おい長門、ハルヒの奴、どうしたんだ?」

「目当てのサークルが軒並み本を落していたため、ストレスが溜まってきている様子」

「……近寄りたくないな」

「……本は買えた?」

 二度だけ首をかしげて尋ねてくる長門に、俺は苦笑する。

「いや。直前で売り切れた。……しかし、この状況で報告はしづらいな……」

「……そう」

 ぽつりと長門が呟くと同時に、ハルヒがこっちに気づいた。びしりと指を突きつけつつ、ずんずんと大股で近寄ってくる。

「あーキョン! ちょっとまだそこ並んでいるの!? 遅いじゃない! 当然本は買えたんでしょうね!?」

「げ、まず──」

 思わず後ずさろうとした俺の服の袖を掴み、長門が口を開いた。

「──待って。これ」

 そこにあったのは一冊の薄い本だった。

「これ……って、俺が買えなかったヤツか? どうやって──」

 聞き返すと、長門は淡々と、

「……情報統合思念体にアクセスした。創造の理念を鑑定し、基本となる骨子を想定し、構成された材質を複製し、製作に及ぶ技術を模倣し、成長に至る経験に共感し、蓄積された年月を再現したもの」

「よくわからんが、よし、これでハルヒの奴の機嫌も直るはず──!」

 そして俺は、内心安堵しつつ、こちらに近寄ってくるハルヒを待った。

 

 

 

「キョ、キョンくんたすけっ、はうううぅ……っ!?」

「一枚──いや、二枚! その萌え臭のするDVDを、ワレに!」

「ふざけるな! こちらにきまっているッ!」

「ひぁぁぁぁぁぁ……」

 か細い声とともに人ゴミに飲み込まれる朝比奈さん。……って、なんなんだこの惨状は。

「……涼宮さんの無意識化のストレス──とかは全く関係なしに、単にうわさが先行して……ってことらしいです」

 声に驚いて振り返ると、そこには──。

「あ、貴女は……朝比奈、さん……?」

 この声、そして体型。見間違うはずもない。朝比奈さん(大)だった。彼女はぱちりとウインクをしてみせると、

「お久しぶりです、キョンくん。詳しいことはまた後で話しますね──さあ、ここは私に任せて? ふふっ、キョンくんはやらなくちゃいけないことがあるんでしょう?」

「は、はい──!」

 そして。

 俺はやはり早歩きで、次の列へと向かった。

 

 

 

 そろそろ重くなってきた紙袋の中身を確認していると、どこからともなくふらりと現れた古泉が張り付いたような笑顔を曇らせながら近寄ってきた。

「遅かった……巨人が出現しました。しかも今度のは今までの比ではないようです……」

 ……どうやら最悪の事態になったらしい。古泉、俺もいくべきなのか?

「行ったところで──言葉は悪いですが、貴方には何もできません。それよりは、こちらの世界に留まって、可能な限り涼宮さんの機嫌を損ねないようにして欲しいですね。それが僕にとっても大きな助けとなるはずですから」

「わかった。古泉、大丈夫なのか」

 さすがに不安になって声をかけると、古泉は苦笑したようだった。

「ええ。まあ、大丈夫……と言っておかないといけませんからね。……では、すいませんが涼宮さんをお願いします」

 言って古泉は俺に紙袋を手渡してくる。

「ああ──わかった」

 頷く俺に、古泉は背中を見せつつ、ぽつりと呟きを残す。

「出来れば──僕は、普通にコミケを楽しみたかった……」

「お前……そうか、お前は」

 目を細めて呟く俺に、小泉は背中越しに苦笑しつつ、

「……隠れオタク。そう……僕達のことを呼ぶ者もいるようですね……」

「古泉……」

 俺の呟きを背に、古泉はどこへともなく歩いていった──。

 

 

 

 とにかく現状は大きく変化していた。もうのんきに買い物だの列に並ぶだのと言っている場合ではないようだ。なら、今一番しなくちゃならないことは一体何だ? 

 考えろ、考えろ、考えろ。

 全ての原因はハルヒの提案から始まった。なら、この状況を終わらせるには? 一体どうすればいい。

「いた。待って」

 ──長門!

 横手から伸びた手が、俺の服の裾を掴んでいた。長門だ。そうだ、こいつならきっとなんとかしてくれるに違いない。

「長門! おい長門、どうなってるんだ?」

 長門はわずかに首を傾けて、

「無意識化のストレスの増大、及び空間歪曲、次元結合が同時に起こっている様子」

「……よくわからんが、とにかくむちゃくちゃだってことだな?」

「正解」

「わかった。で、聞かせろ。この状況を打破するにはどうしたらいい──?」

「………………………。」

 沈黙。長門は黙ったまま言葉を発しようとしない。

「……おい、長門」

「あなたなら……」

 言葉を僅かに言いよどんだようだった。なんだ、何か言いにくいことでもあるんだろうか?

「? 一体何の話を」

「──30秒待って」

 一方的に長門は行って、おもむろに古泉から託された紙袋を手に取ると、その中身をもう一つ俺がもっていたほうへと移した。それから空になったほうの紙袋の中に片手を突っ込むと、何かを小さく呟き、目を閉じた。と同時、わずかに腕が光り、中に光の粒子が生まれ、そしてそれが次第に形を取っていく──本だった。

「……出来た。これを、持って行って」

 差し出してきた紙袋を受け取ると、ずしりとした感触が返ってきた。

「これって……おい、これ、全部お前が作ったのか?」

「そう」

 頷く長門の表情は相変わらず揺れることもない。

 ……そうだ。あいつのストレスが溜まっている原因は本が手に入らないせい。なら、その原因をつぶしてやればこの状況は解決するはず。

「……でも変だろ。基本的に、あいつは望んだものは全て形になるんじゃないのか」

「涼宮ハルヒには極めて常識的な一面がある」

 ああ、そうだな。それは前にも聞いた。それが今回にも当てはまるっていうのか?

過度の知識(・・・・・)がこの状況をもたらしたものと推測出来る。涼宮ハルヒはこのイベントに参加するのは始めて」

 ──そうか。つまり2スペース取れたのもあいつの願いだっていうんなら、大手が軒並み本を落とすような事態になったのもあいつのせいだってことか。

「正解」

 ──ああもう、なんだかな。結局は自爆じゃないか、これ。

「否定はしかねる」

 ああ、そうだろうな。まあしかし、とにかくこれで対抗策は見つかったわけだ。なら、あとはこれをさっさとハルヒにデリバリーして任務完了だ。そうだろ?

「そう。……いって。早くそれを渡して」

「……わかった! ──おい長門!」

「何?」

「──帰ったら、部室でこの同人誌、皆で読もうな!」

「…………ん」






 

「はっ、はっ──」

……走る、走る、走る。

目指すは俺たちのスペースだ。

人ごみをかきわけ、俺はスペースの中に駆け込むなり声を張り上げた。

「ハルヒ! おい、これ! もらって……じゃない、買ってきたぞ!」

「あらキョン。随分おそかったのね」

 スペースにはハルヒだけがいた。やけに不機嫌そうな表情だった。朝比奈さんはどこかに行ったのだろうか、姿が見えない。さっきはあれだけいた客ももういなかった。よく見ると、机の上には完売と書かれた紙が置かれていた。──夢でも幻でも見間違いでもなんでもなく、どこからどう見ても完売である。おいおい、あの量が売り切れたっていうのか? 

「売れたのか。全部」

「売れたみたいね」

随分とつまらなそうに言ってのけてくれる。開始当時のあの笑顔はどこに行ったんだか。

 俺はふうと息を吐き出してから、手にした紙袋を突き出して見せた。

「ハルヒ。ほら、見ろよ、ちゃんと買ってきたんだぞ」

「ふうん、でもそれならもう持ってるわ」

 言って、ちらりとハルヒが段ボールに視線を送る。……そこには山のように詰まれた本があった。俺は慌ててその中身を確認する。……待て。この本は俺がさっき買ったものだ。俺の担当していた本がどうしてもうすでにここにある?

「ああ、さっきDVD買いに来たお客がね、代金代わりにおいていったのよ。なんだかみくるちゃんのことを一発で気になったとか言ってね。金に糸目は付けない、とか言いつつお金全然持ってなくて。意味わかんないわよね。なんでも本買いすぎて残ってなかったらしいけど、そのくらいの管理はしっかり自分でしておくべきだわ。で、まあとにかくそれならその本と交換でいいわっていったらあっさり納得して、こうなったってわけ」

 なるほど。まああっさり納得しての部分はかなり怪しいとは思うがそういうことにしておくか。

 ……待て。ということは、古泉はどうなったんだ?

「……おかげさまで無事ですよ。と言うより、恐らくは担当が替わるということになるかと」

 そんな軽快な声が、俺の後ろから飛んできた。

「……ほう」

 俺は半眼でゆっくりと振り返り、思い切り顔をしかめてみせる。

「いやはや、助かりましたよ」

 そこには俺の予想とおり、いつも通りの爽やかスマイルを浮かべていた古泉がいたわけだ。

「……おい、それにしてもハルヒのあの本は」

「そうですね。恐らくそう涼宮さんが望んだから──というわけでしょうね」

「やっぱりか」

 舌打ちする。と、視界の端にこちらに向かってしきりに合図している人影が入った。見ると、そこには帽子を目深に被った朝比奈さん(大)がいた。古泉に断ってから俺はそちらに向かう。

「……キョンくん、こっち」

 朝比奈さん(大)は俺の腕を引くと、移動を開始した。

「あ、朝比奈さん?」

「もうわかってると思うけど……キョンくん。未来が……大変なことになっているの」

「……どういうことです」

 朝比奈さん(大)は振り向くことのないまま、静かに続けた。

「夏、冬。一年に二回訪れるこの戦争で、決まって次元の大きなゆがみが発生しているの。ゆがみは次第に大きくなってきていて──わたしたちのいる世界では、もうコミケは存在意義をなくしている。このままでいけば、きっと十年後には、もう……」

「そんな。なら、どうしろっていうんです」

「──やりなおさせましょう」

 そこでようやく足を止めて、朝比奈さん(大)は振り返った。

「涼宮さんを──この道に入らせるまえに、止めるんです!」

 

 

 

 止める。ハルヒがこちらの道に興味を示す前に、その原因をつぶすのだ──と朝比奈さん(大)は言った。

 確かにそうすればハルヒがこんなところに来ることもなくなるわけで、そうすれば年に二回の世界規模の歪みの発生も回避できるわけだ。勿論それで問題が全て解決するわけではなく、例えばもっと根本的な問題、つまり涼宮ハルヒがなぜか持つ、自分の好きなように、そして無意識のままに世界を改変する能力そのものが消失するわけではない。

「禁則事項だからあまり多くを言うわけにはいかないの。でも……この改変を行うことで、世界はもっとずっと安定することになるの」

 まあそれはそうだろう。ただでさえ色んなことが起こっているのだ。潰せるものから潰していくというのは実に理に適っている。

 でも──

「……これで、いいんですかね」

 ……俺は呟いていた。

「え?」

「確かにこれで過去を修正すれば、アイツはこっちに来ることなんてないかもしれない。けど──」

 

「ああもう出遅れてる! 走りなさいよキョンー!」

 

あのときの笑顔。

 あの顔をみて、俺は。

 俺は確かに、思ったはずだ──

「……違う。こんなことで、あいつからこの思い出を取り上げていいはずなんか、ないんだ」

「キョンくん?」

 不思議そうに顔を覗きこんでくる朝比奈さん(大)にうな垂れるように頭を下げて、俺は自分に言い聞かせるようにして呟いた。

「……すいません朝比奈さん。でも、これだけは俺、出来ません。だって俺ももう、アイツと同じ場所に立っているんです」

 ──そう、決めたはず。SOS団なんていうわけのわからないものに所属した時から、きっと俺の決意は決まっていたはずなんだ──

「──俺は、ハルヒに笑っていて欲しいんだ。そうだ、簡単なことだったんです。なのに──くそ、なんでこんな」

 頭を振る。視界の端で朝比奈さん(大)がくすりと笑っていたような気がした。

「……そっか。」

「……朝比奈さん?」

 しかし彼女はゆっくりと首を振ると、

「ううん、こっちの話。……じゃあキョンくん、時間移動はしないで、このままでいいのね……?」

「すいません、折角助けてもらえるはずだったのに」

 再度頭を下げると、朝比奈さん(大)はぱちっとウインクをして、

「大丈夫。確かにキョンくんの選んだ道は大変なものだと思うけど──でも、道が途切れてしまっているわけじゃないんです。だから……後は、キョンくんと、涼宮さんたち次第」

 言いつつ、朝比奈さん(大)が俺の首筋に触れる。柔らかくて少しひんやりとした感触──それと同時、意識がぼやけて視界が薄れていく……

「……がんばってね、キョンくん」

 薄れいく意識の中で。何かが頬に触れたような──。






 ……気づいたときにはもう朝比奈さん(大)の姿はなかった。どうやら意識を失っていたようだが──時間を確認するに、それは一分かそこらのことだったようだ。俺は時計を確認してから慌ててスペースへと戻りはじめた。

 朝比奈さん(大)の誘いを断ってまで俺が何かをしたかったってわけでもない。ただ単に癪だって、それだけだったんだと思う。何せ、これから俺がアイツに言うことは本当にどうしようもなくて、本当に──

「──ハルヒ! おい、ハルヒ!」

「あらキョン。どこ行ってたの? もうすぐ終わりよ?」

 きょとんと見上げてくるハルヒに詰め寄り、俺は声を潜めた。

「いいから聞いてくれ、大切なことなんだ。──ああ、お疲れのところすいませんが朝比奈さんもお願いします」

「は、はいぃ……」

 ふらふらとなりながらも、朝比奈さんが身を起こす。古泉も横にいる。長門は──ああ、いた。全く、いつの間にか選ってきたんだか、うちのスペースの端にちょこんと腰掛、黙々と本を読んでいらっしゃる。全員がいることを確認してから、俺はもう一度言うべきことを頭の中で反芻した。

「で、何よ」

 聞き返すハルヒの目を見ながら。俺は大きく息を吸い込み、一言一句はっきりと告げる──

 

「──本を作ろう」

 

 ──と。

「は?」

 ハルヒは眉を潜めて聞いてきた。

 朝比奈さんは息を飲んでいた。

 古泉はにやけたままだ。

 長門に関しては本から目を上げようともしない。

 俺は構わず続けた。

「……今回売ったのは文化祭のために作ったDVDだ。そうじゃなくて、きちっとコミケのために本を作るんだ、ハルヒ」

 こん、こん──と机を叩きながら、俺はゆっくりと言って含める。

「それもただのサークルじゃないぞ。小説サークル、しかもオリジナルだ。実は内容もある程度は決まっている。登場人物の名前もだ。──どうだ凄いだろう」

「……ふうん」

 呟いたハルヒの表情は、俯いて髪に隠れていてよくわからない。

 「で、タイトルは?」

「え?」

「タイトルよ。当然それも決まっているのよね?」

 そう聞き返しつつ、ハルヒは顔を上げて、俺の目を見つめてきた。

 ──その表情は、つい先ほどどこかで見た、俺のよく知るアイツのものだった。

……一瞬。

迷ったのはほんの一瞬だった。

 俺は悪戯っぽい笑顔を口元にたたえたまま、

「そうだな、じゃあこんなのはどうだ──?」

 そして────。

 

 

 

「で、結局元通りになったってことでいいんですか?」

 会場から駅までの帰り道、前を行く三人を目に止めながら、俺と朝比奈さんは並んで話していた。彼女はしばらく何かを確かめるように小さく頷いていたが──やがてぱっと顔を輝かせると、

「……うん、大丈夫。今のところは……。でも、これからが大変ですよ」

「そうですね──」

 俺は苦笑した。

「──まあ、でも」

 言いつつ、古泉のような仕草で肩を竦めてみせる。

「楽しそうじゃないですか」

「そうですね」

 うふっ──、と朝比奈さんは柔らかく笑った。

「こらー、キョン、みくるちゃーん、早くいくわよー! もうお店予約とってあるんだからねー!」

 前方から、があーと両手を挙げた団長さまのお怒りの声が飛んでくる。

「あ、はーい」

 朝比奈さんは弾かれたようにぱっと顔を上げるとそう返事をして駆け出し──そして、何かを思い出したように、ふとこちらを振り返った。

「あ、キョンくん」

「なんです?」

「それにしても、あの題……ひょっとして、ノンフィクションですか?」

 くすくすと笑いながら尋ねてくる朝比奈さんに、俺は今度こそ苦笑を返しつつ、

「大丈夫ですよ。どうせフィクションにしかなりませんから」

「それもそうですね。ふふ……っ」

「おーそーいー! もうっ、早く来なさいって言ってるでしょう?」

「悪い悪い」

 適当に謝りつつ、俺は我らが偉大なるハルヒさまの下へと駆け出していく──

 夕日の沈む中、五つの影が伸びていた──。



ハルヒAR


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