(ふた)つの炎が揺らいでいた。

 風すらもがないその空間の中、炎はゆれ、舞い――そして繋ぐ。

 世界。

 全てを焦がすような赤と、

 全てを飲み込まんとする黒。

 二つの色がそこに在り、そしてそれが全て。

 ――そこは、奇妙な世界だった。

 誰もいない。

 ただ一人、世界の主たるアーチャーだけがいる。

 あるのはただ、無数の剣と宙に浮かぶ歯車のみ。

 世界を埋め尽くさんばかりに、数え切れないほどの剣が地面に突き刺さり、無限に広がっている。

 だと言うのに、何もない。

―― この(・・)世界(・・)()()()()ない(・・)

「固有結界……なんて」

 呆然としながら、イリヤは呟いた。

固有結界――禁忌の中の禁忌と言われる魔術。魔術というよりはむしろ魔法に程近い性質を持っていると言われており、その効果は、術者の深層世界を具現化させるものと言われている。

もし協会がその事実を知れば、即座に封印指定となるような代物である。

「じゃあ、貴方は」

 イリヤはのろのろと、アーチャーを見据えた。

 ――この男は、弓兵(アーチャー)などではなく。

「魔術師……いえ」

 吐き出すように眉をしかめて、少女は嫌悪を表情も隠さず、吐き捨てるように続けた。

「……魔術使い」

 イリヤの呟きには、アーチャーは反応しなかった。

 少女にその赤い背を向けて。

 未だ起き上がろうとしない巨躯(バーサーカー)にただ目を向けている。

 それをぼんやりと見据えながら――少女は呟いた。

「なんて……寂しい、世界」

 その言葉が聞こえたのか――

 アーチャーは一瞬目を伏せると、苦笑とも自嘲ともつかない笑みを浮かべた。

黙したまま、手近にあった剣を無造作に浮き上がらせる。

「さて――」

 アーチャーの言葉に合わせるように、剣は宙に浮かんだまま、ゆっくりとその切っ先をバーサーカーへと向けた。一歩前へと足を踏み出す。

 じゃりっ……

 ――その足音か、それともその闘志にか。

――どちらに反応したのか、バーサーカーの体が蠢いた。

 ――全身に圧倒的な力をみなぎらせ、斧剣を手に赤い弓兵へと向き直る。

――その目に宿るのは、抑え難い圧倒的な凶気と、それに勝らざるも劣らない不屈の闘志。

「■■……」

 啼き声が響く。その体に傷は最早ない。目ぼしい傷はとうに修復が終わっている。

「■■■■■■――――!!」

 轟――!

 それは、どこまでも純粋な叫び声だった。

 城全体を揺るがすような叫び。

 ――怒り。

 その声は、怒声だった。

「ふむ」

 その声はあくまでも涼やかに、

「では、」

 その瞳はどこまでも真っ直ぐ、バーサーカーを貫いている。

「行くぞ――!」

それが宣言。世界の主たる赤の弓兵(アーチャー)は、その剣を以って彼の者(バーサーカー)を貫かんと、剣を投擲する――!

「■■■■――!」

 バーサーカーは叫んで斧剣を握り締める。その雄たけびが自身の証だと言うように、ただ吼えながら、赤い弓兵を受けて立つ。

 光を纏い、剣がバーサーカーへと矢の如く迫り――

「■■■!」

 ――ギィンっ!

 初撃を、斧剣を以ってはじかえす。

「ならば、倍」

 アーチャーは二本の剣を浮かび上がらせる──刃は切っ先を動かし、獲物を狙い定めると、残像を残して飛び掛る。

「■■■■っ!」

 ギ・ギィンっ!

 やはり結果は同様。バーサーカーは剣を弾きながら、ゆっくりとアーチャーの元へ進んでいく……

 だが、赤い弓兵は落ち着いた声色で宣言する。

「それなら次は――、沢山(・・)だ」

 言うと同時――、

数え切れないほどの無数の剣が、宙に出現した。(あるじ)の命に従うが如く、大小様々な剣の切っ先がチキチキと音を立て、黒の巨人(バーサーカー)を串刺しにせんと狙いを定める――

「……なによ……なによ、これ……」

 イリヤが呆然としながら呟いている。

──いくら全サーヴァント中最凶と言われるバーサーカーであろうと、これだけの数の宝具を一気に食らえば、タダですむはずがない──

 ――それは奇妙な光景だった。

 ――圧倒的な力を携えた巨人が、その動きを止めている。

 ――前後左右、上空にまで張り巡らせた剣の中、バーサーカーは微動だにしない。

 ――それは、まるで――

「バーサーカーっ!」

 絶叫。イリヤが思わずバーサーカーに駆け寄り――

「■■■■■■■――――!」

 轟音。狂戦士が世界そのものを振動させるが如く絶叫し、抗おうとする――

「――終わりだ」

 宣告。アーチャーのひどく落ち着いた声が涼やかに木霊する。

「もう止めて――っ!」

 涙。 銀髪の少女(イリヤスフィール)の張り裂けるような絶叫すらかき消して――

 閃光。膨大な光が、弾けて飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 カラン……

 一振りの剣が床に落ち、そして静かにその姿を消していく……

「……嘘」

 呆然とした呟きが零れ落ちる。

「バーサー、カー……」

 イリヤはその場に立ったまま、未だ煙が蔓延している場所を見つめていた。

「――ふう」

 やや疲労の滲んだ声が聞こえ、イリヤはのろのろと目の前の男に視線を移した。

 ――アーチャー。

 赤い、弓兵。

 それを目にして、少女の唇が噛み締められる。

 ――すでに固有結界は消え、景色は瓦礫と埃にまみれた城内のものへと戻っている。

「しかし、まいったな。まだ残っているのか」

 煙の中を見据えながら平然と呟くアーチャー。

 ──バーサーカーはまだ死に絶えてはいなかった。先ほどの攻撃で命のストックを大幅に削りはしたが、いかんせんその全てを奪い取るには足りなかった。とは言え、巨人の姿は無残なものへと変わり果てていた。大小さまざまな傷が体のいたるところに刻まれている。最も損傷の激しい部位は頭部だった。両目は潰れ、喉もぱっくりと切り裂かれている。斧剣は右手首ごと地面に転がっている。

だが、それでもまだ生きている──イリヤはその事に安堵しながらも、アーチャーを睨みあげる。

「許さない……許さないんだから……!」

「そうか。……困ったな」

 心底弱り果てたと言うような、その声。

「え」

 イリヤが目を見開いて、ばっとアーチャーを振り返る。

 弓兵の姿は、もはやぼろぼろになっていた。外套はあちこちが千切れ、両の腕も力なく垂れ下がっている。

 ――当たり前だった。バーサーカーと戦って無事でなんていられるはずがない。

 そして――そんな格好になってもなお、アーチャーは笑っていた。

 ただ静かに、心底まいったと言うように――、笑っていた。

「あ……」

 再び、呟いた。

 そして彼女は、自分のその声に驚いたと言うように、目を見開く。

 ――どこかで見たようなその表情。

 ――どこかで聞いたようなその(じゅもん)

 ――どこかで見たような、その魔術(ちから)

 ――かちり、と。

 ――頭の中のパズルが組みあがる。

 ――ああ、そうだ。

――簡単なことだった。

 ――そんなの、間違えようがない。あんな魔術、あんな固有結界なんて、使えるのは多分ひとりだけ。

――それに、何より、

 

――――こんな(・・・)笑い方(・・・)()する(・・)ヤツ(・・)なんか(・・・)一人(・・)しか(・・)いる(・・)はず(・・)()ない(・・)()()から(・・)――

 

「貴方……まさか」

 イリヤはふらふらとアーチャーへと歩いていく──まるで何かに吸い寄せられるように。

「ねえ……アーチャー」

 煤で汚れた頬をぬぐいもせずに、信じられないモノを見たというように――ひどく、虚ろな表情で。

「貴方……あなた、まさか――――」

 ――その、小さな少女の後ろで。

 黒い塊が、斧剣を握り締め、煙をなぎ払い、突進してくる――!

 叫び声はない。バーサーカーの頭の大半は潰されている。切り落とされた右手首の修復を優先したためか、未だ両目と喉の機能は復活していない。恐ろしいのは、それだけのダメージを受けてもなお戦闘を続行できるその肉体だった。

 しかし、バーサーカーにとって狙いはさほど必要ない。圧倒的なまでのその破壊力にかかれば、漠然とどこかにいるのかがわかればそれで事足りる。触れれば全てをなぎ払うその一撃は、確たる狙いなど必要としない――!

 バーサーカーが腕を振りかぶり、斧剣を横に構えつつ突進する。大気が歪み、切り裂かれ、周囲全てを破壊せんと突き進む――

「え」

 ぽつりと漏れたのは、少女の呟き。

 アーチャー(・・・・・)()すぐ(・・)()()いた(・・)、イリヤの呟きだった。

「くっ――!」

 歯噛みしたような声が、イリヤの耳に届いた。

 その声に驚いて、振り返る――

 目に映ったのは、赤い服の切れ端。

 同時、少女の体を急激な力と浮遊感が包み込む――悲鳴をあげる暇もなく、イリヤの体は投げ捨てられていた。

 

 ――――ぉんッ!

 

 一閃。バーサーカーの斧剣が周囲全てを薙ぎ払った。

 静止。世界が止まる。

 動かない。誰も動かない。

 斧剣を振り切ったバーサーカーも。

 少女に背を向けたまま立ち尽くしているアーチャーも。

 ――二人から離れた位置に尻餅をついているイリヤも。

 ……こくり

 少女の喉が小さく動いた。

「あ……アーチャー?」

 その呟きに反応したのか――

 アーチャーがイリヤに向かってちらりと振り返り、

 ――     、   。

 そう、笑う。

そしてさらに同時、

 

ぶしゃあ───────っ!

 

 冗談のような量の血液が、アーチャーの体から噴き出した――

 

 

 

 

 

 

「アーチャ―!」

 髪を振り乱して、イリヤは膝を付いているアーチャーの下に駆け寄った。

 乱れた息もそのままに、文字通り真紅に染まった弓兵をじっと見下ろす。

 ――どう見ても致命傷だと言うのに、アーチャーにはまだかろうじて息があった。それでも、もう体を動かすこともできないのか、立ち尽くしたまま蒼白な顔で俯き、呆然と虚空を見据えている。ともすれば意識はもうすでにないのかもしれない。

「なんで――なんで……っ!」

 ぐぐっ、と拳を握り締めながら、イリヤは詰め寄る。その拳を振りかぶろうとして――結局、下ろして。

「なんで……なんでなのよ……」

 悔しそうな、納得がいかないような、そんな呟きだった。

 ――あの時、アーチャーはイリヤを庇った。

 ――恐らく自分ひとりならば避けられたであろう攻撃を食らったのは、バーサーカーの攻撃から少女をその範囲外に投げ捨てるためだった。

――敵であるイリヤを、庇うために。

「……ああ、よかった」

 唇をわずかに動かして、アーチャーはただ笑う。

 いつもの皮肉じみた笑顔ではなく。それは、昔、どこかで見たような――

「無事だったんだな、イリヤ」

 ――イリヤ

「あ」

 絶句。

 ――もう、間違いようがない。

 ――この英霊は。

 ――この、男は――

 ぼんやりとその場に立っていたイリヤを、

「■……」

 黒く大きな手が、そっとその肩を掴み、横へどかす。

 少女は素直にそれに従った。

 が――はっと顔を上げると、今まさに斧剣を振りかぶろうとしているバーサーカーに向かって声を張り上げる――

「バーサーカー、待ちなさ――」

 絶叫。

 ――アーチャーは動かない。

――もう、動けない。

――ただそれでも、赤い弓兵は臆することなくそこに居る。

──バーサーカーの真正面に立ったままのアーチャーは、目だけを動かし横を見る。

――その瞳に映るのは、一人の少女。

――今にも泣きそうな目をした、小さな銀髪の少女の姿――

「イリヤ」

 アーチャーは笑う。迷いのない、晴れやかな目で。

 

「――ありがとう」

 

「■■■■■――――!」

 咆哮。 怒れる狂戦士が斧剣を掴み、なぎ払い――

赤い外套が、宙に舞った。

 

 

 

「……あ」

声が、擦れていた。

 イリヤは――のろのろと歩き出した。

 数歩。

 もう動かなくなったアーチャーまで、たった数歩。

 その距離を、ことさらゆっくりと進む。

 少女の目の前には、一人の英霊。

 アーチャーの名を冠された独りの男が、立っている。

 赤い弓兵は、バーサーカーの一撃を受けてもなお倒れてはいなかった。鮮血を床に撒き散らし、傷だらけになり──それでもなお、伏すことだけはないとばかりに、立ち尽くしていた。

 その表情は――驚くほどに、穏やかだった。

「……なんだったのよ、コイツ」

 悔し紛れに呟いたその一言は、優しくすらある。

「ふん、よくもわたしの頭の上に手なんて置いてくれたわよね――」

 ぶつぶつと誰に言うとでもなく呟きながら、少女は足を伸ばすと、ゆっくりとアーチャーの顔へ手を伸ばしていった。

「えいっ」

――ぽすっ。

おかえし、とばかりに、頭に手を触れる。それから指を伝わせ、額へ、そして頬へとなぞる。指が血に汚れるのにも構わず、ゆっくりと撫でる――

「…………」

 無言。

銀髪の少女(イリヤスフィール)は、しばらくそうやって頬を撫で付けていたが――やがて、もう一度手を伸ばすと、そっとその髪に触れた。色の抜け落ちた白の髪。それが、わずかに赤く染まる。それから少女は優しく髪を撫で付け始めた。後ろではなく――前へ。ゆっくりと、髪を梳かすように。

その顔を見て、少女は再び表情を歪めた。

「なんで……」

 呟く少女の表情は、銀の髪に隠れている。

 ただ、声が少しだけ震えていた。

 そうっと――もう片方の手も、伸ばす。

 両手でアーチャーの顔を、優しく包み込む。

「…………」 

 少女はじっとアーチャーの顔を見つめたまま、ただ俯いていた。

 静寂。

 城の中は静まり返っている。

「……………そ、っか」

 小さく、口を動かすことなく呟く。

「そっかあ」

 口元に浮かんでいるのは、微笑。

 限りなく慈愛に満ちたような――そんな微笑――

 イリヤスフィールは顔をあげると、少しだけ困ったように微笑んだ。

「うん、でも、駄目だよ」

 言いながら、立ち上がる。両手をそっと離す。

「もう……手遅れなんだから、さ」

 そしてイリヤは、顔を上げた。

 半壊した天井の奥には、空が広がっている。

「しょうがないんだよ。だって、もう止まらないもの」

一歩、

一歩、

そしてまた一歩。

 ゆっくりとアーチャーから離れ、扉へと向かいながら、少女は続ける。

「でも、だから、最後にひとつだけ」

 言いながらイリヤは片手を持ち上げ、

「ひとつだけ――わたしが、イリヤスフィール(わたし)でいられるように」

そっと自分のこめかみに、突き出した人差し指を押し当て――

 

「ありがとう、アーチャー(おにいちゃん)

 

そして。

光が、周囲を満たして、散った。

 

 

 

 

 

 

 

「――信じられない。なんだったのよ、アイツ」

 

 

「ああもう、頭にくる! あんなやつに六回もやられるなんて、手を抜いてたんじゃないでしょうね、バーサーカー!」

 

 

「……許さない。許さないんだから。よくもここまでわたしを侮辱してくれたわね…!」

 

 

「なによ、五つもあれば十分じゃない。あんなヤツら、ゴッドハンドなんか――」






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