後後後日談。
「は、むっ」
小さな口が開き、おはぎを頬張った。
「……どうだ?」
尋ねたのは士郎だった。やや緊張した面持ちで、神妙に居間に座っている。
「そうですね──」
静かに頷いたのは、その向かい、キッチンに近い場所に座っているカレン。口の端についたあんこを指ですくい、舐め取って──、数秒黙考する。
「ええ。やや薄味ですが、美味しいと思います」
小さく頷き、カレンはもぐもぐと口を動かしていく──その様子を眺めながら、士郎は破顔した。
「ん、そうか、よかった。こんなのでよければいつでも作るからな。遠慮なく言ってくれ」
──いつもならば騒がしい衛宮邸の居間は、今はやけに静まり返っていた。姿が見えるのはこの二人だけである。
机の上には、『教会改装 資料』とかかれたファイルが一冊と、黒々とした山が鎮座している。士郎が作ったおはぎである。大体の仕事を終えて手持ち無沙汰になったために、なんとなく作ったものだった。
カレンはぼんやりと士郎の顔を眺めていたが──やがてぽつりと呟いた。
「そういう顔も……するのですね」
その呟きは意外そうでもあり、納得するようでもあった。
「え、何か言ったか?」
いそいそとお茶の準備をしていた士郎が顔を上げると、カレンは小さく首を振って、
「いえ、別に。──ただ、そうですね。随分と幸せそうに笑うものですから、嗜虐心が刺激されてしまいました」
さらりと言い放ちながら、柔らかな微笑を浮かべているシスター。その口元には、あんこの粒がこびりついているのだが。
「いや、そんなことを言われてもリアクション返せないからなー」
一筋の汗を浮かべつつ、士郎は呻いてじりっと後ろへと下がった。
「……なぜ逃げるのですか?」
不満げに口を尖らせるカレンに、士郎は口を引きつらせつつ、
「え、や、なんとかく、かな……?」
「………」
「………」
微妙な沈黙が部屋を包み込んだ。無表情のまま動こうとしないカレン。やや体を引いたまま動けない士郎──。
十秒ほどが経過してから、カレンがぽつりと口を開いた。
「……そういえば、他の皆さんはどちらに?」
「え、ええと……、ライダーはバイトだったかな。遠坂は自宅で何かやってるみたいだな。桜は買い物に行っていて、セイバーはよくわからない。……バゼットは職探しに行くとかいってたな」
「そうですか」
頷き、湯呑みを傾ける。が、中身はすでに空になっていたらしく、わずかな水滴が唇を濡らすのみ。
「……ん、ああ空なのか?」
「そのようです」
そうか、と頷きつつ士郎はちょっと待っててくれな、と言って立ち上がった。
「よし、すぐに淹れるからな。カレンは座っててくれ」
「いえ、それには及びません。仮にも居候の身。そのくらいのことは自分で──」
ちらり、と背後を見る。キッチンへはカレンの方が近い。──が、士郎は笑ってそれを手で制した。
「いいから。カレンはお客さんなんだからそこに座ってろ」
「……そうですか。そうですね、ではお願いしましょう」
よし、と頷き、士郎はキッチンへと歩いていく。
カレンはその姿をぼんやりと見送っていたが、再びかぷっとおはぎにかぶりついた。もぐもぐと口を動かしつつ、ぐるりと周囲を見渡す──テレビをつけていないためか、部屋の中は驚くほどに音がない。
「──しかし、静かですね」
「ん、ああ、そうだな」
呟きが聞こえていたのか、ポットからお湯が注がれる音と共に、キッチンから士郎の声が届く。僅かばかりの苦笑が含まれているようだった。
「いつもはもっと賑やかですので、驚きました」
「そうだな。まあ、こんな日もあるってことだろ。それに藤ねえが来るようになったらもっと五月蝿くなるだろうしな」
今度こそ完全に苦笑しながら、士郎が戻ってくる。
「? まだ住人が?」
小首をかしげるカレンに、そういえばまだ会ったことがなかったんだな、と呟いて士郎は説明する。
「いや、正確には住人ってわけじゃないんだけど──ああ、いいや。どうせすぐ来るだろうから、その時にまた紹介しよう」
笑いつつ、士郎が湯呑みを置こうと、カレンの背後から手を伸ばしていく。
「ええ、ではその時を楽しみにしていますね?」
カレンもまた受け取ろうと手を伸ばし──
──湯呑みが机の上に置かれると同時。その両手が、ちょうど重なった。
はっ──と士郎は驚いたように目を見開くと、
「あ──わ、悪い」
呟き、慌てて手を引っ込めた。
湯呑みを手に取りつつ、カレンは不満げにぽつりと呟く。
「……そんな、まるで腫れ物にでも触るかのように離さなくてもいいでしょうに」
「え──?」
ぽかんと口を開けて聞き返す士郎に、カレンはくるりと首を向けた。すぐ背後に立っている士郎、その右手をきゅっと握り、少女はくすりと笑う──
「手の接触くらいで謝る必要はない、と言うことですよ、衛宮士郎」
「あ、いや……」
引っ込めるわけにもいかず、どうしていいのすらわからないのか、士郎はぼんやりとその場に立ち尽くしている。
「ええと……カレン? そろそろ離して……」
「──本当に?」
くすり──と。
呟いて笑うカレンの微笑みには、妖艶さが含まれているようだった。
「う、え……?」
ぱくぱくと声にならない声をあげる士郎に、カレンはつまらなそうに呟く。
「まあ、それが貴方の願望であるというのなら、特に拒むつもりはありま──」
「ただいまー」
──と。
襖の奥、玄関の方角から、ややくぐもった凛の声が聞こえてきた。
「──気が変わりました。と言うわけで捕獲で捕縛で拘束です」
きっぱりと言い放ち、カレンが一瞬でマグダラの聖骸布を解き放ち、士郎の体に巻きつける──!
「って遠坂──!? なんだってこのタイミングで帰って……ああもう、カレン頼むから離してくれ……!」
囁き声で必死に叫ぶ士郎。
「士郎―、いるのー?」
ぱたぱたという足音と共に、そんな声が響いてくる。
カレンは心外だと言うように眉を寄せると、
ぐ、い──っ
士郎の体を引き寄せた。身動きの取れない士郎は抵抗すら出来ず、成すがままに倒れていく。その落下場所は──カレンの膝の上。
「ひどい人ですね。本妻が帰ってきたから後はぽいですか」
落ちてきた士郎の頭を撫でつつ、カレンは不満げに呟いてみせる。
「誰が本妻だ、っていいから離せー!」
「離して欲しいのですか?」
意外そうな表情で呟くカレンに、士郎は必死に囁く。
「ほ、ほしいっ! 離してください!」
「ちょっと士郎ってばー」
さらに大きく、はっきりと聞こえてくる凛の声。
「──わかりました」
カレンはあっさりと頷くと、拘束を解除した。
「では、貸しいち、と言うことで」
さりげなく、そう付け加える。
「え?」
慌てて立ち上がりつつ、士郎はぎょっとしたように呻く。
「いや、自分でやっておいて貸しって……えー?」
聞き返そうとしたその直後、
がら──っ
「……なんだ、やっぱりいるんじゃないの」
襖が開き、返事くらいしなさいよねー、と凛が呟きながら居間へと入ってくる。その後ろには小柄な金髪の少女もあった。
「あ──ああ。おかえり、遠坂、それにセイバーも」
「ただいま。……あら、随分美味しそうなの食べてるじゃない」
きらり、と凛の目が光る。
「ええ、そのようですね。これは……む、おはぎですか」
ぎらり、とセイバーの目もまた光る。
「ちゃ、ちゃんと遠坂たちの分もあるから安心してくれ?」
動悸を抑えつつ、なんとか笑顔を作って士郎が告げる。が、凛は少し恥ずかしそうに頬を赤らめると、
「……う。そんな物欲しそうな顔だった?」
「いや。でも食べるんだろ?」
聞くと、ふん、と少し悔しそうに顔を歪めつつ、凛は頷いてみせた。
「当然じゃない。あ、あと緑茶もお願いね士郎」
「はいはい。……って、そう言えばセイバーと一緒だったのか?」
「違うわよ。たまたま帰り道で一緒になってねー」
座って、大きく伸びをしつつ、凛。こきこきと首を鳴らしている。
「ええ。私はその……サッカーをしていました」
「ああ、そうなんだ。勝った?」
二人分の湯呑みを机に置き、士郎は尋ねる。
「勿論です。私がいる以上、負けるなど許されません」
こくり、と不敵に笑うセイバー。その手にはすでにおはぎが握られている。
「あ、それでカレンちょっといい?」
凛がふいに声をあげたのは、二つ目のおはぎに手を伸ばしてからのことだった。
「なんでしょう」
「うん、この前の資料の確認なんだけどね。──カレン貴女、あの書類不備があったわよ?」
ほら、教会のあれよ、と指を振って告げる凛に、カレンは眉をひそめる。
「? そんな筈はありませんが」
「え、でもほら──」
言いつつ凛は立ち上がり、机の片隅に置いてあったファイルを手に取った。ぱらぱらと紙をめくり、ページの一点を指し示しつつ、ほらここ、と続ける。
「着工予定。なんか半年先になっているんだけど」
「ああ、それはその通りなので特に問題ないですね」
さらりと告げるカレンの一言に──
『……………………は?』
──三人が、凍りついた。
平然としたまま、カレンは続ける。
「ですから。書類の通りなので全く問題はありません」
「って、ちょっと待ちなさいよ!」
『だんっ!』と机を叩いて、凛が声を張り上げた。
「ってことは何!? 半年もここに居座る気なの!?」
「そういうことになるかもしれませんね」
「ね、じゃない! ……ねえカレン? いくらなんでも厚かましいにもほどがあるとは思わないかしら……?」
「仕方ないのです。業者に頼んだところ、この時期にならないと無理とのことでしたから。突貫工事で穴だらけのものを作られても本末転倒ですし、そう急ぐものでもないですので、それで承諾したのですが」
「……何よ、それ……」
がっくりと肩を落として、凛が唸る。
そこにさらにカレンが追い討ちをかけた。
「ちなみにもう契約は締結していますので、これを解約するとなると違約金が生じてしまいますね」
まあ最も、と湯呑みを手に取りつつ、カレンは続ける。
「この金額を凛さんが負担してくれるというのでしたら、話は別ですが──」
「──別の方法を考えましょう!」
『ぱんっ』と両手を打ってやたら声を張り上げ──、凛。
「士郎、何かいい方法ないかしら。──あ、そうだ投影で教会作れない?」
「……ええと、確か遠坂って俺の魔術の師匠だよな?」
半眼で呻く士郎に、凛もまたジト目になって呻く──
「……ふん、勢いで言ってみただけでしょ。そんな目するんじゃないっ」
ったく、と言い捨て、再び座りなおす。
『ぼーっ』と宙を見つめたまま、凛はぽつりと呟いた。
「んー、でも半年も先ってのはなあ……」
「遠坂、何かあるのか?」
不思議そうに聞き返す士郎に、あのねえ、と凛は指を振りつつ説明した。
「だってわたし、そんなにこっちいられないもの。一旦ロンドンに戻らないと、色々とやらなくちゃいけないこともあることだし。でも、その間カレンがずっとここに居座るっていうのは……」
「問題だな」
うんざりとした凛の声に続くように、士郎。
「問題ですね」
うんうんと頷きつつ、セイバー。
「そうでもないと思いますが」
あくまでも落ち着いた声色で、カレン。
「あーもう、ちょっと黙ってなさい」
言い捨て、凛はうーんと唸る。
「でも、そうね。他に方法かあ……教会が改装ってことは住めないってわけで……あれ? でもそうすると今までは……んー?」
ぶつぶつと呟く凛に、士郎は恐る恐る口を開く。
「遠坂?」
そして。
「──あ、そっか。」
ふいにそんな声を張り上げ──凛は『ぽんっ』と、両手を打った。
「と言うわけで!」
ざんッ!
地面にスコップを突き立てて、凛は高らかに宣言した。
「業者なんかに頼っていられないので、手っ取り早くわたしたちだけで何とかしちゃいましょう!」
言ってぐるりと周囲を見渡す――
教会の正面玄関の前である。いるのは凛、セイバー、士郎──そしてカレン。
「うん。何気に結構無茶だと思うぞー?」
「大丈夫よ。何も全部一からつくるってわけじゃないんだから」
あっさりと言い捨て、凛は説明を始めた。
「さっきぱぱっと見てきたんだけど、一階が特にひどいのよね。残骸とか散らばったままだし。だからここを重点的に直しましょう。隠し部屋はまあ人が住めるレベルだし問題はないわ。とにかく半年もてばいいんだから、最低限のところだけを修繕ってことでお願いね」
「成る程。それならまだ出来そうですね」
おお、と顔を輝かせつつ、セイバーが同意する。
凛はくるりとカレンへと向き直ると、『ぽんっ』と肩を叩いて、
「で、それが完成したら、カレンはこっちに住んでね?」
「嫌です」
ぷい、とそっぽを向いてカレンは言い捨てた。
「っておい。」
半眼で唸る士郎。凛はにっこりと笑ったまま、ぐっと拳を握り締めてみせて、
「うふふふふ。拒否権なんてないのよ、カレンー?」
言い聞かせてから、再度士郎たちへと向き直る。
「さて、じゃあ始めましょうか。幸い、こっちにはセイバーもいることだしね──頼りにしてるわよ、セイバー」
視線の先には、工事用ヘルメットを被っているセイバーの姿があった。手にはいつもの剣の代わりに、ツルハシが握られている。
彼女は心底嫌そうに零した。
「凛、言っておきますが私のこの力は決して土木作業をするためのものでは」
「今日の夕飯はセイバーの食べたいものを食べたいだけ作りましょう」
びっ、と親指をたてる凛。
「やりましょう。」
速攻で頷き、セイバーもまたびっと指を立てる。
「あっさりだなー」
もう慣れているのか、少し離れたところからその様子を眺めている士郎。
そう言うわけで今日は手巻き寿司でよろしくお願いしますー、と言い捨て、セイバーは教会内部へと突進していく。
手を振りつつその様子を見送りながら、士郎はぽつりと呟いた。
「うん、でもなんか、もういっそのこと、嫌な思い出しかないからぶっ潰してもいいんじゃないかって気もするけどなー」
「あ、なんか反対できないかも、それ」
あんた正義の味方目指してるんじゃなかったっけ、と笑顔で呻きながら、凛もまた頷く。
「……にしても遠坂、なんでそんなに毛嫌いするんだよ」
呆れたように呟く士郎。
「衛宮君」
ぽんっ、と。
士郎の肩を叩いて、凛は朗らかに笑った。ぎりぎりと置いた手に力を込めつつ、言葉を口の隙間から搾り出す。
「理由が必要かしら。これ以上」
「い……いや、なんでもないぞ?」
慌ててぶんぶんと首を横に振り、士郎。
ふん、どうせあんただって似たようなもんじゃないの――と零しながら凛はカレンの方を振り返った。
「で。そもそも、改装ってどうしたいのよこれ」
大雑把に親指で教会を指し示し、凛は尋ねる。
「そうですね」
カレンはぼんやりと教会を見上げ、少し間を空けてから、
「何も贅沢な希望があるわけではないのですが」
そこまで呟いて、カレンは手を胸に寄せ、そっと微笑んだ。
「士郎さんの家のようなものが一番でしょうか」
「どこの世界に純和風な教会があるってのよ! と言うかあてつけよね、それ……?」
即座に凛が叫び、突っかかる。
「ええ、勿論そのつもりですが」
「ふうん──?」
くすりと笑うカレン。笑顔のまま魔術刻印を発動させる凛。
「おおおおちつけ遠坂ー! カレン、アンタももうちょっとまともな意見出せよなー!」
士郎は必死に二人の間に入りながら叫んだ。
カレンは一瞬面倒くさそうな顔をしたが、それでも再び考え込んだ。
「まあ……」
呟き、視線を落として手に巻きついた包帯をさすりながら続ける。
「普通に綺麗にしてくれれば、それで」
凛は肩を竦めて嘆息した。
「あーはいはい。簡単に言ってくれるけど一番難しいのよね、そういうのって」
「いや、単に遠坂が整理下手なだけなんじゃ」
「う、うるさいっ」
顔を赤らめながらもぱんぱんと両手を打ち、凛は声を張り上げた。
「ああもう、ほら、セイバー追いかけるわよ」
「おう」
士郎もまた頷き、教会の扉を押す。
ぎぃぃぃぃ、ぃ────
軋むような重い音と共に、扉が開き、中の様子が露わになる──
中は以前と同じ状態のようだった。ひどく散らかっている。
「セイバー、どう。進んでる?」
凛の声にセイバーは顔をあげると、ヘルメットの位置を修正した。
「そうですね。そこまで問題はないのですが──む、時たまですね、なかなかこう、頑固なものが……ふっ!」
ツルハシを巧みに操りつつ、床から飛び出した木の破片のようなものを掘り起こす。
「……このように、あるのですが」
ふうん、と凛は呻き、セイバーへと近寄ると、その耳元でこっそりと呟いた。
「それくらいほっといていいんじゃない? 適当でいいわよ適当で」
「……聞こえているのですが」
このぽるかみぜーりあ、と呟きつつカレンが唸っている。
「……まあまあ、セイバーなら大丈夫だって」
遠坂が手伝ったらどうなるかわからないけどな、と続けながら、士郎は苦笑した。
「さあ、どうでしょうね」
ふう──と、嘆息してから、ふいにカレンは顔をあげた。
「そうです。士郎さん、貴方はこちらに」
「え、あ、ああ──」
戸惑いながらも頷き、カレンの後に続く。
「……ここです」
カレンが案内したのは、隠し部屋だった。
「へえ。こんな所があるんだ」
感心したように、呟く。
彼女はくるりと振り返ると、ほんの僅か、首をかしげた。
「……どうですか?」
試すような──あるいは恐れるような、そんな口調だった。
士郎はぐるりと部屋を見渡し、うーんと唸りながら告げる。
「いや。どうって、そうだな。ちょっと換気が必要かな。ベッドも少し干したほうがいいんじゃないか?」
「…………」
カレンはその言葉に、拗ねるようにわずかに眉を潜めた。
「……他に、何か言うことはありませんか?」
「…………???」
心底わからない、と言う様に首をかしげる士郎。
カレンは深く嘆息し、かぶりを振った。
「鈍いひとですね、貴方は。いえ――」
そこまで呟いてから、再びむくれたように拗ねるカレン。
「……まあ、わかっていたことではありますがっ」
「なあ。何怒ってるんだ?」
困った、と言うように士郎は尋ねる。
「誰が怒っていると言うんです」
ぎろりと睨み、カレンは聞き返した。
士郎は苦笑しつつ、呻いてみせる。
「いや、アンタだよアンタ。他に誰がいるって言うんだ?」
「………」
その言葉に、カレンははっとしたように息を止め、士郎の顔を見詰め直した。体を揺らし、一歩近寄る。ぎしり──床の軋む音がした。
「……すいません、もう一回今のをお願いします」
「と言いつつなんでサインペンもってんだあんたー!」
きらきらと目を光らせるカレンの右手を見て、悲鳴をあげる士郎。そして――
「って、何やってんのよこらー!」
それとほぼ同時、凛が顔を出して叫んだ。
「……ちっ」
舌打ちをしてそっぽを向くカレン。
凛は肩を怒らせると、ずんずんと近寄ってきた。
「ったく、油断も隙もあったもんじゃない……!」
マジックペンを取り上げつつ、ぼやく。
「遠坂、一階はもう終わったのか?」
気になったのか、士郎が尋ねた。
「ん、まだだけど。まあセイバーならちゃんと──」
ずんっ――
響いたのは、重く低い音だった。
「え」
凛が口を開ける。
ずずんっ――
音が再び響く。先ほどよりもさらに重く、そして大きく。
「は?」
カレンが目を見開く。
みきめしっ、ばきっ、ずっ、ばきべきばきっ――
「って、まさか――」
士郎が『ばっ!』と出口を振り返ると同時――
どおおおおおおおおおおおおおおおおおん!
盛大な音を立てて、教会が崩壊した――
『……………………………………』
爆音と共に崩壊し、残骸と貸した教会の上で──三人は呆然としたまま固まっていた。一階部分が崩れ落ち、二階がそのまま落ちてきたため、結果として誰一人怪我をすることなく無事ではあるようだが――
「……だるま、落とし……?」
呆然と呟く凛の顔は引きつっていた。
「シロウ、大丈夫ですか!?」
ふと顔を上げると、セイバーが慌てて三人の傍へと駆け寄ってきた。入り口が見つからなかったのか(それはそうだろう)、窓から顔を出して中の様子を覗き込んでいる。
「……ええと、セイバー?」
ぎこちなく首を回し、凛は尋ねる。
「なにが……どうなったの?」
セイバーは恐縮するように身を縮めながら、顔を真っ赤にして呟いた。
「いえ、それが。言われた通り破壊していたのですが――その、やけに頑固な固まりがありまして。やはりツルハシでは如何ともし難いものでしたので、つい宝具を――」
『使うなああああああああっ!』
その場にいた全員が一斉に叫んだ。
セイバーはうつむきながら、ぼそぼそと続ける。
「…………い、いえ多分ですね、こう、ほんの少し掠った程度だったのですが。あ、いえそもそも予想以上に老朽化が進んでいたと言いますか、かなりぼろぼろになっていたと言いますか――」
「……………………はは」
凛が呟いた。呆然としたまま。
「……しかし、見事に壊れたよな……」
感心したような呆れ声をあげたのは士郎だった。
「………………あ、あの……」
にぱにぱと無意味に手を動かしながら、所在なさげにセイバーが呻く。
「…………」
「…………」
「…………」
喋らない。誰一人として口を開かない。
がっしゃん。
屋根の一部が崩れ落ちた。
「つまり……どうなるんだ?」
頭を抱えたまま、恐る恐ると言ったように士郎が声をあげたのは、それから一分ほどした後のことだった。
「え、ええと……」
凛はひくひくと頬を引きつらせながら、それでも声をあげる。
「そうですね。それならひとまず事実を整理するとしましょうか」
すっ──と。
冷涼な声を響かせて立ち上がったのはカレンだった。目を閉じ、両手を組み、諭すような口調でゆっくりと告げる。
「教会の破損状況から見ると、どう考えてもこれでは建物として機能を果たすのは不可能でしょうね」
「そうね」
静かに凛は頷いた。汗を浮かばせながら。
カレンは一歩凛に近づき、静かに続けた。
「ちなみに破壊したのはセイバーさん」
「……そうね」
カレンがまた一歩進み、ますます小さくなるセイバーをちらりと見る。
「そしてセイバーさんは衛宮士郎の家の者ですね」
「…………そ、そうね」
また一歩。カレンは前へと凛へと足を踏み出す。
「さて、凛さん」
カレンは心底困ったような表情を浮かべ、さらに一歩凛に近づいた。
「大変です。どうやら私、住むところがなくなってしまったようです」
「………………そ、そうみたいね」
限界まで視線を横に逸らしながら、凛は小さく頷いた。
「困りました」
「……………………ふ、ふうん?」
両手を組み、あまつさえ目にきらきらと星すら浮かべ──カレンは告げる。
「どこか泊めてもらうところを探さなければなりません」
「……………………………そう、なの?」
だらだらだらだら。
びっしりと顔面に汗をかきながら、それでも凛は頷いてみせる。
「そうです。早急にしないといけません。具体的にはセイバーさんに教会を壊された責任の追求だとか弁償だとか謝罪やその他もろもろよりも早く」
「……………………………………………………」
ぎしり。
最後の一歩を踏み出し、カレンは足を止めた。二人の距離はわずか数センチ離れているのみ。
そうしてカレンは、にっこりと微笑みながら、静かにとどめの言葉を口にする――
「と言うわけで、どこかいい場所を知っていたら、教えて欲しいのですが?」
「……………………………………はは……ははは……」
顔をひきつらせて、凛が引きつった笑い声をあげる――
……勝敗は、この時点で決着がついたようだった。
翌日――
「だめよ! この部屋は元々わたしのなんだから!」
離れの部屋の扉の前に立ちふさがり、凛は拳を握り締めてがー、と叫んでいた。
「それは横暴というものです。先にいたものにすべからく決定権があるというのは明らかな間違いではないかと」
つまらなさそうに鼻で笑い、カレン。その後ろには教会から運び出した──あの後瓦礫を掘り起こして探り出したものだ──荷物が、ずでんと積まれている。
それを見て凛は一瞬怯んだものの、すぐに持ち直して声を張り上げた。
「あんた居候なんだからちょっとは遠慮しなさいよねー!?」
「あら凛さん、貴女がそれを言うのですか」
「な、何よ」
くすりと笑うカレンに、凛は尻込みしたようだった。
カレンは明後日の方向に遠い目を向けて、
「破壊された教会……」
そうぼそりと呟いた。目の端に涙を光らせて。
「思い出は──もう戻りません……」
両手を組み、あまつさえ目の端に涙を浮かべて、そう呟く。
「……うっ」
至極真っ当な事を言われ、思わず凛は口ごもった。見かねた士郎が、二人の間に割って入る──
「ま──まあまあ、ほら、カレンもさ。開いてる部屋は他にもあるんだし、何もここでなくてもいいよな?」
「……」
沈黙。口を閉ざしたまま、カレンはじっと士郎を見上げる──
頬に一筋の汗を浮かべつつ、それでも士郎は繰り返した。
「……ええと、カレン? だから開いてる部屋はまだ色々……」
「……貸し、いち」
ぼそり、とその単語は発せられた。
「ぐっ」
反射的に言葉に詰まる。
ふふ、と。カレンの口の隙間からそんな笑い声が漏れている。
「ええと──……」
そして士郎は、二人を何度か見比べた後──
「色々勘弁してくれ遠坂―!」
ごめんなー、と言いつつ走り去っていく士郎。
「ちょ、ちょっと士郎―!?」
えー、と呻きつつ凛が手を伸ばす──が、追いつけるはずもなく、その手は空を切った。
凛はがっくりと肩を落していたが、それでも『ゆらり……』と顔を上げると、
「ああもう、こうなったら徹底抗戦よー!」
があー、と叫び、その手に宝石を構える。
「なるほど?」
しゅば──っ!
凛を見据えたまま、カレンは振り返ることなく手首を捻り、マグダラの聖骸布を繰り出した。刹那、逃げ出していた士郎の足首に『ばしゅんっ!』と絡まりつく──!
そして。
べちゃっ。ずりずりずりずり……
「って、え? 何がどうなっ──カ、カレン……?」
問答無用で倒され、引きずられてからようやく事態が飲み込めたのか、士郎は鼻を押さえたままさっと顔を青ざめさせる……
「気が変わりました。これで貸しは返してもらうとしましょう」
びしり、と赤い布を鳴らし、カレンは言い切った。
「って、ちょっと待て、アンタまさか──」
ぷるぷると首を振る士郎に、カレンは鷹揚な微笑みを浮かべる。両手を広げ、ぐるぐる巻きにされた士郎を受け止め──うふふ、と笑いながらその頬をさする。そして。
「衛宮士郎。貴方に大任を与えましょう。見事その仕事、真っ当してくださいね──?」
荘厳な口調で言い切り、ぐいっと士郎の体を凛へと向けて突き出した。
「い、いや、この体勢はどう考えても盾だろ……?」
ひくり、と顔を引きつらせ、士郎が呻く。
「守護こそが正義の味方の本質でしょうに」
「ってどう考えてもこじつけだー!」
対する凛もまた、『ふっ』とシニカルな笑みを浮かべていた。
「いい度胸ねカレン、それに士郎」
「俺もかっ!?」
士郎の悲鳴は無視し、凛は低く囁いた。
「カレン。一ついいことを教えてあげるわ」
「はい。なんでしょう、凛さん」
「──言っておくけど士郎は抗魔力はびっくりするほど低いわよ?」
「えーと遠坂? まるで俺が食らうの決定しているみたいな感じになってるぞー?」
ちょっと待とうなー、と呻いている。
カレンはこくりと頷くと、
「なるほど。では鍛えるいい機会ですね。大丈夫ですよ、痛みはその内快感に変わりますので」
「ってそんな特殊技能は俺にはないからー!」
喚く。が再び無視される。
そして二人は、互いに一歩を踏み出した。
「さて。」
「そうですね」
両者共に、ゆっくりと頷く。
かくて、戦いの火蓋は切って落とされ──
『っ死ねえええええっ!』
「って、ちょっと待てえええええええええっ!」
士郎の悲鳴が、衛宮邸に木霊した──。