1.
「ではシロウ、行ってきますね」
衛宮邸、玄関。両手に合計6つの紙袋を持ち、セイバーは後ろを振り返った。
「うん。帰って来るまでには昼飯の用意しておくからな」
言って士郎はひらひらと手を振った。
「ええ、期待していますね、シロウ」
それでは、と軽く会釈をして、セイバーは玄関の戸を開け、きびきびと歩いていく──
朝と言うには早くはなく、昼と言うにはまだ日が昇りきっていない──そんな時間。静謐な空気が外から流れてくるのを感じながら、士郎はセイバーの後ろ姿を見送っていた。見上げるとそこには青空。風はさほどないが、少しばかり肌寒い。僅かに目を細め、両手を組んでそれを大きく上へと伸ばして──、士郎はふうと息を吐いた。
「よし。じゃあそろそろ昼の献立を考えないとな……」
こきり、と首を鳴らして、玄関の戸を閉める。
「あ、先輩、お昼なんですけど何にしますか?」
と、そんな声が聞こえて士郎は顔を上げた。そこに立っていたのは、桜だった。
「ん、いや、まだ何も考えてないぞ」
呟くと、桜はそうですか、とぼんやりと頷いた。
「とりあえず、お買い物にいこうかと思ってるんですけど──」
言いながら、ちらり、と玄関の奥へと視線を投げかける。僅かに首をかしげながら彼女は尋ねた。
「あの、先輩? 今セイバーさんが出て行ったんですか?」
士郎はこくりと頷いて、
「ああ、洗濯物を頼んだんだ。なんでも近場にコインランドリー発見したとか言ってたからさ。それとクリーニングもついでに。洗濯機だとまずい奴とか色々あるからな」
「ああ、そう言うことですか」
納得したのか、にっこりと笑う。
話しながら、二人して居間へと入る──と、そこには、机に突っ伏した黒髪があった。ぱっと見ただけでは何が何なのかよくわからないが──よくよく見れば、それは凛だった。
「……と、遠坂?」
「……んあ。」
恐る恐る呼びかけると、凛はむくりと顔を上げた。ふらふらと頭が揺れている。
「うー。おはよ……」
恐ろしく低い声で、そう唸る。
「おはよう遠坂。あんまり早くないけどな」
「お、お早うございます……」
やや身を引きながら返事をする二人には構わず、凛はのろくさとキッチンへと歩いていくと、冷蔵庫を開けた。中から牛乳を引っ張り出し、コップに注いでいる。
その様子を眺めながら、桜はぽつりと呟いた。
「そう言えば、まだ洗濯機買っていませんよね」
そうだな、と士郎は頷く。
「うん、まあまだ二日だから、そんなに焦ることもないんじゃないか?」
すると桜はぶんぶかと首を振った。
「だ、駄目ですっ。やっぱりこう言うことはきちんとしないといけないんですーっ」
「む。まあそれもそうか」
「士郎―、朝の残りってないのー?」
お腹すいたんだけど、と切なそうに呟く凛に、士郎は嘆息する。
「ああ、それならきちんとセイバーと藤ねえが食べてたぞ。まあもうすぐ昼にするからそれでいいだろ?」
「うう、お腹すいたよう……」
ぐりぐりとコップをいじりながら、呻く凛。それを見下ろしながら、桜は腰に手を当てて嘆息した。
「姉さん、ちょっと最近だらけすぎですよ。もうちょっと早く起きてくれないと困りますっ」
ぐ、と凛は言葉に詰まりながらも、ぷいとそっぽを向いた。
「しょうがないでしょ、目覚ましかけ忘れてたんだから」
「全然しょうがなくなんかありませんっ」
「うう……わかった、わかったから。とりあえず何か食べ物……」
ぐたり、と机に突っ伏す凛を見て、桜は苦笑した。髪を抑えながら、尋ねる。
「もう。おにぎりでいいですか?」
「あーうん、それでいいからお願い」
よろしくねー、と言って、桜が台所へ行くのを見守る凛。そして今度は士郎に向き直ると、
「で、何。買い物行くの?」
興味津々、と言った様子で顔を近づけてくる。
「そうだな。今日は特に用事もないし、うん、それなら折角だから──」
「おはようございます、士郎君」
と、次に顔を出したのは寝巻き姿のバゼットだった。
「おはよう。今日は随分遅いんだな」
士郎の言葉に、バゼットはすいません、と頭を下げた。
「その、目覚ましをかけ忘れてしまいまして。──ところで、ええと、桜さん? 私の服を知りませんか……?」
こそこそと尋ねるバゼットに、桜はぼんやりと首をかしげる。その横では、凛がさもありなん、とうんうんと頷いているのだが。
「え? 知りませんけど……」
「ああ、置いてあったやつならさっきセイバーがクリーニングに持って行ったぞ。何かまずかったか?」
「置いてあった物、全部──ですか?」
顎に手を当て、唸るバゼットに、士郎はきょとんとしながら頷いた。
「え? ああ、そうだけど」
「……」
黙考。なにやら真剣な表情をして考え込むバゼットを見て、士郎は呻く。
「……え、何かまずかったか」
「いえ、まずいと言うほどのことでもないのですが──実は、あれが現在の私の服の全てで。今日は特に外出する用事はないので、まあ問題ないと言えば問題ないのですが……」
それを着て、ぽつりと桜が呟いている──。
「……ええと、問題ない日常のほうが問題なんじゃ……?」
「桜さん。何か?」
それ以上何か言うとふっ飛ばしますよ、と言うような笑顔を浮かべて、バゼット。
「い、いえ。なんでもないですっ」
慌てて士郎の後ろに隠れながら、桜。
根性ないわねー、とぼやきながら、凛はがしがしと頭をかいて、
「ああ、じゃあわたしの貸してあげるわよ」
バゼットはその言葉にぱっと顔を輝かせる──が、凛を見つめて、それもすぐにまた曇っていった。視線を顔よりもやや下で固定したままで、何やらひどく心苦しそうに呻く.。
「いえ……その、申し出は大変ありがたいのですが、その……。そう言った短いスカートはちょっと抵抗が……」
「んー、なら桜みたいな長いのならいいの?」
凛の視線を追いかけてから、バゼットはわずかに眉をしかめた後、
「……いえ、そもそもスカートのようなひらひらしたものは落ち着かないと言いますか。何より動きが束縛されるものは仕事柄合いません。と言うわけで出来たらパンツ系がありがたいですね。そうですね……ああ、でしたら士郎君のを借りるというのは──」
『却下。』
すかさず言い捨てる姉妹。
「俺が言うんじゃないのかっ!?」
士郎が喚くが、二人は聞くつもりはないようだった。桜はさっさとキッチンへ引っ込み、凛は髪を整え始めている……
「し、士郎君、それで私は結局どうすれば……?」
その言葉にむー、と士郎は考え込む。
「……バゼットのスーツは今頃クリーニング行きだしな。まあ……そうだな──」
言いつつ、バゼットに視線を移す。寝巻き、と言うよりもただのYシャツとパンツルックなのだが──
「──? な、なんです、ひとをじろじろ見て」
頬を僅かに染めるバゼットには構わず、士郎はぶつぶつと呟く。
「いや。そう言えばアンタ、スーツ以外の服って見たことないなって思ってな」
「な──」
絶句するバゼットをよそに、横から凛が口を挟んだ。
「あ、そういえばそうね。何、あれ以外服ないの?」
「は、はあ。いえ、スーツ自体はあるのですが、それも全部クリーニン──」
「じゃなくて。もっとこう、くだけた感じの服よ。ジーンズとかキャミとか色々あるじゃない」
大体いつもスーツ系じゃないの、と言い捨てる凛に、バゼットはごにょごにょと呻く。
「そうは言われましても、あれくらいしかないのですが……」
「──ふむ」
顎に手を当て、凛は唸る。
「問題ですね」
言ったのは、桜だった。机におにぎりの入った皿を置きつつ、真剣な表情で頷いている。
「そうね。別にスカートはきなさいって言ってる訳でもなし。ジーンズくらいは持っているべきよね……」
呟く凛の言葉に、桜もまたお盆を握ったまま同意する。
「あ、でもやっぱりフリフリ系のも見てみたいですよね──」
その言葉に、凛は目をきらりと光らせる。
「そうね。いつもがいつもなんだからギャップを狙うってのは当然か。うん、案外ゴスロリ系とかもありかしら。ふふ、衛宮くん辺りならまいっちゃうかもね? ──ほんとにそうなったら許さないけど」
ぼそりと呟く凛に、桜もまたうふふ、と暗く笑いながら、
「そうですね、許せませんねー。……あ、姉さんそれならこういうのは──」
「あ、それいいわね。うん、じゃあ新都の方に出向いて──」
「そうですね、洗濯機もありますし。あ、それなら最近出来たお店が──」
そして。
なにやら二人でぼそぼそと相談しあう様子を眺めながら、バゼットは士郎に助けを求めるように尋ねた。
「し、士郎君……? 私は、どうすれば──?」
その言葉に、士郎は朗らかに笑って、
「そうだな。──うん、あきらめろ。」
「………………………………はい………………」
呟いて、バゼットはがっくりと肩を落としたのだった。
2.
「…………。」
出来たのは、ただ沈黙して目の前に聳え立つそれを見上げることのみ。
「…………ええと」
それでもなんとか言葉を搾り出し──バゼットは、ゆっくりと両隣に立つ姉妹に向けて、確認するように呟いた。
「……本当に、ここに……?」
デパートの中の一角。主に中高生をターゲットとしたカジュアルファッションの店の中には、まばらに客がいた。そしてその店の目の前に、バゼットは凛と桜に挟まれるようになりながら立っていた。士郎は三人から少し距離を取った位置で、困ったような表情を浮かべている。
「嘘ついても始まらないでしょ」
あっさりと言ったのは凛だった。
「い、いえ。何と言うか──他にも店はありますよね?」
「ええ。でもとりあえずここは押さえておく必要がありますので」
がっしと腕を掴みつつ、目をきらきらと輝かせながら言ってきたのは桜。
「いや、その基準が全く理解できないのですが──」
なんとか抵抗を試みようともごもごと呟くバゼットに、
「バゼット」
「バゼットさん」
姉妹は全く同じような、にこやかな笑みを浮かべると、
『いいから。』
言い切り、ずりずりとバゼットを引きずって店の中に入っていく……
「ああああっ。士郎君―!?」
「うん、がんばれよー」
あっさりとそう言い捨てて、士郎はひらひらと手を振る。
三人の姿が店の中に消えてから、彼はふうと息を吐いて、
「さて、じゃあ俺は洗濯機でも見繕ってくるかなー」
言いつつ、店に背を向け、別のフロアへと向かおうとする──
「さあバゼット、とりあえずこれから行くわよ!」
「うふふふふふ。姉さん、次はこっちでどうでしょう?」
「ああああっ!? ひらひらは駄目です、無理です……っ!」
背後から響くその声を聞きながら、士郎は頬に一筋の汗を浮かべる。
「……うん、まあ頑張れってくれ。ほんとに。」
3.
家電量販店・レジカウンター。
「はい、では後日お荷物はご自宅までお届け致しますので」
「ああ、はい。お願いします」
レジで支払いと配送の手続きを済ませ、士郎はふうと息を吐いた。財布の中身を確認し、もう一度嘆息。代金はバゼットから出してもらっているのだが、そもそも根本的に衛宮家の財政は危険指数を示しているのだった。
残っているお札を確認してから、士郎は財布をしまいこみ、歩き出す。
「うん、安くすんだほうか。──まあ最新には程遠いけどな……」
苦笑しつつ、フロアをぶらぶらする──周囲はそれなりに賑わっているようだった。
「お、そうだ。この前のこともあるし、次世代DVDでも……」
ふいに呟き、士郎はDVDデッキコーナーへと足を向けた。と。
「お、坊主じゃねえか」
ふいに背後から声をかけられ、慌てて振り返った。そこには──、
「って、ランサー。アンタこんなところで何やってるのさ」
ランサーは肩を竦めながら、別にそんな驚くようなことでもないだろ──と眉を片方だけあげて見せた。
「特に何も。ぶらぶらしてただけだぜ?」
「ふうん。アンタこんなところも来るんだな」
感心したような士郎の声に、皮肉めいた笑みを浮かべてみせ、ランサーは。
「ま、そんなこともあるってコトだ。──で? 坊主は何やってんだ」
その言葉に士郎は一瞬考え込んでから──む、と唸った。眉を潜め、呟く。
「その──なんだ。なんて言うかすごく説明し辛いぞこれ」
「なんだそりゃ」
呆れたような口調のアランサーに、士郎もまた苦笑を返す。大したことじゃないんだけどな、と前置きをしてから続ける。
「うん、まあ壊れた洗濯機を買いに来たというか、遠坂たちがバゼットで遊ぶために来たって言うか。あ、ちなみに遠坂はすぐそこにいる。ええと──うん、名前は忘れたけど、服売り場だ」
「……なんて言うか、状況がさっぱりなんだがな」
頬に一筋の汗を垂らしつつ呻くランサーに、士郎は力なく笑って見せた。
「まあ、普通はそうなると思う」
「……ま、そんなもんか」
半眼で唸るランサーに、士郎はくいっと親指を背後に向けて、
「まあいいや。暇なんだろアンタ、なんならついてくる?」
「おう。嬢ちゃんにも挨拶くらいはしてやりたいしな」
ランサーは腰に片手を当て、あっさりと頷いた。
「了解。ならこっちだ。付いて来てくれ」
その言葉にランサーは頷き、士郎の横へと並ぶ。
そのまま二人は無言で凛たちのいる店へと歩いていった。二分ほど進み、目的の店の前まで到達する。と──
「り、凛さん。これはちょっと──」
「あら、かわいいじゃない」
「そうですね。じゃあ次はこっちをお願いしますね」
店の奥から、何やら騒がしい三つの声が響いてくる。
「……ああ、なんか状況が大体掴めたな」
口元を引きつらせながら、ランサーは呻いていた。
店内からは相変わらずわいわいと三人の声が聞こえてきている……
「り、凛さんこれはさすがに無理だ。短すぎる──」
心底弱ったような声はバゼットのもののようだった。
「え、そう? 案外ありじゃない?」
あっさりと言いのけているのは恐らく凛だろう。
「そうですね。今までの先入観がなければべつにそこまで違和感は……」
問題ないですよ、と力強く言っているのは桜か。
「し、しかしですね、やはりスカートはだめだ。動き辛過ぎます。これではいざと言うときに対処しきれない──」
「いいのよそのくらいで。ちょっとくらい抜けてて頼りないほうが女の子って見られるわよ。ねえ桜」
「ええそうですね姉さん。でも自分のいざという時のうっかりミスはドジっていうよりも致命的なミスですので可愛げとかそんなのは皆無だと思いますよ?」
じんわりと悪意の篭った声だった。
「あははははは。なにいってるのかしらねー、この子は」
「うふふふふ、さあ、一体なんでしょうねー?」
声だけは明るい、姉妹の会話。
「あ、あの。二人とも……?」
「──んで、だ。」
と。何やら不穏な空気の漂い始めている店内の様子をぼんやりと眺めつつ、ランサーは半眼で背後に腕を伸ばしていた。その手の先には、今まさに逃げようとしていた士郎の服がしっかりと掴まれている。
「なにやってんだ、坊主」
顔を引きつらせた士郎は、目をふいっと逸らしつつ、
「……生き延びるための避難そのいち、かな」
そう、ぼそりと告げた。
「……まあいいけどよ」
ぼんやりと呻くランサー。
試着室の奥からは、凛のがあーと叫ぶ声が響いてくる──。
「あーもう! いいからこれに着替えなさい!」
「そうです、元はいいんですから着飾ればもう凄いことになっちゃうんですから!」
これでもかと押しまくる二人の声に、バゼットの声はかなりたじろいでいるようだった。そして。
「も──もう勘弁してください……っ!」
ジャっ──!
悲痛な叫び声が響くと同時、試着室のカーテンが開き、そこからひとつの人影が飛び出してくる──!
「あ、ちょっとバゼット──!?」
引き止める声も無視し、人影はうつむいたまま駆け出した──が、入り口近くに立っている人影に気づくと、ぴたりと足を止めた。
「………………え………?」
半笑いに固定された口から、そんな声が漏れている。
人影──バゼットに見つめている人物、それはランサーである。
彼は突然飛び出してきたバゼットに目を丸くしていた──が、やがてその表情は次第に困ったような笑っているような曖昧なものへと変化していく。ぽり、と頭をかき、バゼットからやや視線を逸らし、そして彼は。
「……………お前、バゼット……か……?」
そう呻くランサーの声は、ひどく自信がなさそうだった。
バゼット・フラガ・マクレミッツ。いつもならばスーツをびしりと着こなしている彼女の姿は、今や見違えるものになっていた。
パールピンクのレースのついたワンピースに、それと同じ色の幅の広い帽子。小物まであしらっていたのか、腕には小さな時計と指輪が輝いていた。どこの令嬢かと言うスタイルである。
『…………………………………。』
沈黙。ランサーとバゼットは、見詰め合ったまま、硬直している。
「…………………………………ええと……」
のろのろと──頬をやや引きつらせながらも、最初に口を開いたのはランサーだった。
そして彼は、何やら遠くを眺めつつ、ぼんやりと呻く──
「…………お前、趣味、変わったなあ……?」
その一言が。
ぷ、ちんっ。
バゼットのナニカを、問答無用にきっぱりと、切れさせた。
「ふ……ふふふ……………」
低く唸るような笑い声だった。
「ふふふふふふふふふふふふふふふ──」
不気味な笑い声と共に、令嬢ルックとなったバゼットの背後から何やらオーラのようなものが立ち登る……
そして。
「ッ死ねええええええええええっ!」
その叫び声と共に、殺気がこれ異常ないほどに高まり、目にぐるぐるマークを浮かべたバゼットが一気にランサーへと飛び掛る──
「って、なんでだあああああああっ!?」
午後、デパートの一角に、ランサーの絶叫が響き渡った──。
4.
「ふう、いい買い物が出来ました」
夕暮れに染まる道を歩きながら、バゼットは手に提げた紙袋を満足げに見下ろし、微笑んだ。
士郎たちが帰途についたのは、あれから数時間ほどしてからのことだった。
バゼットをなだめ、なんとか普通の──彼女にとっての普通だ──服を買わせ、ついでだからと美味しいと評判の店で皆で昼食。その後も色々とぶらつき、そして今。バスから降りた士郎たちは、屋敷に程近い道を歩いていた。
不満そうな表情を隠しもせず、凛はあーあ、と呻き、腕を頭の後ろで組んで見せた。
「つまらないわね。結局またスーツじゃない。しかもまた高いの買ってたし……」
いいわねお金持ちは、とぶつぶつと呟いている。
「折角買うのですから、自分の満足するものを買うべきでしょう」
何を言っているのだか、と呆れたように告げるバゼットに、凛ははあ、と大袈裟に嘆息してみせた。
「駄目よそんなの。面白みにかけるもの。そんなんじゃランサーを篭絡できないわよ?」
その言葉に、バゼットはぎょっとしたように目を見張った。
「ろっ……!? ──凛さん、貴女は勘違いをしている。いいですか、前も言いましたが私とランサーは」
ずいっと顔を近づけ、声を潜めて囁くバゼット。凛は面倒くさそうにぱたぱたと手を振り、それをあしらう。
「ああ、はいはい。わかってるわよ」
「いいえわかっていない。こ、こう言うことはきちんとですね──」
なおも抗弁しようとするバゼットに、
「──バゼット」
凛はひた、と静かな眼差しを向けた。
「……?」
口をへの字に曲げ、きょとんと見返してくるバゼットに向かい──凛は口を押さえながら、にんまりと笑って、
「顔、赤いんだけど。」
「〜〜〜〜っ!?」
その言葉で、一瞬にしてバゼットの顔が真っ赤に染まった。ぱくぱくと何かを言おうとしているようだが、言葉にならないのか──結局押し黙る。
「ほら遠坂、そのくらいにしろって」
苦笑しながら割って入ったのは士郎だった。
「そうね。また暴れられたらたまらないし」
くすくすと口元を押さえながら笑う凛。
「ああもう……っ」
歯噛みするバゼットに、桜が小首をかしげながら尋ねる。
「でも、そんなにはずかしかったんですか? 似合ってたと思うんですけど……」
その言葉に彼女は少し考えるように視線を彷徨わせると、
「あれには……相当の勇気が必要です……」
ふ、とやたら疲れたような表情を浮かべ、虚空を見つめてぼやく。そんなこともないと思うけどなー、とぼやく士郎の言葉は完全に無視しながら。
「まあ、おいおい慣らしていけばいいでしょ」
「いえ、結構です。」
ぴっと指をたてて言う凛にきっぱりと断りをいれるバゼット。
そう言えば、と士郎は口を開いた。
「にしてもランサー、災難だったよなあ」
「はい、ちょっとかわいそうでした……」
桜もまた同意する。
あの後。完全に暴走モードにはいったバゼットから、ランサーはなんとか逃げ出したのだが──
「……あそこで、せいぜい『ぽかっ』って叩くぐらいならまだ可愛げあるじゃない。なんで『ごがっ』って感じでいくのよ」
はあ、と嘆息する凛に、バゼットはますます顔を赤く染めて、
「む、無茶を言わないで下さいっ。……手加減など出来る状況ではなかったですし、何よりそんな恥ずかしい真似が出来るはずが──」
「ああはいはい、まあそうよねー」
「そうですねえ」
困ったもんよねー、と半笑いを浮かべる姉妹に、バゼットは口を尖らせる。
「な、なんですっ。もう過ぎたことでしょう?」
「まあそうだけどね」
頷きつつ、凛は桜の顔をちらりと見る。
「はいっ。帰ったら皆さんにも見せてあげないとですね」
桜は笑いつつ、携帯電話を何やら操作している──
バゼットはふと真顔に戻ると、真剣な表情で尋ねた。
「……桜さん? ちなみにそれは、ただの携帯電話、ですよね?」
「はいっ。ごく普通の携帯電話ですよっ?」
「…………?」
よくわかっていないのか、妙な表情のまま、とりあえず引き下がるバゼット。
ふと気づけば、屋敷はもう目の前に近づいている。
「ん、それにしても結構遅くなったな」
「そうねえ。なんだかんだでぶらぶらしてたし」
夕飯の材料も買ってたしね、とビニール袋をゆする凛。
一番最初に屋敷の門にたどり着いたのは士郎だった。彼は敷地へと足を踏み入れつつ、
「あれ」
と、ふいにそう零した。
「ん、どうかした?」
聞いてくる凛に、士郎は首をかしげながら、
「いや。なんか忘れているような……」
唸りつつ、玄関へと鍵をさしこみ、扉を開ける。
「気のせいじゃない? ただいまー」
「む、そうかもな。──ただいまセイバー、今帰った、ぞ……?」
────と。
そこまで言ってから、士郎は口をつぐんだ。
じっとりと汗をかきながら、顔を青ざめさせている。
「よう……やく──」
ガ、チャッ。
思い金属音と共に、廊下の奥から低い声が響いてくる。
「ようやく──戻りましたか」
ガ、チャンっ。
襖が開き、そこから足がのぞく。──銀に輝く金属鎧に包まれた、足が。
そして。
「お帰りなさい、シロウ……?」
そう言いつつ、居間から姿を現したのは──満面の笑顔を浮かべているセイバーだった。
セイバーである。どこからどう見ても、いつものセイバーである。ただ一つ、家の中だと言うのに完全武装しているという点を除けば、何もおかしいところはない──。
「え、ええと…………………………」
口ごもる士郎。その表情は真っ青を通り越して、どす黒くなっている──
────「ではシロウ、行ってきますね」
衛宮邸、玄関。両手に合計6つの紙袋を持ち、セイバーは後ろを振り返った。
「うん。帰って来るまでには昼飯の用意しておくからな」────
──思い出されるのは、数時間前のその出来事。
現在、時刻はとうに昼と呼べる時間は過ぎ去っており。
もうすぐ夕飯に取り掛かろうかという時刻である────。
「し、士郎……? ねえ、なんだか嫌な予感がするんだけど……?」
顔をひきつらせ、じりじりと後ずさりをしながら凛がこっそりと尋ねる。
「さて──シロウ」
おごそかに、セイバーは口を開いた。
「は、はい……っ!?」
思わず姿勢を正しながら叫ぶ士郎に、セイバーはにこりと笑いかけながら、
「最期に、何か言い残すことはありますか?」
さらりと言い捨てた。
「いやっ、待てセイバー。これには色々と深い事情が、」
その言葉にセイバーはふむ、と頷くと、
「事情。そうですか、事情ですか。────何を莫迦な。生活の基本となる食事よりも大切な事情などこの世にありません」
途端無表情になり、即座にきっぱりとそう言い捨て──、一歩踏み出した。
凛はぶんぶかと手を振りながら、
「あ、あのねセイバー? 違うのよ、悪いのは全部士郎で、」
「おいっ!?」
たまらず悲鳴をあげる士郎をよそに、セイバーはやはりにこにこと笑いながら、再び一歩、士郎たちへと近づく。
「凛? 凛から何やらおいしそうな匂いがするのですが?」
「ああああっ、やっぱりニンニクはやめておけばよかったー!?」
慌てて桜の後ろに隠れる凛を尻目に、セイバーはさらに一歩、詰め寄った。
「セイ、セイバーさんお願いだから落ち着いてくださいーっ」
「問答無用ですよ、桜?」
ガ、チャンっ──
セイバーはそこで足を止めた。士郎との距離は1メートルあるかないか。いつの間に開放したのか、剣はその本来の姿を現している。黄金に輝く剣──それを床につきたてつつ、圧倒的な威厳をかもし出しながら、怒れる王は静かに口を開いた。
「さて、シロウ」
「な、なにか、な……?」
完全に及び腰になっている士郎たちに向かって、セイバーはにこりと笑うと、
「私が言いたいことが、わかりますか?」
「うん、いやっええとわかるんだけどわかりたくないって言うか、ええとセイバー出来たら落ち着い、」
士郎の声は最後まで聞くことなく、セイバーは。
「おなかが、」
言って、黄金に輝く剣を振り上げ──
「空きました────!」
『ああああああああああああああああっ!?』
刹那、圧倒的な光が膨れ上がり、士郎たちを悲鳴ごと飲み込んでいく──
夕暮れ。衛宮邸の窓と言う窓から、光が燦然と輝いていた──。