後後後後後後後後後後後後後後後後後後後後後後日談。
「ん……」
そんな自分の呟きで目が覚めた──と言う訳ではないのだが。
ふと気づけば、まどろみもなく、すんなりと目が開いていた。
ぼやけた頭のまま、のろのろと部屋を見渡す──純和風の狭い部屋。床の上に直接布団を敷いて寝るというのが、この国の文化らしい──まあ、家に上がるのに靴を脱ぐのだからそこまで嫌悪するべき風習ではないのかもしれないが、慣れないことには違いない。
時計を見れば、信じられないほどの早朝。二度寝でもしようか──真剣に考えてしまうが。
しかし、よく考えれば勿体無い。折角だから散策でもしよう──そう考え、カーディガンを手に取った。スリッパに足を通し、襖を開く。
どうやらこの屋敷の住人は、異様なほどに早起きらしい──いつも自分が起きる頃には誰かしらが起きている。だから、今日は何と言うか──特別な日。
廊下を歩き、居間へ。やはり誰もいない。
「さて……」
ルヴィアゼリッタは頬に手を当て思案した。まだ起きたてだからか、空腹感はさほどない。その代りと言うわけではないが、喉が渇いていた。勝手にキッチンへと入り込み、冷蔵庫から炭酸入りのミネラルウォーター──常備していないとのことだったので、買ってきてもらったものだ──を引っ張り出した。コップを手に取り、注いでから一気に喉へと流し込む──
「……ふう」
一息ついてから、辺りを見渡す。
こちらにきてからまだ数日だと言うのに、すっかり見慣れてしまった。
「まあ、居心地がいいのは確かですが……」
苦笑して、コップを流しへと置く。ついでに蛇口をひねり、軽く顔を洗った。本格的なメイクは後でもかまわないだろう。
さて、どうするか──ぼんやりと考えながら、再び廊下へ。
気づけば足が士郎の部屋へと向かっていた。
部屋の前に立ち、こほんと咳ばらい。そっと手をかけ、僅かに襖を開く──
「……シェロ?」
小さく、囁いた。
が、士郎の姿は部屋の中にはなかった。
布団すら敷いていない。
「あら……?」
眉をひそめてから、脳裏にふと先日の会話がよぎる──
「あ、あー。そうだ思い出した。昨日は土蔵でそのまま寝ちゃったんだ」
「あのね士郎。もう寒いんだから、土蔵はやめなさいってあれほど──」
「あ、うん、ごめん。気をつけるよ」
「ドゾウ、ですか……」
呟き、足を玄関へと向ける。
靴を引っ掛け、扉を開けて外へ。
外気の冷たさが頬を撫でた。
「確か──」
歩きつつ、きょろきょろと周囲を見渡す。確か屋敷とは別に小さな建物があったはずだ。恐らくはそれのことなのだろう──ざっと見当を付け、そちらへと進んでいく。
軽く力を込めると、僅かに開いた。鍵はかかっていないらしい。手にさらに力を込めていく──ゆっくりと扉が開いていく。
──中は暗く、しんと静まり返っている。
冷涼な空気だった。外の寒さとはまた別の冷たさが、静かに広がっているよう。
「……シェロ?」
覗き込むと、そこにひとつの人影があった。ツナギを着たままの士郎があぐらをかいた姿勢のまま眠っている──どうやら昨日はここで作業をして、そのまま眠ってしまったらしい。
「全く。この間注意されていたばかりでしょうに……」
しょうがないですわね、と嘆息しながら、足音をたてないよう注意しつつ中へと踏み入る。
「……あら、ここは……」
思わず絶句した。霊力の流れがいい場所だとは思っていたが、ここは中でもよく通っている。
「なるほど、つまり工房……いえ、工房もどきですか、これは……」
つい、苦笑してしまう。
通常、魔術師が他人の工房へ踏み入るというのはあり得ない。まず第一に魔術は衆目に晒すべからずとの暗黙のルールがある。同業者であっても、根源を目指す者にとってそれが他者の目に入れていいものであるはずがなく、それは秘匿されなくてはならない。弟子すら立ち入る事を禁止する場合も決して珍しくはない。中には喜々として招き入れる者もいるようだが──自身の研究成果の集大成を曝け出すのは愚者か、余程の自信家か──。まあどちらにしろ厄介には違いないのだが。
実際彼女の工房にも出かける前に幾重にも結界をかけてきてあるし、監視も怠らないよう厳命してある。これくらいの厳重さがあって当然なのだが、ここにはそれがない。見渡してみてから、その理由はすぐにわかった──ここには盗まれて困るような代物はない。魔法薬もなければ書物もない。成果そのものがない──大凡工房とは言い難い。
衛宮士郎──シェロ。凛から聞いていた情報だと、未だ魔術師とは半人前の弟子、だとか。
先日も魔術の行使する場面を実際に見たが、“修復”すら満足に出来ないようでは先が思いやられるだろう。
「全く、ミストオサカもどうしてそんな男を弟子になど──」
言いつつ、申し訳ないとは思いながらも中を見渡す。混沌、の一言に尽きる──どう見てもがらくたとしか思えないものばかりが転がっている。工房などではなく、本当にただの物置なのではないかと本気で疑ってしまう。ひどく旧式のストーブにランプ、工具、その他何に使うのすらわからないガラクタに、剣──
「……剣?」
大凡この場所にふさわしくなさそうな物を見つけ、眉をひそめる。
思わず士郎を振り返るが、どうやら起きる気配はないようだった。
「そう言えば──」
「──投影、」
刹那、顔を青ざめさせつつも士郎が跳ねあがり、ルヴィアを押し倒し、
「開始──!」
ッぎぎぎぎぎぎぎんっ!
刹那、士郎の両手の中に白と黒の夫婦剣が出現し──それらが、黒い光を尽く叩き潰す──!
「そう……属性は剣ですの。また珍しい……」
呟いてから、苦笑する。自分もまたその中の一人に数えられることを失念していた。確かに珍しいが、こう言った者は皆無というわけではない。時計塔にも似たような者ならば自分の知っているものだけでも数人はいた。
ただレアリティがあると言うだけでは、理由にはならない。少なくとも自分ならばそれだけの理由では弟子にはとらないだろう。重要なのはそのレアリティをどう生かすか。実際、元から授かった才能だけに頼って潰れていく者は多くいる。
「全く、ミストオサカもどうしてこんな──」
言いかけて、止まる。
あの時士郎が使っていた魔術。
──あれは、確か。
ここにあるモノ。
──そんな馬鹿な。あり得ない。
──符号が合わない。決定的にボタンがかけ違っている──
剣を握りなおす。どこからどう見てもただの剣だ。アンティークとしての価値すらない、本当にただの剣──
だが。
握る掌に、じっとりと汗がにじんでいることに気づく。
「……………シェロ、貴方──」
思わず、見返す。
──衛宮邸。早朝の土蔵の中、ルヴィアゼリッタは独り佇んでいた。
「しかし今日は随分早起きだったんだな、ルヴィアさん」
衛宮邸、居間──
時刻は7時になるかならないかという頃合い。いるのは士郎、凛、桜、ルヴィア、セイバーの五人である。他の面子はまだ眠っているようだが、最近は珍しくもない。
「そうですわね」
ルヴィアは味噌汁の入った茶碗を手に取りながら、軽く頷いて見せた。
「? 何の話?」
首をかしげたのは、未だぼやけた眼差しの凛。
士郎はぽりぽりと頭をかきながら、
「いや、今日土蔵で眠っちゃってたんだけどさ、ルヴィアさんが起こしに来てくれたんだ」
と、その言葉に反応したのは桜だった。もうっ、と口を尖らせて、
「先輩―? 前も言いましたけど、体に悪いですから──」
「ああ、うん。ごめん、次から本当、気をつけるからさ」
勘弁してくれ、と苦笑する士郎。
「ふうん……」
大して興味を持たなかったのか、生返事をして卵焼き──最後の一個だ──へと箸を伸ばす凛。
「ああ、そうそうリン?」
ルヴィアが話しかけると、凛は慌てて卵焼きを小皿へととり置き、
「ん? なによ、言っておくけど駄目よ? 早いもの勝ちなんだから──」
呆れたような嘆息をついてから、ルヴィアは。
「……違います。今日は貴女の屋敷を拝見したいのですけれど、いかがです?」
「………………なんで。」
その表情に目いっぱい『いや。』と浮かべつつ、凛が呻く。
「興味がありますので。……それに、私の屋敷にはきたことはありますわよね?」
「まあ──、ね」
しぶしぶ頷くと、彼女はあっさりと、
「ではそういうことです。」
……凛は嘆息した。
「はあ……まあ別にいいけどね。めんどくさい、け、ど──」
言いつつ、言葉が途切れる。
「…………………………………………………。」
沈黙。凛は何やら顔を引きつらせて硬直している──
「……? どうしたのです、リン──」
「………………………まずい……」
低い呻き声が、響いた。
「ごちそうさま、桜」
と。士郎が食べ終えたらしく、食器を重ね始めていた。
「おそまつさまです」
桜が頬笑む横で、凛は顔に手を押しあて、まずいまずいと呟き始めた。もう片方の手を突き出して、
「ル、ルヴィア? わ、わかった。わかったから──ちょーっとまちなさい?」
言ってから彼女は、くるりと士郎へと向き直った。その顔に浮かぶのは、極上の微笑。普通の男性ならばそれだけでまいってしまいようなその笑みに、しかし士郎は顔を引きつらせていた──まずい、何か変なこと言われるぞこれ。
「士郎―、ちょっと来てー?」
凛は猫撫で声で囁いた。
「なんだ、どうした遠坂」
密かに十字を切りつつ、士郎は尋ね返す。
凛は素早く近寄ると、士郎の手を握りしめた。目ざとく桜がそれを目に止めているようだが。
「……?これ、なんだ?」
硬い感触。凛は手を握る際、士郎の掌に何かを置いていた。思わず士郎がそれをのぞきこもうと手を開きかけて──
その手を、再度凛が抑え込んだ。
「手は開かないで。これ、うちの鍵だから」
「あ、ああ」
「で、今から行って──」
いい? と凛はさらに顔を近づけ、声を潜めて、
「ステッキ、箱に押し込んでふんじばってきて。」
「……………………………。」
ひくり。
士郎の頬が、ひきつった。
「……ええとな、遠坂」
のろのろと呻くと、凛は仏頂面で聞き返してくる──
「何よ」
「あれ、まだ出しっぱなしだったのか……?」
半眼で唸ると、凛は慌てたように早口でまくしたてた。
「しまった──とは思うんだけど。でも──でもね、士郎」
言って、『ぽんっ』と肩に手を置き、半眼のまま顔を『ずいっ』と近づけて、
「──あのステッキ、なのよ?」
「……そだな。」
やがて彼は深く嘆息すると、
「まあ、うん。そうだよな。色々あったら面倒だし、確認してくる。男の俺なら効果ない──んだよな?」
「うん、ない。それは大丈夫よ。助かるわ士郎」
ありがと、と頷く凛の横で。
「──何の話ですか?」
いい加減しびれを切らしたのか、ルヴィアが割って入ってきた。
「な、何でもないっ! ほ、ほらほらっ!」
凛は慌てて体を離し、士郎の背を押した。
「あ、ああ! じゃあまたあとでな! ──悪い桜、片づけお願いしてもいいか」
話についていけていなかった桜は、慌てて頷いた。
「え? はい、それは全然構いませんけど──先輩? どこかお出かけですか?」
「や、まあ。大丈夫、すぐ帰ってくるからさ──」
言いつつ、ちらりと凛を見る──と、彼女もまたこくんと小さく頷いた。
「よし、じゃあちょっと行ってくるな」
しゅたっ、と立ち上がり、士郎はすたこらと居間から出ていく──
「…………?」
そして。ルヴィアは一連の行動に、ただ首をかしげていたのだった。
「ふうん、これが──」
目の前にそびえ立つ洋館を見上げ、ルヴィアゼリッタは呟いた。
士郎が出て行ってから、30分ほど後。化粧やら準備をしてから、では早速と、やたら張り切るルヴィアに引っ張られる形で凛は衛宮邸を出たのだった。
「……また随分と小さいのですね……?」
ぽつりと呟いたはずのその一言は、しっかりと凛の耳に届いていた。
ぴくり、と体を震わせている。
「……喧嘩売ってるのアンタ」
半眼で唸ると、ルヴィアは慌てて手を振って、
「ち、違いますのよ? 別に貴女の家名をどうというわけでは──ただちょっと本当に驚いてしまたので……」
「……ああもう。悪気がない分なおタチ悪いわよっ」
ぶつぶつと呟きつつ、嘆息。頭をがしがしかきながら鍵を鍵穴へと差し込む──が、予想していた手ごたえはかえってこなかった。んー? と覗き込むと、よくよく見れば、扉に鍵はかかっていないよう。
「あ、そっか」
士郎に先にスペアキーを渡していたことを失念していた。恐らく、屋敷に入ったはいいがうっかり中から再び施錠するのを失念していた──と言ったところなのだろう。
「? どうかしましたか?」
こくり、と不思議ように覗き込むルヴィアに、慌ててぱたぱたと手を振って見せて、
「え? あ、ああうん、なんでもないなんでもない……」
あはは、と笑いながら、ドアノブを捻る。玄関口には見覚えのある男物の靴が置いてあった。──どうやらちゃんと士郎は来ているようだ。
「士郎―? いるー?」
靴を脱ぎつつ、声を張り上げる。と、奥から物音が聞こえたと思うと、リビングに通じる扉からひょっこりと士郎が顔を出した。
「い、いらっしゃい、二人とも」
「あら、シェロ。どうしてこちらに?」
驚くルヴィアに、士郎は。
「え、や、ちょっと用事があったからさ」
あはは、と空笑い。
凛は素早く近寄ると、こそこそと小声で耳打ちした。
「……士郎。あれ、大丈夫でしょうね」
あれ。
無論のこと、カレイドステッキのことである。
士郎はこくこくと頷いて見せた。
「あ、ああ。きちんと箱にいれて上に物置いて重しにしておいた。あれだけやれば出られない……と思う」
「……よし」
ぐっ、と拳を握る。
「何の話ですか?」
「あ、や、別に」
にゅっと首を伸ばしてきたルヴィアに慌てて手を振り、凛はさっさと廊下を進み始めた。後ろから二人がついてきているのを確認してから、リビングへと移動する。
見慣れたその部屋には、前回来た時と比べて変化らしい変化は何もない。家具の位置も、静けさも何もかもが同じ。衛宮邸と比較すればあまりにも寒々とした光景だった。こっそりと嘆息しつつ、くるりと背後へと振り返る。
「いっておくけど、そんな見ても面白いものなんてないわよ」
多少皮肉を込めて告げるが、ルヴィアは気づかないようだった。珍しそうにきょろきょろと見渡し、呟いている。
「それは自分で判断しますから。──ふうん、ここがリビングなのですね。また手狭ですこと……ああシェロ、お茶をいただけるかしら?」
「あ、ああ──」
「あのね。わたしの家なんだからわたしが淹れるわよ。ほら士郎も座ってて」
頷きかけていた士郎の腕を掴み、嘆息してから──彼女は手早く紅茶の準備を始めた。
「はい、どうぞ」
カチャっ──
机の上に、紅茶が置かれた。続いてもうひとつ。さらにひとつ。あらかじめ用意されていたクッキーの詰まった皿を含め、4つが置かれた。
「さて、と──」
椅子に腰かけ、紅茶を少し口に含んでから──凛はふうと嘆息した。深く座りなおし、尋ねる。
「──それで? 何が見たいのよ。さっきも言ったけれど、そんなに珍しいものなんて──」
「確かに貴女の住まいに興味はありましたが──こちらに来たのは本当はそれだけではありませんのよ?」
「え? ……どういう意味よ」
わからないと言うように首をかしげる凛に、ルヴィアはさっと手を振って、
「二人きりで話がしたかったのです。シェロがこちらに来ているのは少々予定外ですが──そうですね、こちらの方が都合がいいのかもしれませんわね」
「……ええと。話が見えないんだけど……」
苦笑する凛の瞳を見据えて、ルヴィアは続けた。
「では単刀直入に。──先日伺いましたが、シェロも時計塔に呼ぶとかなんとか」
「え、あ、うん。そうそう。聞いてみたら結構乗り気だったみたいで──」
「──それはつまり、本格的に魔術師の道を目指すと解釈していいのですか?」
「ん……まあ、そうね。けど、アイツの場合はなんて言うかちょっと特殊で──」
「ええ、ええ。そうですわね──シェロの才能は非常に珍しいです──私も先日は自分の目が信じられなかったですもの」
さらりと、告げる。
──ぎょっとした表情を浮かべて凛と士郎が硬直した。
はあ、と嘆息ひとつついてから、凛は。
「待ちなさい。アンタ士郎のこと、どこまで──」
「──あら、半分はカマをかけたつもりでしたのに、ビンゴですのね。やはりあの投影魔術ですか、特異なのは」
ふふっ、としてやったりと言うような笑みを浮かべるルヴィア。
「──……」
その言葉に凛はジト目で士郎を睨みつけた──アンタ何ヘマしたのよ、と言うように。その意はしっかりと伝わったようで、士郎はぶんぶんと手と首を振ってみせた。
もう一度盛大に嘆息してから、凛は。
「……っ。そう、もう知ってるのか……。ええそうよ、士郎の才能は確かに特異なもの。きっとあの一点をつきつめれば、相当伸びるはず──」
「──なるほど。彼を弟子にしたのはそういうことですか」
「違う。確かにアイツはちょっと普通じゃないけど、でもそんな理由じゃないわ」
ルヴィアの指摘に、しかし凛は即座に否定した。
「ではどのような?」
「っそれは──」
すかさず聞き返してくるその言葉に、口ごもる。
「……まあ、いいですわ。話というのは──リン、シェロを私に下さいません?」
と。
さりげない口調でルヴィアはそう、告げてきた。
「は────?」
ぽかんと口が開いた。今──この女は何と言った?
呆然としていると、彼女はもう一度平然と繰り返してきた。
「ですから。弟子として私が、シェロを欲しいと。そう言っているのです」
「……待った。アンタ何、本気でそんなばかなこといってるの? 弟子の譲渡なんてきいたことがない──」
「──前例がないなど言い訳にしかなりませんわ。私なら、彼を導いていける。貴女にそれができますの?」
「──出来る。は、随分甘くみられたものね」
「本当かしら。彼、相当にじゃじゃ馬のようみたいですけれど」
「上等。あのくらいがちょうどいいわ……!」
ふん、と鼻息も荒く言い切る。頭に血が上っているのか、その場に士郎も同席しているということはすっかり失念しているようだった。
呆れたようにルヴィアは続ける。
「第一貴女、資金調達すらままなっていないではありませんか。宝石魔術師としては致命的なのでは?」
「………………………っ」
ぐ、と口ごもる。確かに資金難は慢性的なもので、それについては否定しきれなかった。
見かねた士郎が、慌てて口を挟む──
「ええと、二人とも落ち着い───」
「──シェロ。貴方はどちらを選びますの?」
ルヴィアは話の矛先を変えた。
「え? いや、俺は──……」
士郎はそう呟いて腕を組んだ。
──考えていたのは、数秒間。
そして彼はゆっくりとルヴィアへと向き直ると、
「あのさ、ルヴィアさん」
真っ直ぐに目を見つめて、続けた。
「俺が遠坂の弟子にしてもらったのはさ、何も遠坂の実力だけじゃなくて──いや、勿論遠坂のことは凄く尊敬してるんだけど。でも、うん。やっぱり一度決めたことは簡単に覆したくないし──その。えと、だから──だからさ。俺はやっぱり──、遠坂と一緒に、歩いていきたいんだ……」
しん……
居間が静まり返った。
「士郎……」
耳まで顔を真っ赤に染めて、凛が呟く。
「……そう、ですの」
ふう──と。
寂しそうな、あきらめにも似た溜息を付いて──、ルヴィアはそう呻いた。
「それに──何よりさ──」
士郎は苦笑しながら、
「遠坂、魔法少女だもんな……」
「……え?」
凛は顔をしかめて聞き返した。
と、士郎は唐突に『がたんっ!』と椅子から立ち上がると、ぐぐっと拳を握りしめながら、
「ああ、そうだよ。魔法少女最高だ! あ、でもそうですねルヴィアさんもマスターの素質はあるんだからやってみればいいんじゃないですかっ?」
「は?」
事態についていけないのか、ぽかんとルヴィアが目を丸くしている──が、構わず士郎は彼女へと近寄ると、
「ルヴィアさん──」
言いつつ、顔を寄せて行った。
「ちょっ──シ、シェロ……?」
顔を真っ赤にして慌てふためく彼女に、士郎は。
「はいっ。」
言いつつ、その手を握りしめた。
「は?」
ルヴィアはぽかんと口を開けて、手のひらを見つめた。何もない──いや、何も見えない。確かにそこに何かはあるが、眼には見えていない──
「って、まさか──!?」
顔を真っ青にした凛が椅子を蹴って立ち上がった。
「え」
呆然としているルヴィアの手の中のソレは、次第に姿を現し始めている──やたらカラフルな、羽のついたステッキ……
──カレイドステッキである。
「またかあああああああああっ!?」
凛が頭を抱えて絶叫する。
「え、あれ? 俺、一体何を……?」
見ると、きょとんとした士郎が、そんなことを呟いている。
ルビーは周囲の様子などかけらも気にした様子もなく、
「あはー、この世界では初めましてですか、ルヴィアさん」
「すっ、ステッキがしゃべって──?」
ぎょっとするルヴィアを余所に、ステッキはいつもの通りさくさくと話を進めていく──
「と言う訳で、なんかもう期待にこたえるためにもやっちゃいましょう、多元ぅ──変身っ!」
そして。
何やらどこからともなく光と音が溢れ返り、ルヴィアの全身が包まれていく……
「………………………………………ええと……」
のろのろと呻き、凛は隣で呆然としている士郎を睨みつけた。ルヴィアの変身が始まっているようではあるが、この際それは意識の中から切り落としておくことにする。
「……ちょっと士郎、なにがどうなってんのよ」
が、士郎はきょとんとした表情を浮かべ、呆然と立ち尽くしているのみである。あれ、と呻いて慌てて周囲を見渡してから、
「あれ、遠坂? いや……あれ? なんか、記憶が……」
言ってこめかみを押さえる士郎を見て、凛は大きく嘆息した。じと、とステッキを睨みつける。
「……ああ、もういい。大体わかった。ルビー、あんた士郎洗脳したわね……?」
「あはー。変身機能は女性限定ですが、洗脳とかは出来ちゃうんでないかな、とか思ってやってみたら案外さくっとできちゃいましたので」
あっさりきっぱりルビーは言い切った。
……一方。
「ふっ──魔法少女カレイドサファイヤ、参上ですわっ! さあシェロ、あの生意気なルビーを今日という今日こそ叩きつぶしにいきますわよっ!」
青いやたら派手な服に身を包んだルヴィア、もといカレイドサファイヤは、何やらそんなことを叫んでいるようである。
「いや、ええとさ。」
ふるふると首を振る士郎。
「ああ、もう……」
ひたすら疲れたように顔をどんよりと曇らせながら、凛は。
「どうすんのよ、これ……」
その問いに答える者は誰もいない──
──結局。我に帰ったルヴィアが絶叫したのは、20分ほど後のことだった──。
「ああもう、ひどい目にあいましたわ……」
帰り道。
やたらげっそりとした顔でのろのろと呻くのは、ルヴィアだった。その後ろには凛と士郎が続いている。
結局、暴走寸前のルヴィアをなんとか抑え込み、ついでにステッキもきちんと箱に封印してから、ほうほうのていで三人は屋敷から出てきたのだった。
「いや、まあ」
曖昧に頷く士郎たちへと『きっ!』と振り返り、ルヴィアはびしりと指を突き付けた。
「────貴方たち」
ずいっと近づき、最上級の笑顔を振りまきながら、続ける。
「いいですこと。今日見たものは! 全部! きっぱり! 忘れるのです! いいですわねっ!?」
「ああ、はいはい」
ひらひらと手を振りながら、凛は頷いて見せる。それでも納得しきれないのか、ルヴィアはなおも腕を組んでぶつぶつと歩きながら呟いている──
「大体ですね──」
その後ろ姿を眺めながら、凛はこっそりと隣を歩いている士郎へと話しかけた。
「それで、士郎」
「え?」
振り返る彼の顔を見て、一瞬だけ口ごもる──結局前を見たまま、視線を合わせることなく、ぼそりと尋ねた。
「その──さっきの台詞って……ううん、士郎貴方、どこから正気だったのよ……?」
「え……」
士郎はその言葉に凛の横顔を見つめた。
が、すぐにそれは苦笑へと移り変わる。
空を見上げながら、彼はのんびりと呟く──
「──さあ、どこからだろうな?」
「ちょ、ちょっと士郎―……?」
顔を赤く染めながら、凛が恨めしげに口を尖らせる──が。
「ほら二人とも、何をぐずぐずしていますの!? 早く戻りますわよっ!?」
前方からのルヴィアの声に、二人は目を合わせた。
そして、互いに苦笑してから、足を速めて歩き出す──
──時刻は昼前。今日はいい天気になりそうだった──。
「はあ……全く、ありえないですわ。何故私がこんな目に──」
あれから30分後。衛宮邸に帰ってきたルヴィアは自室へと戻っていた。
純和風の質素な部屋だが、来る前に思っていたほど悪いものではない。
ひとしきり愚痴をこぼしてから、そうですわ──と鞄をあさり始める。
「……お化粧とかは崩れてはいないでしょうね……全く、本当ハタ迷惑な──あら」
と──、言葉がふいに途切れた。
「これって……」
鞄の中で何かを見つけたのか、ふいにぴたりと動きを止める。
かさかさと鞄の中で手を動かし──そして彼女はすっと目を細めた。
「ああ、そう言えばそうでしたわね……」
ちらり、と壁に掛っているカレンダーを見る。
「明後日、ですか……」
──窓の外は晴天。そう言えば今日は暖かい。もう春が近づいているのだろうか──だとすれば、冬はもうすぐ終わりを迎えることになる。
「そう、ですわね……」
ふ、と小さく吐息をついて。
彼女はほんの少しだけ──目を伏せた。