1.
眠くなるような陽気だった。見上げれば青空──そう言えば、ここしばらく雨は降っていない。
新都はいつも通りの賑わいを見せていた。平日の昼下がりと言うこともあって、多くは主婦や子供、老人が占めている。その中を独り歩きながら、バゼットはふうと息を吐いた。
「……今日のは……どうだったんでしょうね……」
ぼんやりと、思い出す。
つい一時間ほど前、彼女は面接を行ってきたばかりだった。
その内容について思いを馳せつつ、
「やれやれ。しかし今朝のは──。全く、本当に毎日が騒がしい……」
何かを思い出したように、そう言って──楽しそうにくすくすと笑う。
「……あ」
と──、周囲の視線が集まっていることに気づき、はっと口元を引き締め、何事もなかったかのようにして歩き出す。その頬には一筋の汗が浮かんでいるのだが。
数歩進み、はあ、と息を吐き出した。
(しかし本当に──ああいや、そうか、これがそう言うことなんでしょうね……)
再び緩み始める口元を押さえ、足を進める。もう見慣れた町並みを、ゆったりと。
(この町を、こんな風に歩くようになるとは……)
複雑な表情を浮かべ、すっと視線を斜め前へと逸らす。と──
「ん? あれは……」
呟き、彼女は眉を潜めた。視線の先、おおよそ10メートル前方に見慣れた後ろ姿が見て取れる。白のブラウスに紺のスカート。きちんと結わえられた金髪。──見間違えるはずもない、セイバーだった。その手には見慣れない紙袋を持っているが──何か買い物でもしていたのだろうか。
ふむ、と呟き。彼女は無造作にセイバーの背後へと近寄っていった。普段ならばすぐに気づくであろう距離になっても、しかし彼女は反応しない。む、と首をかしげつつも
さらに観察する──彼女の視線の先には、一件の屋台があった。ケバブ500円。そう書いてある。
バゼットは、ぽん、と肩に手を置きながら、
「? 何をしているのです?」
「うひゃあっ!?」
耳元で声をかけられ、セイバーは奇妙な声をあげて『ばっ!』と振り返った。
「メ、メメメメイガスっ!?」
だらだらと汗をかき、据わった眼差しで睨んでくるセイバー。
「え──、ええ。いや、何もそんなに驚かなくても……」
手を所在なく動かしながら、呆然と呟く。
「あ──、いえ」
そこでようやく冷静さを取り戻したのか、こほんとセイバーは咳払いをしてみせた。きりっとした表情を浮かべ、涼やかな声で尋ねる。
「それで、どうしたのですか? メイガス?」
刹那。
ぐーっ。
何やらセイバーの体から音がした。
「……………。」
ぴしり、と固まる騎士王。
「……ふむ。つまり──」
手を顎の下に添え、バゼットは片目を瞑ってみせた。
「お腹がすいている。そして目の前にはケバブの出店。そこまで条件が整っていてあれを買うのをためらっている。と言うことはつまり──」
言いつつ、ずびしと指を突きつける。
「……持ち金が、足らないのですねっ!?」
「………………………はい。」
そして。しくしくと涙しつつ、力なくセイバーはうな垂れたのだった。
2.
「感謝します、メイガス。貴女は実に心が広い」
もぐもぐとケバブを頬張りながら、幸せそうにセイバーは告げた。バゼットは苦笑しながら、
「いえ、このくらいなら別に……」
言いつつ、缶コーヒーを一口、喉に流し込む。
道端で二人、車の行き交うのを眺めながらの食事だった。商店街の外れの方に位置するためか、人通りはさほどでもない。それにしても、目立つ二人が並んでいるため、どうしても人目にはついてしまうのだが。
ちらちらと物珍しそうな視線を頑なに無視しつつ、バゼットは口を開いた。
「そう言えば──」
ベンチの右隣に腰掛けているセイバーへとちらりと視線を送り、口元を綻ばせる。
「こうして二人でじっくり話すというのは、始めてですね」
「そうですね……ええ、そう言えばその通りだ」
口にして納得したのか、セイバーもまたこくりと頷いた。
「……と言うより」
苦笑と遠慮の入り混じった微妙な表情。
「……?」
きょとんと見返してくるセイバーに、バゼットはややためらいがちに、尋ねた。
「お金は……ないのですか?」
セイバーはその問いかけに、視線を斜め上へと向けた。青空、と言うよりかは虚空を凝視しながら、やたら爽やかに言い切る。
「……ふっ。もうすでに今月の小遣いは使い果たしました」
「貰ってるんですか。士郎君から。」
半眼で唸るバゼットに、しかしセイバーは決して目を合わせようとはしない。
その様子を見ながら彼女はやれやれと肩を竦めていた──が、何かいいことでも思いついたのか、ぽんと手を打つと、
「お金がないというのなら、どうです、一緒に職でも探しませんか?」
「……職、ですか」
ぎしり、とセイバーの動きが鈍る。
「? 何か不都合でも?」
「え、いえ別に。そういうわけではないのですが。ああしかしそう言えば今日はいい天気ですね」
言ってさっと視線を空へと転じる。
「そうですね。士郎君たちは今頃学校ですか……」
バゼットはあっさりと話題転換された。
「そうですね……」
はふう、と息を吐きつつセイバーがなにげに拳を握り締めている。バゼットは気づいていないのか、苦笑を浮かべていた。
「……今日はまた、凄いことになるのでしょうね……」
「? 何かあったのですか?」
きょとんとして見返すセイバーに。
「ああ、そう言えば知らないのですね。実は──」
バゼットが簡単に、凛たちの肉体が入れ替わってしまったということを手短に説明すると、セイバーもまた微苦笑を漏らした。
「──なるほど。それはまた大変なことになりそうですね……」
もぐ、と最後の一欠けらを口に放り込みつつ、うんうんと頷く。
「ああ──しかし……」
眩しそうに目を細め、手をかざすバゼット。
セイバーは首をかしげ、尋ねる。
「……? どうしました、メイガス」
「いえ──ただ、平和だ、と。そう思いまして」
彼女の笑顔を見て、セイバーもまた納得したようだった。柔らかな笑みを浮かべ、ゆっくりと目を閉じ、頷く。
「──そう、ですね……。ずっと……こんな日が、ずっと続けばいいですね……」
「しかし、どうやらそういうわけにもいかなそうだ──」
そう擦れた声で呟き、バゼットは翳していた手をそっと顔の上に押し当てた。
「……メイガス?」
いえ、と静かに首を振りながらバゼットは身を起こし、目を開き──
「っ───!」
そして、唐突に体を強張らせると刹那の速さでベンチの後ろへと隠れた。
「……?」
今度こそ本気で疑問符を浮かべ、セイバーはとりあえずバゼットの視線の先を追いかけた。そこに広がるのは、人ごみの群れである。いや──よく見れば、その中に見覚えのある人影がひとつある……
セイバーは目を細めながら、ふむ、と呟く。
「あれは……ランサー、ですか?」
3.
「さて、メイガス」
きろり、と半眼で、セイバーはベンチの裏に身を隠したままのバゼットへと問いかけた。
「な、なんですか?」
こっそりと目から上だけをベンチの上から出しているバゼットは、傍から見れば怪しいことこの上なかった。
ひとまずセイバーは、最大の疑問点をそのまま口にすることにした。
「何故そうやって隠れているのです」
「か、隠れてなんかないですっ。ええとその──」
言いながら、視線を右に左に。そしてバゼットは、やおらぽんと手を打つと、
「──そう! 稀に、こんなことをむしょうにしたくなる時があるのですっ」
「はあ、それはそれで大問題な気もしますが」
ケバブの包み紙をくしゃくしゃと手の中で丸めながら、道を歩いているランサーへと視線を投じる。やや距離が離れていることもあって、彼はこちらには気づいてはいないようだった。
おや、とセイバーはやけにわざとらしい声をあげると、
「メイガス、ランサーがこちらに──」
「ひゃっ……」
小さな悲鳴。
『………………………。』
訪れる深い沈黙。
セイバーはやけに冷たい眼差しで、ベンチの影に蹲っているバゼットを眺めている。
そして当のバゼットはといえば、ようやくはめられたことに気づいたのか、両耳を真っ赤にしてただひたすら俯いている──
「…………メイガス?」
びくんっ
投げかけられたその一言に、バゼットの体が小さく震えた。
そして彼女は恐る恐る顔を上げると、目の中にぐるぐるマークを浮かべたまま、わたわたと手を動かしながら口を開く──
「セ、セイバーさん? これはその違うのです。ええとその、だからですね──」
「──まあまあ」
にっこりと。
満面の笑みをたたえながら、セイバーは手を伸ばし、がっしとバゼットの襟首を捕まえた。
「とりあえず……話でも聞きましょうか?」
そして、バゼットは。
「……………………はい……」
最早脱出不可能と悟ったのか、ただ力なく頷いたのだった。
4.
「なるほど、そういうことですか……」
商店街の一角にある喫茶店、その奥まった席で、セイバーはうんうんと頷いていた。
──バゼットが話した内容はひどく断片的なものだった。
それらを一通り聞き、自分の頭の中で再構築し、そしてセイバーは。
「……とりあえず、会って話してみるのがいいのでは?」
と、ごく一般的な結論を下した。
「そ、そんなこと──!」
が、バゼットはとんでもないとでも言うようにぶんぶんと首を横に振った。俯き、ぼそぼそと力なく続ける……
「出来るはずが、ない……」
「しかし先日は顔を合わせていたとシロウから聞きましたが?」
「あれは不慮の事故ですっ」
があーと即座に切り返す。
「──相手は別にそこまで重大なものと考えていないのかも」
「そんなはずはありません!」
だんっ!
叫び声とともに、テーブルが揺れた。
店内にはさほど客はいなかったが、それでも複数の視線に射抜かれていることに気づいたのか、バゼットは決まり悪そうにごほんと堰払いをした。
固まっていた空気がほぐれていくのを感じながら、セイバーはあくまでも柔和な物腰でそっと告げた。
「……手を伸ばせば届くところにあるというのは、素晴らしいことだと思いますよ、バゼット」
はっ──とバゼットが息をのんだ。
僅かに瞳が揺れる。
嘆息とも吐息ともつかない曖昧な呼吸の後、彼女はそっとセイバーの顔を覗き見た。
「────貴女、は?」
「……?」
首をかしげるセイバーに、バゼットは身を乗り出して、
「セイバーさん、貴女は──貴女の望むものは、手に入ったのですか?」
一瞬の間が空き。
「さあ──どうでしょう?」
金髪の少女は──、そう言って柔らかく微笑んだ。
5.
「全く、言うだけなら簡単なんですよ……」
ぶつぶつと呟きながらバゼットは再び道を歩いていた。
セイバーとは先に帰ると言って、店先で別れている。(その際さらにたい焼きを大量に奢らされたが)
「ああもう、どうしたものだか──」
ぺちん、と顔を手で覆い隠し、彼女は唸る。
はあ……
吐息とともに、立ち止まった。
自然と、人の流れは彼女を避けて動いていく。
──まるで自分ひとりが取り残されたような。
そんな錯覚を覚えながらも、彼女は視線を前から横へと逸らした。
ショーウインドウの中にあるのは、小物の数々。ぼうっとそれらの品物を見ているバゼットの横を通り、女子中学生たちがわいわいと騒ぎながら店の中へと入っていく。だとすれば、そこまで値の張るような物を扱っているわけでもないのだろうが──
「……ああ、これは」
呟いて彼女はすっと目を細めた。ショーウインドウの中にあるアクセサリの一つ。それに目を止める。
(そう、ですね……)
──微苦笑。
(いい機会──では、あるんでしょうね……)
揺れる瞳。きゅ、と服の裾を握る。
そして。
「……よし」
呟いてバゼットはすっと息を吸い込むと、視線を鋭くし──、
きぃ……っ
そっと、店のドアを押した。
「すいません、ショーウインドウにあるあれなんですが……」
ざわめきを残して、バゼットの姿が店の中に消える──
──日が緩やかに落ちていく。深山の空は、次第に赤く染まり始めていた。