1.
──そして。
階下から聞こえる凛たちの声を耳に捕らえながら、少女は薄暗闇の中をそろそろと進んでいた。
──き、ぃっ……
わずかに軋んだ音をたって、扉が開く。
「──……」
くすんだ色の瞳が、ゆっくりと部屋の中を見渡す──問題ない、ここには夕方訪れたばかりだ。おおよその配置は把握しているし、何より──
「……確か、宝箱の中、でしたか」
確かめるような呟きには、かすかな高揚感。胸の前で握られている手に、少しばかり力が篭る。
少女はゆっくりと足を進め、部屋の隅に置かれた宝箱の前へと辿り着いた。
こくり──と喉を鳴らす。
一回大きく息を吐き、しゃがみこむと──、彼女はそろそろと手を伸ばし、宝箱の蓋を開けた。
ぎいいいぃぃぃぃぃ────
薄く伸ばしたような軋む音。箱の中にはただひたすら漆黒が広がるのみ。が……よくよく見れば、闇の中には光がある。ぼんやりと光るその赤い光は、序々にその大きさを増しているようだった。
光。光。アカイヒカリが輝きをさらに増す。少女は目を細め、光の正体を確かめようとそっと手を伸ばした。刹那。
「あはー、気づかれちゃいましたねー?」
部屋よりもさらに暗い闇。淡く怪しい赤の光。その狭間から、無意味に明るい、そんな声が響き渡った──。
2.
──それが、昨日の話だった。
夜が開け、日が昇り、人々は次第に起き始める。衛宮邸においてもそれは例外ではなかった──
「ふぁ……、今日もいい天気だなあ」
縁側を歩きながら、士郎はぼんやりと空を見上げ、呟いた。天気は快晴。
「ん……っ」
大きく腕を伸ばし、士郎はよし、と頷いた。
「さて、朝飯でも作るか」
言いながら士郎は居間へと続く襖を開け──
「あ、おはようございますっ」
──中からそんな声が聞こえてきて、硬直した。
「え」
思わず、そう呻いている──
そこにいるのは、一人の少女だった。
赤のフリルの付いたミニスカートに、クリーム色の薄手のセーター。その上につけているのは、普段士郎がつけているエプロンだ。指には怪我でもしたのか、絆創膏が巻かれている。
とりたてて驚くほどの格好でもない、ごく普通の一般的な格好である。
ただ問題なのは──
「……カ、カレン、さん……?」
カレン・オルテンシア。彼女はその声にきょとんとして目をしばたいた。
「はい?」
そう言って小首をかしげるカレン。が、彼女は何かに気づいたのか、あ、と小さく声をあげると、もうっ、と頬を膨らませた。ずいっと士郎へと近づき、上目遣いに見上げながら、口を尖らせる。人差し指をたて、いいですか? と告げる──
「カレンさんだなんて、そんな他人行儀な。士郎さんはここの家主だし私は居候なんですっ。カレンって呼んでくださいねって言ったじゃないですかっ」
「え、えええ? 言った、か、な……?」
士郎は目を白黒させて、口ごもる──
カレンはその様子には気づかないのか、視線を逸らし、もじもじと体を動かしながら、なにやら呟いていた。
「それに──その方が、私も嬉しい、かな、なんて……」
えへへ、と両手を頬に当てて笑っているカレンに、士郎は恐る恐る声をかける。
「え、いや、あの、さ……」
「はい?」
再び、純真そのものような真っ直ぐな瞳を向けてくるカレン。
士郎は半眼で、やや体を引きながら呻いた。
「……………熱でもあるのかアンタ」
「え?」
カレンはその言葉に、呆然として立ちすくんだ。
が、それも一瞬。彼女は俯くと、体を震わせ始めた。
「……うっ……ふえっ……」
すすり泣くような声が、僅かに漏れる……
「え──は……………?」
今度こそ何が起きているのかわからずに、士郎は硬直した。
「士郎さん、ひどいです……」
ぐしぐしと目をこすりながら、それでもカレンは抗議する。
「アンタなんて、そんなの……あんまりです……」
そうして彼女は顔をあげた。やや赤らんだ、潤んだ瞳。目の端には涙の跡。それでも必死に笑顔を作り、カレンは胸の前で両手を組み、小首をかしげる──
「──そんな寂しい呼び方じゃなくて。カレン、ってちゃんと呼んでください。ね?」
「あああああああっ!? なんなんだ一体―!?」
とうとう頭を抱えて士郎が絶叫する──と。
「おはよー。あーだっる……」
そんな呻き声をあげながら、凛が居間に入ってきた。
カレンはそちらを振り向くと、にぱっと笑顔を浮かべて、
「あ、凛さんおはようございますっ」
「はいおはよ………って、え!? ──は!?」
ぎくり、と身を竦ませて凛が士郎と全く同じように硬直した。
「と、遠坂大変だ。なんか色々大変なんだ……」
のろのろと這うようにしてやってくる士郎を見下ろしながら、凛はごくりと喉を鳴らした。とりあえず士郎の腕を引っつかみ、立ち上がらせながら、
「──うん、わかってる。……ええとカレン?」
「はい?」
きょとんとして聞き返してくる彼女に、凛は。
「えい。」
と言う掛け声と共に、横にいた士郎のシャツをぺろんとめくった。
「きゃ──」
カレンは一瞬にして顔を真っ赤にすると、さっと目を逸らした。震える声で抗議する。
「───り、凛さんなにやっているんですっ。そんな、ふ、ふしだらな……え、えっちなのは、駄目なんですからねっ」
『……………………………………………。』
沈黙。二人は半眼でただただ動けずにいる。
「士郎」
呟いたのは凛だった。
「は?」
聞き返す士郎に、凛は朗らかな笑顔を浮かべると、しゅたっ、と手を挙げてみせて、
「後はまかせたわ。」
言い切った。
「おいっ!?」
たまらず叫び、逃げようとした凛の方を慌てて引っつかむ。
「ああもう離しなさいっ! 変なコトに巻き込まれるのはごめんなのよっ! 色々やらなきゃいけないこともあるんだからっ!」
があーと叫び、なんとか逃れようとする凛に、士郎ははっはっはと笑いながら、
「こうなったら一蓮托生だぞ遠坂ー!」
「だ、だめですーっ!」
と、割って入ったのはカレンだった。 必死な形相を浮かべて、彼女は口を尖らせた。
「士郎さん、なにやってるんですかっ」
もうっ、と言いながらカレンは片手を腰に当てた。そしてもう片方の手の人指し指をたて、ぴこぴこと振りながら、
「女の子に乱暴するなんて、駄目じゃないですかそんなことしたら。──めっ。」
言って、ぴっと指を士郎に突きつける──
「あ、はい。ごめんなさい。」
士郎は顔を引きつらせながらも素直に頭を下げた。
その横では、凛が顔を逸らし、口元を押さえながら必死に笑いを堪えていたりするのだが。
カレンはぱんっ、と両手を打ち合わせると、
「はいっ。──あ、じゃあ私、お料理に戻りますから、士郎さんは座って待っていてくださいねっ」
「あ、ああ……」
曖昧に頷き、士郎が座り込む。
「で」
と言いつつ隣に凛が腰掛けた。彼女は口元に手を当て、ぼそぼそと尋ねてくる──
「なにがどうなってるの?」
「さあ……」
そう唸り、士郎は首をかしげる──
早朝の衛宮邸。今日は何やら、いつもと違う一日になりそうだった──。
3.
「ふんふーん、っと……」
とんとんとん……とリズミカルに包丁が音を立てている。
キッチンでカレンは料理を作っているようだ。
そして──その彼女を、士郎たちが居間からぼんやりと眺めている……
「で、どうなってんのよ、あれ」
机に頬杖をつきつつ呻いたのは凛だった。
「な、何か悪いものでも食べたんでしょうかねえ……」
あはは、と引きつった笑顔を浮かべているのは桜。
「違和感はありますが、何も害があるわけでもなし。本人がそうしたいのならそれでいいではありませんか」
と言ったのはセイバーである。
士郎と凛はその言葉に、ちらっと互いに目を合わせ──そして、
「うん、あのなセイバー」
「そうねえ。セイバーは直接まだ話してないからそんなことが言えるのよ?」
「は、はあ……」
ずいっと迫りつつ呻く二人の迫力に押されたのか、顔をひきつらせてセイバーは曖昧に頷く。
「まあ、しかし……」
と、バゼットはお茶をすすりながら、
「霊媒体質での結果、と言うわけではないようですね。となると一体……」
ふうむ、と考え込むバゼットをよそに、カレンがお盆を持っていそいそと居間へと入ってきた。
「お、お待たせしましたっ」
言って、とん、とお盆を置く。そこに乗っていた料理は──
「えとっ、その、マーボー豆腐なんですけど……」
『……朝から?』
セイバー以外の全員が突っ込んだ。
「だ、駄目ですかぁ……?」
えぐ、と泣きそうになるカレンに、出来る限り優しい口調で士郎は告げた。
「いや、えと、朝からはちょっと重いよなー、なんて……」
「ご、……ごめんなさい……」
『しゅん』とうな垂れ、かぶりを振り、カレンは呟いた。
「でも、私、これしか作れないから……」
「どんなチョイスなのよ。」
思わずぼそりと凛が突っ込んだ。と──。
「……ふえ……」
カレンは目に涙を浮かべ、顔を歪める。
『うっ──』
罪悪感からか、全員がたじろいだように呻いた。
「あ、いや! ありがとう、いただくよ! な?」
やけにはきはきした口調で叫び、士郎は凛へと呼びかける。
「そ、そうね! いただきましょう!」
ぱん、と両手を打ち、凛もまた慌てて大皿へと手を伸ばす。ほらほら桜たちも食べる食べる、と言いながら、ちらちらとカレンの様子を横目で見ている。
「あち! ──あ、でも美味しいぞこれ」
「うん、そうね。味自体はいたってまともだわ……」
意外そうな二人をよそに、セイバーはこくこくと頷いている。
「ふむ、これはなかなかに奥が深い……」
「ほう」
続いてバゼットも手を伸ばす。カレンはその様子を眺めていたが、ほっとしたような笑顔を浮かべて、ちょこんと席に座った。
「えへへ……」
照れくさそうに笑うカレンに、士郎だけでなく、他の皆も箸を止めて魅入っている……
一向に動こうとしない皆の様子に疑問を感じたのか、カレンは小首をかしげると、
「……? どうされたんですか、皆さん?」
きょとんとして聞き返すカレンに、士郎たちは声をひそめて囁き会う……
「これは……」
「そうね……」
「まずい、ですね…………」
4.
「しっかし」
居間の机に頬杖をつきながら、凛はぼへーとカレンを眺めていた。
「よく働くのよねー」
カレンは食事の後片付けをこなし、今は何やらキッチンで作業をしているようだった。
「いい子ですし」
えへへ、と桜が笑う。
「脱がそうとかしないしな」
ふ……と遠くを見ながら、士郎。
「料理がうまいのですっ」
胸を張り、セイバーが言い切る。
『…………………。』
沈黙。そして全員が目を合わせて、
『……このままで、いいわよね?』
言い切った。
「……なにげにひどいですねえ、みなさん」
完全に引いた様子でバゼットが呻いている。
でも……と、指を唇に当てながら、首をかしげる。
「んーでもどうしてこんな風に変わったのかしらね」
士郎もまた腕を組み、うんうんと頷いた。
「そうだな。これじゃあ変わったっていうか、まるで変身──」
──言葉が、そこで途切れた。
「──変、身……?」
ぼそり、と。
暗い声で凛は呻き、そして。
「あいつかああああああっ!?」
『だんっ!』と机の上に足を置き、凛は絶叫した。手をわなわなと震わせながら、があーと叫ぶ。
「あーもうあの莫迦ステッキ、一体どうやって出たってのよ!」
「り、凛どうしたのです?」
いきなりの出来事についていけないのか、目を白黒させているセイバーに、凛は半眼で低く笑う。
「あっはっは。セイバーの罰ゲームの原型って言えばわかるかしらねー?」
「──……………。」
ぴしり、と石化するセイバー。
「でも」
と呟いたのは桜だった。慎重に言葉を選びながら、続ける。
「わたしとしては、今のカレンさんに不満があるわけでもないですし。もしカレンさんが自分の意思で変身したのなら、わざわざ元に戻す必要はないと思うんですけ──」
そう告げる桜の後ろでは。
「あ、あの、士郎さんっ」
カレンがなにやら小さい包みを士郎に渡しているところだった。
「あああああのっ、これっ、その──士郎さんのために、作ってみたんですっ。もしよかったら──食べてくださいっ」
必死な様子で、顔を真っ赤にしながら一気に言って士郎に包みを差し出す。
彼は一瞬目をぱちくりとさせてから、
「へ? あ──ああ。えと、ありがとう」
「はいっ!」
『ぱっ!』と顔を輝かせるカレンに苦笑してから、士郎は包み紙に結ばれていたリボンをほどいた。中に入っているのはクッキーのようだった。へえ、と感心したように呻いてから、士郎はその中のひとつを摘み上げた。丸い、オーソドックスなタイプのクッキー。ほのかな香ばしさが漂っている。
「ん、じゃあ早速頂いちゃって……いいのか?」
「はいっ。お願いします……っ」
ぎゅっ、と拳を握り、カレンが真剣な眼差しで様子を見つめている。
士郎はもう一度苦笑してから、クッキーを口の中に放り込んだ。数回咀嚼してから、
「うん、うまい。──カレンはすごいな」
言って、ありがとう、と呟いた。
カレンはぱっと輝かせると、
「えへへっ……嬉しいです……っ」
顔を真っ赤にしながら、彼女は目の端に浮かんでいた涙をそっと拭い、微笑む──
──そして。
『…………………………あったわ。』
みきめしごがめきぐちゃべきばりんっ。
その様子を見ていた凛たちが一斉に、机やらコップやら壁を破壊し、呻いたのだった──
5.
「あの杖よ! 絶対どこかにあるはずなんだから探しなさいッ!」
『ずびしっ!』と彼方を指差し、凛は叫ぶ。
その指示に従い、残りの面子が一斉にあちこちに散らばっていく──
ああもう、とかぶりを振ると、凛はどすんと畳の上に座り込んだ。ふーっ、と息を吐き、ちらりと横目で士郎たちの方を見る──
「あの、士郎さん……? その……」
「え、なんだ?」
カレンはもじもじと恥ずかしそうにしながら、ぼそぼそと上目遣いで告げる。
「その──お隣、座っていいですか……?」
「へ……?」
絶句する士郎に、カレンは泣きそうになりながら、
「だ、だめですかぁ……?」
士郎は頬を染めながら、慌てて両手を振った。
「い、いや。全然構わない。と言うよりそんなことわざわざ断りいれる必要もないからな?」
「は、はいっ。えへへ……っ」
嬉しそうに、照れくさそうにカレンは笑い、ちょこんと士郎の隣に座る……
「あああっ、何よこのラブラブオーラはっ……っ!?」
二人の様子を眺めながら、凛は頭を抱える。
「これは流石に入り込めませんねえ……」
いつの間にか戻ってきていたセイバーが、顔を引きつらせながら、顔の下半分だけで苦笑している。目は全く笑っていなかった。
「だ、駄目です部屋にはありませーん!」
廊下から桜が叫んできた。
「土蔵も駄目です!」
同じく庭から、バゼットが。
そして、カレンと士郎はと言えば──
「あの、士郎さん……?」
おずおずと、はにかみながらカレンは一歩士郎へと近寄った。
「ん?」
聞き返す士郎、その目を見つめ、彼女はただ黙している……
「…………ええと、カレン?」
彼女はそっと手を差し出すと、『きゅっ』と士郎の服の裾を摘まんだ。精一杯の勇気を出すように自分を震えたたせているのか、もう片方の手は強く強く握り締められている。そしてカレンは、僅かに震える声で、
「あの……もし暇だったら、どこか、行きませんか……?」
「え──あ、うん。そう、だなぁ……」
士郎もまた、頬を染めて、熱にうなされるようにして頷く……
「緊急レベル5──! ああああっ、なんだか陥落寸前っぽいし――――!?」
頭を抱えて叫ぶ凛に桜が必死に叫ぶ。
「ね、姉さんこうなったら──」
「そうね、残ってるところで一番怪しいのは……」
言って、カレンを見やる。当然、今現在も持っていると言うのが一番可能性としては高いだろう。
「……でもどこかしら。それっぽいふくらみとかって見えないんだけど」
むう、と唸る凛に、バゼットが質問する。
「姿が変わっているという可能性は? 例えば小さくなっているだとか……」
「そんなことできるのかしら。あーでも、あれなら『あはー、そんなの朝飯前ですよー』とか言いそうだけど……」
凛はそう言って、顎に手を当てて考えていたが、やがてうん、と頷くと、
「そうね。ならもう、こうなったらやることは一つよね……」
呟き、手の骨をこきこきと鳴らしつつキッチンへと向かい始める。
「あ、姉さんもそう思いましたか」
手を合わせて朗らかに笑ったのは桜だった。
「あ、あの二人とも、一体何を……?」
何やら只ならぬ雰囲気の二人に、セイバーが恐る恐る声をかけると、
『ひっぺがす。』
きっぱりとそう言いきり──、姉妹は背中に赤黒いオーラを漂わせ、キッチンへと向かっていった。
6.
「カレーン? ちょーっといいかしら」
やけに甘ったるい猫なで声が響き、カレンはくるりと振り返った。
そこに立っていたのは──、凛と桜のふたり。何やら怪しい気配を背負いつつ、薄く笑っている。
カレンはぱん、と手を合わせると、小首をかしげてぱっと顔を輝かせた。
「あ、はいっ。なんですかっ?」
「ええとね、うん、あ、士郎は邪魔だからあっち言ってなさい?」
あっはっは、と笑いながら士郎をカレンから引き剥がし、居間へと追いやる。
「なんでさ」「いいから。」
聞き返す士郎に一瞬の間も挟まずに言い返す凛。
「はい。」
とぼとぼと士郎が居間へと歩いていく……
その後ろ姿を見届けてから、凛はカレンへと向き直った。
「さて──」
じろじろと全身を見回し、ふむ──と唸る。そして彼女は無造作に手を伸ばすと、
「えい。」
呟き、ぺろっとセーターをめくりあげた。
「きゃ──!?」
びくっ、と体を震わせ、顔を真っ赤にして──それでも抵抗はせずに、カレンは恐る恐る聞き返す。
「な、なななななにを……?」
「大丈夫よ、痛くしないから。」
うふふふふ、と目を不気味に光らせながら凛が迫る……
「姉さんさすがにちょっとそのせりふは……」
横では桜が苦笑しているが、止める気配は一向にない。
「え? え? えええ──?」
カレンは事態が飲み込めないのか、目を白黒させていたが、やがて呆然と成り行きを見守っている士郎へと目を向けると、
「し、士郎さんたすけ──」
が、カレンが手を差し伸べるよりも早く、後ろからセイバーが両手で彼の目を覆った。
「シロウだめです。見てはいけません」
「え? なに? なんでさ?」
「どうしてもです」
じたばたと抵抗しようとする士郎を押さえつけているセイバー。凛はその様子を見てから、よしと頷いた。
「さあて、ここかしら──」
呟きつつ、凛はセーターの中に手を伸ばす──
「だ、だめ……んっ」
ぴくんっ──とカレンの体がはねる。
「んー、ないわね。じゃあこっち、とか?」
凛の手がカレンの体を這い進み、そしてその度彼女の頬が朱に染まっていく。
「だ……だめ、です……こんなの……女の子、同士なの、に……っ」
はあ──と熱い吐息を零し、カレンは潤んだ瞳で凛を見つめた。湿った唇、その隙間から、吐息と共に言葉が零れ落ちる……
「……お願い……です……優しく、してください……」
『………………………………………。』
静寂が広がった。
動かない。凛と桜の二人は動かない。顔を染めて、口をぽかんと開けて愕然とした様子で固まっている──
ぶぱっ。
先に我に返ったのは凛だった。ぼたぼたと鼻血を垂らしながら、完璧に据わった眼差しで横の桜に確認を取る。
「さ、さささささ桜、これはもう、あ、あれよね?」
「は、はははははひっ。もうこれはしょうがないですっ。不可抗力なんですっ」
桜もまた熱にうなされるような眼差しでこくこくと頷いている。
「え、えええええ──!?」
カレンは目を白黒させながらわたわたと逃げようともがく──が、桜にがっちりつかまれているためにそれも適わない。そうしている間にも、凛は鼻血を右手で拭い取ると、ずいっと間合いを詰めた。その目の中には、きっぱりとぐるぐるマークが浮かんでいたりする。
凛の腕がカレンの服の中へともぐりこみ、指が肌を蹂躙する。そのたびにカレンの口から漏れるは甘い吐息。
「だ、め……っ」
被虐に満ちたその声は嗜虐を刺激する──凛の唇が吊りあがる。桜が哂う。そして姉妹の瞳が腕が指がさらに加速度を上げて少女の体を這いまわす──。
その胸元へと乱暴に進入するのは凛の右手。そして一気に服をめくりあげながら凛は叫ぶ──
「ってことで、いただきま、」
──そして。
かっ────!
唐突に、カレンの胸元から光が溢れかえった。
慌てて服をめくりあげると、そこにあるのは可愛らしいフリルの付いた薄水色のブラジャー。そして、その狭間に──
小さなペンダントのようになっているカレイドステッキの姿があった。
「え」
凛は硬直したまま呻く。
先ほどのことを思い出す。
触れていた。
凛の伸ばした手は、このステッキに触れていたのだ。
──鼻血の付着した、凛の右手が。
「って、まさか────!?」
凛の叫び声は、
「あはー、ってことで、(面白そうですし)こっちに行っちゃいましょう! と言うわけでやっちゃいますよ多元変身──!」
と言う、やたら呑気な声にかき消された。
言わずもがな、カレイドステッキに宿る人工精霊である──。
凛はペンダントを掴んだまましばらく呆然としていたが、やがてすっくと立ち上がると、びしりとポーズを取って、目の中にぐるぐるマークを浮かべて叫ぶ──
「っコンパクトフルオープン! 鏡面回廊最大展開! Der Spiegelform wild fertig zum transport──!」
一方、カレンは我に帰ったのか、桜に羽交い絞めにされたまま、いつもの表情へと戻っていた。
「か、カレンさん……?」
尋ねる桜の言葉は無視し、カレンは黙ったまま冷静に状況を観察した。
いつの間にか変わっている自分の姿。
熱にうなされるようにぼんやりと自分を見つめている士郎の視線。
セイバーは何やら頭を抱えて凛から全力で視線を逸らしている。
そして何やら一人呪文を唱えて喚いている凛。
キッチンにはマーボー豆腐の鍋に、クッキー作成の際に使用した型抜き。
士郎。
士郎。
衛宮士郎──。
カレンはそれら全てを確認した後、こくりと頷いて、
「………………………………で、では。」
一言そう言い捨てて、耳まで真っ赤にしてすたこらと居間から逃げ出すように出て行こうとした。そして。
「待ちなさい。」
すかさずバゼットに羽交い絞めにされた。
「離して、ください……っ」
必死に抵抗しようとするカレン──が、拘束はほどけない。
士郎はその様子を見ながら、ぼんやりとカレイドステッキ(凛はただ今変身中)へと声をかけた。
「なあアンタさ、ひょっとして記憶残してるだろ」
「ええまあ。面白くなると思ったので」
かっ──。
一方その頃、変身を完了した凛がずびしとボージングをしつつ、叫んでいる。
「魔法少女カレイドルビー、ここに誕・生ッ!」
さらに一方、カレンはバゼットに拘束されたまま、士郎から目を逸らしてぼそりと呟いている。
「士郎いいですかあれは本気で忘れてくださいと言うか忘れなさい。──と言うわけで、バゼット?」
ちらり、と背後へと目を向ける。バゼットはにやりと口を歪めた。
「そうですね、後頭部への適度な衝撃で記憶くらいは吹っ飛ばせるかと。」
「くらいってなんだ! って言うか適度とか絶対嘘だ、頭蓋骨割るだろアンタ──!?」
たまらず逃げ出す士郎。すかさず伸びる聖骸布。──脱出失敗。
「……早●ゲット?」
「おいっ!?」
全身ぐるぐる巻きにされながらもたまらず叫ぶ士郎。そして──。
「さあ、全世界に愛と破壊を撒き散らすわよっ☆」
目にぐるぐるマークを浮かべたまま、ぶんぶかとステッキを振りまわして高らかに叫ぶ凛──いや、カレイドルビー。
「姉さん、素敵ですっ!」
何故か目をきらきらさせている桜。
「さあシェロいくわよ! 手始めに周囲一帯をカタストロフな感じでさくっと!」
「先にこの二人どうにかしてくれー!」
バゼットに小突かれながら助けを求める士郎。
「士郎さん、そろそろ忘れましたか?」
つんつんと頬をつつきながら、今だ赤い頬で尋ねるカレン。
「わ、忘れたっ、忘れたからっ!」
「ちょっとシェロなに遊んでるのよ、ほらほらっ!」
「遊んでるように見えるのかっ!?」
「────!」
「───────────!
「───────!」
「──!」
「…………ええと」
そして。ライダーは呆然とその様子を眺めていたが、やがてはっと我に返ると、くいっと眼鏡を持ち上げつつ、セイバーに尋ねた。
「……で、この状況はどうやったら収まるのですか?」
そしてセイバーはしくしくと涙を流しつつ、
「さあ……」
そう呻いて、力なく首を横に振る……
──昼前。衛宮邸はひたすら混沌と化していた……。